2021年 7月 の投稿一覧

男子部 女子部 結成70周年

7/29
今日の一面

男子部 女子部 結成70周年
世界各地の青年が誓願の集い

今日は、朝から、
ある人の結婚報道で、
まるでやる気なし。

寝込んでます…。

創価学会の退会方法(静かに創価を去るために)

過日、SNSで創価を退会したい方の投稿を読みました。創価の退会の仕方がよく分からないって人は結構いますよね。そこで今日は創価学会の退会方法を書いてみたいと思います。題して【静かに創価を去るために】。え?どこかで聞いて事があるタイトルですか?そうなんですか?(すっ呆け)さて、私は誰かが無断で私の退会届を提出し「いつの間にか退会」になっていたので自分で退会届を提出したことはありませんが何故が知人の学会員の退会届は何度も提出しています。そこでその体験をもとになるべく穏便に静かに創価を退会する注意事項と方法を書いておきます。まず最初に創価活動家には相談しないこと。相談すれば幹部を連れてきたりしてウザいです。そして、【退会届は必ず学会本部に郵送する】これが基本です。地域の学会幹部に提出すると退会届が握りつぶされて本部に行かないパターンが多々ありますので、地域の学会員ではなく本部に必ず直接送りつけてください。創価には正式な「退会届」はありませんので自分でPCでも手書きでも構いませんので作成してください。「退会届」と最初に書いて、あて先は「創価学会原田稔会長」でいいでしょう。静かに退会するのですから「退会理由」など書く必要はありません。「本書面をもって創価学会を退会することを通知します」だけで構いません。しかし次の3点は明示してください。
①今後、創価学会員の訪問はいかなる理由があっても禁じる。
②今後、創価学会から要求される書類・書面等への署名捺印は一切行わないし受け取りも拒否する。
③創価学会の名簿からの抹消を速やかに行うよう所属組織に命じること。

退会理由よりも、ここが重要項目なので忘れずにこれらの内容を退会届に明記してください。そして最後に「退会届」を出す日付と所属組織名(本部・支部・地区名)と自分の住所・氏名を書き捺印して創価学会本部に郵送してください。所属組織名が分からないときは「所属組織不明」と書けばいいです。住所で所属組織は分かりますので。郵便は普通郵便でOKですが相手が「知らない」とうのが心配ならば配達証明付きの郵便で出しましょう。封筒には「退会届在中」と書くとスムーズです。そして退会届は必ず数枚コピーをとっておいてください。さて本部に提出した退会届が地元組織に回ってくるまで3~6か月かかります。そこで可能ならば支部長や支部婦人部長、地区部長・地区婦人部長など自宅のポストに「退会届」のコピーを投函してください。その時は上記①~③の部分は蛍光ペンなどで強調しておいてください。さて創価本尊のある場合ですが基本的にゴミで捨ててもいいのですが、本部に送り返すのが一般的です。その場合は「退会届」と一緒にレターパックで本尊も送り返すのがいいです。レターパックの「品名」の欄には「退会届・本尊」と書けばいいです。因みにメルカリに出品すれば購入時の3000円は間違いなく回収できますから売却するのもありです。創価本尊の場合は退会しても返却する必要はありませんので高値で売って「退会祝い」で美味しいものを食べるのもいいかもしれません。さて一番心配なのは退会したら「嫌がらせ」や「付きまとい」をされるのでは?ということですが、昔は結構ありましたが現在はあまりそのような事はないようです。学会本部自体も「やめたければご自由にどうぞ」というスタンスで地元組織もひつこく説得したりするこはあまりありませんので、そのような心配はいらないと思います。ただ退会後も創価活動家との付き合いがあると、選挙や聖教新聞(贈呈も含む)を頼まれることがあります。これに応じていると退会した意味がありませんから、最初から選挙や新聞には応じない旨を付き合いが続きそうな学会員にはハッキリと言ってください。そうすると不思議なことに相手から来なくなりいつの間にか付き合いがなくなるケースがほとんどです。そうそう聖教新聞を取っている人は直接販売店に電話して止めてもらってください。こちはすぐに応じてくれと思います。そんなわけで「思い立ったら吉日」「案ずるより産むがやすし」です。退会したいと思ったらすぐに退会届を提出してください。
学会本部の住所はこちらです▼
〒160-8583 東京都新宿区信濃町32 宗教法人創価学会御中 TEL.03-3353-7111

以上が創価退会方法ですが、不明な点や不安な点がありましたら、当ブログまでメールフォームまたは非公開コメントでご連絡くださればアドバイスいたします。
学会員の皆様が一日も早く創価を退会し楽しい人生を歩まれることをご祈念申し上げます。

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オリンピックと共に前進する(消す記事)

☆只今<別館>に連載中. オリンピックの金メダルラッシュに、エネルギーをもらっている 人たちは多くいらっしゃるのではないでしょうか。 もう私は連日ルンルンで、すごく元気にしてもらっているし、 まるで一万遍唱題を毎日続けているような歓喜を得て、 「さあ、私もガンバルゾ!」と燃えています。 一方で、有力候補が負けるニュースもあり、 それも人生の明暗として仕方ない。勝負に絶対はないし、 そ...

批判と非難。





いつもみなさん、ありがとうございます。




さて、私は「批判」と「非難」は全く異なるものだと考えています。
私はこのブログで創価学会大石寺を「非難」「中傷」しているのではありません。文献的な検証等を通して「批判」をしているのです。
私は池田大作戸田城聖に関しても「批判」をしますが、「非難」をしているわけではありません。


また私はこのブログで日蓮思想や法華経について「批判」をしていますが、それが単なる「非難」や「中傷」にならないように気をつけているつもりです。



私がこのブログを一時閉鎖しようと考えた理由は、いろいろとありますが、自身がTwitter等での議論の最中、あまりに教条主義的な日蓮正宗信徒や創価学会信徒に辟易してしまったというのがあります。
私の中で日蓮そのものに可能性を見出せなくなり、日蓮そのものに対して否定的な見解、時には非難中傷のようなコメントをしたこともあります。そのことに関して今の私は強く反省しています。



だからこそ、ブログを再開するにあたって、それが単なる非難中傷にならないよう、文献的な批判・検証を通じて語れる事実や史実を描き出すようにしています。



それでも時には私も間違いを起こすかもしれません。その時は積極的に批判を受け入れ、自身の発言を撤回する柔軟性を持たないといけないでしょう。
ただ文献的な批判や検証を受け入れつつ、個々人にはそんな日蓮を信じる自由も、また信じない自由も両方にある筈です。



大切なことは頭ごなしに否定するのではなく、きちんと文献的・史料的な批判を受け入れ、その上で自身の信仰として考えていく姿勢なのではないでしょうか。
そのような自己反省ができないからこそ、教条主義的で原理主義的な教団の伸張を許すことになりかねません。そうなれば「悪貨は良貨を駆逐する」事態となり、決して宗教の世界に良い結果をもたらさないのだと思います。



先日の記事で引用した花野充道氏も、論文中できちんと日蓮国家主義的な思想性を認めていました。彼はきちんと文献的な検証をした上で、日蓮にそのような思想のベクトルがあることを受け入れています。



そして大切なことは、その「批判」が単なる「非難」にならないように、あくまで客観的に思想性を提起する姿勢なのではないでしょうか。
日本という国には思想や信条の自由が保障されています。しかしそれは他者の思想や信条を頭ごなしに否定して良いという自由ではない筈です。それは単なる自由のはき違いであり、自由の乱用にすぎません。
そのように他者の思想の自由を認めない故に私が批判するのが、創価学会等の大石寺系教団です。しかしながら、その批判が単なる「非難」にならないように、私自身が気をつけなければならないといつも考えています。それができないなら、結局その思想性は他者の思想性を認めない大石寺系教団と変わらなくなってしまうからです。


















「わたしたちの権利」日本語版 教材

7/28
今日の一面

子どもの権利学ぶ国際プロジェクト
「わたしたちの権利」日本語版 教材
スロベニア外務省と創価学会
平和委員会の共同制作で完成
筑波大学の福田弘名誉教授が監修
国連「子どもの権利条約」を紙芝居で

その教材は、
信じない自由の権利に付いても、
触れてますか?

国家主義的・政治的な日蓮の特異性。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、私はこのブログで純粋な日蓮本人の思想を求めて、教学的な検討をしていく中で、日蓮の思想がどちらかと言うと個人の救済の問題より、国家の奉ずる宗教の方を重視する立場にあることが段々わかってきました。



「純粋な日蓮の思想について」

「純粋な日蓮の思想を考えると」



私の立場は、そのような日蓮の思想的な立場を知り、どちらかと言えば国家主義的な日蓮の考え方から離れる方を選びました。



例えば法華仏教研究会の主宰である文学博士の花野充道氏は次のように述べています。



日蓮の独自性は、大地震に遭遇した衆生の苦しみを個人の力の及ぶ範囲で救っていこうというのではなく国家の力で、政治の力で救っていこうと考え、権力者に向かって諫言を実行したことである。そのような果敢な行動は、他の鎌倉仏教の祖師には見られない。」
(花野充道「立正安国の実現と本門戒壇論」、西山茂編『本門戒壇論の展開』所収、249〜250ページ、本化ネットワークセンター、2015年)



花野氏は本化ネットワーク(現・法華コモンズの前身)のパネルディスカッションを経て、書いた論文中、日蓮の『立正安国論』を読み解きつつ、日蓮の仏教の特質を次のように述べています。



「仏教が世俗(国家権力)とどのように関わり合っていくか、これは非常に難しい問題である。日蓮の仏教の特質が、親鸞の仏教や道元の仏教と比べて、国家的であり、政治的であり、また闘争的であることは否めない事実である。このような日蓮仏教の特異性をプラス評価するか、マイナス評価するかは、意見の分かれるところであろう。」
(同245ページ)



花野氏は親鸞日蓮とを対比し、親鸞が個人の救済の問題に入っていくのに対し、日蓮が個人の救済のためには国家が正しい教えを持たなければならないとし、国家が正しければ衆生も救われ、立正安国の世が現出されるという、極めて国家主義的・政治的な日蓮の特異性をきちんと認めています。



そもそも日蓮には民衆仏教という側面は存在しません。日蓮が考えるのは常に国家の問題なのであって、日蓮は民衆など相手にはしていません。それは『立正安国論』の提出先が鎌倉幕府であったという点からも明確にわかることです。



花野氏はそのような日蓮国家主義的な思想の特異性をきちんと事実の上で認め、その日蓮の思想性を現代においてどうしたら良いかという点を積極的に問題提起しています。
創価学会がやっていることは、単なる日蓮思想の歪曲であり、事実から見て国家主義的なベクトルを持つ日蓮思想を意図的に無視し、何の文献的な検証もせずに「民衆仏教である」と誤読することに過ぎないのです。



したがって日蓮の本来の思想性を考えると、極めて国家主義的なものになり、表面的には顕正会の教義とさして変わらなくなるという現実があります。
しかしながら顕正会という宗教法人が「日蓮に帰依しなければ日本は滅ぶ」等、終末論的な主張を繰り返し、他宗派を否定して国立戒壇説を述べることは、果たして現代において有効であるのかという点については、大いに疑問符がつきます。



現在の私はどちらかと言えば、個人の救済の問題に入っていく親鸞に自身の救いを見出しています。
しかしながら、日蓮の門流を自称して布教活動を展開しようとするならば、その人たちは日蓮国家主義的・政治的な思想性を認めつつも、どのようにプラス評価をするのか、そのことが問われてくるのかと思います。
















六巻抄拝読の為の基礎知識⑭(末法相応抄②)

今日は『末法相応抄・上』の基礎知識です。『末法相応抄・上』は法華経一部読誦について書かれています。末法に置いて法華経一部二十八品を読誦してはいけない理由が書かれています。曰く
◇一には正業の題目を妨ぐるが故に(中略)、二には末法は折伏の時なるが故に(中略)、三には多く此の経の謂われを知らざるが故に
というのが一部読誦を禁止される理由です。法華経一部二十八品は大聖人が◆一部八巻二十八品六万九千三百八十四字と言われてる膨大な文字数です。これを唱題に換算すると約1万篇になります。「南無妙法蓮華経」の七文字を1万篇唱えると7万文字になるからです。創価だと1時間3千編計算ですから1万編だと時間にして3時間20分。朝夕の勤行で6時間40分になります。つまり法華経一部読誦をすれば唱題と同じスピードで読経できたとしても一日6時間40分が読経の時間に必要になるわけです。読経にこれだけ時間を費やすことになれば、肝心な正業である唱題を妨げることになりますし折伏行に使う時間や気力も奪われてしまいますね。また「法華経の謂われ」を知らない末法初心の行者が一部読誦をしても法華経の利益を得ることができません。以上の3点が法華経一部読誦を禁止する理由です。この抄はここだけ覚えればいいです。このあとに【次ぎに外難を遮す】と要法寺の日辰の邪義(外難)を破折(遮す)していきますが、ここを詳しくやると長くなってしまうので簡単に内容だけ書きます。
【 問う、日辰が記に云わく、蓮祖身延九箇年】~【何んぞ必ずしも謬り無からん、例せば慈覚等の如し云云】は大聖人も一部読誦の修行をしていたではないかという外難を破折しています。
【問う、又云わく、転重軽受鈔十七-二十九に云わく】~【尚お一経の読誦を許さず、何に況んや五度をや云云。】は身業読誦と口業読誦の違いを述べ日辰の義を破折しています。
【問う、又云わく、蓮祖紹継不軽跡とは】~【故に正経に不肯読誦と云うなり】は不軽菩薩についての日辰の誤りを破折。
【問う、又日辰の記に云わく、御草案に曰わく】~【而るに日辰恣に之れを許す、是れ三の不可なり】は五人所破抄に対する日辰の間違えた解釈を破折。
【問う、日しゅう(貝+周)略要集に玄文第七の文を釈して云わく】~【何んぞ曲げて私情に會するや】は日辰の弟子の日しゅう(要法寺第20代)の書いた『略要集』に対する破折。
【問う、又云わく、不読の輩、五種の妙行を欠く等】~【二字と言うは三位順公が云わく云云。房州の要公が云わく云云。】は五種妙行に対する邪義の破折。
【問う、又云わく、報恩抄に云わく】~【日辰但初義を知って未だ後義を識らざる者なり。】は『報恩抄』の御文の曲解を破折しています。以上の大きく7項目にわたり要法寺・日辰等の邪義を破折して最後に
◇若し三事相応の人有らば何んぞ之れを制すべけんや。三事と言うは、一には此の経の謂われを知り、二には正業を妨げず、三には折伏を礙えず云云
と三事相応の人なら一部読誦していいと言われていますが、法華経の意を深く知って唱題も折伏も十分にできる人など末法に存在するわけありませんので実際は一部読誦は不可ということです。大聖人が『佐渡御書』で、
◆正法は一字一句なれども時機に叶いぬれば必ず得道なるべし千経万論を習学すれども時機に相違すれば叶う可らず。
と御指南されているように正法の修行は「時」と「機」によって違ってきます。末法今時の修行は自行化他の題目。すなわち唱題行と折伏行ですから、それを疎かにするような法華経一部読誦の修行は末法今時の修行ではないしそれをしても得道(成仏)できません。故に本抄に置いて
◇一経読誦を許さざる所以は是れ正業を妨げ折伏を礙ゆるが故なり
と日寛上人は御指南されているわけです。世が世なら私達も法華経一部読誦の修行をしなければいけなかったかもしれませんが末法今時に生まれたので五座三座で許されています。それもこれも一部読誦は免除するからその時間で唱題・折伏をするんだよ。ということですから唱題・折伏をサボってはいけませんね。創価なんて方便・自我偈の一座勤行ですから、さぞかし会員は唱題もたくさんあがって折伏もたくさん出来ているのでしょうね~(笑)日辰破折の部分はサクッと書いてしまったので、もし質問があればコメントしてください。

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