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小説「新・人間革命」 誓願 56

小説「新・人間革命」 誓願 56  法悟空  内田健一郎 画(6386) 学会員は、新聞の報道などで、宗門の宗規改正によって、山本伸一や学会の首脳幹部らが、法華講総講頭・大...

「新・人間革命」第17巻〔本陣の章〕(善の指導者。報恩の道)

 〔本陣〕
 すべてが新生の輝きに満ちていた。 希望は、美しき青空となって広がっていた。
 学会が 「教学の年」 と定めた一九七三年(昭和48年)が明けた。 正本堂の建立という大目標を達成し、「広布第二章」 に入って、初めて迎える新春であった。


  今年こそ
     今年こそとて
        七歳
(ななとせ)
    過ごして集う
          二百万の民


 元朝、山本伸一は自宅で家族と共に勤行を終えると、戸田城聖が逝去の年(昭和33年)の年頭に発表した歌を思い起こしながら、決意を新たにした。  (新・人間革命17巻・7P)

 「広布第二章」 に入って、初めての新年である 「教学の年」 が明けた。
 池田先生は “「広布第二章」 とは、生命の尊厳や慈悲など、仏法の哲理を根底とした社会建設の時代です。 言い換えれば、創価学会に脈打つ仏法の叡知を社会に開き、人類の共有財産としていく時代の到来ともいえます” と、そのためには、教学の研鑽が不可欠であり、ゆえに、本年を 「教学の年」 としたのである、と述べられています。

 “「広布第二章」 を迎えて、学会は社会に開かれた多角的な運動を展開していくことになりますが、その際、心すべきことはなんでしょうか” と、男子部長が質問した。 先生は即座に、
 「師弟の道を歩めということです」 と答えられました。 質問者が、なぜ 「師弟の道」 なのか、疑問に思っていたようなので、次のように指導されました。

 「仏法を社会に大きく開いた運動を展開するというのは、これは円運動でいえば遠心力だ。 その遠心力が強くなればなるほど、仏法への強い求心力が必要になる。 この求心力の中心こそが、師弟不二の精神だ。
 近年、青年部員には、社会で勝利の実証を示そうとの気概があふれ、社会貢献への意識も次第に高まってきている。 これはすばらしいことです。 しかし、広宣流布という根本目的を忘れれば、社会的な栄誉栄達や立身出世に流され、信心の世界を軽視することにもなりかねない。 また、世間的の地位や立場で人を見て、庶民を蔑視するようになってしまえば本末転倒です。
 真実の人間の道、仏法の道を歩み抜いていくために、師弟の道が必要なんです。 ところが現代人は、師弟というと、何か封建的な、古めかしいもののように思う傾向がある」
 ………
 「実は、そこに現代の不幸があるといえる。
 学問でも、武道でも、あるいは芸の道でも、何かを学び、究めようとするならば、必ず師匠、指導者が必要です。 ましてや人生の真実の価値を教え、人間の生き方を説く仏法を学ぶには、師匠の存在は不可欠です。 師匠がいないということは、生き方の具体的な規範がないということなんです」
  (同書・15~17P)

 仏法を大きく社会い展開するには、それだけ “仏法への強い求心力が必要になる” と、そして “広宣流布という根本目的を忘れてはならない” と述べられている。
 いま世間では、日本大学のアメリカンフットボール選手による重大な反則行為が問題となっている。 体育競技に、勝つことのみが正義であり、目的のためには手段を選ばないという風潮が、大学教育の場まで浸透しているという、まことに憂慮すべき状態である。
 今こそ、真実の価値を教え、人間の生き方を説く哲理の必要性が叫ばれるゆえんである。 したがって、その哲理を持った指導者なのか、どうなのか、が問われている。
 日蓮大聖人は 「所詮導師に於て二あり、悪の導師・善の導師之れ有るなり、…… 末法に入つては、今日蓮等の類いは善の導師なり」(712P) と仰せです。
 指導者と言われている者のなかに、悪の指導者もおるのである。 現今の世情の混乱ぶりも、世の指導者階級の無能・邪悪ぶりに起因しているように思う。 
 この現状を見るにつけ、妙法を持つて 人間革命した人材群を、世に送り出す以外に道はありません。 その責任と使命は、我ら創価学会員一人一人の双肩にかかっている と言っても過言ではありません。 その確信に立って、前進して参りたいと思います。

 「人間は、父母の恩をはじめ、一切衆生の恩、国王すなわち社会の恩、三宝(仏・法・僧)の恩、また、師匠の恩と、さまざまな恩を受けて生きております。
 しかし、現代人は、他人は皆、対立と生存競争の相手としかしか見えなくなってしまい、周囲の人々の “恩徳” が、心の眼(まなこ)に映(うつ)らなくなってしまっている。 そして、その結果、人間と人間が分断され、皆が互いに孤独を感じ、疎外感をもっています。
 だが、心眼(しんがん)を、また、慧眼(えげん)、法眼(ほうげん)を開いて “恩徳” を見すえていくならば、自分がいかに多くの人に支えられて生きているか再認識することができる。 そうなれば疎外感ではなく、感謝の心が、喜びがわきます。
 仏法はその恩に報いていくことを教え、そこに人間の道があり、仏法者の使命があると説いているんです」
 “報恩” の欠落は、人間性の崩壊である。
 伸一は、報恩こそが、仏法者の生き方であり、社会貢献の活動も、本来、その一念の発露であることを述べた。 なかんずく、折伏をもって、絶対的幸福の道を開く仏法を教えていくことは、それが、最高の報恩感謝であり、孝養となることを語った。
 この日、伸一が、最も力を込めて訴えたのは 「自身の心を折伏せよ」 ということであった。
 広宣流布の前進を阻(はば)むものは、外にあるのではなく、自身の内にこそあるからだ。
 臆病や弱さは、あきらめを生み、「もう、だめだ」 「これ以上できない」 と、自分の壁をつくり出してしまう。 また、慢心は、油断と安逸を生み、敗北の墓穴を掘る。
 その心を打ち破り、自らを折伏するのだ。 壁を破るには、腹を決めることだ。 断じて成し遂げてみせると、一念を定め、御本尊に誓願の題目を唱え抜くのだ。
 そして、勇猛果敢に行動せよ。 走り出せば加速度がつく。 勢いを増す。
  (同書・91~92P)

 先生は “仏法はその恩に報いていくことを教え、そこに人間の道があり、仏法者の使命がある” と述べられています。
 大聖人は 「されば法華経を持つ人は 父と母との恩を報ずるなり、我が心には報ずると思はねども 此の経の力にて報ずるなり」 (1528P) と仰せです。
 ゆえに、報恩の道を歩むためには、法華経(御本尊)を持つことが肝要なのである。 そして 一切衆生に、絶対的幸福(即身成仏)の道を教えていく 折伏行は、最高の報恩感謝であり、孝養となるのであります。
 ここで先生は、難事中の難事である折伏を敢行するには、「自身の心を折伏せよ」 と指導されています。
 今までの指導で “慈悲に変わるのは勇気である” と聞き及んでいます。 自身の弱い心の壁を打ち破るのは、勇気である。
 “一念を定め、御本尊に誓願の題目を唱え抜くのだ ” とのご指導を肝に銘じ、後半戦を戦い抜きましょう。 

◎7 「創価新報」の批判記事「青年部員と語る 元職員らの中傷行動について③ ~集団で威圧的な言葉浴びせ、追い詰める」への反論と事実 パート③

 今、全国各地で創価変革に立ち上がる同志の方々から、本年5月16日(水)付「創価新報」の批判記事に対する憤りの声が多く寄せられています。
「いち民間で働くAさんの実名をあげ公然と批判する行為はあり得ない!」と。
 原田会長を中心とする本部執行部は、ひとたび「反逆者」と決めつけたら民間人であっても攻撃し、それを「正義の行動」だとしているがとんでもない悪行です。
 言うまでもありませんが、実名での誹謗中傷によって、Aさんの職場には不当なレッテルが伝わっていくのです。また、子どもたちは親であるAさんの子というだけで、どこで噂されているかも分からないという恐怖感に襲われるのです。
 「報道による人権侵害」
 これまで創価学会は、さかんにマスコミや報道機関による不当な誹謗中傷そして人権侵害と戦ってきました。
 しかし、今はその創価学会が、たった一人の人間の実名を挙げてさかんに誹謗中傷しているのです。
 しかも、その内容も本部執行部にとって都合の悪い所は隠すなど、ことごとく事実をねじ曲げたものであり、極めて悪質なものです。
 一度も当事者に取材もせず、全国紙を使って人権侵害する行為は断じて許すわけにはいきません。
 前回の「ブログ◎6(パート②)」に引き続き、5月16日(水)付「創価新報」の内容で特に悪質な点を端的に要訳し反論します。

1.「足軽会のメンバー」が、後輩である会員(公明党職員の佐賀氏(仮名))に対し、「とにかく会わなければおさまらん。会ってまたさらに明確にしなければならん。会わなくても必ず会いにいくから待っていなさい。」など、一方的に面談を強要し、平成19年(2007年)12月、メンバー10人で大阪の会員(公明党職員の佐賀氏(仮名))の自宅に押し掛けた。
 さらに不在だとわかると、「また必ずきます」「また来ます!」「会って話し合わなければ絶対わからない」「必ず会おう!楽しみにしてるから」「約束通り会いに来ました。再び会ってしっかり対話していこう!」など10人で記した置手紙を残していった。


(反論・前半)
 今回は野口がお答えします。
 まず、私たちが佐賀氏に対し「一方的に面談を強要」し、10人で大阪の自宅に押し掛けたことにされていますが、明らかに事実がねじ曲げられています。
 大阪の佐賀氏の自宅に行くことになった経緯については、「ブログ◎1」にも書きました。
 実際には佐賀氏から、私たちの各々に対し、「大阪の党本部にいつでも来てください」「関西文化で待ち合わせしましょう」などの申し出がありました。
 滝川さんとの電話では「わざわざ大阪に来てくれるんですか。ありがとうございます。」とまで言っていました。
 また佐賀氏から誹謗された「前体制」の幹部であった小平さんたち6人が、佐賀氏への対応を話し合っていた際、佐賀氏から電話があり、その電話の中で佐賀氏自ら「皆で来てもらって構いません」と話しています。
 佐賀氏が後日、川崎の山崎一久総県長(本部職員)に対し、「挑発して煽るように言った。来れるものなら来てみろとの思いだった」と証言していることもこれまでのブログ◎1で書いた通りです。

 佐賀氏の挑発行為は、この発言だけではありませんでした。
 佐賀氏が平成19年11月1日付で大阪の関西公明会館に転勤となった10日後、佐賀氏は、私たちの所属する東海道方面の男子部最高幹部であり本部職員の藤井清孝東海道男子部長に対し、“野口たちから威圧的なメールが送られてくる”との報告を上げそのメールをまとめて記載した書面を提出していました。そのことは、当時、藤井氏の話で判明しました。
 しかも佐賀氏は、佐賀氏自身が送ったメール(挑発)はその書面には記載せず、私たちが送ったメールのみを意図的に集めて藤井氏に渡していたのです。
 後日、私たちは、その書類を見ることができましたが、まるで私たちが佐賀氏に対し、一方的にメールを送り続けているかのような印象を与えるものでした。
 佐賀氏は、このような事実をねじ曲げた書面を作成し、私たちの地元の幹部に送りつけ、一方的に面談を強要されているかのように作出したのです。

 しかも事態を悪化させたのは、その後の藤井氏の対応でした。
 藤井氏は、その佐賀氏から受け取った偏った報告文書を鵜呑みにし、私たちへの事実確認をすることもせず、川崎市全域の総区男子部長たちを招集して、佐賀氏がまとめた“私たちが送ったものだけのメール”が記載された文書を配布してしまったのです。そして、“野口たち(佐賀氏の誹謗中傷に声を上げたメンバー)の動きを気にかけておくように”と周知徹底までしていたのです。
 創価の組織の中で偏見を植え付け、不信を煽る行為は同志を分断する行為であり、絶対に許されるものではありません。
 私たちは藤井氏に訴えました。
「佐賀氏の報告内容は事実を捻じ曲げたものである」
「男子部幹部に流す前に、なぜ当事者である私たちに事実を確認してもらえなかったのか」
と。
 藤井氏は、当事者である私たちに事情を聞くこともせずに佐賀氏の報告を鵜呑みにして広めてしまったことを謝罪しました。そして、各総区男子部長に誤解を与えたことについて、「誤解を解くために各総区男子部長へ連絡する」と約束しました。
 しかし、結局、藤井氏は、各総区男子部長たちの誤解を解くことはしませんでした。

 私たちに対する偏見や誤解は川崎総県の不特定多数の人たちに広がり、組織の中で「会長に弓を引いた」「徒党を組んでいる」などといった声を聞くまでに至りました。
 しかも私たちが「佐賀氏の問題を解決するために、佐賀氏と話し合いをしたい」と伝えると、無責任な本部職員の藤井氏は、自分が問題を大きくしたにも関わらず、その責任を取ろうとはせず、「人と人が会うことを止める権限は当然自分にはない」「佐賀氏は関西だから任せる」と言い、この問題から距離を置こうとしました。ここにも本部職員の無責任な体質が表れていました。

 一向に反省も謝罪もなく、同志誹謗を続ける佐賀氏。
 また、然るべき幹部職員に相談しても放置され、当事者同士で会って話し合う以外に、解決は望めない状況でした。
 こうした状況の中で私たちは、佐賀氏にメールや電話で連絡をとり、佐賀氏も了承して、大阪で会うとの約束がなされたのです。

 これまでも述べてきましたが、佐賀氏は「わざわざ大阪に来てくれるんですか。ありがとうございます。」と話しています。一方的に面談を強要した事実はありません。

(反論・後半に続く)


〈〈【緊急告知・大結集】学会本部前サイレントアピールのお知らせ〉〉
■ 日時
6月10日(日)
①13時半から14時半
 学会本部前サイレントアピール
②15時から16時半
 サイレントアピール参加者による「座談会」(ざっくばらんに語り合う懇談会)


※ サイレントアピールは1時間を予定しています。これまでの経験から、横断幕を掲げて立ち続けられるのはおよそ1時間が限度だと思いました。参加して下さる皆様が、創価変革のために行動して、体調を壊されることだけは絶対にあってはならないと思い、1時間とさせていただきます。
※ それぞれのご体調に合わせ、椅子をご用意されたり、休憩を取られたりして頂いても構いません。また6月の気候はすでに熱いので、各自、お水の用意はお忘れなくお願いします。もちろん、前回と同様に、各々状況があるのは当然ですので、マスクやサングラスをご使用されても全く構いません。
※ サイレントアピール後の、「サイレント参加者による『座談会』(ざっくばらんに語り合う懇談会)」は、式次第は無しで、自由に思いを何でも語り合っていきたいと思います。

■ 場所
 ①信濃町の学会本部前 【学会本部サイレントアピール】
 ②ワイム貸会議室 四谷三丁目 Room A 【座談会(ざっくばらんに語り合う懇談会)】

 ・(住所)〒160-0004 東京都新宿区四谷3-12 丸正総本店ビル6F
 ・(交通)東京メトロ丸ノ内線「四谷三丁目」駅 1番出口 徒歩1分
 ・(座談会会場地図)

地図

■ 【参加を希望される方へ】事前連絡のお願い
 安全かつ合法的にサイレントアピールができるように、これまで警視庁と弁護士に相談してきました。
 その上で、絶対無事故、絶対安全を期すために、参加を希望して下さる方とは、事前に個別に連携を取らせていただき、参加予定人数を掌握したいと思っております。
 つきましては、参加を希望してくださる方は、
①お名前、②ご連絡先(電話番号)、③参加予定人数を、ブログ宛にメールでお知らせ下さいますよう、お願い致します。

 簡単な一文で構いません。「小平秀一 090-****-**** 2名で参加します!」のように書いていただければ、こちらから折り返しご連絡をさせていただきますので、よろしくお願い致します。


〈〈各種お知らせ〉〉
1、『創価学会元職員3名のホームページ』開設のお知らせ!

 この度、ブログ読者の皆様からご意見を頂き、3名のホームページを立ち上げました。(https://harunokoime20180311.wixsite.com/mysite)
 まだ現在作成中ですが、このサイトから、次回の座談会やサイレントアピールの日程、これまでのブログ、創価変革に関連する動画などが、すぐに見れるようにしていきたいと思っています。
 本ブログの「リンク」の◎『創価学会元職員3名のホームページ』から、ご覧いただけます。

2、3名の著作『実名告発 創価学会』について
 3名が学会本部の中で体験してきた事実を書いた著書『実名告発 創価学会』が好評販売中です。
 創価を愛し、三代の思想と精神から逸脱した現学会本部の変革を願う同志の皆さんに是非お読みいただきたいと思っています。
 また、学会本部を変革していくための「対話のツール(道具)」としてご利用いただければ本当に嬉しいです。<なお、当ブログメニューの「リンク」からご購入いただけます>
※一点誤字の訂正のお知らせ
 36頁9行目の「かつて2006年6月頃、師匠は本部職員の全体会議で」の日付が、正しくは「2002年6月頃」でした。大変に申し訳ありませんが訂正をお願い申し上げます。

3、今後の『学会本部との労働裁判』の流れについて
①6月5日(火)午前10時から、東京地裁611号法廷にて、第14回期日(口頭弁論)。
 ★各種「文書提出命令申立」に対する裁判所の判断が下される予定。
②7月3日(火)までに原告3名各々の証人尋問用の陳述書を提出。
③7月10日(火)午前10時から、同じく611号法廷にて、第15回期日(口頭弁論)。
④8月下旬から10月にかけて、証人尋問。

 次回の口頭弁論期日は、6月5日(火)午前10時から東京地裁611号法廷となります。
 私たちは昭和54年頃にこの世に生を受けました。
 まさに師の仇を討ち、師の理想を実現していくことこそ、私たちの使命であり、責務であると自覚しています。
 正々堂々と、正義と真実を叫び切り、創価の師弟に違背した本部執行部の実態を白日の下に晒して参ります! 


田村耕太郎『頭に来てもアホとは戦うな!』に、なるほど。

FullSizeRender頭に来てもアホとは戦うな!』、題名を見ただけでも教えられるものが多々、あった。
宗教問題、殊にカルト問題を扱っていると、ここいら信者会員には立腹することが多い。
最近も日蓮正宗の傲慢無礼…本人は勇猛精進と思っているらしい(笑)…若い信者に絡まれて立腹したのだが、たしかにこの本のタイトルのように相手にしなければ良かったのだ。
25万部を売り上げているらしいが、たしかに御説のとおりである。
いまどき、板マンダラという板彫刻が日蓮の真筆だといって小鼻を広げて、世界で一番正しい宗教だなどといっていること自体、もはや狂気の沙汰である。この板彫刻の真偽に関しては鑑別をもって尽くしたけれど、百万歩譲って、この彫刻が日蓮に係る本物であったところで、ただの板切れであることは変わりない。板が人を救うとか、日蓮そのものであるなどという人間の狂気と正面きって話したわたしが愚かであった。
たしかに、頭にきてもアホと戦うことは、時間の無駄であり、余計な労力である。莞爾。

20年ぶりの信濃町

先日、神宮球場に野球を見に行った。
久しぶりに電車に乗ったんだけど、満員電車で毎日通勤している人って凄いなぁってしみじみ思った。
俺には絶対無理だ。って思ったよ。
それはさて置き、神宮球場に行くのに信濃町の駅を乗り降りした。
いやぁ~信濃町なんて駅に来るのはそれ20年ぶりくらいかなぁ。
新宮球場と逆方向に向かって行く人たちはいかにも学会員ポイ人ばかり。
で、帰りに駅のホームで電車を待っていると、ホームの広告看板が
全て・・100%創価の広告で埋まっている。
創価関連以外の一般の企業や店舗の広告看板は一切なし。
他の野球帰りの人たちは、そんな看板に見向きもしてないけど
俺はそれをみていて正直気持ち悪くなった。
あれだけの看板数だと、ざっと見積もっても信濃町の駅のホームだけで
年間数千万円の広告費を払っているんだろうな。
もっとも、駅の看板なんて可愛いもんで創価はラジオ・TVなど
様々なメディアでCMしているから、そうした年間の広告宣伝費は数十億円単位なんだろうね。
そんなお金を使って一体どんな効果があるんだろう。
ひとつは、金を使うことによる経済効果?
スポンサーとしてメディアをコントロールできるといったような効果か?
どっちにしても、創価の言うところの「広宣流布」の効果はないのは明らかだ。
創価のCMを見て創価に入会する奴なんていないだろうし
創価のイメージアップなんてまったくしていない。
その証拠に日本創価学会の会員数は全く増えていないし
公明の比例票も選挙の度に減っている。
つまり創価の実施している広告活動は、本来の広告としての効果はほとんどない。ということになる。

普通の会社だったら、効果のない広告活動に大金をつぎ込むことはしない。
ところが創価は平気で意味のない広告に大金をつぎ込んでいる。
その原資はすべて会員さんの浄財である。
こんな意味のない広告宣伝に毎年数十億円も使うわけだ。
これって誰も「おかしい」って思わないのかね。
こんな事に大金使うぐらいならば、以前も記事にしたが
広布部員さんには聖教新聞を無償にしたり
聖教の配達を外部発注したり
もっといえば、財務は3年に1度にしたり
他に会員さんのために金を使ったらどうかと思う。
毎年毎年、会員さんからあらゆる手段で金を巻き上げて
湯水のように使いまくる。
詐欺師と同じで「自分の金じゃない」から何も考えずに使えるのである。
そもそも、広宣流布に「CM]や「広告」は必要なのか?って話なんだけどね。
大作センセの改定前の人間革命には、

【或る人は利口気にいう。布教に、ラジオを使うべきだ、テレビを使用すべきだーと。何と浅はかな言であろうか。
俗にいう、PRなど学会には絶対に必要ないのだ。これこそ、多くの新興宗教の取るべき、悪質な企業宗教の手段にほかならない。 正法は、断じて法を下げるような方法は取らない。取る必要がないのである】

と書いてある。
昔、これを読んだときは正しくその通りだと思った。
大聖人仏法を広めるのは、小賢しい策ではないと。
創価がもっとも大きくなった時代には創価はメディアなんて使わずに
会員ひとりひとりの「信心」で大聖人仏法を広めたんだ。
それに、現代では「メディアは第4の権力」と言われいる。
それを利用することは、「権力」を使って法を広めることと同じだ。
それは大作センセが人間革命で書いたように、大聖人仏法を下す行為なのである。
そしてこれまた大作センセがいうように、多くの新興宗教や悪質な企業宗教の手段だ。
信濃町駅のホームにずら~っと並んだ創価の広告看板は
自ら、「私達は悪質な企業宗教です」と広告しているようなものである。
もっとも、世間の多くの人たちは創価を「悪質な企業宗教」と認識しているし
事実、大聖人と無関係な団体のくせに大聖人を騙っているのだから
悪質な企業宗教なのは間違っていまい。
そう言う意味でCM・広告をしているのならば
十分、広告費以上の効果は上げていると言えなくはないが
それでも、会員さん達の浄財をこんなくだらない事に使うなんて
会員のことなんて「これっぽっち」も考えていない人達が
創価という悪質な企業宗教を運営しているんだなぁって思った。

まぁ、20年ぶりの信濃町駅は想像以上に気味が悪かったので
次に神宮に行く時は、地下鉄で外苑前から行こうとおもったのでした。


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仏法では霊魂を否定している

仏法では「断見」や「常見」を否定しています。

断見とは、「死ねば生命は消滅する」という考え方です。

また常見とは、「死後も霊魂が残る」「あの世に行く」という考え方です。

いずれも両極端であり、生命の真実を表していないとしています。



今では多くの宗派が水子供養をやっていますが、常見はもともと外道の教えです。

釈尊が説いた全てのお経は、霊魂を否定しています。

彼らもそのくらいは知っていますが、金儲けのために霊感商法に手を染めているのが、日本仏教の現実なのです。



仏法では、死後の生命は、「大宇宙そのものに還る」と説いています。

そして機会があれば、再びこの世に生を受けます。

ただし、生前に積み重ねた「業」は、そのまま残ります。

悪業を重ねて死んだ生命は、宇宙に還った後も、再び生を受けた後も、報いを受けて苦しみ続けなければなりません。

その宿業を転換するには、南無妙法蓮華経を唱えるしかないのです。






ネット公開のVODに3番組追加

ビデオ・オン・デマンド(VOD)が、SOKAネットにおいて期間限定(今年一杯まで)で公開されています。スマホやパソコン等でいつでもどこでも視聴が可能です。5月15日付で、次の3番組が新たに追加されました。
1.やさしい仏法用語 仏法の生命観 十界論
2.遥かなる法華経の旅 平和と共生のメッセージ
3.宇宙 ~その深遠なる世界~

→次のバナーをクリックするとご覧頂けます。

 

 

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広布に走れ

5/31
今日の一面

知勇の獅子よ 福智の乙女よ
広布に走れ
6・30「学生部結成の日」へ
記念月間

出口が見えない事に、チャレンジする事。
そのツラさをもろともせず、
モチベーションを維持したり、
スゴイですね。

出口が見えない事に、がんばる事は、
すばらしい事の場合も多々あります。

でも、明日や明後日、見えてますか?
まわりも、見えてますか?
家族や、友人知人、見えてますか?


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なぜ真言はいけないのか





日蓮は、真言の害を、念仏や禅すら上回るとしていました。

真言宗では、空想上の仏である大日如来(毘盧遮那仏)を本尊として仰ぎ、本来の師である釈尊は、大日如来の分身に過ぎないとしています。

忘恩の極みであり、だからこそ日蓮は真言を亡国の因として厳しく断じたのです。



このことから、真言の家では「一家の柱が立たない」などとよく言われます。

最も有名な例は天皇家です。

大正天皇は病弱で早逝し、昭和天皇は敗戦で権力を失いました。

今後も、このまま皇室典範が改正されずに女性天皇が認められなければ、皇室断絶の危機にさらされます。

真言の家に生まれるのも、過去世からの宿業です。

正法たる法華経に帰依して、罪障を滅するしかありません。



仏法においては、師への報恩感謝を一切の根本とします。

空想上の神仏とは違い、師匠は生身の人間であり、命を持っているからです。

単なる空想上のシンボルに過ぎない神仏を、命ある人間より重んじるところに、一切の宗教の過ちの根源があります。



日蓮仏法においては、末法の本師である日蓮その人を本尊とします。

日蓮も命ある生身の人間です。生命ほど貴いものはありませんから、これを本尊と定めるのは当然です。

そして日蓮も一切衆生も、等しくひとつずつ命を持っています。その意味において、完全に平等です。

南無妙法蓮華経を唱えることで、万人が、もちろんあなたも、本尊となります。

日蓮仏法は、万人の平等と尊極を説く唯一の宗教なのです。



わが友に贈る

2018年5月31日「極楽百年の修行は穢土の一日の功徳に及ばず」決然と苦難に挑もう!苦労が大きい分無量の功徳が輝く!