2021年 7月 の投稿一覧

顕正会のニセ本尊。盗人猛々しいとはこのこと。

ニセ本尊といえば創価の盗品変造本尊を思い浮かべる法華講員さんも多いと思います。元顕正会の講員さんとか顕正会と対論したことある人は知っているのでしょうが実は顕正会もこっそりニセ本尊を作っています。顕正会の本尊というと昭和60年の段階では、
▼ 大幅の常住御本尊七幅と、日寛上人書写の御形木御本尊数百幅を私に託して下さった。(顕正新聞 昭和60年3月15日号)
と浅井センセが発言していますが、その後、平成11年には
▼松本尊能化は、妙縁寺に所蔵するところの 歴代上人の御直筆御本尊七幅、 それから日寛上人の御形木御本尊、 並びに日布上人の御形木御本尊を多数用意して下さったのであります。(顕正新聞 平成11年4月25日号)
と昭和60年の時点では言っていなかった「日布上人の御形木御本尊」がいきなり登場します。しかも「多数」です。更に調子に乗った浅井センセは平成19年に
▼地方会館に安置し奉る大幅の日布上人の御形木御本尊と、自宅拠点に懸け奉るべき日寛上人の御形木御本尊を、松本尊能化にぜひ用意してくださるよう、敢えて願い出て、これを授与して頂いたのであります。このときさらに松本尊能化は『葬儀のとき困るでしょう』とおっしゃって、日布上人御書写の『大日蓮華山大石寺』の脇書がある導師曼荼羅の御形木御本尊まで、六幅授与して下さったのであります(顕正新聞 平成19年10月5日号)
と、今度は「大幅の」日布上人の御形木御本尊と「御形木の」導師本尊までもらっと言い出しました。もうこの発言だけでも十分に顕正会の本尊がニセモノであることが分かりますが、さらに言えば「大幅の日布上人の御形木本尊」なるものは正宗に存在しない本尊です。顕正会の「大幅の日布上人の本尊」はその名の通り正宗の正式な日布上人の御形木本尊より「大きい」。これは何を意味するかといえば浅井顕正が日布上人の御形木本尊を勝手に【拡大コピー】して【大幅の本尊】と言っているわけでです。また御形木の導師本尊といっていますが、導師本尊を御形木にするなんて正宗の化義で聞いたことがありません。つまり御形木の導師本尊なるものは日蓮正宗に存在しない本尊です。日蓮正宗に存在しない本尊をどうやってもらい受けたのでしょうか?妙縁寺の当時の住職であり妙信講の指導教師だった松本氏が勝手に作った本尊ですか?ならば本尊としての用は足しませんね。浅井顕正が勝手に作成したならなおさらです。また私は平成3年ごろ知人の顕正会員の葬儀に参列したことがありますが、その葬儀に掲げられていたのは導師本尊ではなく普通の本尊でした(顕正会の葬儀に参列したのは初めてだったのでよく覚えています)昭和60年の段階で顕彰会に導師本尊があったなら葬儀には導師本尊を使いますよね。なんで普通の本尊を葬儀で使用していたのでしょうか。そもそも最初の昭和60年の話からして松本氏が妙信講(顕正会)に渡したと発言しているならまだしも松本氏が亡くなってからの浅井顕正の一方的な発表で実に怪しい。また昭和49年の段階で妙信講(顕彰会)本部の御本尊を返還するように通知してますからそんな状況で御本尊を新規に下付するわけもない。そして当然のことですが、これは創価にもいえるけど日蓮正宗の本尊は日蓮正宗で無くなった時に返還すべきものなのです。信徒だろうと住職だろうとそれは変わらない。ご本尊を含め正宗の寺院にあるものは成田宣道や松本日仁の個人的な所有物ではないのです。住職というのは法主上人の任命ですから罷免されたり辞職したら何の権限もありません。それを法主上人の許可なく勝手に謗法団体に差し出すのはまさしく盗人でありそんな盗品を変造したり改造したりして「日蓮大聖人の御本尊」として配布し、しかも正統なる所有者である宗門・法主上人を誹謗する。いいですか、顕正本尊も創価本尊も偽物云々の前に「盗品」なんですよ。浅井も池田も泥棒なんです。そして盗賊が不正入手して加工した本尊を顕正・創価民はありがたがりなおかつその盗品改造(顕正本尊)盗品変造(創価本尊)を売って回っている活動家たちもまた盗賊の一味なのです。盗み取っりなおかつ改造された本尊に題目あげて「大聖人の御遺命達成」などと騒いで恥かしくないですか?「盗人猛々しい」とはそんなあなた達、顕正民・創価民のことをいうのですよ。しかしなんですが、創価と顕正の法論でお互いに相手の本尊の話にならないのは、どっちもニセ本尊だからそこには触れないのでしょうね(笑)

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織田仏に習う20:識

〇以下、織田仏(織田佛教大辭典)から転載し、私注を付した

シキ [術語]
梵語、婆哩惹儞、Parijnāna 心の異名。了別の義なり、心境に對して了別するを識と名く。
唯識論1】に「識謂了別。」
〔私注〕成唯識論(護法造 玄奘譯)
同5】に「識以境爲2自性1。」
大乘義章3】に「識者。乃是神知之別名也。」
〔私注〕慧遠述
止觀2】に「對境覺知異2乎木石1名爲心。」
同4】に「識是一期心主。」
【往生禮讃】に「識神飛觀難2成就1也。」
〔私注〕善導集記

織田仏に学ぶ20:識

〇以下、織田仏(織田佛教大辭典)から転載し、私注を付した

シキ [術語]
梵語、婆哩惹儞、Parijnāna 心の異名。了別の義なり、心境に對して了別するを識と名く。
唯識論1】に「識謂了別。」
〔私注〕成唯識論(護法造 玄奘譯)
同5】に「識以境爲2自性1。」
大乘義章3】に「識者。乃是神知之別名也。」
〔私注〕慧遠述
止觀2】に「對境覺知異2乎木石1名爲心。」
同4】に「識是一期心主。」
【往生禮讃】に「識神飛觀難2成就1也。」
〔私注〕善導集記

織田仏に学ぶ19:転識得智

九識の概念図をアップすると、皆さんからたくさんのコメントをいただき、殊に「転識得智」への注意を促されたので織田仏を開いてみた。



〇以下、織田仏(織田佛教大辭典)から転載し、私注を付した

テンジキトクチ 轉識得智[術語]
有漏の八識を轉じて無漏の八識と相應する四智を得るを云ふ。有漏の第八識を轉じて無漏の第八識と相應する大圓鏡智を得、有漏の第七識を轉じて無漏の第七識と相應する平等性智を得、有漏の第六識を轉じて無漏の第六識に相應する妙觀察智を得、有漏の第五識をを轉じて無漏の前五識と相應する成所作智を得るなり。
此四智には各二十二の心心所共に相應して起れども、此の中に智の心所の作用尤も顯勝なるが故に智の名を標するなり。
唯識論10】に「如是四智相應心品3各定有2二十二法能變所變トノ倶生1。而智用スレハ増以21顯。故此四品總攝2佛地一切有爲功徳1皆盡。此轉2有漏トノ識相應1。如次而得。」
〔私注〕成唯識論(護法造 玄奘譯)

四智[名數]
法相宗所立如來の四智。
凡夫に八識あり、如來に至りて四智となる。
一に大圓鏡智ヽヽヽヽ、第八識を轉ぜしもの、有漏の第八識依正二報を變じて有情の身を持する如く、此智如來の身土を變じて一切の功徳を持す、猶大圓鏡智の中に一切の色像を現ずる如くなれば大圓鏡智と名け、縁境無邊にして法界の事理を照せば又一切種智と名く。即ち如來萬徳の總本なり。
二に平等性智ヽヽヽヽ、是れ第七識の轉ぜしもの、第七識の我見に反して無我平等の理に達して一切衆生に無縁の大悲を起す智なり。
三に妙觀察智ヽヽヽヽ、第六識を轉ぜしもの、妙に諸法の相を觀察して説法斷疑の用を施す智なり。
四に成所作智ヽヽヽヽ、眼等の五識を轉ぜしもの、一切の凡夫二乘の類を利せんが爲に種種變化の事を成す智なり。如來の化身化土を現じ、及び諸の神通の所作皆智の作用なり。
唯識論10百法問答鈔8

織田仏に習う19:転識得智

九識の概念図をアップすると、皆さんからたくさんのコメントをいただき、殊に「転識得智」への注意を促されたので織田仏を開いてみた。



〇以下、織田仏(織田佛教大辭典)から転載し、私注を付した

テンジキトクチ 轉識得智[術語]
有漏の八識を轉じて無漏の八識と相應する四智を得るを云ふ。有漏の第八識を轉じて無漏の第八識と相應する大圓鏡智を得、有漏の第七識を轉じて無漏の第七識と相應する平等性智を得、有漏の第六識を轉じて無漏の第六識に相應する妙觀察智を得、有漏の第五識をを轉じて無漏の前五識と相應する成所作智を得るなり。
此四智には各二十二の心心所共に相應して起れども、此の中に智の心所の作用尤も顯勝なるが故に智の名を標するなり。
唯識論10】に「如是四智相應心品3各定有2二十二法能變所變トノ倶生1。而智用スレハ増以21顯。故此四品總攝2佛地一切有爲功徳1皆盡。此轉2有漏トノ識相應1。如次而得。」
〔私注〕成唯識論(護法造 玄奘譯)

四智[名數]
法相宗所立如來の四智。
凡夫に八識あり、如來に至りて四智となる。
一に大圓鏡智ヽヽヽヽ、第八識を轉ぜしもの、有漏の第八識依正二報を變じて有情の身を持する如く、此智如來の身土を變じて一切の功徳を持す、猶大圓鏡智の中に一切の色像を現ずる如くなれば大圓鏡智と名け、縁境無邊にして法界の事理を照せば又一切種智と名く。即ち如來萬徳の總本なり。
二に平等性智ヽヽヽヽ、是れ第七識の轉ぜしもの、第七識の我見に反して無我平等の理に達して一切衆生に無縁の大悲を起す智なり。
三に妙觀察智ヽヽヽヽ、第六識を轉ぜしもの、妙に諸法の相を觀察して説法斷疑の用を施す智なり。
四に成所作智ヽヽヽヽ、眼等の五識を轉ぜしもの、一切の凡夫二乘の類を利せんが爲に種種變化の事を成す智なり。如來の化身化土を現じ、及び諸の神通の所作皆智の作用なり。
唯識論10百法問答鈔8

本尊書写への素朴な疑問。




いつもみなさん、ありがとうございます。



大石寺の本尊に関して素朴な疑問なのですが…………。



大石寺法主書写の本尊は、日蓮正宗の教義的に言えば「分身散体」の義から、本門戒壇の本尊の書写を行い、それを信徒に配付するのだと思います。



ところで、法主が本門戒壇本尊の内証を書写できる権能を有しているのは、唯授一人の血脈相承を受けているからなんですよね。
それはまあ百歩譲って受け取るとして…………けれどもなんで信徒に授与する時はその「複写」なんですかね? 要するにコピーでしょ? それって創価学会のやっていることと変わらなくなりません?


まあ、そういうと大石寺の方は、きちんと「開眼供養をしてある」とか「法主の許可を得て授与させていただくもの」等と答えられます。



じゃあ、それなら、戒壇本尊そのものを複写して、法主の開眼供養をして、授与すればいいだけの話なんじゃありません?



実際、信徒の各家庭に授与されているのは、法主書写本尊の「コピー」であって、公式には法主の開眼供養がされたものですよね。
その内証を与えることができるのが法主だけだとするなら、何も法主がわざわざ書写しなくても、単に戒壇本尊を画像複写して、それに法主が開眼を与えれば、それでよいではありませんか?
だいたい日蓮自身の書写曼荼羅を拝ませないのは、日蓮系宗派で日蓮正宗くらいのもので、戒壇本尊が日蓮真蹟であると言い張るなら、なぜ日蓮真蹟の曼荼羅ではなくわざわざ法主書写のものを信徒に拝ませるのかということになります。



なぜそんなことを思ったかというと、以前の記事にも書いたことですが、熊田葦城『日蓮上人』に掲載された戒壇本尊写真を切り抜いて、それを身に帯して戦地に赴いた、日蓮正宗信徒が少なからずいたことがわかっているからです。



「大正5年縮刷本『日蓮上人』掲載の戒壇本尊画像」



実際、この熊田葦城氏の著作の戒壇本尊画像の掲載は、大石寺に許可を取って行われたことがわかっています。
ですから許可があればよいということになります。
それなら、なぜ信徒のために、ありがたい戒壇本尊そのものを複写して、法主の内証から開眼を与えて授与しないのでしょうか。
信徒も直接に戒壇本尊を拝めるし、法主がわざわざ本尊書写する時間を取らなくてもよくなり、一石二鳥である気がします。
それをやると後世の偽作ということがバレてしまうからなのでしょうか。それとも御開扉が減ってしまうからダメなんですかね。信徒の方ならちゃんと参拝して現物を拝みに来ると思いますけどね。



そういう素朴な疑問に答えられないとするなら、大石寺は、自山の戒壇本尊の信憑性が低いということを自ら暴露しているに等しいと私は思います。


親が”心を開ける”地域で子どもの未来も開かれる

7/24
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親が"心を開ける"地域で
子どもの未来も開かれる
三重 伊賀市・名張市の創価家族

親も子供は選べないし、
子供も親は選べない。
信じない自由は、選ばせてあげよう。