2021年 6月 の投稿一覧

仏界への扉は今、ここに!




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 信心は歓喜の世界であり、感謝、報恩の世界です。歓喜や感謝の心のない人が幸福だといっても、それは一時的な欲望の充足であったり、人よりもいい暮らしを送れるといった相対的幸福のことではないかと思います。まして人などどうでも良い、自分の欲望が満たされたなら満足だ・・・と言った考えの人が物心両面とも幸福だなんてそれは、道理で考えてもあり得ないことでしょう。

 ところが歓喜や感謝というのは頭で考えて出てくるものではありません。生命内奥から花や木々が春になれば芽吹くように自然に湧いてこなければなりません。怒りややきもちならすぐに湧くのだが・・・(笑)という方は多いかと思います。十界の生命ですので、どなたもそれと同じように菩薩や仏界の生命があるのに、それだけはなかなか湧いてきてはくれませんね。

 過去世に謗法をたくさん犯した人の生命は、仏界から遠い三悪道(地獄、餓鬼。畜生)中心の生命に染まっていると考えられます。おまけに福運も切れて、生命力も枯渇しているとなれば、生きていること自体が苦しい生命です。自慢ではありませんが私もそういう生命でこの世に生まれ落ちた一人です。

 学会2世、3世の方が比較的、恵まれているのは、あくまで一般的に見てですが、親や祖父祖母の信心が一族に功徳として行き渡っているからであり、謗法との縁がもはや薄い生命だからと言えます。すなわち謗法の罪障消滅ができており、福運ももっていることになります。

 ところが生命の歓喜ということになりますと、そういう2世、3世の方でも容易ではありません。溌剌と歓喜に燃えて、生命から発散するエネルギーなり、生命力なり、お湯で言うと沸騰に近いぐらいの大歓喜で生きている人となると、そう簡単にはお目にかかれません。

 もちろん私も沸騰するような大歓喜の生命で生きたくて信心しているのですが、これはどなたも信心が強くなければそうならないとなっています。いかに福運があっても、大幹部の役職があっても、信心が弱ければ仏界は出てきません。日寛上人の「法華経を信ずる心強きを名づけて仏界と為す」とのお言葉にある通りです。生命に大確信を築くしかありません。

 三悪道から人界、天界、声聞と階段を上がるように境涯を変えていくなら、最下の境涯の人は本当に大変です。ところが日蓮大聖人様の「南無妙法蓮華経」は威力が絶大で、釈迦仏法などは足元にも及びません。三悪道の極悪人をあっという間に仏になす力があるのです。地獄の部屋から出て、難行苦行、一歩づつ階段を昇るのではなく、扉を開けたら即座に仏界が開き、到達できるようにしてくださっています。

 その扉を開く鍵は信心です。題目であり、折伏であり、学会活動です。なかんずく御本尊を信じ抜いて喜んで信心することだと思います。仏様だって感応されます。喜んでやれば仏界が躍り出てきます。歓喜には歓喜が返ってきます。渋々嫌々ではいつまでたっても濡れた布団のように燃え上がりませんからね。

 そして扉を必ず開いて見せるという勢いが大事だと思います。仏様の心を動かすのですから、こちらも腹を決めて何が何でも出してくださいと一歩も引かない。凡夫の悩みは常に崖っぷちです。(笑)

 「南無妙法蓮華経に出会えて本当によかった。ありがたい。今は三悪道の私だけど、今日よりは御本尊様だけは誰よりも強く信じます。智慧もお金も縁がない私ですが御本尊と池田先生があればそれで十分です。奥さんや子供に偉そうに言われてもぐっと耐えて見せます。(笑)世間から見下げられても一時のことです。最後は信心し抜いた人が勝つ。この命を広宣流布に捧げますので、どうかこの私の命を納受してください。よろしくよろしくお願いします。」

 と、こんな心で私はやっています。その私の信心が仏様に通じ、感応して「善き哉、善き哉」と言っていただけたなら、それでもう歓喜に満ちてそれが私の幸せというものだと思います。



アメリカ創価大学で喜びの第17回卒業式

6/1
今日の一面

アメリカ創価大学で喜びの第17回卒業式
創立者・池田先生が祝福のメッセージ
価値創造の前進を朗らかに

もう、6月だ。
今年は、何にもしてないのに、
やけに月日が経つのが、はえぇな。

このままだと、あっという間に年末だ。

宗教でも、信じてみるかな…。

創価教学じゃない御書講義(2021年6月座談会御書・祈祷抄)

大地はささばはづるるとも虚空をつなぐ者はありとも潮のみちひぬ事はありとも日は西より出づるとも法華経の行者の祈りのかなはぬ事はあるべからず

今月の創価座談御書は「祈祷抄」の一節。丁度5年前の6月と同じところですね。5年前の記事もリンクしておきます。
創価教学じゃない御書講義(6月度座談会御書・祈祷抄)

さて今回の御文の創価的なスタンダート講義は「法華経の行者とは実際に広宣流布をしてきた創価学会三代会長(なかでも池田大作を強調)と師弟不二に戦う私達学会員。故に創価で戦う人の祈りは必ず叶う」っていう感じですかね(笑)まぁ全国の座談会ではそんな内容のインチキ講義が展開されると思われます。創価教学・創価講義の浅くてインチキな所は一番大切部分を説明しないという事にあります(対論でも同じ手法)創価的スタンダード講義でのキモは『広宣流布』とは何か?ということです。そこの説明なくして創価と池田大作が広宣流布をしてきた(している)という話にはならないでしょ?だから創価会員さんに「広宣流布」ってものを教えてあげますので耳をふさがず聞いてください。日達上人の有名な御指南に
◇「日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えないのであります」
といいう御指南があります。つまり池田以下の破門後の創価(つまり現在の創価)のしていることは広宣流布ではありません。この日達上人の御指南は別に達師が適当に言っているわけではありません。創価民の皆さんは「広宣流布」ってどういう状態になった時か知ってますか?池田センセは「流れそのもの」なんて会員を煙に巻く話法を使って誤魔化していますが大聖人はちゃんと具体的に「身延相承書」に我々門下の僧俗が目指すべき広宣流布の姿を御遺命として残されています。曰く、
◆日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり、就中我が門弟等此の状を守るべきなり。
と。さらに上記の身延相承書で付属を受けた日興上人は、それを受けて大三祖・日目上人に
◇日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊は、日目に之を 相傳す。本門寺に懸け奉るべし。(日興跡條條事)
と御遺命されています。宗開二祖の御遺命を要約すると、広宣流布とは『富士山の本門寺(大石寺は本門寺になる前の仮の寺号)に事相の戒壇を建立して弘安二年の大御本尊をご安置する』ことを目指して弘教していくことです。つまり創価に限らず顕正会・正信会・身延などの異流義には絶対に広宣流布はすることができないのです。なぜなら「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊」がないからです。日達上人が「日蓮正宗の教義でないものが一閻浮提に広がっても、それは広宣流布とは言えない」とご指南するする理由はそこにあるのです。剰え創価は「日興が身に宛て給はる所の弘安二年の大御本尊」の信受をやめ捨て去ったわけですから広宣流布をする法華経の行者などではなく、むしろ広宣流布を阻止せんとする法華経の敵なのです。さて、本文の前には法華経の行者の祈りが必ず叶うのは諸天善神等が法華経の行者を必ず守るからであると書かれています。詳しくは御書本文を読んでください(大白蓮華ばかり読んでないで御書よみましょうね)要約すると釈迦仏があと3か月で涅槃することを聞いた諸天善神等は仏の病床に集まり「法華経の敵の舌を切る」「法華経の敵とは同座しない」など話しをしていました。そして迦葉童子が「菩薩は法華経の敵の国には霜雹となるべし」と仏に言ったところ病床の仏は起き上がって喜んで「善哉善哉」と褒め称えました。これをみた諸天善神等は仏に「法華経の敵は必ず討伐する。成敗する」と次々に誓います。このように全ての諸天善神等は仏に誓ったのだから「法華経の行者」を必ず守護するということです。でも、これはある意味『裏』なんですよ。そこに書かれている『表』の意は、諸天善神等は【法華経の敵は必ず滅ぼす】と誓ったということです。今の創価は先ほど書きましたが法華経の最重要である法体の本門戒壇の大御本尊を自らも捨て他人にも捨てさせているのだから「法華経の行者」どころか【法華経の怨敵】なのです。つまり祈りが叶うどころの話ではなく、諸天善神等に【必ず滅ぼされる】存在が、池田創価とそれに連なる学会員なのです。「創価の信心で功徳が出た?」なにを能天気なことを言っているんですか?そんなの魔の通力以外にないでしょう。いいですか?現証というのは文証・理証に合致してこそなんですよ。また現証における功徳・罰の判断は文証によるのです。
今回の「祈祷抄」に照らせば創価民が功徳だと思っている現証は全て魔の通力なのです。
◆現在に一分のしるしある様なりとも天地の知る程の祈とは成る可からず魔王魔民等守護を加えて法に験の有様なりとも終には其の身も檀那も安穏なる可からず(諌暁八幡抄)
【法華経の怨敵】の創価民は魔王・魔民によって滅ぼされるのです。創価や創価幹部のインチキ教学に騙され続けていてはダメですよ。早く戒壇大御本尊への信を取り戻し懺悔滅罪の祈りをしないと大変なことになりますよ。これは脅しじゃないです。大聖人の文証と理証の上から言っているのです。

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他力で判断したり行動しないこと

☆実家の母の支援、職場の介護. >2回目のコロナワクチン接種が目前に迫ってまいりました。 終了すれば、私は「帰郷の準備」を進めます。 7月中には一度、実家に帰るつもりです。 昨年1月以降、コロナ騒ぎで帰ることができず、 母ともじっくり話す機会もなかったので、 「やっと帰れる」ことは嬉しいことです。 母も年齢も年齢ですし、介護サービスも利用できるようにしたいし、 いろいろと今後のことを...

日精教義の完成者としての日寛。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて大石寺の教学の基礎を作ったのは、日寛とされます。
日寛『六巻抄』は大石寺教学の基本になっています。
ただ文献を丹念に読むと、日寛に多大な影響を与えたのは実は18世の日精だということがわかります。



先日の記事で、敬台院と日精の確執のことを書きましたが、敬台院がどちらかというと京都要法寺流の仏像建立を容認するような教義なのに対し、日精の教義は大石寺の金口一人の血脈相承を強調したり、御影堂を本門戒壇堂としたりして、大石寺自体の特殊性・優位性を殊更に強調するようなものでした。



「敬台院と日精の確執。」



敬台院はその後、日精を「悪魔外道の魔王」とまで罵り(富要8-58)、大石寺から追払います。その後、敬台院は日舜を法主に推挙し、細草檀林の創設に動きます。
細草檀林は大石寺派と八品派等が共同で学ぶような談所となります。敬台院としては細草檀林を開設することで、日精よりの教義に染まった大石寺を、自身の菩提寺として取り戻しておきたかったというのも大いにあったろうと思います。



「八品派と細草檀林」




ただその後の大石寺は、敬台院の思うようにはならず、次第に日精よりの教義になっていきます。それは日精を心から尊敬して出家した弟子こそが実は大石寺26世日寛だったという事実からよくわかるかと思います。
大石寺48世日量は、日寛を師匠と仰ぐ弟子の一人ですが、日量の『日寛上人伝』には以下のように書かれています。



「師大に悦び翌日佐兵衛と倶に常在寺に詣でて日精上人(本山十八祖隠居して江戸に出で常在寺を創む今年八十四歳遷化の年の夏なり)、の説法を聴聞して宿善薫発し疑氷忽に釈け随喜信伏す、」
(日量『日寛上人伝』富士宗学要集5-354〜355ページ )



「日精を尊崇していた日寛」



このように日精の講義に触れて感銘を受けて信仰の道に入り、日精を生涯にわたって尊敬していた日寛でしたが、日寛によって現在の大石寺の教学が完成したと言っても過言ではありません。そしてそれは敬台院の考えた要法寺流や八品派のようなものではなく、もっと日精の考え方に近い、大石寺自体の特殊性を強調するもので、依義判文だったり、血脈相承などを強く主張するものに変貌していくことになります。



ところで、日精の教義を説明する際に先日の「敬台院と日精の確執」で、『日隠書』を引用しました。ここでもう一度取り上げてみます。



「此外に三鳥宗門といえるあり、此宗門は内證事にて表立たざる邪法なり(中略)
日秀沼田談林にて能化を勤め、三鳥院と云ふ。かくて談林万事相すみ一時に改宗して大石寺に帰入す。兼て精師も其約束也。
尓るに精師大石寺現住の折から三鳥院を歴代にもなすべきかと思召あれども盈師も得心し玉はず、又役者も檀頭も合点せず叶はず重なり、故に能化浪人にて住居に難儀し、江戸へ出て借宅して己情の邪義を弘通して大石寺の一大事の金口は日精より我相伝せりなり云て妄語を構へ日蓮の名字を汚せり」
(「日隠書」『山居院』所収、23〜24ページ、沼津市明治史料館、2000年)



この史料を仮に正文書として仮定すると、三鳥院日秀の教義を日精が認めて、日秀を大石寺法主にまで推挙していたという事実が浮かび上がってきます。



三鳥派の教義とはどういうものでしょう。
私も無知にしてさして知らないのですが、「三鳥」とは「三超」とも書き、大石寺第3祖日目を特別な存在として扱う立場です。
当時は異端として扱われましたが、ところが今では大石寺3世の日目を「一閻浮提の御座主」として扱うことは、大石寺教義として至極普通のことのように思います。



今の創価学会員さんはほとんど知らないことかと思いますが、広宣流布の時の法主大石寺3世日目の再誕とされるのです。客殿で行われる「丑寅勤行」に参加した方ならわかると思いますが、日蓮と日興の御影が本尊の左右に置かれるのに対して、導師を勤める法主は本尊に正対せず東向きに座る形になっています。つまりあの客殿の法主の位置は「一閻浮提御座主」の位置に当たるのです。



「日目再誕説」



日目再誕説は現在の大石寺の教義では異端でも何でもなく普通のものになっています。



思うに日精を尊敬していた日寛は、日精の教義から少なからず影響を受けます。そして細草檀林で八品派の教義、とりわけ御義口伝等、八品派由来の写本が残っている教義を摂取し、それにより大石寺の独自性を大きく強調するような教義形成をしていったと考えられます。つまり日精の教義の実質的な完成者が日寛であったのだと私は思います。