学会員向け

池田先生「出勤は余裕をもって」

青年抄より

私は、朝は、定刻の一時間前くらいには出社して、机や椅子を掃除することにしていた。

誰から言われたことでもないのであるが、社会人としての第一歩を踏み出したということで、大いに張り切っていたからなのだろう。





朝はギリギリまで寝ていたいのが人情ですが笑、ギリギリの出勤だと時間にも余裕がなく、少しトラブルがあるとすぐ遅刻になってしまいます。

早めに出勤して机でもふいていれば、ちょうどいいウォーミングアップにもなり、始業からトップギアでスタートできます。

日々の勤行においても、お題目の前にあえて釈迦の法華経を読むのは、ウォーミングアップの意味があります。

何事も、ピークに持っていくには準備が必要です。仏法即生活法なのです。


池田先生「同情ではなく理解せよ」

女性に贈ることば365日より

大切なことは、相手に同情する(あわれむ)ことではなくて、分かってあげることです。

理解することです。





「正しく理解する」

これほど大切なことはありません。

病院に行って、症状を説明し、医者に同情してもらっただけでは、患者にとって何の救いにもなりません。

患者が求めているのは、症状を正しく理解してもらった上で、具体的な治療を受けることです。

同情で悩みは解決しません。

部員さんの抱える悩みは千差万別です。話もろくに聞かず、一方的に指導するだけでは、幹部の資格はありません。

中には、大事な話を覚えていない幹部もいますから、始末に負えません。

特に「祈りが足りない」という指導は、部員さんをバカにしています。悩みの当事者が、死に物狂いで祈っていないわけがありません。

何もできないのであれば、せめて「私からも題目を送ります」と言うほうがよほどマシでしょう。



池田先生「女性は女性らしく」






こころに響く言葉より

女性解放運動は男女の人間的な価値の平等と、社会に進出する機会の平等とに立脚すべきであり、女性が男性化することにその目標が置かれるべきではないと思う。

それは女性の人間としての価値を損ずることであるとさえいえよう。






長い髪やスカートを捨てることが、男女平等ではありません。

もちろん、男性がスカートを履くことが男女平等でもありません笑

男女の差異を否定するのは全体主義であり、個性を無視する画一主義です。

そうではなく「女性らしさ」と「男性らしさ」の価値を平等に認めることが、真の男女平等です。

女性が男性化されるのではなく、男女ともに中性化されるのでもなく、女性は女性らしく、男性は男性らしく生きられるのが仏国土です。

決して伝統的な「おしとやかさ」や「奥ゆかしさ」などが否定されてはいけません。

女性に雄々しさ、猛々しさを強いるようなことがあってはならないでしょう。





沖縄広布の礎を築いた一人の折伏女王






湖城登美は1920年、那覇の大地主の家に生まれ、一族の神子(巫女)として育てられました。

様々な事業を手がけましたが、知人の保証人を引き受けたため、当時で22万ドルもの負債を抱えてしまいます。

息子の色弱にも悩み、45歳の時、先祖伝来の崇拝を捨てて日蓮大聖人に帰依します。まさに人間革命でした。

一族の神子がヤマトゥガミに入ってしまったので、周囲からは猛反対されましたが、90人近くに弘教し、コテージ経営で経済革命にも成功しました。

反戦出版「沖縄戦・母の祈り」にも、12頁に渡って手記を掲載しています。

組織では名護の婦人部長として長年貢献してきました。

折伏こそ学会の命です。青年たちは、このような本物の「開拓の闘士」をお手本にしなければならないでしょう。




師匠も病と闘っていた







「人生の座標」より

今振り返ると、必ずしも健康に自信が持てなかったからこそ、限りある命の時を惜しみ、なすべきことを成し、いやなさねばならないことを自身に課して、今日まで、必死で前へ前へと進んでこられたのであろうと思う。





池田先生は若いころ肺を病んでいて、医師から「30歳まで生きられない」と言われたほどでした。

残された写真を見ても、かなり痩せていることが分かります。

肝心なのは、その病弱なお体のままで闘い抜き、学会の基盤を築かれた事実です。

祈りは奇跡を起こすのです。



確かに病気であればできることは限られてきますが、その中にあなたの使命が必ずあります。

まして、健康な青年が闘わないのは、怠慢でしかありません。

完全燃焼の闘いをやり抜いていきましょう!




元ホームレスが世界王者に!








フランシス・ガヌーは、カメルーンの貧しい家に生まれ、6歳の時に両親が離婚して親類に育てられました。

授業料が払えず、学校もろくに通うことができませんでした。

12歳から砂の採取場で働きはじめ、26歳の時にプロボクサーを志してヨーロッパに渡ります。

難民としての旅が、1年も続きました。文字通り、ごみ箱をあさることもあったそうです。

しかし、不法入国だったために収監され、その後はパリでホームレスになってしまいました。

半生を見る限り、ガヌーは世界のどこにでもいる、途上国出身の不遇な若者のひとりに過ぎませんでした。

しかし彼は、自らを見捨てませんでした。飛び込みでジムと交渉し、無料でトレーニングさせてもらう約束を取り付けます。

その後、総合格闘技ジムのオーナーに素質を見込まれて住居も探してもらい、ホームレス生活を脱しました。

アスリートとしては遅いスタートでしたが順調に白星を重ね、30歳を目前にして世界最高峰の格闘技団体UFCと契約。

強豪を次々と撃破し、34歳にして最強王者ミオシッチをKOで下し、見事世界ヘビー級王者となったのです。ホームレスとなってから、8年後の事でした。

青年の可能性は、無限大です。決して、一時的な挫折で将来を悲観してはいけません。

かのディズニーもエジソンも、青年時代にホームレスを経験しています。しかしそれは人生の終わりではなく、世界を変える偉大なキャリアの始まりだったのです。

今、この瞬間が久遠元初です。時間は未来だけに向かって突き進んでいきます。過去など関係ありません。

また、大人たちは不遇な青年への助力を惜しんではならないでしょう。






これまで一度たりとも自分の過去を恥じたことなどない。

同時によく分かっているんだ。多くの人が自分が経験したのと同じような苦境にいて、つらい思いをしていて、世の中の最低水準に達しない幼少時代を送っている。


人生がフェアじゃないのは、君のせいじゃないんだ。

時として君は、このフェアじゃない人生を“自分がいけないんじゃないか”って思う時があると思う。でもそうじゃない。 子ども時代に叶わないいろんなこと、たとえばあるスカラシップ(奨学金制度)に応募して落選したからといって、それは君のせいじゃない。

そこは両親がきちんとチャンスを与えられないことが問題なのであって、君に責任はない。

履く靴がない、それは君のせいじゃない。ペンだとか、いろんなものを持ってない、それも君のせいじゃない。

とにかく今の自分にできるベストを尽くして行動するしかない。



(2021/3/27世界王座獲得インタビューより)





こうした偉大な青年を日本のメディアがほとんど取り上げないのは、あまりにも残念です。

池田先生「反逆するか、成長するか」







池田先生を10年以上に渡って随行取材した聖教新聞社・白井昭記者による、最も印象深い先生の言葉です。



私の指導は本質を突いている。

反逆するか、成長するか。

厳しく言えば、そのどっちかだ。

(熊本文化会館階段の踊り場にて)




池田先生の目を「生命の底まで見通されるような眼差し」と表現する人は多いですが、事実先生は、弟子の生命の本質を一瞬で見極め、急所を突いた指導をされていたのでしょう。

人間、図星を突かれると感情的になるものです。

そこで、純真に信心を貫いているか、組織理由に堕しているのか、明白になります。

邪信の幹部には、すぐに信心を正すか、出て行ってもらわないと困ります。

事実、これまでにも数多くの幹部が反逆し、先生の元を去っていきました。その全てが、師匠へのくだらない嫉妬が原因だといっていいでしょう。

広布のリーダーは、常に提婆達多との対決を避けることはできないのです。






池田先生「恋愛について」

人生の座標より



浅く安っぽい人間には、浅く安っぽい恋愛しかできない。



恋愛に逃避しても、実際には、楽しいことばかり続くはずがない。

だんだん苦しいこと、悲しいことが増えてくる。

どんなに逃げても、自分からは逃げられないからです。



恋愛はある意味で「ブレーキの無い車」に乗ってしまうような面がある。

降りたいと思っても降りられない。

後悔しても、車は止まらない。

最大に不自由な自分になっていることが少なくないのです。



素晴らしい恋愛は、誠実で成熟した「自立した個人」と「自立した個人」の間にしか生まれない。






もちろん恋愛否定は人間性の否定であり、論外です。下等な小乗経の教えです。

かといって、恋愛そのものを人生の根本にするのは違います。

人はすべて1人で生まれ、1人で死んでいきます。それを自覚できて初めて、人生の伴侶に対する無限の感謝が湧いてきます。

それがたとえ片想いであっても、この世に恋愛する相手がいること自体、有難いことです。

最高の恋愛をするための信心なのです。






池田先生「適齢期は人によって違う」

新婦人抄より

(結婚)適齢期は、決して肉体的な年齢だけで決まるものではない。

精神的なものとか、その人の立場、境遇、さらには宿命の問題等が総合されて、その人なりの適齢期があるということです。

問題は、いくつで結婚するかではなく、いつ結婚するかである

人と比較して早いとか遅いとかではなく、自分自身にとって幸せな結婚かどうか、ということです。





日本人は世界一横並び意識が強い民族なので、平均より結婚が早すぎたり遅すぎたりすると、不安を感じがちです。

しかし、人生はきわめて個性的なものなので、平均に合わせても幸せになれるかは分かりません。

「子どもは必ず3人ほしい」という女性は、遅くならないほうがいいだろうし、若いうちはキャリアを優先したい人もいるでしょう。

そのどれもが正しいし、100%の正解もありません。

そこが結婚というか人生の難しさであり、妙味でもあります。




池田先生「時に応じた修行をせよ」

女性に贈ることば365日より

恩師・戸田先生「晴れの日も、雨の日も、曇りの日も、同じことをするのは愚かである」

その日、その時に応じて、最も価値的な行動を起こしていくことが大事である。





コロナ禍においては、直接人に会うこと、会合に参加すること、特に唱題会などは絶対のタブーです。

特に今の学会は高齢の会員も多く、クラスターが発生すれば即人命にかかわります。

幸せになるための信心で、犠牲者が出ることは絶対に避けなくてはなりません。

マスクをつけていると油断しがちですが、マスクはあくまで感染リスクを下げるだけであり、ゼロにすることはできません。

できる限り直接対面を避けることが、決定的に大切です。

今できることを見極め、聡明に仏道修行に励んでいきましょう。