日蓮正宗寺院・住職・僧侶の真実・素顔

#515 日蓮正宗寺院・東京都大田区新蒲田・仏国山宝浄寺(ほうじょうじ)の真実・朝の勤行会で日蓮宗の「なむみょうほうれんげきょう」の題目を唱えていた大村寿顕氏

宝浄寺の初代住職は大村寿顕(日統) 1933-2009.5.11.75才で死去。この人は日蓮正宗宗務院教学部長を1979-200526年間勤めている。今の二代住職・舟橋義秀(慧行院日謙)氏で応顕寺→宝浄寺に転任している。宝浄寺は19641221日・創価学会の寄進供養により建立される。本堂の板本尊の脇書は「願主法華講総講頭池田大作の名前」が入っていた。これは創価学会建立寄進の寺院は最初は創価学会の土地・建物で、板本尊願主は創価学会のトップである、総講頭池田大作氏になる。新築入仏式は創価学会の行事で日蓮正宗は招かれて出席していた。新築落慶入仏式の後に土地建物を日蓮正宗に名義変更している。 1980103日・東京目黒区妙真寺住職(正信会)山口法興氏の擯斥により日蓮正宗側についた法華講妙真寺支部講員は宝浄寺の預かり信徒となる。 妙真寺住職破門で妙真寺信者が全員、宝浄寺に移ったのではない。妙真寺法華講・檀徒が三分裂した。宗門派(法華講妙真寺支部・宝浄寺預かり)・寺院派(妙真寺・山口法興氏についた法華講員・檀徒)・離反派(妙真寺から離反して宗門にもつかなかった人)の三つである。19846月・創価学会昭和五十二年路線・第1次宗創紛争で創価学会脱会・宝浄寺檀徒になった44世帯で法華講宝浄寺支部を結成した。これも宝浄寺檀徒が全員、法華講宝浄寺支部に入ったわけではない。宝浄寺檀徒も正信会問題の混戦で三分裂・宗門についた檀徒が法華講宝浄寺支部を結成した。宝浄寺から正信会寺院に行った檀徒もいた。1990-1992年ころ、英昭彦が朝勤行会の末席に座って見ていた。大村寿顕住職の導師は週12回くらい。「なむみょうほうれんげきょう」と言っていた大村寿顕氏をはっきり目撃している。大村寿顕氏不在時は在勤僧侶は「住職は本山に行っています」と言っていた。しかし住職不在の勤行会の後、英昭彦がJR蒲田駅に行く途中、同じくJR蒲田駅へ向かう大村寿顕氏にバッタリ遭遇したことあり。大村夫人も勤行会では不在だった。当時の在勤者は坂本雄悟氏(現大坊在勤)、竹内雄慧氏、山澄信玉氏(広島開妙寺住職)・「オレは寺男をやっていた」と自称する人物がいるが、朝の勤行会に寺男はいなかった。寺男がいたら絶対に勤行会に出てくる。朝勤行会の参詣信者は23人・多い時でも56人くらいだった。ほとんどが婦人部である。大石寺67世日顕法主の代は法華講員が「大村寿顕氏は次期法主候補」と言っていた。しかし大村寿顕氏の題目の唱え方に疑問があり、大石寺法主が「なむみょうほうれんげきょう」と唱えたのでは信者が動揺してしまう。だから大村寿顕氏の法主昇格はないと予測していた。第2次宗創紛争後、マスコミ報道で「次期法主有力候補は宗務役員HG氏」(早瀬義寛・今の日如法主)と出ていた。今となってみると、マスコミ報道のほうが当たっていたことになる。19901227日・池田大作総講頭罷免・第2次宗創紛争勃発・法華講宝浄寺支部が1000世帯超える。法華講宝浄寺支部法華講員の大半が元創価学会員。1992年頃、本堂板本尊から「願主法華講総講頭池田大作」の文字消える。板本尊から「願主法華講総講頭池田大作」の文字消えた事例が多数各地の寺院で目撃されている(総一坊・総二坊等)・日蓮正宗全体でかつて創価学会寄進供養の寺院の板本尊の脇書から池田大作氏の名前を消していたと思われる。20051123日・現本堂の新築落慶法要・本堂に新しい板本尊が祀られる・板本尊の脇書は「願主常秀院日統」・旧本堂板本尊は客殿へ?? 2010721日・妙真寺第2代住職死去で宝浄寺預かり信徒・法華講妙真寺支部・講員が妙真寺に復帰している。



 

 

#513 日蓮正宗本山・高永山(讃岐)本門寺の真実1・今でも外部の参詣者からお賽銭が投げ込まれている讃岐本門寺・かつての副住職三好智浄氏に冷たい態度を取る日蓮正宗

讃岐本門寺とは四国・香川県三野町にある日蓮正宗本山寺院・最寄り駅は、JR四国の予讃線・みの駅(旧高瀬大坊駅)から徒歩1分のところにある。英昭彦は、 1988年・1991年・2016112223日に行っている。ここの御会式が毎年11/2211/23に行われる・御会式の時に境内で大坊市が行われる。大石寺の御大会が11/2011/21に行われるのに、引きつづいて讃岐本門寺御会式がある。現在は日蓮正宗本山寺院は、讃岐本門寺の他は静岡県富士宮市の富士妙蓮寺・九州・宮崎県日向市の日向定善寺の三ヶ寺・かつては保田妙本寺も日蓮正宗だったときは日蓮正宗本山だった。讃岐本門寺は本山だから、住職は能化に決まっている。近年は能化以外の僧侶が住職になる場合もあり。讃岐本門寺の開創は1289年・日華開基で本門寺開創したが兵火で焼失している(日華上人・日仙上人が本門寺寺号を使っていることが、日興在世当時、本門寺思想が本当にあったのかどうか、疑義の根拠のひとつになっている) 1323年・日仙を開基として法華堂(讃岐本門寺大坊)を開創している。1648年・北山本門寺末寺になり法華寺と改称・「讃岐法難」が起こる。しかし讃岐本門寺は大石寺末寺の意識が強く、1833年・大石寺48世日量が讃岐本門寺に逗留。1875年・大石寺52世日霑が讃岐本門寺で説法している。1946年・讃岐法華寺と塔中8坊末寺2寺が日蓮正宗に合同・本門寺と改称している。 37代住職を大石寺66世日達が兼任・38代住職を大石寺67世日顕が兼任していた。その間の1973.9-1985.1三好智浄氏が副住職として、(大野阿智浄房日透大徳)が讃岐本門寺に常駐して実質管理していた。しかし三好智浄氏の墓所は歴代住職墓所から離れた所に建てられている。しかも日蓮正宗は死後の能化追贈も歴代住職加歴もしない、実に冷たい態度を取っている。39代は稲尾慈正氏(法護阿日淳贈上人・死後に能化追贈)40代は横田智研氏・41代は梶原慈文氏(日経・能化に昇進している)。中心堂宇は本堂(御影堂)で日蓮の日仙授与本尊の板本尊と日蓮御影像が祀られている。七間四面なので、こじんまりしている。開山堂は日興の板本尊と日仙の御影像が祀られている。今でもお賽銭が投げ込まれる。客殿は日興の板本尊が祀られる。大石寺客殿の真似をしており、導師席が横向きになっている。朝勤行が午前630分からやっていて、丑寅勤行はやっていない。1980年代に行ったときは日顕手植えの木が切り倒されていたが、2016年に行ったときは日顕手植えの木が繁茂していた。塔中坊の奥之坊、西之坊は今でも正信会僧侶が住み続けている(日蓮正宗は不法占拠と言うが裁判で生存中は住み続けることが認められている) 駐車場なし・安易に路上駐車していると駐車違反の取り締まりにあってしまう。電車で行った方がいい。



 

 

富士妙蓮寺本堂脇雑木林の中に隠されていた大石寺66世日達建立の池田大作絶賛記念碑

■一般社団法人仏教宗学研究会・日蓮正宗寺院・現地視察学習会27

 

□富士妙蓮寺本堂落慶法要の池田大作絶賛慶讃文を記念碑にした大石寺66世細井日達法主

 

さて、今回の現地視察学習会のポイントは、1974(昭和49)104日に除幕された池田大作絶賛慶讃文の記念碑である。富士妙蓮寺の本堂(御影堂)は、大正初年に廃堂になって以来、本堂がなかった。今も富士妙蓮寺の「勤行会」をはじめ、各種法要は客殿で行われている。

その本堂(御影堂)が、1974(昭和49)32日、法華講総講頭・創価学会会長・池田大作の発願、創価学会の寄進供養により落慶。その落慶慶讃法要に親修した大石寺66世細井日達法主が、慶讃文の中で、池田大作を激賞・絶賛した。云く

「この大行尊霊去りて六百四十二年、昭和四十九年今また大行尊霊に継ぐ大篤信の偉人あり、それ法華講総講頭池田大作なり。今や此の人により宗門は総本山を初め各本山及び末寺に至るまで廃れるを起こし新寺を建立し信徒は日々に増大し一躍大宗門の名により世界に周知せらるるに至る。之れ池田大作の信心の威徳功績のいたす所にして全く昭和の大行尊霊とも云いつべし。日達妙蓮寺本堂新築再建慶讃の式に当たり御宝前に総講頭池田大作の徳行を称え…」

 

188-189
 

(197432日富士山妙蓮寺本堂落慶入仏法要・慶讃文)

 

1974.3.3妙蓮寺本堂落慶法要
 

(富士山妙蓮寺本堂落慶入仏法要を報じる197433日付け聖教新聞)

大石寺66世細井日達法主がこれだけ慶讃文の中で、池田大作を激賞・絶賛したのに、池田大作は当日の落慶入仏法要を欠席。その4日後に池田大作が富士妙蓮寺に参詣している。そして白梅の記念植樹をしている。

 

1974.3.7池田大作・妙蓮寺参詣


1974.3.8妙蓮寺植樹


1974.2.18妙蓮寺1(聖教新聞)
 

(池田大作の富士妙蓮寺参詣を報じる197437日付け聖教新聞)

それから12年後の1986(昭和61)8月、大石寺での創価学会夏季講習会で、池田大作は富士山妙蓮寺本堂落慶入仏法要を回顧して、こんなスピーチをしている。

「…新築なった妙蓮寺本堂を参詣させていただいたのである。その折りに妙蓮寺の住職であった漆畑日広先生が大変に喜んでくださり、また、庭に白梅を記念植樹させていただいたことは、忘れられない」

「法要の折の日達上人の慶讃文は、記念碑としてそのまま妙蓮寺の境内に建立させていただくことになり、昭和四十九年の十月九日に除幕された。この記念碑の裏面には、

うぐいすも 桜も祝う 妙蓮寺

という、拙い句であるが、刻ませていただいた。この句の脇書には、『本山妙蓮寺第四十四代 漆畑尊能師に捧げる』とある」

(198685日付け聖教新聞)

 

1986.8.5妙蓮寺本堂落慶・池田大作絶賛慶讃文石碑
 さらに199052日付け聖教新聞には、199051日の大石寺大客殿での大行尊霊法要のあと、池田大作が富士妙蓮寺に参詣。197410月に大石寺66世細井日達法主が建立した、池田大作絶賛慶讃文をそのまま刻んだ記念碑が写真で掲載されている。

 

1990.5.1池田大作・妙蓮寺参詣
 

(199052日付け聖教新聞)

 

 

 

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2019年2月21日に行われた仏教宗学研究会の日蓮正宗本山・富士妙蓮寺・現地視察学習会

■一般社団法人仏教宗学研究会・日蓮正宗寺院・現地視察学習会26

 

□長年の風雨で堂宇の木が古くなっていた1974年、創価学会の供養による再建の御影堂(本堂)1986年再建の日華堂

 

2019221日に一般社団法人仏教宗学研究会で行った日蓮正宗本山・富士妙蓮寺・現地視察学習会の時の見聞記になります。仏教宗学研究会・現地視察学習会のレポートは、一般社団法人設立以前の公式行事、設立以降の公式行事も含めて、通常は「一般社団法人仏教宗学研究会・公式ブログ」にアップするのでありますが、富士妙蓮寺も、富士門流本山であると同時に、日蓮正宗本山寺院でありますので、「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」にアップいたします。

「アンチ日蓮正宗」管理人が、富士妙蓮寺に行ったのは、20095月に、仏教宗学研究会でマイクロバスを借り切り、静岡県富士宮市の寺院参拝会、富士宮御穴見学会を行って以来、実に10年ぶりのこと。ただしこの時は、1日に数カ所を訪問したため、富士妙蓮寺での時間がなくなってしまい、ゆっくりと寺跡調査が出来ず終いになった。その前の訪問は、1990年代のときで、富士妙蓮寺住職(貫首)は、先代の吉田日勇氏であった。すでに「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」に書いているが、その時は富士妙蓮寺客殿の「勤行会」に参拝し、客殿内をいろいろ見学したときである。その時に富士妙蓮寺客殿の板曼荼羅本尊を間近に見学している。

何度も富士妙蓮寺に来ているのだが、基本的に一見して寺院の伽藍は、ほとんど変わりがない。大石寺は、ここ20年の間に、奉安堂が建ち、六万塔・新六万塔が移転し、御影堂が修復され、塔中坊のほとんどが建て替えになり、常来坊、常灯坊、登山事務所、法華講事務所(旧登山センター)も建て替えになり、伽藍が大きく様変わりしたが、富士妙蓮寺は、ほとんど変わりがない。

変わったと思われるのは、御影堂(本堂)と日華堂が、かなり古ぼけたことぐらいか。

御影堂(本堂)は、1974(昭和49)年、池田大作の発願、創価学会の供養、寄進によって再建された堂宇。日華堂は1986(昭和61)年に富士妙蓮寺が再建した堂宇。どちらの堂宇も、1990年代のころは、まだ堂宇の木がまだ目新しさが残っていたが、あれから20年以上の歳月が経ち、今はもう、木が長年の風雨で、古くなっていた。1995年に富士妙蓮寺に行ったときに、もらってきた小冊子「本山妙蓮寺」に、当時の御影堂(本堂)、日華堂の写真が載っており、今の写真と比較すると、その違いがよくわかる。

 

御影堂2
 

(今の富士妙蓮寺本堂)

 

富士妙蓮寺14本堂
 

(1990年代のころの富士妙蓮寺本堂・小冊子「本山妙蓮寺」より)

 

日華堂1
 

(今の日華堂)

 

富士妙蓮寺13日華堂
 

(1990年代のころの日華堂・小冊子「本山妙蓮寺」より)

 

 

 

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今や完全に大石寺の一末寺と化して名前だけの日蓮正宗本山となってしまっている讃岐本門寺

■一般社団法人仏教宗学研究会・日蓮正宗寺院・現地視察学習会24-2

 

□今や完全に大石寺の一末寺と化して名前だけの日蓮正宗本山となってしまっている讃岐本門寺

 

讃岐本門寺は、正式名を「高栄山本門寺」といい、寺格は「日蓮正宗本山」である。日蓮正宗の末寺は、通例は「日蓮正宗△△山○○寺」と呼ぶが、讃岐本門寺は、「日蓮正宗本山高栄山本門寺」とか「日蓮正宗本山讃岐本門寺」と呼び、日蓮正宗と山号寺号の間に「本山」号を付けることが許されている。日蓮正宗の現末寺の中で、本山号が許されているのは、讃岐本門寺と九州宮崎県日向市・日知屋山定善寺(日向定善寺とも呼称)、静岡県富士宮市・大石寺近郊にある多宝富士山妙蓮寺(富士妙蓮寺・下条妙蓮寺とも呼称する)の三ヶ寺だけ。

 

讃岐2
 

(日蓮正宗本山本門寺)

かつて富士門流八本山のひとつ・保田妙本寺が1957年から1995年までの38年間、日蓮正宗に合同していた時代があり、この時代、保田妙本寺は「日蓮正宗本山妙本寺」と名乗っていた。----日蓮正宗から離脱した後は、「大本山妙本寺」と名乗っている------

 

保田妙本寺三門1(日蓮正宗時代)
 

(日蓮正宗時代の保田妙本寺・日蓮正宗本山妙本寺と名乗っていた)

「本山」を名乗る寺院は、塔中、末寺を持っており、讃岐本門寺も塔中・末寺がある。-----東京・向島の常泉寺も、かつて塔中・末寺を持つ本山格の寺院であったが、常泉寺は「本山」を名乗ることは許されていない。ただし常泉寺は、31等級に分けられている日蓮正宗末寺の中で、最上位の「1等」寺院である。-------讃岐本門寺の塔中は、境内地内にある「内塔中」の法善坊、泉要坊、奥之坊、西之坊。境内の外にある「外塔中」の中之坊、西山坊、宝光坊、上之坊の八ヶ坊。そして妙行寺、福成寺が讃岐本門寺の末寺だった。これら塔中・末寺10ヶ寺を統括する本山・讃岐本門寺住職は「貫主上人」とか「貫首上人」と呼ばれ、檀家は「大坊さん」と呼んでいた。そして讃岐本門寺の貫主、塔中・末寺住職の人事は、全て讃岐本門寺で決めていた。

 

讃岐18大坊1
 

(讃岐本門寺大坊)

1946(昭和21)年に讃岐本門寺と塔中・末寺10ヶ寺が日蓮正宗に合同した当初のころは、讃岐本門寺の貫主、塔中・末寺住職の人事は、まだ讃岐本門寺で決めていた。しかし次第に人事権は、大石寺に奪われていき、内塔中も外塔中も妙行寺、福成寺も、完全に人事権は大石寺が握り、今や大石寺の末寺と化している。讃岐本門寺と塔中・末寺の人事を完全に大石寺が握る大きな機縁になったのは、大石寺66世日達、大石寺67世日顕による讃岐本門寺住職兼任である。

今、讃岐本門寺の住職は「貫主」「貫首」「上人」とは呼ばず、「住職」である。したがって実態としては、讃岐本門寺も塔中・末寺も完全に大石寺の末寺である。

ただし、内塔中の泉要坊は大石寺直系僧侶・横田雄仁氏が住職を勤めているが、西之住職・村山泰道氏、奥之坊住職・松本珠道氏は、日蓮正宗正信会の僧侶であり、大石寺の支配が及んでいない。法善坊は現在、住職無住である。外塔中の中之坊住職は石田説道氏、西山坊住職は白井照研氏と大石寺直系僧侶が住職であるが、宝光坊、上之坊は住職無住である。

 

讃岐境内図2
 

(讃岐本門寺境内図)

 

 

 

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2016年11月22-23日に行われた仏教宗学研究会の日蓮正宗本山・讃岐本門寺・現地視察学習会

■一般社団法人仏教宗学研究会・日蓮正宗寺院・現地視察学習会24

 

□本堂や開山堂に多額のお賽銭が投げ入れられるほど多くの人が参詣する讃岐本門寺御会式

 

20161122-23日に仏教宗学研究会で行った讃岐本門寺・現地視察学習会の時の見聞記になります。仏教宗学研究会・現地視察学習会のレポートは、一般社団法人設立以前の公式行事、設立以降の公式行事も含めて、通常は「一般社団法人仏教宗学研究会・公式ブログ」にアップするのでありますが、讃岐本門寺は、富士門流本山であると同時に、日蓮正宗本山寺院でありますので、「アンチ日蓮正宗・オフィシャルブログ」にアップいたします。

「アンチ日蓮正宗」管理人が、讃岐本門寺に行ったのは、瀬戸大橋開通の1988(昭和63)年以来、28年ぶりのこと。前回の訪問旅は、東京発高松行きの寝台特急・瀬戸号に乗っての旅。帰りも、寝台特急・瀬戸号でした。今回は、羽田空港発・高松空港行きの航空機旅。帰りも航空機で羽田まで帰りました。高松市内のホテルで宿泊。

翌日、高松市内のレンタカー店で、レンタカーを借りて讃岐本門寺へ。前回の1988年の訪問は、JR高松駅から電車で行き、JR予讃線のJR高瀬大坊駅という無人駅で下車。今、この駅はJRみの駅という名前に改称されています。

 

讃岐2


みの駅2


みの駅7
 

(JR予讃線・旧高瀬大坊駅・みの駅)

讃岐本門寺の御会式は、毎年1122日御逮夜、23日御正当と決まっている。これは、総本山大石寺の御大会が毎年1120日御逮夜、21日御正当と決まっていることを受け、この大石寺御大会につづいて、讃岐本門寺の御会式が行われている、というもの。

 

讃岐8


讃岐11
 

(讃岐本門寺・三門・御会式)

 

そして、この讃岐本門寺の御会式の期間中、「大坊市」と呼ばれている賑々しいテキ屋の出店が建ち並ぶ。今回の現地視察学習会の目的のひとつが、この「大坊市」で、「讃岐本門寺の境内の周辺に出店が並んでいるのかな」と思っていたところ、何と讃岐本門寺の境内の中に出店が並んでいました。ただし全ての出店が境内地内にあるわけではなく、境内の外側にも、たくさんの出店が並んでいました。テキ屋の出店で売られているものは、関東をはじめ全国各地の祭礼におけるテキ屋の出店で売られているものと、ほとんど大差がないように思う。昼間から、かなり大勢の人で境内は賑わっていました。

 

讃岐19テキ屋1


讃岐19テキ屋2


讃岐19テキ屋6


讃岐19テキ屋5

 

(大坊市)

 

讃岐本門寺の境内は、東方から本堂(御影堂)、客殿、大坊と並んでいて、これは大石寺、富士妙蓮寺、小泉久遠寺、北山本門寺、伊豆実成寺と共通している。西山本門寺は、現在は本堂がなく、客殿が本堂を兼ねているが、かつて本堂があった場所を勘案すれば、西山本門寺とも共通する。

今回は、本堂の板本尊を写真撮影することができたのですが、板本尊の前に日蓮御影像が置かれていて、板本尊がよく見えませんでした。板本尊の前に日蓮像を置くのは大石寺御影堂や日蓮宗寺院でもよく見かけます。----身延山久遠寺祖師堂や池上本門寺大堂など-------

本堂の中の造りも、大石寺御影堂、北山本門寺御影堂などと実によく似た造りになっている。

 

讃岐16本堂2


讃岐16本堂1
 

(讃岐本門寺本堂)

 

讃岐境内図2
 

(讃岐本門寺の境内図)

 

 

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長倉日延氏、光久日康氏死去でも不都合な歴史に蓋をして隠そうとしている日蓮正宗

□河辺メモ事件の札幌転任、長男の日蓮宗教学研究発表大会の研究発表で有名な長倉日延氏

 

日蓮正宗の宗規第72の規定によれば

「法主は、能化のうちから次期の法主を選び血脈を相承する。但し、特に相当と認めるときは、大僧都のうちから選び血脈を相承することができる。」

とあり、さらに第8条によれば

「法主は、必要と認めるときは、能化又は大僧都のうちから次期法主の候補者として学頭を任命することができる」

とある。つまり生前に日号・院号を名乗ることが許される能化は、次期法主の第一候補、次が能化以外の教師僧侶の最上位である大僧都ということになる。20161231日現在、佐藤日学(大石寺百貫坊住職・大石寺主任理事・参議会議長)、長倉日延(北海道札幌市・日正寺住職・宗務院財務部長)、佐藤日栄(川越市本種寺住職・寺族同心会会長)、藤本日潤(東京・常泉寺住職・重役)、八木日照(東京・法道院主管・総監)、光久日康(東京・妙縁寺住職・監正会会長)、前川日秀(東京・華王寺住職)、土居崎日裕(東京・妙光寺住職・宗会議長)、舟橋日謙(東京・宝浄寺住職)、秋元日高(東京・宣徳寺住職・宗務院庶務部長)、高野日安(京都・平安寺住職・布教師会会長)11人の能化僧がいた。このうち、2017年の1年の間に、前川日秀氏、長倉日延氏、光久日康氏の3人が死去。現在、生存している能化は8人である。

2017724日、日蓮正宗宗務院財務部長・長倉日延氏が77才で死去した。長倉日延氏の能化昇進以前の僧名は、長倉教明。1980(昭和55)1016日、大石寺67世阿部日顕法主(日蓮正宗管長・代表役員)から宗務院財務部長に任命されて以来、何と37年の永きにわたって財務部長を勤めた。その功労で、2015221日、能化に昇進した。宗務院財務部長での能化昇進は異例で、前任の丸岡雄道氏、能勢順道氏、水谷慈嶽氏、落合慈仁氏、矢崎豊道氏、大村寿道氏は、いずれも能化に昇進していない。長倉日延氏以前の財務部長経験者で能化に昇進したのは、前川日順氏(前川日秀氏の父親)だけではないかと思われる。

長倉日延(教明)氏は、1966(昭和41)年に実行寺住職に任命されて以来、大石寺三之坊住職、大石寺本住坊住職、仏土寺住職、大願寺住職、日正寺住職と歴任。1992(平成4)11月、今の大石寺68世日如法主の後任として大願寺住職として赴任したが、1999(平成11)年の、いわゆる「河辺メモ事件」の「とばっちり」で、北海道札幌市・日正寺に“飛ばされて”しまった。

又、長倉日延(教明)氏の長男である現大石寺雪山坊住職・長倉信祐氏は、日蓮宗現代宗教研究所が主宰する「日蓮宗・教学研究発表大会」に何度も登壇して研究発表をしていることで、日蓮宗では有名である。現代宗教研究所とは日蓮宗の内部機関で、教学発表大会はもちろん日蓮宗の行事である。プログラムの最初に「法味言上」と言って、日蓮宗の本尊に題目三唱してから、教学発表大会がはじまる。。日蓮宗の行事なのだから、当然、こういうプログラムがある。大概、こういう場合は、日蓮宗の曼荼羅が祀られて、全員で題目三唱する。当然のことながら、日蓮正宗僧・長倉信祐氏も、他の日蓮宗僧といっしょに、日蓮宗の曼荼羅本尊に向かって、日蓮宗の「南無妙法蓮華経・なむみょうほうれんげきょう」と唱えたことであろう。かつて「謗法厳戒」「他宗派参詣禁止」をエラそうに説いていた大石寺石之坊信徒・龍神ひろしに対して、「アンチ日蓮正宗」がこの件を質問したところ、何の返答もせずに逃亡してしまった。長倉日延氏の葬儀で、何人かの僧侶、信徒が弔辞を読んでいるが、「河辺メモ事件」による北海道転任や長倉信祐氏の「日蓮宗・教学研究発表大会」での発表の件については、誰も全く触れていない。触れたくないのだろうか(??)

 

24長倉日延(教明)死去1


24長倉日延(教明)死去2
 

(日蓮正宗宗務院財務部長・長倉日延氏葬儀を報道する日蓮正宗宗務院機関誌「大日蓮」)

 

9第65回大会1


10第65回大会2


6長倉信祐・日蓮宗第68回大会1
 

(長倉信祐氏が登場した「日蓮宗・教学研究発表大会」プログラム)

 

 

 

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