宗教

土下座&日達上人の昭和40年1月の「広宣流布」の意味について!

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写真1枚目は、「慧妙」令和元年6月1日号!

写真2、3枚目は、「大白蓮華」昭和40年1月号!

写真4枚目は、「最後に申すべき事」19ページ!

写真5枚目は、「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」20~21ページ!

です!



5月19日(日)に妙観講さんが、全国50ヶ所の顕正会会館、

および20ヶ所の個人会館(たぶん自宅拠点)、

さらには浅井会長宅にまで一斉に折伏に行かれたことは、


すでにSOPH…さんがブログ記事にされておりますね!
http://blog.livedoor.jp/ishinikoganewokae/archives/32195102.html



私はその中でも特に、


写真1枚目のように、
本部幹事兼弁護士の彼の発言にはたいへん驚きました!


「話がしたければ土下座しろ(趣意)」


とはびっくりですね!


現場にいた顕正会員さんはどう感じたのでしょうか。。



そしてその後、法論は始まったようですが、


本部幹事兼弁護士氏は、


「大白蓮華」昭和40年1月号の日達上人の発言について言ってきたようですね。


今回、実際に検証してみましょう!!




実は、顕正会員さんは、


タイトルの「今や広宣流布」と、冒頭の、


『思えば昨年春、会長池田先生との談話の時に、
私が、「すでに広宣流布しておる」と語ったら、
会長は、『そうです。舎衛三億です』
と即座に答えられたので、私はその見識に内心感嘆したのである。』


までしか知らされておりません。


その直後、日達上人は何と仰せられたか?


『この世が広宣流布になっても、舎衛三億のごとく、鬱単越のごとく、正法を見ず、聞かず、信ぜざる人々も残ることは必定である。』
(写真2枚目)

と。


さらには、


『今や広宣流布といっても、一時も折伏も休まないのが、われわれの大願である』
(写真3枚目)


とまで仰せられているのです。



つまりは、


日達上人がこのとき発言された“広宣流布”は、


写真4枚目のような、


「すでに広宣流布は達成している」


なんて意味ではないんですよね!!



また、顕正会員さんはこの発言を、「正本堂の誑惑」に繋がるものとしておりますが…


いくら日達上人が「今や広宣流布」とか、「広宣流布しておる」と言われようと、


折伏の号令までかけられた意味での「広宣流布」発言を以て、


「御遺命の戒壇が建つべき時」


と判断する人がどこにいましょうか?



さらには写真5枚目のように、


「この伏線があって…」


などとするのも、酷い印象操作ですね!


話は少しそれますが、昭和40年2月16日の日達上人の御指南に問題がなかったからこそ、

妙信講は正本堂の御供養に参加した、

と、「試練と忍従の歴史」には書いてありますが、

「正本堂の誑惑を破し懺悔清算を求む」では、昭和40年2月16日の日達上人の御指南が御遺命違背のごとく書いてあります。

且つその伏線がこの昭和40年1月号の大白蓮華での発言なのでしたら、


「妙信講が正本堂供養に参加したのは、間違いであり、御遺命違背であった」


となってしまいますね!




いずれにしても、、


今回、本部幹事兼弁護士氏が一点突破を狙った、


「日達上人の昭和40年の発言は間違い」


ということは…



ないんですね!!



ご相談・ご質問はお気軽にこちらまで!
秘密は厳守いたします!
09067099368
no_sleep502goal@yahoo.co.jp

ずるい表現方法!創価学会の折伏の勢いが緩んだのは「言論・出版問題」がきっかけ!(4月度総幹部会その3)

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浅井会長は、

嘘とか、嘘とまでいかなくても、ずるい表現方法で顕正会員に対して印象操作をします!


例えば今回は写真には載せませんでしたが、

顕正新聞令和元年5月5日号3面の一番下の段に、


「天母山とは、天生原の中央にある小高い岡で、天生原と同意です。」


とありますが、これは“嘘”!


天母山を中心とする地域には、御遺命の戒壇が立つほどの広大な平地の土地はありません!

「天生原」という地名も、地元では浸透しておりません!


(参照記事。この記事と、2012年12月26日の2つの記事で天母山・天生原について取り上げております)
https://blogs.yahoo.co.jp/no_sleep502goal/10251835.html


百聞は一見にしかずですから、

ぜひ顕正会員さんは天母山に実際に行ってみてください!!




さて、本題はこれからです!


写真1枚目、顕正新聞令和元年5月5日号では、


「『国立戒壇放棄』以後、学会の折伏は完全にストップしてしまったではないか。」


とあります。


しかし、


まずはそもそも、

創価学会がそのときの750万世帯から800万世帯まで伸びたのは顕正会員は良く知っていると思いますから、「完全にストップ」ということはないですし、


創価学会の折伏の勢いが緩んだのは、


確かに宗門の国立戒壇の呼び方放棄(学会の国立戒壇の呼び方放棄は昭和41年)と同時期ではあるものの、


実際の原因は、


「言論・出版問題」ですね!
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%A8%80%E8%AB%96%E5%87%BA%E7%89%88%E5%A6%A8%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6
(ウィキペディア)


別の角度から言えば、このウィキペディアにもあるように、

この言論出版問題が、“国立戒壇”の呼び方放棄に繋がったとも言えそうですが、


創価学会の折伏が緩んだ原因は、


「国立戒壇放棄」ではなく、「言論・出版問題」の方です!



写真2~5枚目は、全て大日蓮昭和45年6月号!


これらを見れば明らかですね!


「創価学会の体質問題」との見出しから、


「学会の体質ということについては、言論問題をめぐる種々の批判のなかでも、論議されてきた」
(写真2枚目)


「第一点は布教、折伏の問題」
「行きすぎのないよう、道理を尽くした布教、折伏でいくよう…」
「決して数を焦る必要はないし、焦っても絶対にならない」
「無理な学会活動をして、社会に迷惑をかけることは、大謗法」
「多少減ってもいい」
(写真3枚目)


「入信にさいしては、座談会に三回以上出席することを条件とし、本人の写真も添えて…」
「伸びのびと、仲良く、楽しい信心をしていきたい」
(写真4枚目)


「今後は社会を大切に、そこで信頼され、尊敬されていくことが大切であります。社会に根を張れるか否かで、学会の将来は、決定してしまうのであります。それができなければ、広宣流布の進展は、絶対にありえぬ時代である」
(写真4~5枚目)



僭越ながら私の言葉でまとめさせてもらうのでしたら、


「言論・出版問題を契機として、世間に創価学会への批判が一気に高まったゆえに、どうしても世間からクレームが出やすい折伏活動を、緩めにせざるを得なかった」


というところでしょうか。




というわけで…


「国立戒壇の名称を捨てたから創価学会の折伏はストップした」


というわけではないことが、

わかって頂けたかと思います!


浅井会長は「国立戒壇」との呼び方を放棄したことを、最大限に強調したくて、

あのような表現方法をとったのでしょうね!




※残りの4月度総幹部会で気になった部分は、今までにも書いたことがあるところなので、
これで総幹部会の記事は終わりにする…かもしれません。




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この書き方は「言い過ぎ・はみ出し」!(4月度総幹部会その2)

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総幹部会の続きです!


まず、写真1枚目(顕正新聞令和元年5月5日号)については、

先月の総幹部会のときにも既に破折済みですね!

https://blogs.yahoo.co.jp/no_sleep502goal/16051894.html

日顕上人は正本堂を、建立された時点で御遺命の戒壇であるとは言っていないのに、

あの書き方では顕正会員さんは勘違いしてしまいますね!


いや、今回に限っては、少し前の部分を良く読めば、

「正本堂こそ御遺命の戒壇である」

との書き方は、

「言い過ぎ・はみ出し」

であることがわかりますね!!

読んでみてください。




次、写真2枚目(同じく顕正新聞令和元5年月5日号)!

「正本堂が御遺命の戒壇になってしまった」

は「言い過ぎ・はみ出し」ですね!


写真3枚目(大日蓮昭和47年12月号)のように、

あの池田会長(当時は総講頭)が、

「大聖人様が目的とされたところの肝心要(かなめ)の広宣流布…その『本番』はこの十月から、いよいよ始まったわけでございます。これで『終わった』というのではなく、かえってこれから『始まる』のであります。」

とのように、

正本堂落慶をもって御遺命成就、とはしてはないのです。 

これが、最終的な結果なのですから、


せいぜい、

「正本堂が御遺命の戒壇になりかけた」

ですね!!



最後、写真4枚目(顕正新聞令和元年5月5日号)!

解散処分の理由のところで、

「正本堂を御遺命の戒壇と定めた訓諭」

とありますが、

正しくは写真5枚目(「御遺命守護の戦い」182ページ)のように、

「昭和47年4月28日付『訓諭』に対して異議を唱え」

ですね!


日達上人は訓諭の中で、

「現時にあっては未だ謗法の徒多きが故に、安置の戒壇の大御本尊はこれを公開せず、須弥壇は蔵の形式をもって…」

と仰られておりますし、

「前以て建てたかどうか?」についても、「たるべき」という願望の助動詞を用いて、
「必ずそうなるとは限らない。願望である。」との意志をお示しです。


日達上人が書かれた訓諭の解釈文には、

「正本堂は未来広宣流布達成の暁の本門寺の戒壇を願望したところの大殿堂」
(「御遺命守護の戦い」146ページ)
とあり、

同じく「御遺命守護の戦い」147ページには、

「細井管長は口頭では明確に、『正本堂は三大秘法抄・一期弘法抄に御遺命の戒壇とは全く違います』と何度も繰り返された」

とまで書いているのですから、


現代になって、日達上人の昭和47年4月28日の訓諭を、

「正本堂を御遺命の戒壇と定めた訓諭」

としてしまうのは、

やっぱり…


「言い過ぎ・はみ出し」


ですよね!!



それから、写真の枚数制限の関係上載せられませんでしたが、

顕正新聞令和元年5月5日号の4ページ4段目でも、

日達上人の昭和47年4月28日の訓諭については、


「この訓諭の意味するところは、『正本堂は、広宣流布以前に建てておいた御遺命の戒壇である』というものです。」


との、「言い過ぎ・はみ出し」がありますね!



このように、浅井会長は、事実を「言い過ぎ・はみ出し」で伝える人なんだということに、


顕正会員さんは気付いてください!!



今回はここまで。