日蓮仏法入門

池田先生「人生は最後で決まる」

100文字の幸福抄

人生とは劇である。

「結末が幸福なら喜劇、結末が不幸なら悲劇」である。

途中がどうあれ、最後がよければ喜劇となる。





これは、決して一般論の指導ではありません。

仏法では、臨終の境涯で死後、そして来世のスタートが決まると説いています。

ゆえに、「仏界の境涯で生涯を締めくくれるか」が、信心の目的となります。

それ以外は、全ておまけといっていいでしょう。

そして、それを阻むために、臨終の瞬間まで、障魔が競い起こります。

黄金の人生であっても、最期に退転すれば負けです。

命ある限り、南無妙法蓮華経を信じ唱え抜く。

その臨終を実現するための仏道修行なのです。





池田先生が刑事告発された理由

昭和48年6月21日、創価学会の池田大作会長と日蓮正宗の細井日達管長が富士宮警察署に刑事告発されました。

正本堂の建っていた土地はもともと山林や農地で、市道21本が通っていました。それを不法占拠しているという道路法違反、不動産侵奪罪の容疑でした。

創価学会弁護士の説得によって告発は取り下げられましたが、この騒動の原因は、寄進を受けた大石寺による、50万坪にも及ぶ土地登記の不備にありました。

本来、300坪以上の農地を転用する場合、県の許可が必要です。

しかし大石寺は地元の司法書士を雇い、農家の名義を借用して土地を300坪以下に細分化し、違法な農地転用を行っていました。

さらに、他人名義としながらも税務署には宗教法人所有と主張し、固定資産税を免れていました。2重の違法行為です。

当時、大石寺には弁護士も会計士もおらず、日本の法律すら正しく理解できません。とうてい世界宗教の総本山としての実務能力を備えていませんでした。

学会は大石寺に対し、正式に会計の整備を申し入れます。池田会長が共犯にされそうになったのだから、当然です。

しかし細井管長は、宗門の会計を学会に支配されると邪推し、不信感を抱きます。

実務能力がないのにプライドばかり高いのが、出家の悪いクセです。

細井管長は学会に対し半信半疑の部分がありました。これが後の宗門問題にもつながっていきます。




池田先生「完璧な親はいない」

100文字の幸福抄より

「完璧な母親」などいない。

欠点も長所もあるから、人間なのである。








子どもは誰もが、親に完璧を求めるものです。

しかしいつか、自分の親も特別な人間ではなく、凡夫であることに気づく時が来ます。

それが、大人になるということです。

誰もが、凡夫から生まれた凡夫なのです。


池田先生「人間は人間でしかない」

100文字の幸福抄より

人生は、幸福になるためにある。

背伸びをしたりする必要など、全く無い。

人間は人間以上には、偉くはなれないのだ。





誰もが、ただの人間として生まれ、ただの人間として死んでいきます。

それ以外のことに囚われるのは愚かです。

あえて言うなら、人間にとって最大の幸福は、自由自在に南無妙法蓮華経を唱えられることです。

畜生には決してマネできません。

また、この仏法を信解できること、語っていくことです。

それ以外はすべて幻といっていいでしょう。


新型コロナという総罰

新型コロナが、個人的な罰や宿業ではなく、第八識という根深い生命から生じた「総罰」であることは、誰もが痛感しているはずです。

個人の宿業も、根本では宇宙そのものの宿業と融合します。これは死後も消えることはなく、蓄積され続けます。

それが、戦争や自然災害として表面化し、民を苦しめるのです。

個人と宇宙は、仏法上区別してもあまり意味がないし、区別してはいけません。蓮華は一見バラバラに咲いているようでも、根っこは全てつながっているのです。

蓮祖は、大宇宙そのものの宿命を転換するための御本尊を遺してくださいました。

第八識の根深い宿業ですら、第九識つまり仏界に対すれば「迹」に過ぎません。

天に屑星は数えきれませんが、日が昇れば一斉に姿を消します。例えるならそのようなものです。

ゆえに、南無妙法蓮華経を唱え弘めることで、個人だけでなく、一族一国、さらに全世界の宿命転換が可能になるのです。

新型コロナも、必ず変毒為薬できます。否、しなければなりません。

コロナを機にいっそう広宣流布を加速し、楽土を実現していくことが、我ら法華衆に与えられた使命なのです。




生命のシンボルが蓮華である理由







蓮華の花は、長くても5日で枯れてしまいます。

人生と同じく、あまりにも短く儚い命です。

しかし、蓮華の根は老化が確認されておらず、環境が許せば、半永久的に生きるという説もあります。

根が生きている限り、花は永久に咲き続けるのです。

同様に、生命はバラバラに生まれ死んでいくのではなく、永久不変の、共通の根っこがあります。

それを名付けて「南無妙法蓮華経」といいます。

一切の生命は南無妙法蓮華経から生じ、南無妙法蓮華経に還っていくのです。





戸田先生「御本尊と御書以外信じるな」

師弟の大城より

坊主には絶対にだまされるな。

日蓮正宗も同じだぞ。

御本尊と御書(日蓮大聖人)以外は信じてはいけない。





これを現在に当てはめると、

「幹部」や「組織」を信じてはいけないことになります。

会長とて、いわゆる教祖ではないので、信仰の対象にはなりません。

まして「創価学会教」なる宗教はこの世に存在しません。

人法一箇の御本尊と、蓮祖直々のご指導である御書のみが、我ら末法の法華衆にとって唯一の拠り所なのです。

また、それを徹して説き続けたからこそ、三代会長が現代における無二の師匠となるのです。




ゲーテ「偉人はなぜ早く世を去るのか」

並外れた人間は、自分の使命をやり遂げることを天職としている。

それをやり遂げると、もはやその姿のままで地上にいる必要はない。

彼らは自分の使命を完璧に果たし、逝くべき時に逝った。

それはこの長く続いていく世界で、ほかの人にもやり遂げるべき仕事を残しておくためなのだ。



ゲーテ





ゲーテは仏法を知りませんでしたが、さすがに三世永遠の生命の本質をつかんでいました。

蓮祖は60歳、戸田先生は58歳で逝去されています。

これは、それだけ速やかに一切の使命を果たされたからなのです。

仏は使命を果たすためにこの世に生まれてくるので、本懐を成就すれば、いつまでも娑婆世界に縛られている必要はありません。

後継の青年を育て上げれば、再び次の国土に旅立つのです。




池田先生「決して愚痴るな」

こころに響く言葉より

どんなに愚痴をこぼしても、そこには何の建設もない。






愚痴は、御本尊への不信の表れです。

「どうせ祈ってもムダ」だと思っているから、愚痴が出ます。

「祈ってもムダ」そう祈っていれば、その通りの結果が出ます。

御本尊は、ちゃんとあなたの祈りを叶えてあげているのです笑

だから、祈りを変えれば、違う結果が出ますよ。

池田先生「本性は顔に出る」






女性に贈ることば365日より

晩年の顔は、ごまかしがきかない。

なかでも眼は、雄弁にその人を語る。






これは「如是相」についてのご指導です。

日顕の顔つきが、某独裁者そっくりだったことは有名でした笑

反逆に転じた幹部たちも、みなおかしな顔つきでした。

山崎正友など「ウソつきの顔」そのものです。

ヒトラーの顔が見るからに陰鬱で怒りに満ちているのを見ても分かるように、人間の本性は、目つき顔つきに表れるものなのです。

それをひと目で見抜けるようになるのが、いわゆる法眼仏眼の功徳です。