2019年 3月 の投稿一覧

全盲乗りこえ東大生へ

☆若くして使命に目覚める. 全盲の高校生が東京大学に合格、との新聞記事がありました。 セーラー服姿で点字器具を使っている写真が掲載されていました。 以下に、その内容を抜粋して、所感を申し述べます。 >菅田利佳(すがたりか)さんは3歳の時、 難病の「網膜色素変性症」と診断された。 徐々に視力が失われていく病気で、幼少期に視力を失い、 小、中学生で和歌山県の盲学校に通った。 中1のとき、...

〈勇気の旗高く〉 池田先生と宮崎

しんけんの一念でめつの歴史を

 

 池田先生が各地の友に寄せたスピーチやしんなどをしょうかいする「勇気のはた高く」。今回は宮崎県をけいさいする。

 

宮崎研修道場から太平洋を望む(1999年2月、池田先生撮影)。先生は愛する宮崎の友に呼び掛けた。「『日向』。なんと深い意義のある地名であろうか! 宮崎の若き開拓者の諸君よ、太陽に向かって、決然と立ち上がれ!」

 

宮崎をはじめ九州各地から集った創価教育同窓の友と(99年2月、宮崎研修道場で)

 

ドン、ドドン!――91年2月、池田先生を宮崎平和会館に迎え、第1回宮崎県記念総会が開催された。会館には、九州の友が贈った「常勝太鼓」が。同志の心意気に応え、太鼓を響かせる

 

信心は「確信」


 1958年(昭和33年)の初訪問以来、池田先生は宮崎に足をはこぶたび、3400人の同志との記念撮影会(67年9月)や、1日5回におよんだ1万人の自由勤行会(78年8月)をはじめ、一人また一人と心のきずなむすんできた。
 91年2月に宮崎を訪れた折には、のべおかの友に「いつの日か 延岡ゆきたし 桜かな」とおくっている。その友は、67年の記念撮影会で「先生、延岡に来てください!」とこんがんした女性だった。
 いっしゅんの出会いを大切にし、励ましをかさねる――この師の心をわが心として、宮崎の友は広布のすそを広げてきた。
 91年2月の第1回宮崎県記念総会では、宮崎の四季折々の美しさや太陽のごとく明るい友の心をたたえつつ、師弟の信心で進もうと望んだ。
   
 宮崎は実に美しい。一年中、めぐまれたみずみずしい緑。ゆうだいな太平洋。「日向ひゅうが」という名も、“日の出に向かう”ことにらいするとのせつがあるほど、太陽はさんさんりそそぐ。
   
 どれだけ広布のために戦い、人のためにくしたかが、人生の勝敗を決めていく。また一切が、生々世々にわたる、自身の「ざいほう」となる。信心にムダはない。法のため、人々のためにくした分だけ、自分自身を大きくかがやかせていく。
   
 信心はがくれきではない。ろんでもない。確信である。御本尊への強い確信の信心に、りょうがわいてくる。
 ◇ 
 いつの時代、いずこの世界にあっても、「師弟」という人生の原点をもっている人こそ、最もそうめいに人生を生きている人なのである。
   
 「法華経をたもく者」とは、妙法をじゅし、いかなるあっぱくがあろうとも、みんしゅうのなかで広宣流布へと戦う人のことである。
 その広布の戦士には、いかなるべつもない。ざいであれ、しゅっであれ、とうとき仏の使いであり、仏であると説かれている。その人を、あくをもって、ことさらにおとしいれ、くだしていく人は、大変なつみを得る、仏敵となるとおおせである。
 ともあれ私どもは、きょうもんのまま、御書の教えのままに進む。ゆえに何ものもおそれない。一切は時とともに明確になっていく。
   
 「世界一の学会」、また「世界一の宮崎」を目指していきたい。信心の世界で、世界一を目指し、祈り、努力していくことは、いんで、自分自身が、世界一のちょうじゃ、幸福者となっていくからだ。

 

おおうなばらきょうがい


 本年は99年2、3月の宮崎指導から20周年。沖縄からくうで宮崎入りした先生は、宮崎研修道場にとうちゃくするやいなや、かげふんとうする守る会の友らのもとへ。あくしゅわし、心からの感謝を伝えている。
 この折、先生は同行の幹部に語った。「私は会長になって以来、いや、なる前から、学会をささえ、守ってくださる方を一番大事にしてきた。このたましいがあるかぎり、創価学会は永遠にはってんしていく」と。
 九州・宮崎創価どうそうの集い(2月28日)では、“日南の大海原おおうなばらのようなきょうがいで対話の波を”とけた。
   
 ともあれ、相手がだれ人であろうとも、ひるんではならない。おくしてもならない。
   
 仏法では「ほん」と説く。ようするに“はたらかさず、つくろわず、もとのまま”である。ほんねんのわが生命を「最高さいぜん」に輝かせていく生き方である。
   
 日南の大海原のような、こういう広々とした境涯になったら、勝ちである。自由自在である。
 小さな、せまいエゴにかたまったり、つまらないっても、そんをするだけである。
 「言葉一つ」「言い方一つ」そして「心一つ」で、人生は、どのようにでもゆうゆうと開いていける。
 これが「」である。
 「知識」それ自体は、幸福ではない。「幸福」をつくるのは「智慧」である。「知識」だけでは行きまりがある。「智慧」は行き詰まりがない。「智慧」の水は、わが心の泉から限りなくみ出していけるのである。
 これからのげきどうの時代は、いよいよ「智慧」のある人が勝つ時代である。

 

しゃくぶく精神をむね


 同窓の集いの翌日(99年3月1日)には全九州最高協議会が開かれ、九州各地から代表が宮崎研修道場に集った。
   
 日蓮大聖人はおおせである。
 「強敵ごうてきふくしてはじめりきをしる」(御書957ページ)
 「強敵をふせするに始て大力だいりきけんするこれなり」(同332ページ)
 広宣流布の試練の法戦を堂々と戦い、そして晴れ晴れと勝ち越えてきた、九州のゆうかんなる全同志と、私は“心と心のあくしゅ”をわしたい。
 けなされようが、ばかにされようが、ぶつぶっちょくのために一番苦労し、働き続けておられる皆さまこそ、どんな有名人よりもとうとい方々である。「じょうの人」である。大聖人が、お守りくださらないわけがない。信心という「最高のたから」をもった皆さま方のどくは、まつだいまで永遠であることを確信していただきたい。
   
 何ものにも負けぬ、何ものをもおそれぬしゃくぶく精神、広宣流布の精神が、永遠めつの「九州だましい」である。
   
 大聖人は、ぶつげんほうげんをもって、社会のどうせいするどく見つめておられた。また、その人の立場になって、こまやかに思いやっておられた。そして、内外を問わず、一人一人の心を強く深く、つかんでいかれたのである。
 法華経には「かんおんさつ」が説かれる。観世音の「世」とは社会である。社会の声を観じ、世の中の動きを観じていく力が「観世音」にはある。
 仏法の指導者は、観世音の力をはっしながら、てきせつな手を打ち、味方を増やし、広宣流布の正義のじんれつかためていくのである。

 

共に勝利の春へ


 99年2月27日の宮崎最高会議で、池田先生は重ねて宮崎のとうとき使命を訴えた。
 師の深き期待を胸に、同志の心には広布拡大のせいがんが熱くさかっている。
   
 宮崎は、大事な大事な国土である。その皆さま方のごけんとうを、私は心から、ねぎらいたい。たたえたい。そして、らんまんの勝利への春風を、私は送りたい。
 だれが見ていなくても、皆さま方の労苦に、御本尊は必ず必ずむくいてくださる。
 功徳とは、遠くに「追い求めるもの」ではない。広宣流布を目指し、ぎょうの信心にはげみゆくなかで、自然のうちにそなわってくるものである。
 ◇ 
 どのような立場になろうと、広宣流布の戦いにあっては、えんりょがあってはならない。   
 せいくんには「しょせんりんじゅうただいまにありとさとりて信心をいたして」(同1337ページ)とおおせである。「臨終只今にあり」――このねつれつたるしんけんな一念に燃えてこそ、はじめてめつの歴史を残すことができる。
   
 愛する宮崎のさつの皆さま! 無限の希望にちた宮崎広宣流布の「かいたく」を、私といっしょに進めてまいりましょう!

 

(2019年3月28日 聖教新聞 https://www.seikyoonline.com/)より

〈名字の言〉 2019年3月28日 “熊隊”

わが友に贈る


大変(たいへん)(とき)こそ(ほが)らかに!
苦闘(くとう)する(とも)(こころ)
パッと(あか)るくする
(こえ)笑顔(えがお)(とど)けよう!
太陽(たいよう)(ごと)指揮(しき)(たの)む!

 

 

名字の言


 日本で最初にSL(じょう機関車)が走ったのは新橋・横浜間。一方、後年の復活運転をのぞき、最後にSLが走ったのは北海道の国鉄夕張ゆうばり線(現・JRせきしょう線)だ▼同線は、夕張で採炭さいたんが始まった明治期以降、石炭列車の往来おうらいでにぎわった。このうち主要区間だった新夕張・夕張駅間が今月末、乗客数の減少ではいせんむかえる▼車がきゅうしていなかった草創期、この路線は夕張の学会員にもよく利用された。「くまたい」と呼ばれた、対話拡大にせんする人々だ。休日の朝には数十人が駅に集合し、汽車に乗り込む。停車するたび、まるで熊の隊列のように順々に降り、その地で一日、きょうに歩く。帰りは、たいてい終列車。失敗談、成功談もふくめ、車内では土産みやげばなしに花がいた▼1957年(昭和32年)1月、池田先生が夕張を初訪問したのもSLで、この路線だった。帰京後、先生は夕張の友へはがきを送った。「願わくば、真の人間らしき労働者の住む夕張に、にょらいの使いとし仏のを、思う存分知らしめゆかれん事を」。直後に起きた炭労たんろう事件も、この言葉を胸に、友は勝ち越えた▼石炭とともに、民衆救済のあいと情熱をはこんだ路線。列車は見られなくなるが、広布の黄金の思い出は、ゆうそうてきと共に、同志の心に輝き続けるに違いない。(鉄)

 

寸鉄


 「たがいにつねに・いゐあわ
 せて」御書P965きょうせんの同志
 と共に!はげまし合い前進
      ◇
 千葉・はながわ区、
 がけんこんいってきの拡大。きょくじつ
 のごとこうせいえいかんつかめ
      ◇
 群馬・おお市よ火の玉と
 なって勝ちがれ!ゆうもう
 かんに動き語りだいきんぼし
      ◇
 おのれに打ち勝つことが最大
 の勝利―哲人プラトンかべやぶ
 対話を。今いる場所から
      ◇
 かんたんかせげるとの投資話
 に注意―消費者庁。あま
 文句はわなだ。だまされるな

 

(2019年3月28日 聖教新聞 https://www.seikyoonline.com/)より

勇気の旗高く 池田先生と宮崎

​勇気の旗高く 池田先生と宮崎 真剣の一念で不滅の歴史を 宮崎研修道場から太平洋を望む(1999年2月、池田先生撮影)。先生は愛する宮崎の友に呼び掛けた。「『日向』。なんと深い意義のある地名であろうか! ...

座談会で給仕について色々教わった。

過日、俺の所属する地区の座談会に久々に参加した。
今月はご住職への質問会というような内容だった。
いきなり質問ありませんか?と聞かれても咄嗟にでてくる質問と言ったら教学的な話になっちゃうよね。しかもマニアックな。
そんな質問を急にされてもいかにご住職といえども困るだろうから俺は質問しなかったのだけど、
別の講員さんが「お給仕」について質問をして、それに対してご住職が答えられていて色々と知ることが出来て良かった。
なにせ創価では「お給仕」について特に何も教えてくれないからね。
初信の頃、「仏飯」のお供え方について嫁が訊いた婦人部幹部とと俺が訊いた男子部幹部と微妙に違う事言っていて
実は何が正式なのか実はよくわからなったのだけど、ご住職に正式な給仕の化義を教わってスッキリした。
こんなことを書くと今の創価活動家達は、「給仕」について御書に書いていないから自由でいい。とか
「給仕」などという形式的なことは成仏とは関係ない。とか言うんだろうね(笑)
多分、今の学会員は「給仕」なんてやらない人が多いんだろうね。
仏飯やお水はもちろん、樒も下手すると線香も炊かないかもね。
仏壇の前に三具足もなく代わりに大作センセの写真とか飾ってあったりして。
なにせ、勤行すら方便品・自我偈1座勤行で済ませる人たちだから、「お給仕」なんてしないんだろうな。
御本尊に「お給仕」するのは、日興上人が大聖人に随身給仕をしたのと同じなんだけどね。
確かに創価のカラコピ掛け軸に給仕するのは仏法の本義ではないしする必要がないと言えばそれまでだけど。
でも創価の連中は、カラコピ掛け軸を大聖人の御本尊だと思っているんだからちょっと扱いが雑だよな(笑)
給仕もしないで題目あげて功徳を貰おうなんざ浅ましいね~。
「給仕」などの化義を軽く見るのは「信心」がないという証だからね。そんな連中が題目あげてもねぇ。

◆然る間仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり(一生成仏抄)

と大聖人は言われ、日有上人も「化義抄」のなかで

◇行躰、行儀の所は信心なり、妙法蓮華経なり而るに高祖、開山の内証も妙法蓮華経なり而るに行躰の人をば崇敬すべき事なり云云。

とご指南されている。
また昔の大作センセの指導で、「行体側信心」とか「小さなことを疎かにしない」という指導してたでしょ?
そして創価の活動家が大好きな「人の振る舞い」という御書もあるよね?
にもかかわらず、今の創価では日々の給仕もできずやり方も知らず教えもしないのだから呆れちゃう。
創価で教えるのは選挙でのFのとり方とか、報告の仕方とか、組織の運営の仕方とか、そんなのばかり。
そんなことを教えているヒマがあったらもっと「信心の基礎」を教えるべきだと思うよ。
まぁ「創価信心の基礎」は選挙なんだけど、そんな事ばかり教わってそれが「仏法」だと騙されている会員さんは哀れだな。
本当はちゃんと信仰したい人もいるだろうに、創価にいたら一生大聖人仏法の信仰はできないだもんな。



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向上心

「向上心のあるなしで苦労は成長の糧にも不満の種にもなる」 行きつけの スナックのカレンダー 盆暮れ正月 どこかでいくので 毎年のように いただいてくる いつも 納得の言葉が書かれているので 皆さんにも お裾分け(笑) いい意味で 沢山 苦労したいですね🎵