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師弟の「法難の日」?

数日前の聖教新聞に、昨日だから一昨日だか知らないが「法難の日」という記念日と言う事が書いてあった。
なんでも、牧口・戸田(敬称略)が戦時中に逮捕された日だそうだ。

▼この学会精神の不滅の原点は1943年(昭和18年)7月6日、初代会長・牧口常三郎先生と第2代会長・戸田城聖先生が治安維持法違反と不敬罪の容疑で軍部政府に逮捕された「法難の日」にある。(聖教新聞から引用)

こんな記念日は俺が活動家時代はなかったが、また増えたんだね。毎日が「何かの日」で創価民も忙しいね。
創価が会内で「ナントカ記念日」を作るのは勝手だが記事を読むと、
いかにも当時の牧口・戸田が正しい大聖人仏法を行じていたから難を受けた風に書いてある。
つまり、牧口・戸田の逮捕が大聖人仏法における「法難」であると。さすがにそりゃね~わ。
そもそも創価では牧口・戸田が反戦を訴えて逮捕されたように喧伝されているが、
むしろ逆で牧口も戸田も「戦争に勝利する」ことを願っていたことは多くの歴史的資料から一目瞭然だ。
聖教にも書いてある通り、牧口・戸田の逮捕は「反戦思想」ではなく、治安維持法違反と不敬罪だ。
そして記事では宗門に対して

▼権力の弾圧を恐れた日蓮正宗宗門は、御書全集の発刊禁止や御文の削除などの大謗法を犯した。

などと書いているが、宗門が何故「弾圧」を恐れたのかと言えば、
それは大御本尊と血脈断然を守るために「弾圧」を恐れたのである。
こんなことは至極当然のことだろう。
およそ日興門下のご僧侶の使命は大御本尊を守ることが第一義である。
大御本尊を守る事は血脈相承を断絶させない事だ。
大聖人仏法を守り伝えるのがご僧侶の本懐である。
軍部から神札を受けたことも(創価の言うように宗門が祀った事実はない)
御書全集云々、必勝祈願云々、観念文云々と創価は非難を加えるが、
そうした事実はあるが宗門から積極的にそれに加担した事実はない。
まだそうした特殊な時代の中で大御本尊を守る為に、
御文を削除したり神札を受け取る事を謗法と非難する所が流石は大御本尊を捨てた創価流である。
創価理論からすると、大御本尊よりも御書の方が大切らしい。
俺はむしろ耐えがたきを耐え、軍部に面従腹背しながらも大御本尊を守った宗門僧俗は偉いと思う。
当時は人革の「狸祭り事件」で有名な小笠原慈聞氏が正宗と身延の合同を画策していた時期でもある。
そこで聞きたい。創価が指摘する戦時中の正宗の謗法だが、
正宗僧俗はその時に創価が指摘するような謗法を犯さず大御本尊を失い血脈相承を失った方が良かったのか?と。
ご聖訓に曰く

◆謗法の者にも浅深軽重の異あり、法華経を持ち信ずれども誠に色心相応の信者能持此経の行者はまれなり、此等の人は介爾ばかりの謗法はあれども深重の罪を受くる事はなし、信心はつよく謗法はよはき故なり(阿仏房尼御前御返事)

日蓮大聖人の色心二法たる戒壇大御本尊を危険に晒す行為と神札を受け取るのとどちらが大きな謗法かは明らである。
牧口は言った

▽「私が嘆くのは、一宗が滅びることではなく、一国が滅びることなのだ」(創価公式HPより)

牧口は一宗すなわち正宗が滅び大聖人仏法が滅びることより国が戦争で負けることの方を嘆いていたのである。
大謗法というのは正しく牧口のごとき人間なのである。

◆日蓮によりて日本国の有無はあるべし(種種御振舞御書)

とのご聖訓すら理解してないのが創価の初代会長だ。「日蓮によりて」の「日蓮」とは大御本尊なのである。
もっとも、この当時の牧口創価教育学会は寺院とは絶縁状態でありお寺へ参詣すらしていない状態だった。
また牧口は特高の尋問に対し

▽「私は正式の僧籍を持つことは嫌いであります。僧籍を得て寺を所有する事になれば、従って日蓮正宗の純教義的な形に嵌った行動しかできません。私の価値創造論をお寺に於いて宣伝説教する訳には参りませんので、私は矢張り在家の形で日蓮正宗の信仰理念に価値論を採入れた処に私の価値がある訳で、此に創価教育学会の特異性があるのであります」
▽「会員は悉く日蓮正宗の信者として、常在寺、歓喜寮、砂町教会、本行寺において授戒して居りますが、創価教育学会其ものは、前に申し上げた通り日蓮正宗の信仰に私の価値創造論を採入れた処の立派な一個の在家的信仰団体であります」

と答えている。つまり牧口創価は形だけは正宗の信徒であるが、その実は大聖人仏法の信者ではなく牧口教信者なのである。
これについては、『人間革命』の第1巻に

▽「牧口の価値論から入った、大善生活を思うとき、そこには、彼独特の、倫理的臭みを帯びてくる。さらに、大善生活の実践のために、大御本尊を仰ぐ時。大御本尊は、価値論の範疇に入ることになってしまう。――ここに砕尊入卑のきらいが影となって射して来るようだ。戸田は、出獄以来、ひとまず価値論を引っ込めた。そして、南無妙法蓮華経そのもの自体から出発したのである。それは、幾多の苦難の歳月を経て身をもって体験した確信からであった。彼は、価値論を現代哲学の最高峰であるとは思っていた…しかし、大聖人の大生命哲学からするならば、時に『九重の劣』とすら思えた」

と書いてあるように、戸田も池田も牧口の信仰にあり方に間違いがあったことを認めている。

とまぁこの件についてはまだ書き足らないところもあるがそれは機会があればいずれ書くが、
言いたいのは、牧口・戸田が逮捕されたのは「法難」なんかではない。
ということである。

▽「堀米先生に、去年堀米先生を『そしった』罰をつくづく懺悔しておる、と話してください。『法の師をそしり』し罪を懺悔しつつ『永劫の過去を現身にみる』と言っております、と」(獄中書簡)
▽「牧口先生の先業の法華経誹謗の罪は深く、仏勅のほどはきびしかったのでありましょう」(創価学会の歴史と確信)

と戸田が自ら言っているように、二人の逮捕・投獄は「法難」ではなく「仏罰」なのである。
なので、この「師弟の法難の日」というのは「そりゃ、ね~よ」って事である。
冒頭に会内でどんな記念日を作っても構わない。と書いたが
大聖人仏法と無関係な創価が大聖人仏法と関連付ける記念日を作るのはおこがましいにも程がある。
そこは、戸田の言葉を借りて、師弟の「仏罰の日」とでいいだろう。これなら大聖人は関係ないし(笑)
いづれにしても創価の歴史を見れば戸田時代の一部の事案を除き「法難」などないのである。
もちろん大作センセが逮捕されたのも「法難」ではなく選挙違反の容疑である。
そして今後も「法」を捨てた創価に「法難」など微塵も起こらないから安心したまえ。
それらは戸田に言わせれば全て「仏罰」である。


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創価学会常住御本尊の記念日?

先日の聖教新聞に、「5月19日は創価学会常住御本尊の記念日」と書いてあった。
俺が活動家時代は無かった記念日だが、いつの間にかまた「記念日」が増えたんだなぁ。
記念日だらけで大変だ。近い将来、大作センセの命日も増えるだろうし(笑)
どんな記念日が聖教新聞を読んでみると(以下太字は聖教新聞より引用)

1951年(昭和26年)5月3日、第2代会長に就任された戸田先生が、仏意仏勅の広宣流布の団体である創価学会の「金剛不壊の大車軸」として発願。同月19日に認められたことに由来します。
だそうだ。戸田会長が願い出た創価学会常住本尊を書写(認めた)したの記念日。
創価らしく主語を意図的に書かないからなのか、この文章だけ読むと「戸田会長が書写(認めた)」したように誤読する人もいそうな文章だが当然のことながらそんなことではなく、戸田会長が時の法主である日昇上人に請願し日昇上人が書写されたのが本尊だ。
現在、創価本部にある本尊は正確にはこの日昇上人書写の本尊を大作センセが勝手に謹刻した板曼荼羅を日達上人が追認した板曼荼羅である。大作センセの本尊無断禁謹刻事件についたは機会があればまた書くがとにもかくにも戸田先生大石寺の法主にお願いをして日昇上人から下賜されたのが「創価学会常住御本尊」である。
授与書きには「創価学会常住」とあり、脇書には「大法弘通慈折広宣流布大願成就」と書かれているので「慈折広布の御本尊」とも呼ばれている。会員に販売しているカラコピ本尊は授与書きを消しているではないか?と批判すると「授与書き」は御本尊と無関係な無意味なモノだ。といいつつ授与書きに書かれている「創価学会常住」という文字を取って記念日としているとは相変わらずのダブスタである。
さて、記事を読み進めていくと、

腐敗堕落した日顕宗は、万人平等を説く仏法に背き、“僧が上、信徒が下”などと、衣の権威で学会員を隷属・支配しようとしました。さらに、広宣流布の団体である学会の破壊を企み、「C作戦」発動直後の1991年(平成3年)には、学会員への御本尊下付を停止しました。

また、宗門は、“法主は御本尊と不二の尊体であるから信伏随従せよ”と前代未聞の邪義を唱えました

などと相変わらず宗門へ印象付けの悪宣伝を繰り返してる。日蓮正宗の戒壇大御本尊を日蓮正宗の御歴代である日昇上人が書写した本尊をいけしゃあしゃあと自分達の本部に安置し、しかも「記念日」に設定しながらその同じ舌先で大御本尊を否定し、血脈相承を否定し宗門を罵倒しているのである。本来であれば創価が退会者からカラコピ本尊を回収するのと同様に、破門された時点で正宗へ返納すべき本尊を返納するどころか「創価学会の根本の本尊」などといって嘯いているのだから、盗人猛々しいとはこのことである。「創価常住本尊」を下賜できたのは何故か?それは戸田会長が「戒壇大御本尊」を信じ、正宗の教義・化義を広め、正宗の外護に努めることを法主聖人に誓ったからである。「御本尊は旗印」というが、何の旗印かと言えば「大御本尊を信仰の根本にする日興門下」の旗印であって、それを否定する邪教・邪宗の徒の端印ではないのである。
創価常住本尊を書写した日昇上人は明確にこうご指南している。

◇「戒壇の大御本尊の御内証を、帯し奉って不肖日昇六十四世の法主として、御本尊様に信仰をそめておしたため申しあげている御本尊でございまする」と。

創価常住の本尊も、「戒壇の大御本尊の内証を認めている」のである。
つまり、創価常住本尊の実態とは「戒壇大御本尊の内証」なのである。
ところが創価は「戒壇大御本尊」は受持しない。と教義変更したのである。
「戒壇大御本尊」を受持しないのであれば、その内証を認めた「創価常住本尊」も受持しないということになる。
一体、どのような理由で「戒壇大御本尊」は不受で、その内証を認めた「創価常住」は根本本尊として受持するのか。
内証以外の何をもって「創価常住本尊」を受持するのか?
それこそ「単なるモノ」であって、「単なるモノ」を創価根本本尊とする理由は何なのか?
また血脈相承否定しなら血脈相承を受けた日昇上人書写の本尊を根本にすることは法主に信伏随従しているのではないか?
日昇上人は大御本尊の御内証を所持していると戸田会長は信じていたから「創価常住本尊」を願い出たのではないのか?
戸田会長は日昇上人に信伏随従していなかったくせに「創価常住本尊」を願い出たのか?
だとしたら僧侶が上ではなく、上から僧侶を見下していたのは戸田(信者)のほうではないか。
こんな矛盾だらけの創価の主張など、教学なんて知らくても道理で十分理解できるとおもうのだが、
それを理解できずに、或いは道理に合った説明できずに、自語相違を真顔で主張するから
「創価脳」「莫迦ツドウカ」「創価狂」などと言われるのである。

さて聖教の紙面には、
今も、日顕宗の坊主や信徒は、学会員を狙って、言葉たくみに言い寄ってきます。私たちは日顕宗の邪義を打ち破り、一切の魔を断固、粉砕していきたい。
などと随分と勇ましいことも書いてあったが、私たち(創価民)が富士門流の教義を打ち破ったなどといことはあっただろうか?
リアルでもネットでもそんな勇ましい姿は目撃したこともないし、俺自身も本ブログでもリアルでも創価民に富士門流の教義を打ち破られた記憶は一切ない。
打ち破り、粉砕どころかまともに法論が出来る創価民すらいない。
逃げまくって遠くの方でイキるのが創価民の習性だろう(嗤)
法門・法義の話はサッパリで、新報だの地涌だのフェイクだのといったお手盛りの情報を垂れ流して印象操作するくらいしか出来ない、出来損ない創価民ばかりだ。そもそも機関誌で「日顕宗」などと言っている時点で単なる印象操作である。
ダーハラ怪鳥をはじめとする上層部ですらこの程度なのだから、在野の「罵詈活」の程度など知れている。
ともあれ、大御本尊を捨てた創価民にとって「創価学会常住御本尊」など、何の内証もない単なる板切れである。
まぁ、本尊が何たるかを理解できない創価民にとっては「内証」なんてどうでもいいのだろうが
そんな連中が「記念日」とか言っている姿は、やっぱり「狂ってるなぁ」としか思えないわけだ。
そして一人でも多くの会員さんがその「奇怪さ」に気づけばいいと思う。


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「ナットク」というより「セットク」?いや「イカサマ」TALKだな。

29日の聖教新聞の4面に「ナットクTALK」なる記事があった。
この「ナットクTALK」なる記事は若く初信の男子部向けに書かれている記事だが、
今回は早くも「選挙」関係のことが書かれていたのだが、
こんな与太話で「ナットク」するのか?「ナットク」というより「セットク」
いや、これは初信の学会員を騙しているだけの「イカサマ」TALKとしかいいようがない。
内容は、相変わらず日蓮大聖人の「立正安国論」を悪利用して
あたかも「公明党」の支援活動を「大聖人の仏法」といって会員を欺くという悪どさだ。
なんでも、この記事によると(太字は聖教新聞から引用)

池田先生は「立正とは生命尊厳の哲理であり、人間革命の方途を示した仏法の人間主義の思想を人々の胸中に打ち立てることである。そのための実践が広宣流布である。そしてこの広宣流布は安国という、社会の繁栄と平和をもって完結するのである」と述べられている。僕たちが政治に関わるのは、この立正安国の精神にのっとり。安穏な社会を築いていくという仏法者としての社会的責務があるからといえるよ。

とうことらしいが、まず池田先生の「述べている」ことが何を言っているのかわからない。
というよりも勝手に池田先生がそう述べてるだけ。しかもあまりにの抽象的で漠然としすぎ。
生命尊厳だの人間革命だのそれっぽい言葉を漠然と並べていれば聞いている方もなんとなく正しいと思うしかないのだが、
これがなんで「選挙」と関係あるのか普通に聞けば全く理解不能。この大作センセの話を聞いて「選挙が立正安国だ」って思える思考回路の持ち主の方はかなりの異常回路の持ち主だと思うがどうだろうか?
そもそも大聖人の言う所の「立正」とは「破邪」にたいする言葉である。
そしてこの立正とは具体的に言えば「三大秘法」のことであり、突き詰めれば一大秘法の戒壇大御本尊のことである(説明は省略)
つまり、一大秘法たる戒壇大御本尊の第一義悉檀をもって「破邪」することが大聖人仏法における「立正」であり、それによって国土を「安国」せしめることが「立正安国」の精神だ。政治に関わるのは「この立正安国の精神にのっとり」とかいっているが。
「その立正安国の精神」は「大作センセの我見の立正安国の精神」だ。そんなものに則るのは大聖人仏法ではない。だたのジジイの譫言を聞いているに過ぎない事である。

そしてこれまた選挙活動の唯一の依文である立正安国論の、

◆汝須く一身の安堵を思わば先ず四表の静謐を祷らん者か

を相変わらず悪用している。この御文のどこに「選挙」のことが書いてあるのかこれまた、
思考回路がショートしている人間異しかわからない。同じく立正安国論には、

◆早く天下の静謐を思わ ば須く国中の謗法を断つべし
◆若し先ず国土を安んじて現当を祈らんと欲せば速に情慮を回らし・で対治を加えよ
◆謗法の人を禁めて正道の侶を重んぜば国中安穏にして天下泰平ならん。

と書かれている。つまり「先ず四表の静謐を祷らん者か」とは
謗法破折・謗法対治のことを指していることは明白なのである。
「正道の侶を重んぜば」とは大御本尊に信を取る。といことである。
そして、「立正安国論」は国主諌暁の書であるから現代でいえば主権在民であるから、
自分自身と人々の謗法を退治し正法に導く事。つまり折伏こそが唯一の「立正安国」の手立てなのである。

大聖人の立正安国の精神とは公明党を支援することでは断じてないのである。
そもそも大御本尊を捨てた創価に「立正」の精神がないのだから、
そんな創価が支持している公明党に「安国」にすることなど不可能だ。公明党が与党になってから「暗黒」ではないか。
しかも最近では公明党支援に異を唱えれば創価の組織から「処分」される始末である。
これのどこが「人間主義の思想」なのか、臍が茶を沸かすとはこのことだ。

創価の真面目な青年たちよ創価の「イカサマ」説法に騙されてはいけない。
選挙活動が信心だなどという莫迦な考えをもってはいけない。
投票権は自分の大切な「権利」である。それを創価に騙されて無駄に行使しなてならない。
どうしても、公明党に投票したいのならまだしも「大聖人の教え」などという思い違いをしないで欲しい。
そして、自分の友人・知人の大切な権利を気軽に創価の為に使わせるように真似は決してしてはならない。
ようするに、「公明党に投票したけば自分だけにしろ。他人の権利まで奪うことは許されない」ということである。
それをした瞬間に君たちは被害者から加害者へと変わってしまうのだからね。


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魂の独立をした結果がコレ。

先日の11月28日は、創価の「魂の独立記念日」とやらそうで(笑)
聖教新聞では相変わらず一方的に宗門を悪者に仕立てて
もはや当時を知らない会員をだまくらかす記事が掲載さていた。
(以下太字は聖教新聞より引用)

 破門といっても、御書に基づく理由など何一つない。要するに、学会が信徒団体として宗門の権威に従っていないと決め付け、一方的に切り捨てただけである。全く人間抑圧、時代錯誤も甚だしい宗教悪そのものであった。

衣の権威”の鉄鎖から解き放たれた学会は仏法の人間主義の翼を広げ、世界宗教へと飛翔した。一方、日顕宗は衰退の坂を転げ落ちた。彼らこそ宗祖大聖人から厳しく“破門”されたことは明白である。  「魂の独立」から27年。我らは権威主義の宗教悪を責め抜きながら、大聖人直結の人間宗教の大道を朗らかに進みたい。

だそうだ(笑)まぁ何を言おうと勝手だろうが、魂の独立をした創価がその後にどうなったか?
大聖人の色心二法たる大御本尊を捨て、日寛上人のご指南を否定し、
大聖人仏法の基本の修行である勤行及びご観念文を変更し
財務と言う只の会費を供養と偽り、選挙を信心であるなどと騙り続けている。
日蓮直結などと言う己義を含めこれらの創価の所業の数々のたった一つであっても御書と符合しているところがあるのか?
それこそ御書に書いていないどころか大聖人仏法を悪用しているだけだろう。
な~にが宗教悪を責める。だ。法論のひとつも出来ないでコソコソと逃げまわるだけの活動家ばかりだろ。
「逃げるしかできない」活動家ばかりになったのは、創価が己義・邪義を連発してきたからだ。

さらに、ここ数年は執行部や公明党を批判したり、批判した人間と交流しただけで
会員を査問にかけ、活動停止や除名に追い込んでいるのはどこの組織だ。
会員を一方的に切り捨てる人間抑制の時代錯誤も甚だしい組織と言うのは
まさしく今の創価学会そのものである。
日蓮仏法を騙り、本尊もどきをばら撒き会員から金と時間を搾取し反抗すれば処分する。
それが、お前たち創価の言う「魂の独立」の結果なのである。
大御本尊から離れたものの成れの果ての姿なのである。

どんな詭弁を使おうと、どんな甘い言葉で誤魔化そうと
大聖人仏法を捨てたのは創価の方であるという事実は変えられない。
大御本尊を捨てて宗門を日顕宗と揶揄しながら、
いまだに、大御本尊を正宗の歴代法主が書写した本尊に題目あがているのも事実。
それなのに、日蓮直結だの御書だのと戯言を抜かすとは笑止千万だろう。
「魂の独立」というならば、もうお前たちの独自の本尊を使えよ。
いつまで日蓮正宗の本尊をコピってるんだ(藁)
マジでとっとと「独立」してくれないか?
お前たち創価には、大聖人も御書もなんの関係もないのである。
お前たち創価は、大聖人と無関係の門外漢なのである。
そして、それを望んだのは他でもない大作センセとゆかいな仲間たちだ。

彼らはそれは愉快であろう。
自分達の邪義をいくらいった所でご僧侶から咎められるわけでもない。
大御本尊へのご供養をそっくりそのまま自分達が搾取することができる。
なにもかも自分達の思い通りにできるんだから「宗門から独立」して嬉しいだろう。
しかし、それによって多くの純粋な会員達は無間大城に落ちていくのである。
上層部のように今世で贅の限りを尽くすことなく、だた搾取されたうえで無間地獄である。
要は創価の言う「魂の独立」とは、法華経に説かれている「五千起去」の事である。

■「この語を説きたもう時、会の中に比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の五千人等ありて、即ち座より起ちて仏を礼して退けり。所以は如何。この輩は罪の根深重、及び増上慢にして、未だ得ざるを得たと謂い、未だ証せざるを証せりと謂えり。かくの如き失あり。ここを以って住せず。世尊は黙然として制止したまわず。その時、世尊は舎利弗に告げたもう『我が今、この衆には枝葉なく、純に貞実なる者のみあり。舎利弗よかくの如き増上慢の人は退くもまた佳し』」(法華経・方便品第二)


大作センセを筆頭に、創価が増上慢を起こして大聖人の会座から立ち去った日。
それが、11・28「魂の独立記念日」なのである。


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今年も創価詐欺軍団にくれぐれもご注意を。

さて、今年もまた創価の財務の季節である。
以前、創価バリカツが「債務」は「会費」だ。と言っていたがそれなら別に何の問題もない。
特に何のメリットがなくても会員が会費を払いたいと言って払う。
そんなものは俺には何の興味もないし、非難する筋合いでもない。好きにすればいい。
ところがだ、先日(11月6日)の聖教新聞に「御聖訓に学ぶ御供養の精神」なる記事を見つけた。
こういうことを会員に信じ込ませて財務を推奨するのであれば「大聖人仏法詐欺」であろう。
少し引用してその詐欺っぷりを指摘してみる(以下太字は聖教新聞からの引用)

法華経の行者に供養する功徳は、妙法を弘める人の功徳に等しく、広宣流布が拡大すればするほど、計り知れないほどの多くの功徳が、供養をした人に集まってくるのです。
 ここで、「法華経の題目を弘められている人」とは、今日においては、現実の上で大聖人の御遺命である広宣流布を進めている創価学会をおいて、ほかにはありません。


「妙密上人御消息」の文を引いてこのように書いてあるが、
このロジックは、法華経の行者=法華経の題目を広める人=創価学会
ゆえに創価学会に供養する功徳は大きい。だから財務をすれば功徳がある。ということだろう。
この一連の記事は【教学】というカテゴリーの記事なんだがいったいこれのどこが教学なのか。
こんなのただのコジツケに過ぎない。さすがは創価詐欺軍団である。
一体全体どこをどう学べば法華経の行者=創価学会になるのか?きちんと文証を挙げて説明して欲しい。
なんだこの「法華経の題目を広める人」ってのは?
「題目」を広めるならば顕正会だって佼成会だって「南無妙法蓮華経」の題目を広めてるぞ。
どうも創価の無教学活動家は「題目」とは「唱える方の題目」だと思っているおバカさんが多い。
大聖人仏法仏法における題目とは「本門の題目」である。
「本門の題目」とは「本門の本尊」がないとできない。故に広めるべきは「本門の本尊」である。
その「本門の本尊」も一大秘法たる戒壇大御本尊がなければ広めることはできない。
一大秘法から離れて唱える題目は釈迦の文上法華経の題目である。
そもそも論を言えば、法華経の行者とは大聖人様であり大聖人とは大御本尊である。
法華経の行者といい、南無妙法蓮華経の題目といってもそれは大聖人の色心二法に他ならないからだ。

◆戒定慧の三学は寿量品の事の三大秘法是れなり、日蓮慥に霊山に於て面授口決せしなり、本尊とは法華経の行者の一身の当体なり云云。(御義口伝巻下)
◆されば無作の三身とは末法の法華経の行者なり無作の三身の宝号を南無妙法蓮華経と云うなり(御義口伝巻下)

それにもしも「題目を広めている人」が創価ならば、会員が創価学会に供養する必要はなかろう。
むしろ供養を受け取る側であってしかるべきだろう。
自分達が法華経の行者なんだろ?自分達が創価学会仏なんだろ?
なのになんで金を出すんだ?
大聖人が他の仏にご供養をしたという文証や史実があるのか?
なぁ、それだけでオカシイって思わないのか?
それとも、いまの活動家は「題目を広めていない」のか?
つまり法華経の行者でもなく創価学会仏でもないと。
だったら創価が誰が広宣流布してるんだ?
活動家が広宣流布していないならば創価学会も広宣流布していないということだろう(実際してないが)
だったら創価に供養したところで功徳はないということだろ。

そもそも、創価の集金は「供養」ではなく「財務」だろう。
「供養」じゃないのだから「功徳」があるわけないだろうよ。
もっとも「ご供養」などとは口が裂けてもいえないだろう。
創価には「仏」が存在しないのだからな(笑)
なにせ、「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候」といわれる真筆の御本尊がただの一体も創価には存在しない。
つまり日蓮大聖人の魂が創価のどこにも存在しないわけだから「供養」したくてもする相手がいない。
だから「供養」じゃなくて「財務」なのだろう?(笑)
大聖人仏法とも関係のない功徳とかそういうことじゃなくて
創価学会を運営するための運営費として徴収します。
正直にそういえばいいんだよ。
そう言ったって払うヤツは払うよ。
それをご丁寧に大聖人の御書まで引用してあたかも大聖人仏法の如く錯覚させ
あまつさえ、只の会費に「功徳がある」などと嘘をいう。
俺はね、どこかのアンチみたいに「みんなが詐欺と言っているってるから創価は詐欺だ」
なんていう野暮なことは言わない。
大聖人仏法の文証・理証の照らし創価が詐欺である所以を
ちゃんと説明したうえで「創価は詐欺だ」と言っている。
それに対して何も言い返せないのだろう?
だったら「創価の財務には功徳なんてありません」
「創価への財務は日蓮大聖人と一切何の関係もありません」と正直にいいなさいよ。

学会員のみなさん。創価の詐欺軍団に騙されてはいけませんよ。
「功徳があるから」なんて言ってくる幹部や活動家は詐欺集団の一味ですからね。
なんで、ご本仏を捨てて何も存在しない創価に金を振り込むと功徳が出るのか?
きちんと文証で説明してもらってください。多分誤魔化ししますから騙されにように。
いいですか?創価は謗法団体なんですから、1円でも供養したら後悔しますよ。
同じ紙面に書いてあったでしょ。
謗法への布施を止めよって。
末法における正しいご供養は日蓮大聖人の色心二法である大御本尊へのご供養です。
法華講員は「日蓮正宗」に「布施」はしません。全て大御本尊へ「ご供養」します。
故に日蓮正宗には「布施」というもはないのです。ぜんぶ「ご供養」と書くのです。
創価の財務は、びた一文たりとも大御本尊へ「ご供養」されることはないのです。
毎年のことですが創価の大聖人詐欺にはくれぐれもご注意ください。


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新人間革命完結だってよ。

先日、小説「新人間革命」が完結おわりしたね。
最後の方は、連載打ち切りになったマンガのような展開で、
色々と端折ってムリクリ終わりにした感じだった。
センセイの連載は打ち切りになんてならないんだからもっと書けばよかったのにね。
なんで、山本伸一は突如として会員の前から姿をけしたのか?
姿を消したのちに伸一は何をやっていたのか?
伸一は恩師・戸田城聖が命を懸けて守ってきた戒壇大御本尊を何故捨てたのか?
とっても気になるんですけどそのあたりの事は一切触れられていないところが秀逸ですな。
聖教新聞では「新人間革命」完結を迎え連日関連記事が掲載されていますなぁ。

なになに.....トルストイの「戦争と平和」に匹敵するほどの作品とな(笑)
いや、ただ長く書いてきただけでしょが。トルストイと一緒にするとは言いすぎ。
「こち亀」や「ドカベン」の方が長いし内容も面白いでしょ。
池田センセより水島先生の方が凄い気がするなぁ。

え~っと....「『新・人間革命』の行間に 千数百万の庶民の人生が」とな。
確かに大作創価学会に騙された多くの民衆の怨嗟の声が行間に滲み出てますな。
とくに戸田先生とともに戦い創価の基盤をつくった草創期の方々は
大作センセのせいで、大御本尊から引き離され無間地獄で苦しんでいるのだから
そりゃ恨みつらみも言いたくなるでしょう。

そんな中、ダーハラ会長は
「『人間革命』『新・人間革命』は、広宣流布の歴史を通して「学会精神」を刻み残した「信心の教科書」です」
なんて言っちゃいってます。
今後もこの三文小説を会員に売りつけたい気持ちもわかるけど
いくらなんでも「信心の教科書」は言いすぎでしょ。
せめて「参考書」くらい言っておけば可愛げもあるのだが「教科書」って,,,,
じゃぁ「御書」は?「御書根本」だっていってるけど御書は、信心のなんなのさ?
「人革」が教科書ならば御書は何になるの?
これだから創価の患部・活動家はいつまでたっても基礎教学も身に付かないんだよ。
こんな三文小説を信心の教科書にしちゃうんだから。
こんなものエロカンターレの言霊集と同じでしょ(笑)
まぁね。これを「教科書」にすれば、喜んで学会活動に励むようなオカシナ人間に革命できるけどね。
「教科書」というより「狂化書」ですよ。こんなもんは。
しかし、これからの学会員さんはコレを買わされるんだろうね。
そのうち御書は扱わなくなるだろうからコレが御書代わりになるんでしょう。
毎月の座談会でこの三文小説を学習するのだろうね~。
30巻かぁ、1冊1500円としても45,000円。わぁ~大変だな。
まぁ少し待てばメルカリで全冊揃えで3000円くらいになると思うから慌てて買わない方がいいよ。
多分、新品同様品で売りに出させるから大丈夫(笑)

とはいえ、ゴーストライターの皆さんはお疲れさまでした。
ゴーストが書いているのバレバレのなか書き続けるストレスは相当なものがあったでしょう。
元気な池田先生が書いていると思っている会員さんを欺きつづけ罪の意識にさいなまれ眠れない夜もあったのでは?
え?それなりの高給もらっているし別に罪の意識なんてない?
さすがです。そのメンタルがなければ創価の職員なんて務まらないよね。
なにはともあれ「代作」ご苦労様でした。

さて、「新人間革命」が完結したということは、ついに大作センセの存在意義もなくなったというわけで
今後大作センセが「やる」としたら「大作本尊」くらいですかね。
どちらにしてもお払い箱になる日も近づいてきたように思います。
大聖人と同じ10月13日。創価の記念日の11月18日。戸田会長の誕生日の2月11日など
Xデー候補はいくつかありますね。
来年は参院選もあるので、早めにするかもう1年延命治療するか
人口呼吸器を外すだけであればXデーはいつでも自由に決められますからね。
選挙日程とにらめっこして、創価本部と公明党幹部で「いつにする?」なんて話し合っていそうです。
まぁ、ヤルなら参院選前の早い時期がいいでしょう。戸田センセと同じ4月2日はどうでしょう。
「センセの弔い合戦」ということで参院選大勝利間違いなしです(笑)

最後になりますが、「新人間革命」が完結したので
「先生からのお手紙」を運ぶ聖教新聞の使命も終わりですよ。
「人間革命が終わったので聖教新聞をやめます」といって購読を止められますよ。ラッキ♪


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靖国神社献灯問題でようやく創価が告訴。

ネットで大騒ぎとなった創価の靖国神社献灯問題で
ようやく、創価が告訴したと今日の聖教新聞で報じられていますね。
アートマンさんのところにも圏幹部から、鼻息あらく鬼の首を取ったかの如くメールがあったそうです(笑)
一応、聖教の記事の画像をアップしておきますね

Image-1.jpg

まぁ創価活動家の鼻息が荒くなる気持ちもわかります。
靖国神社献灯問題では随分と逆境に立たされていましたからね。
学会本部は何の手も打たないで一体どうなっているやらとヤキモキしていたのでしょうから
「今更」感一杯ですがようやく学会本部も重い腰を上げたという感じでしょうか。
とはいえ、この内容を読むと別に鬼の首を取ったようにはしゃぐような内容ではありませんね。
書いてあるのは「告訴をした」という事だけです。
問題発覚から1カ月以上経過しているのに、被疑者不詳ですし。
告訴が受理されたかどうかも分かりません。
「告訴する」だけならば、いつでもできます。
いつでもできるのに1カ月以上も告訴しなかったのはむしろ怠慢ですね。
大作センセは、「電光石火の如く」とスピードを重視していましたが
とても「電光石火」のような告訴ではありませんね。
このあと、どんな展開になるか分かりませんけど
真犯人がいるとなるとそう時間もかからず判明することでしょう。
靖国神社側には振り込み内容の記録が当然あるでしょうから
防犯カメラ等を調べればすぐに犯人は見つかることでしょうね。
内部の犯行か?それとも外部の犯行か?事の真相が楽しみです。
ひょっとしたら、続報はない。と言うパターンもありまえますね。
ひっそりと告訴を取り下げる。というパターンも十分あり得ます。
宗門側のイメージダウンを図る目的で訴訟を起こし
敗訴は知らせず、和解内容も知らせず守らない創価のことですから
今回も、「とりあえず告訴しておけば会員も納得するし騙せるだろう。ほとぼりが済んだら告訴取り下げればいいや」
てなお得意の戦術であることも十分考えられます。
どっちにしても「告訴」しただけで鼻息荒く「ドヤ」っていうのはバカ丸出しですね。
「告訴」をしただけでは創価への疑念が晴れたとは言えないわけですから。
「ドヤ顔」するのは真犯人が確定した時までとっておいてください。
子供じゃないんだから「告訴」という意味をちゃんと理解してくださいね(笑)

それはそうと聖教記事によると、創価は「謗法厳戒」だったのですね。
「告訴」したというより「謗法厳戒」なんていう言葉を使っている方がむしろオドロキです。
靖国献灯問題の時に、「今の時代は献灯することは謗法ではない」
と言うような趣旨の事を言ってた学会員がいましたが、
本部は「謗法だ」といって告訴していますよ。
「謗法ではない」言ってた幹部・活動家はどうするんですか?
少なくても査問の上で降格・役職停止処分にしないといけませんね。
学会本部の指導と全く違うことを発言するのは、幹部としての資格はありませんからね。
それと勘違いしてもらっては困るのは、「靖国献灯問題」ひとつをとって
創価が謗法と言われてるわけじゃないってこと。
仮に今回本当に真犯人がいたとしても
創価が謗法団体であるという事は全く何も変わりません。
しかしアレですよね。靖国献灯問題には敏感に反応するくせに
大御本尊を捨てることには何とも思わない創価幹部・活動家って理解できませんね。
靖国献灯よりも酷い謗法なのに誰も騒がない。とても不思議です。
ともあれ、犯人が見つかるといいですね~。
被疑者不詳のままウヤムヤで終わらせないで欲しいですよね。
警察も告訴を受理したのなら簡単な事件ですからとっとと解決してやってください。
受理してなけりゃできなですけど。

それにしても本部は今回の聖教発表は随分と賭けにでましたね。
一般会員さんはほとんど靖国献灯問題なんて知らなかったのに
わざわざ自ら知らせることになりました。
そしてこれを機にネットをみた一般会員さんが
やがてアンチサイトを覗くようになり退会していくのでしょうね。
そんな気がしませんか?


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ただ祈っているだけで行動がなけりゃダメなんだよね?

平成30年7月豪雨の被害は2時被害を含めまだまだ終わっていない。
改めて、被災地の皆様ににはお見舞い申し上げるとともに、
政府にはとにかく被災地への迅速かつ手厚い支援をお願いしたい。
さて、前日も書いたがそんな豪雨被害の最中に行われた創価の九州総会。
その模様を、聖教新聞は次のように伝えている。

雲間から時折、降り注ぐ柔らかな光。にぎやかなセミの声。
本部幹部会が開かれている間、九州池田講堂の外は穏やかな天気に恵まれた。


その昔、正宗の夏期講習登山について新報や地涌なのどの機関誌で
信徒の事を考えずに炎天下の真夏に開催するのはケシカラン。などと批判した創価だが、
当の自分たちは、200名近くの死者が出た大災害の最中に呑気に本郡幹部会を開いた挙句に
「九州池田講堂の外は穏やかな天気に恵まれた」などと世間の心情を逆なでするような記事。
穏やかな天気?よくもこんな表現をできるものだ。
言葉と生きていく聖教新聞。のキャッチコピーが白々しく感じる。
そんな中、大作センセはさすがに被災地の人向けにメッセージをくれたようだ。

初めに、このたびの記録的な豪雨の被害に心よりお見舞いを申し上げます。
被災地の方々に届けと、ひたぶるに題目を送っております。支援・激励、また復旧に尽力される皆さん方も、本当にご苦労さまでございます。 尊き宝友を一人ももれなく、三世十方の仏菩薩よ、無量無辺の諸天善神よ、断固として護りに護り給えと、私はいよいよ強盛に祈り抜いてまいります。



だそうだ・・・・・え?まさかこれだけ?
だた題目をあげているだけなのか?
さすがに題目をあげているだけってことはないよなぁ。
だって以前から大作センセは、

祈っているから大丈夫 というのではなく、
祈りが行動につながるとき、 初めて祈りが叶う。
これが仏法の道理である。


などと指導をしてきたではないか。
ただ御本尊に祈るだけで行動が伴わなければ
それは法華経の行者ではなく法華経の信者であり
そんな祈りは叶わないと。
行動こそが大切だと。
この指導は幹部の常套句であり、大作センセの指導の根幹でしょ。
宗門は祈っているだけで行動をした来なかった。ともよく言っていたけど、
まさか、大作センセは「ただ祈っている」だけで
被災地に出向いて会員さんを激励する行動を起こさないのか?
そう言えば、熊本ににも東日本にも全く出向いていないけど。
確か、学会発表によれば大作センセは大変にお元気とのこと。
そんなにお元気なのに何故ご自分で激励に出向かないのか?
今の上級幹部が束になって激励したところで、
大作センセ一人に及ばないことはわかっているはずでしょう。
なのになぜに他人任せなのか解せない。

行動なき祈りは叶わない。と言っておきながら
永遠の指導者が行動を起こさないなんてどうしたものでしょう?
まぁ創価の幹部なんてのは、指導はするけど自分じゃやらない。なんて当然だけど
大作センセともあろうお方がそこらのアフォ幹部と同じことをするなんて・・
いやそれともそこらのアフォ幹部は大作センセを真似ているのか?
もちろん、大作センセのお身体の具合が悪く
会員さんの激励に回ることが体力的に困難ならば仕方がないと思うが
いまも「大変、お元気」とのことなのだから、
早く被災地に行ってあげてください。
ひたぶるに祈り、強盛に祈り抜く体力があるならば行けるはずです。
その行動なくして、祈りが叶わのですから。
あ!大作センセには仏法の道理とか関係かったですか?
てか、仏法関係ないですもんね。


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世界宗教の条件だって。

もう読んで笑った人も多いだろうが、
先日の「ニンカク」に世界宗教の条件とやらが書いてあった。
それによると世界宗教の条件とは、

※民主的な“開かれた教団運営”」「『信仰の基本』には厳格、『言論の自由』を保障」「『信徒参画』『信徒尊敬』の平等主義」「『儀式』中心ではなく、『信仰』中心」「血統主義ではなく、オープンな人材主義」「教義の『普遍性』と、布教面の『時代即応性』

だそうだ。
なにひとつ今の創価に当てはまっていない所が凄い。

「民主的な“開かれた教団運営”」
財務状況を全く公開しないという闇にまみれた教団運営

「『信仰の基本』には厳格、『言論の自由』を保障」
戸田先生時代からの信仰の基本である五座三座の勤行を廃止し
執行部批判をしたら査問の上即除名。

「『信徒参画』『信徒尊敬』の平等主義」
現場の意見は全く聞き入れられず、「上」からの打ち出しだけを実行する
異議を唱えれば活動停止。
「信徒無視」「幹部尊重」のヒエラルキー。

「『儀式』中心ではなく、『信仰』中心」
選挙活動や新聞拡販などの学会活動中心の活動で、信仰は二の次、三の次ぎ。

「血統主義ではなく、オープンな人材主義」
大作センセがダーハラを会長にする。というオフィシャルコメント聞いたことなし。

「教義の『普遍性』と、布教面の『時代即応性』
コロコロ変わる教義には「普遍性」ゼロ。


いやいや、ここまで見事に創価が世界宗教たりえないということを看破するとは
さすがは大作センセと言えよう。
さらに、同じ章では、

※誰人も大聖人と私どもの間に介在させる必要はないことを述べ、あえて指導者の使命をいえば、大聖人と一人ひとりを直結させるための手助けであると訴えた。

とも言ってのけている。
大聖人との間に何も介在させる必要がないといいながら
指導者が必要らしい。
この言い草ならば会員が大聖人と直結すれば指導者は要らない。ということだろう。
そもそも御書を通して直結なんて戸田先生が言っているという話だが
大聖人がいつそんなことを言ったのか?
戸田先生が本当にこういったのなら、
戸田の信心も大したことなかったと言わざる得ない。
また、御書を通して大聖人に直結させる手助けをするには
大作センセの低レベルの教学力では到底無理である。
その証拠にダーハラ会長以下、現在の学会員は大御本尊を捨ててしまった。
そして今のなお大御本尊を捨てたことの正義について誰ひとりまともに論証できない。
大聖人直結どころか、大聖人をカット。
これが本当の「C作戦」である。
大御本尊は最初から「一閻浮提総与」の御本尊であり
大聖人仏法は最初から「世界宗教」なのである。
大作センセごときが小利口ぶって「世界宗教とは」なんて言及する必要もないのである。
その大御本尊をカットした創価に世界宗教たる資格も権利もない。
仮に大作センセが言うような創価になったとしても
いかんせん、世界宗教の名に耐えうる「本尊」が創価には無いのである。
そんな事にも気づかないで、創価が世界宗教になりえると思っている会員さん達は、
完全に大作センセとダーハラ執行部に騙されているお気の毒な人達である。
もっとも先に書いたように今の創価は、
大作センセが言っている世界宗教の条件を一つも満たしていないのだから
単なる「怪しい新興宗教」以外の何物でもないのである。

学会員さん、よく自分の組織を見てみてくださいな。
民主的な“開かれた教団運営、『言論の自由』を保障、『信徒尊敬』の平等主義
『儀式』(学会活動)中心ではなく『信仰』中心、、オープンな人材主義
そんなもの貴方の組織にありますか?
少なくても私は活動家時代にそんな組織見たことありませんよ。
もしも、「私の組織はこのような組織だ」と言うのであれば
それは貴方が、幹部側の人間だからです。


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人権感覚ゼロの創価新報と創価民たち

前回創価新報の記事について触れたが、この記事で創価新報は
元職員3人組さん、宮川氏、波田地氏について実名で報道して批判したが
元職員さんはともかくとして、宮川氏・波田地氏の実名を挙げてあのような記事を書くのは
よくよく考えると、ソレって名誉毀損になるんじゃないかと思う。
彼等は創価を批判しているだけの単なる私人にすぎない言うならば一般市民だ。
その一般市民の実名を挙げて、あたかも彼らが「罪人」であるかような一方的な報道はまずいんじゃないか?
創価新報はネット配信もしているし
早速、頭の悪そうな創価民がこの記事を引用したりリンクして
ブログやSNSへ投稿もしている。
これらの行為は十分名誉毀損にあたると思うのだ。
以前、俺の会社の顧問弁護士と少し雑談した時に
「名指しで誹謗中傷をネットに書き込まれた時には名誉毀損で訴えたほうがいいですよ」と言われたことがある。
名誉毀損とは、その書かれた内容が事実であっても成立するらしい。
つまり、創価新報に書かれていることが「事実」であっても
それによって社会的信用が失墜したりするようなことがあれば
十分名誉毀損に該当し刑事告発すれば刑事事件にもなるということだ。
俺が新報の記事を読む限りでは名誉毀損として十分な内容だと思う。

そもそも、一般人のしかも元会員を実名を挙げて罪人のごとく批判するということが意味不である。
言われっぱなしがイヤという気持ちもわかるが
ならば、もう少しキチンと理論的に反論をすればいいはずなのに
新報に書いてあることは「創価組織を分断しようとした自分勝手で我侭な人間ども」
的ないつものような創価節だけだ。
「相手の主張のここが間違っている」という反論ではなく
ただただ相手が「いかにひどい悪人か」ということに終始している。
しかもその「悪人」の定義はあくまでも創価内部の基準であって、一方的な話だ。
これが、日頃から「人権」だとか「全ての人に仏性がある」だとほざいている宗教団体の機関紙だとうのだから驚きである。
新報の記事の内容は「人権感覚ゼロ」だ。
いや「「人権蹂躙」といって方がいいだろう。
そして、こんな「人権感覚」のない新報をありがたがって
新報に書いてあることを鵜呑みにしてはしゃいでる創価民もまた「人権」とはほど多い人種だろう。
創価森の菊川氏が正宗を「日顕宗」というのは、自分が言っているのでなく新報にそう書いてあるから使っている。
と自分のブログで告白しているが
こんな機関紙を読んでると人間性が歪められてしまうことを菊川氏をみるとよくわかる。
こういう連中が、「自他ともに幸福になる」とか「世界平和」とか口にしているのが創価の実態だ。
創価のいう「幸福」とか「平和」というのは、自分たちに単体する勢力や人間をとことん排除することだ。
反対者・敵対者を排除することが彼らの「戦い」であり
彼らだけの「平和」と「幸福」なのである。
完全に大聖人仏法と相反するのが今の創価なんだな。
「人権無視」のこの記事ひとつ読んでも今の創価の腐敗臭が鼻につく。
真面目に大聖人仏法を信仰したいと思っている学会員さんは
そんな創価臭が身に染み込む前に早く離れてくださいね。

そうそう、三人組さん、宮川さん、波田地さん
聖教新聞社と創価学会をぜひ名誉毀損で訴えちゃってください(笑)


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