覚書

故柳澤宏道上人の思いへ低頭

石山本尊本棚を整理していたところ、もう10年近く前に、故柳澤宏道上人からご恵贈いただいた『石山本尊の研究』増補版が目に止まった。
実はご送付いただいたまま、丁寧に拝読することなくしまいこんでしまった。
滋賀にいた頃、お会いしたこともなく、わたしのほうから連絡をしたわけでもないのに、何故か故上人は本や食品を、たびたび贈ってくださった。
その深意を、本書を開いて冒頭を拝読し、わかったのである。

『序』を要法寺沙門 久能日玄が書かれ「柳澤宏道君が…彼が本宗に入門してから指針として、彼の信仰経歴から、特に本尊義についての研鑽を命じた…」と記されている。
また『自序』に故上人は「本書の前駆となった『日蓮正宗本尊の考察』を、様々な妨害を排除して発行したのは3年前であった。創価学会の脱会者で、現在は西山本門寺の僧侶を自称する者等が拙書の発行に絡み、版下原稿を彼等の小冊子に盗用したことなど、本当に派閥宗学を長年信仰した者は、一般の無宗教の人よりも悪辣であることを実感した」とある。

不覚にも、わたしはここを読んでいなかった。
実は、「西山本門寺の僧侶を自称する者」から、故上人は要法寺出家を詐称し、自分の原稿を盗んで本を出版したと聞かされていたのだった。しかし、ご連絡をくださった故上人は、実に誠実であり、詐称をしたり盗用をしたりするような人物とは思わず、困惑したものだった。

故上人の要法寺出家は『序』にあるとおり、日玄師が明言されている。
また、本尊に関する知識は「西山本門寺の僧侶を自称する者」とは格段比較にならなかった。

全く故上人が『自序』に書かれたことが事実であり、「西山本門寺の僧侶を自称する者」が盗んでおきながら盗んだと濡れ衣を着せたのだ。
誰のことも盗人扱いをするこの人物に、わたし自身も、盗人扱いをされたが、警察が事実ではないことを認めたのである。
また、わたしがかつて大石寺の所謂「本門戒壇之大御本尊』の鑑別を行うと、あとから同説を発表した者が、わたしを盗人扱いをし、日蓮門下各位に触れ回った経緯もあった。
そうこうした自分の経験もあり、お察しするに、故上人の無念は如何ばかりであったか、いまさらながら、落涙を禁じ得ない。

茲に故上人の潔白を宣揚し、御恩の一端に報いんがために、ここに記し置くこととする者である。

無我の輪廻を止める、涅槃

以前、読んだ馬場紀寿『初期仏教』で仏教が目指したものを「再生なき生を生きる」こととまとめられていた。
再生とはバラモンが死後、天上世界に生まれること、また、存在するもの(衆生)がこの世で再び生まれること、つまり、輪廻の現代語である。つまり、輪廻があるという前提で、輪廻をどう止めるかが仏教の目標であった。

衆生は単に「諸要素の集合」であって、死ねば無に帰し、何も残らないと説いているか?しかし、それは、人問は地・水・火・風の四大元素の集合に過ぎず、死ぬと、四大元素は四散するのみで、 死後の生は存在しないと説いたアジタ・ケーサカンバリン(P.Ajita DEsakanmbalin)の唯物論となってしまう。つまり、ブッダが棄却した考え方である。
では、輪廻する主体を認めているのか?

宮坂宥洪『仏教におけるダルマ(法)の意味』を読み、無我「ダルミンなきダルマ」と整理した。
ここで宮坂はブッダゴーサの、阿含経典のダンマの意味を分類、(1)pariyatti(聖典)、(2)hetu(因)、(3)guṇa(德)、(4)nissatta-nijjīvatāの4種類を挙げ、特に誤釈されてきたnissatta-nijjīvatāとは無我の意であることを明確にしていた。

いわば輪廻する“無我の法”の、輪廻を止めることが仏教の目標であったと整理できることになるか。
これはしかし、単にhetu-vidyā(=因明:宮坂は「インド論理学」という現代的な呼称を用いている)における思弁の遊戯ではないだろう。

逸脱ぎりぎりの表現となると思うが、輪廻するのは、我ではなく、無我である。
では輪廻する無我は、馬場の言葉でいえば「諸要素の集合」となる。宮坂の言葉でいえば「ダルミンなきダルマ」

そして、再生が止まり、無識別、無想となれば、それはしかし、無に等しいのではいか。
そうなると、思弁の手順としては仏教は、より段階を踏むものの、アジタ・ケーサカンバリンと、結論的にどう違うのか。少し、考えを整理したい。

無我「ダルミンなきダルマ」



先に読んだ宮坂宥洪『仏教におけるダルマ(法)の意味』に、hetu-vidyā(=因明:宮坂は「インド論理学」という現代的な呼称を用いている)から無我の説明があった。

ブッダゴーサの阿含経のダンマの説明に正当性を置き、『倶舎論』は暗に否定される。
上図①は、その論考に掲げられたもので、説明を図式化したのが②である。
説明に従えば、衆生でいえば、六根など(五位七十五法、五蘊十二処十八界)のダルマは、ダルミンに保たれるものという関係(③)となるところだが、宮坂は「ダルミンなきダルマ」という。つまり、④の図だ。

いわゆる大乗仏教では常楽我浄をいい、無我であったはずが、我が持ち出され、大我、真我などともてはやされる。さらに輪廻も肯定され、大石寺や、創価学会では、常に人間に生まれることを目標としている有様である。
そういうわたしも、実は永らく、無我ということが、どうもピンときていなかった。
宮坂の玉稿に接し、留飲が下りた思いがある。

「ダルミンなきダルマ」、まことに箴言であると、ただ首を垂れるばかりである。
以上、覚書まで

日蓮花押の右側と全体が意味するのは

先に日蓮の花押の鍵手・蕨手の意味は ン ではない、月であるで日蓮門下の判形相伝をいくつか挙げた。

・鍵手・蕨手と呼ばれてきた は「はらい」手と日朝は呼び、梵字で読みは「ダ」である。月、月支を表す。
・左側下 は梵字 梵ぼろん字(ボロン)であり、如意宝珠、つまり摩尼宝珠である。星、唐(漢土)を表す。
・署名の日蓮は、日(太陽)、日本を表す。

概ね、以上の相伝があり、日蓮花押は日・月・星の三光、日本・中国・印度の三国を表すという。
日蓮が日とはその名前のとおりであるが、 の月、先に種々検討してきたけれど、月とは心を意味するのではないか。
梵ぼろん字 が如意宝珠というのは、日蓮が虚空蔵菩薩から授かった珠であり、連想すれば、虚空蔵、明星を意味するのではないか。また、『観心本尊抄』には「不識一念三千者 仏起大慈悲 五字内裹此珠令」といい、一念三千を珠という。つまり、月(心)に珠(一念三千)を表しているのだと思える。
以上は、先に記したことのおさらいである。

花押が梵字 梵ぼろん字 であることは判形相伝においては当然のように書かれることで、この点を動かす相伝は見当たらない。
ならば、右側の部分は、いったい何を意味するのか。先に、前期 梵バンバン )字型の花押につき、花押は摩尼かと題して、摩尼宝珠を表したのではないか、と書いた。
花押と三国この点は捨てがたいのだが、後期 梵ぼろん字 字型の相伝を覧ると「御判形ノ廻大ニマワシ給事是ハ一閻浮提也」(日傳)という一文が引っ掛かる。安82に例に採れば、右図下に抜き書きした部分である。nnnと見える部分を三つ珠と見なせば、如意宝珠を想像させるのだが、日傳相伝の如く、大きく線を廻らす後期花押の様は珠という形状から外れ、まさに一閻浮提を表すような様だ。中に見える nnn の象形を珠でなければ、何であろう。縷々挙げた相伝から三つを表すの三光はすでに述べた。残る三国は、日本・中国・印度。一閻浮提は、古代の国土観の南閻浮提全体を指すに違いないが、日蓮が言うところの一閻浮提は、特に日漢月だった。

花押 の左 が月(心)月支(印度)と星=珠(一念三千)唐=中国、そして日蓮、日本で、日月星の三光。
右側 は左の配分に倣い、三国を廻らす象形であれば、日蓮花押は三光を一閻浮提に廻らす、つまり広宣流布する相貌ととらえられる。
さらに上掲した本尊抄の文を合わせ、漫荼羅全体の意義を考えれば、まさに三大秘法広宣流布の意義を日蓮花押に籠めたとすら思える。閻浮三土の大地のみならず、 の隙間は海、天の三光と大地・海まで視野に入れた、三大秘法広宣流布の意義を、日蓮花押に籠めたと、判形相伝は暗に語っていると、わたしは思う。

阿頼耶識は現代用語の無意識とは違う

fbで「阿頼耶識が無意識」とコメントされ、驚いた。先に織田佛教大辭典で、阿頼耶識とは「種子と五根と器界との三境を了別し且つ之の縁起せしむるもの」と読んでいたからだ。

SATで検索すると「無意識」はヒットする。つまり、本来は仏教用語である。しかし、現代の意味とは違う。
例えば『摩訶般若波羅蜜經』(以下、般若経とする)では「無眼耳鼻舌身意。無色聲香味觸法。無眼界乃至無意識界。」といった文節で見られる。
六根・六境・六識を挙げ、無六根・無六境・無六識、つまり、意識に対し無意識という。
意“識”が無いというのに、なぜ阿頼耶“識”、識というのか。言葉として矛盾しているとまず思った。
『般若経』では六識までだが、それを八識までいえば、当然、無末那識、無阿頼耶識と続くことになる。無意識と無阿頼耶識は別である。つまり、無意識と阿頼耶識も別である。意と阿頼耶を別に立てているのだから、当然だろう。

阿頼耶識は無意識という考えは、半世紀近く前、創価学会で聞いたことがあった。ユングの深層心理学で九識を説く珍解釈である。
意識の深層には果てしない無意識層が広がり、そこに仏界があるといった話だった。この誤釈に永らく騙された苦い経験がある。こんな話がいまだに継続しているのかと訝しく思った。

織田佛教大辭典の説明を見ても分かる通り、1世紀近く前までは、阿頼耶識を無意識とする解釈はなかったろう。織田仏には「無意識」といった項目すらない。

それでも、よく使う新纂浄土宗大辞典を引くと、なんとあった。さすが新纂。

「意識がないこと、また日常において意識できない精神の領域。後者は潜在意識や深層心理などと同義である。
 英語のunconsciousあるいはsubconsciousやドイツ語のUnterbewusstseinに相当する。無意識には、意識がないことや気が付かないことを意味する一方で、意識下の潜在領域をも意味するように、二面性がある。後者の意味での無意識は、フロイトやユングに代表される近代西洋の心理学や哲学が問題としたものであり、その機能や理解は様々である。
 仏教では、特に唯識思想の八識説のうち、末那識と阿頼耶識が無意識と理解されるが、このような概念によって把握される無意識の萌芽は、アビダルマなどに説かれる無想定や滅尽定という禅定に見て取ることができる。これらの禅定はその境地に入ると意識が停止すると述べられているから、まさに無意識状態で修する禅定であり、これらが深層意識としての阿頼耶識を要請した一因と考えられている。つまり修行者がこのような禅定に入ると、まったくの無意識状態となるが、この修行者が禅定から抜け出ると、禅定前と同様の心身を保持している。この保持は何の働きによるのかを考えた結果、阿頼耶識という無意識が説かれるに至ったとされるのである。このように考えると仏教の説く無意識が、修行者の体験に大きく由来することが理解できる。この意味で阿頼耶識などの仏教思想を、西洋思想の無意識と安直に結び付けることはできない。これらの概念は、学的批判を通してその共通性が認識されるべきものである。」

下線を引いた部分「阿頼耶識などの仏教思想を、西洋思想の無意識と安直に結び付けることはできない。」まことにもって、そのとおりだろう。続く「学的批判を通してその共通性が認識」というが、重要なのは、むしろ、相違点だろう。
仏教と他思想との相違を明確にすることは重要なのだ。そうすることによって仏教でいう無意識と、現代用語の無意識の差も明確になる。ひいては仏教と他思想との相違が明確になる。この相違を明らかにし、仏教の特徴を知り活用することが重要ではないか。

無想定や滅尽定と無意識は違う。
どう違うのか。その違いこそ、仏教の有用性である。

他思想に拠る仏教解釈を排除すること。現代思想の頭で仏教を考えないこと。
それは正しく仏教を知り、活用するはじめの一歩である。

日蓮の花押の鍵手・蕨手の意味は ン ではない、月である

前々回『花押は摩尼か』と題して少々書き、二つの宿題を自分に。
一つ。「 梵ぼろん字ボロン の象形は 梵タラークタラーク とも似通っている」
後期花押は本当に 梵ぼろん字 か。

ここ2日、日蓮門下の本尊相伝をおさらいし直したのだが、確かな記述があった。
「示云 ママロン字如意寶珠の種子ナリ
當宗朗門相傳大曼荼羅事』の一節だ。
日蓮の寂は弘安5(1282)年。その12年後、永仁5(1297)年に記者・大覚は生まれ、日像の言を伝えた。正和2(1313)年、真言僧であった31歳、日像の説法を聴聞し改衣。しかし、この記事は延文3(1357)年、日蓮寂からは75年隔たってはいる。しかし、日蓮に会った日像からの伝聞。
また、日朝も「 事…如意宝珠種子」と記していた。
梵ぼろん字 が如意宝珠、つまり、摩尼であるという記述は棄て難い。

もう一つ。「なお残る問題、前期は鍵手・後期は蕨手といわれる花押の部位。実は象形といい位置といい、梵字の摩多、摩多エ に似通っている。しかし、もしそうだとしても、どんな意味となるか。決せない」
本日は、この点について。

日蓮漫荼羅の鍵手・蕨手と呼ばれる画を、「 点、仰月点・大空点の変形である」「蕨手は、下の仰月点から上の大空点を打つのが連続した形」などと苦しい想像を逞しくする人は多い。実は恥ずかしながら、わたし自身、そう思っていた。ところが、雑纂ながら『大曼荼羅蔵宝錀秘決続篇』に梵ぼろん字ボロン 字の点につき「御諱蓮字 點」という相伝が載る。梵ぼろん字ボロン のン点は日蓮と署名する蓮の之繞の点に摂するという。点が3点なのは、そのためか。

そもそも、仰月点・大空点とは不動愛染の の説明語だった。
また、古来、鍵・蕨といった呼び分けがあったかどうか。相伝では通じて、梵字の であるという。それも仰月点どころか、月そのものであるという。梵ぼろん字 は星、そして日蓮の日、ここに日月星三光を象っているというのが、門下共通の相伝だった。

〇以下、本尊相伝からの抜粋

『御判形事』(日朝)に「御判見ヘタル「ハラヒ」手ヲハ月ト習也
『御本尊相傳鈔』(日傳)に「第十九 御判形事 …蕨手事 是 字也 物養也 去間 日蓮サテ判遊留 日月等相竝玉意也 御判形廻大マワシ給事是一閻浮提也 其上日月出玉梵ぼろん字星也 是唐歟 月也 月天竺也 日蓮日字日本也 是三國習也」
『當宗相傳大曼荼羅事』(像師御傳 大覺記)に「一 御判形之事…御判 字有之 是字ナナリ 梵字タマシイ也 仍シタル打法ナリレハ正養不可得トモ云也 此點用給事ママロン字ナレトモ玉フハ意有之故ダ字加也 損シタル梵字スル意有之 又ダ字云字ナリ 九山八海日月無テハ叶者也 日蓮バカリナレハ月輪有之事也 ダ月也云事千字文を可見也」(P281)
『大曼荼羅藏寶錀祕決』(雜纂)に「 字是損減義也 … 悉曇章ニハ達蓮即 梵字‘あ’ 省ニシテ生字畫也 加無命點之字 還生法身惠命 三密抄下五十一與 點有何異乎 答山記云怛達小鉤鳥字大釣」
〔私注〕「 」、Wikiには、怛達(たたつ。多達、達画〈たっかく〉とも)は、体文の下に付加して母音の脱落を表す。これはヴィラーマ記号に相当する」とある。
日蓮花押における「はらい」手が該当するだろうか。

※ 以上相伝が、日蓮の直説であるという証拠はないが、慎重に検討してみる価値はあるだろう。
※ 図で描けば、以下のような意味だろう

安34の書き順は?

34のの書き方解析ここ何日か、日蓮花押の書き順について書いた。

花押の書き順については、とおに落着していたのだが、そうした自分の考えを疑ってみるのも必要だ。昨日は、花押の右側が 摩尼宝珠、また、前期は 梵ベイ2ベイ 、後期は 梵タラークタラーク ではないかと書いたが、もちろん、まだ踏み込みは浅い。あくまで試論。
しかし、後期花押の左が 梵タラーク 、つまり虚空蔵菩薩で、右が摩尼宝珠であったら、まことにロマンがある。

花押を考えていたら、記憶の扉が開き、20年以上も前に夢中で読んでいた 虚構山幻想寺 を思い出した。すでになくなっているサイトだが、ここの内容は面白かった。少し残っている画像を見直すと、前期の鑁のほかに「覧」の分類があり、驚いた。
確認のために御本尊集を見直す。確かに 梵ラン ラン の象形に見える花押はいくつもあった。

さらに眺めていると、建治2年卯月の本圀寺蔵、安34の花押で目が停まった。丈5尺4分(152.7cm) 幅3尺1寸2分(94.7cm) 10枚継。安81に近い大きさがある。所謂、鑁字型花押なのだが、右側は前期から晩期・勃魯奄字型に移行している。目を引くのは左上から右斜めに走る鍵手。かたち梵バンバン のように見えるのだが…。
試みに書き順を考えたのが、右図である。
鍵手の線は右側に抜け、反時計回りに上向き大きく円を描いているように見える。
第2画。梵バ字バ を書いていると思いきや、そうではないようだ。
多少、説明を付せば、梵字の筆法は、第1画はア点から右横に運ぶが、第2画では、梵サ梵バ2字バ梵ぼろん字ボロン ) のように上から真上への運筆がある。
この運筆である。第2画は下から真上に筆を運び、右に小さく旋回して下に、左に円弧、内円を描いて下で止める。次に上から nnn 様を描く。ア点横一線は最後か。
もちろん他の書き順も考えられるが、傾いた鍵手は、図のような書き順を想像させる。
こうなると、この象は、もはや 梵バン 字とはいえない。では、何の象形か?と、振出しに戻るが、それもまた、謎めいていてよいではないか。

莞爾

花押は摩尼か

三宝珠考証思い返せば、2000年から盛んに議論を戦わせていた富士門流信徒の掲示板において、何故日蓮漫荼羅には不動愛染が左右の脇士のように書かれているのか、という話題になっていた。
これに顕正居士が、この脇士を立てるのは摩尼宝珠曼荼羅であると応えていた。
ネットで豊富な資料を取り出せる時代ではなかった。
已来、摩尼が頭の片隅に引っかかり続けていた。

それから数年後、といっても、15年も経つのだが、当時、梵字について学び始め、たまたま国立国会図書館デジタルコレクション所蔵「悉曇連声伝授切韻口決」を読んでいたとき、「光明真言」(8コマ)があった。一見し直感的に、日蓮花押は摩尼ではないかと閃いた。(日蓮と梵字3

その後、彰往考来師、また阿呆陀羅經師から三室戸寺などの摩尼宝珠曼荼羅(摩尼宝珠を本尊とし、脇士が不動愛染)の作例を紹介された。
尤も摩尼宝珠の用例は、日蓮真蹟にもその名がみられる『悲華経』にあり、もちろん、梵語にも見出せる。果たして、宝珠曼荼羅の作例や、根拠がどこまで遡れるかは、今のところ調べ切れていない。

それはともかくとして、日蓮の漫荼羅は、顕教としては法華経宝塔品から地涌菩薩に妙法蓮華経の五字を結要付属する様を表すばかりではなく、密教としても、梵字をもって摩尼宝珠を花押に籠め、その脇士として不動愛染を置く宝珠曼荼羅を重ねる複層構造になっていると考えが固まった。

ところで、花押が摩尼というのは、前期花押(門下一般では 梵バ字 バ 字型では説明が付くが、では後期 梵ぼろん字ボロン では意味を成さない。
そこでここ15年、御本尊集を何度も見直してきたが、よくよく花押右側の部分を眺めるに楕円の中に nnn 様の三つの形象が描かれているのは前期後期に共通するところだ。この nnn を梵字から離れて図形として見ると〇ではないのか。〇とは立体では珠となる。三つが寄り合った珠とは、当に摩尼宝珠を表す象形である。
右の図は安2の花押を例に、摩尼宝珠から花押の象形化を、逆時に示したものである。

前期が 梵バ字 であれば、つまり大日であるが、日蓮が採る説によれば多宝である。
けれど、梵字筆記の規則に従えば、前期 梵バ字 とされる文字は 、梵ベイ2ベイ、もしくは 梵ヲ に近い。しかし、これまた、種子として日蓮の曼荼羅と整合性を見出せない。しかしながら、この点については、大木道惠氏の勉強会で少々話したことがある。

では、後期 梵ぼろん字 については行学日朝が全門下から相伝を蒐集し、『本尊論資料』として、その意義を書き留めている。(山川智應の説では断じてない)
ところで 梵ぼろん字 の象形は 梵タラークタラーク とも似通っている。つまり、虚空蔵菩薩である。言うまでもなく、日蓮に宝珠を授けた清澄寺の本尊だった。

なお残る問題、前期は鍵手・後期は蕨手といわれる花押の部位。実は象形といい位置といい、梵字の摩多、摩多エ に似通っている。しかし、もしそうだとしても、どんな意味となるか。決せないところである。
わたしが摩尼に拘り続けるのは、若き日蓮が、たぶん、虚空蔵求聞持法で生身の虚空蔵菩薩を感見し、明星の如き宝珠を受け取ったこと、珠に関して『観心本尊抄』に「不識一念三千者 仏起大慈悲 五字内裹此珠令懸末代幼稚頚」というからである。一念三千を珠という三、三大秘法の三、そしてまた、摩尼宝珠の三珠の三を関連付けて考えるのは、合っているのかどうかわからない。しかし、そのことが知りたいのだ。

以上、考えの落着しないことではあるが、書き留めて置く。

安81は、本当に臨滅度時の漫荼羅か

安81、つまり、臨滅度時漫荼羅は本当に、日蓮の臨終の時に懸けられたのだろうか。
その根拠とされるのは、『御本尊集目録』に拠れば「聖祖御入滅の時に臨み、御床頭に聖筆大漫荼羅を奉懸したことは西山日代師「宰相阿闍梨御返事」(「宗學全書興門集」234頁)「圓寂之時、件漫荼羅2尋出1、奉事顯然也、勿論也」という。
また、日朝『立像等事』には「或記云十月十二日酉尅向北坐シ玉フ御前立供養燒香年來御安置木像立マイラセケムヤ申ケレハ御目舉御覽アテ面振玉フ有御弟子御筆大漫荼羅懸耶ケレハ答玉間御佛像押ヨセマイラセテ御直筆妙法蓮華經漫荼羅懸奉御覽アリ
 私云上件記録日朗御弟子平賀日傳直筆也 本書本土寺有之日朝直冩之此記ナラハ別シテ御本意トハ申歟 法門意趣各意可之先就2事相1不審也」(「本尊論資料」P115)ともある。
『当家宗旨名目』(下巻29丁)、『元祖化導記』(下巻53丁)を挙げるが、手許にない。
目録では「以下の諸書に概ね之を載せ、其の臨滅度時の大漫荼羅が即ち当御本尊であることは「本化別頭佛祖統紀」(6卷26丁)「高祖年譜諸攷異」(下卷53丁)の傳へることである。但し、「別祖統紀」が文永11年4月の御圖顯としたのは、失考としなければならぬ。『蛇形御本尊』と云う稱號の由來も、亦同書に詳しい。」(P120)とある。
頭紀部分2これまた、手許にないが『本化別頭佛祖統紀』はネットで閲覧でき、286コマに「大曼荼羅蓮字長畫冩2龍蛇人呼2蛇形曼荼羅1 高祖入涅槃之時向而坐故又云2臨滅度大曼荼羅1今存2比企藏中1 舊注日企第六代日行上人之時應永二十九年壬寅十月十二日佐竹氏上總入道常元父子因賊逼2山中1是時蜘形の曼荼羅飛而入字字現シテ2猛蜘姿1賊兵驚諤シテ而退行上對シテ曰蛇形本尊今日又増2蛇形威徳1云」、また358コマに「高祖命シテ2侍者1シム2大曼荼羅 臨滅度時之本尊現存2比企藏中1」とある。

『高祖年譜諸攷異』は原文に当たれなかった。しかしながら、前書は1731年、後書は1779年()で、日蓮寂1282年からは数百年を隔たっている。証憑の限りではない。

この辺りの事情には不案内であるが、いまのところ、蛇形、臨滅度時の呼称、臨終の枕辺に懸けた漫荼羅であることも、伝説の限りと判断するしかない。

臨滅度時が蛇形になったのは

之繞軌跡昨日から、カラーで、拡大でき、詳細が見られる臨滅度時本尊を眺めている。

別名、蛇形本尊。その呼称の由来となった題目の“蓮”の、之繞とその周辺をじっくりと見、「なるほど」と膝を打ち、「こうか!」と。

漫荼羅の題目・花押・日蓮、四大天玉・愛染不動は、一筆で書かれるのではなく、大まかな形を細い線で下書きしている。
右、下の図の之繞の、線の中、鬼子母神に重なり、うっすらと線が見える。赤でなぞった部分である。たぶん、下書きの筋線だ。最後まで引くのではなく途中まで。その筋にそって、中央題目の“蓮”の之繞を素直にはらえば、龍樹と天台に冠される南無に重なる。それを避けるように、不自然に上に流し、いったん、筆は浮き、また置いて右に流した。
そのように見える。

さて、ここで問題なのは、龍樹・天台ほかの諸尊が先に書かれていたのかどうか。

題目を、まず太筆で大書してから、細筆に持ち替え諸尊を書く。そう思ってきたが
・まず、題目ほか、細い筋書きで下書きをする
・次に細筆で諸尊を書く
・次に太筆で題目ほかを書く
・全体の相貌を整えるために書き足す
そんな手順だとしたら、蓮の之繞が蛇のようにのたうった説明が付く。

南無が冠されなかった鬼子母神・十龍樹・外に天台、左の内に妙楽・外に傳教。これは宝塔の前、西側に横一列に並ぶ席順だろう。

これに当て嵌めると、本化四菩薩は右の内に上行・外に無辺行、左の内に浄行・外に安立行という順位となる。これは経文にも一致する。しかし、こちらは東南西北に並ぶ四方の座配相違がある。

さて、蓮之繞が蛇形になったわけ。筆の誤り、手が滑って、あんな形になった。単にその線の下に、龍樹・天台を書いただけ、そうかもしれない。

まあ、しかし、「妙の一字をじっと見て、題目を上げる」なんて指導に従って、まったく全体をまじまじと見ることもせず、末法の「御本仏は日蓮大聖人。釈迦には帰依しない」と青筋を立てる宗派もあるが、「南無釈迦牟尼佛」と書かれた漫荼羅を拝みながら、何を言っているのやらと、いつも思う。

今回は、真筆を間近に見るような画像を得たけれど、実際、拝観の機会があれば、口に樒を加えて鼻息を掛けるのではなく、マスクかハンカチで口を覆いながら、時間の許される限り、いつまでも観察してみたい。

日蓮宗では、安81、臨滅度時本尊、蛇形本尊を宗定として、日蓮宗新聞を通じて複製を販売している。白黒なんだろう。

漫荼羅は黄紙で、墨痕は緑がかった墨痕で、筆の重なり、筋書き、書き足しも看て取れるカラーのほうがよい。

この輝くような相貌はどうだ。色があるからこそ、光って見えるのだ。