十界

【Youtube】「十界」で何が分かる?~the Ten Worlds~〔#313〕




十界論を改めて動画で解説したよ

みなさん、こんにちは。

さて、前回の記事で、ユーチューブチャンネルを作りましたよという話をしました。

なぜ作ったのかという、ちょっと長くなってしまった前置きを部分を前回、

そして、チャンネルの本体のご紹介を今回していこうと思います。

一発目は、「十界論」です。

なぜ十界論にしたのかというと、このブログの一発目も「十界論」でスタートしたからです。(自己紹介は除いて)

まさにこのブログの原点が「十界論」なのです。


ブログの原点であり、youtubeのスタート


ブログで「十界論」を書いた時のことを、今でもはっきり覚えていて、

「地獄界」から「仏界」まで書くのに1か月かかっています。

「ああ、もう自分は文章を書く力がないのか」と何度も辞めようと思いながら書き続けたものです。

この「十界論」を書くことで、自分が出来る範囲と、力が足りなくて出来ない範囲が何となく分かってきて、

理想としている形が出来るかできないかで悩むのではなく、今の自分のベストを出しきろうという、この後続く「英語で創価ブログ」のバックボーンができた瞬間でもありました。

そんな、思いがたっぷり詰まった私なりの「十界論」。

あくまでも、私の考える、私なりの「十界論」の捉え方ですが、

ぜひ参考にしてみてください。


ナレーションと字幕について


ナレーションの声は私です。笑。

ふふっ。ええ、いいんですよ。

だいぶすっとぼけた声なので心配しましたが、ナレーションだと思ってるより「ちゃんとしてそうな声」に聞こえます。笑。

字幕は、オプションで「英語」に切り替えることができます。

実は英語に訳すのに、かなり手こずり、一番時間がかかりました。笑。

どの口で「英語で創価」といっているのかと言われそうで、ど素人の日本人がつけたキャプションだと分かってしまうと思いますが、「ないよりはまし」だと思って頑張ってつくりました。

こういうたぐいのチャンネルの視聴回数は低いのは分かっているので、

まずは、100人。

「ともだち100人できるかな」という偉大な言葉にもある通り、まずは100人に届きますように。


それでは、みなさん。

素晴らしき人生を!


「十界論」のブログ記事はこちらから。

十界/the ten worlds その(1) 〔#002〕十界/the ten worlds その(2) 〔#003〕

「仏界」って結局何なの? 〔#158〕

「仏界」って結局何なの?
「仏界」って結局何なのか。


みなさん、こんにちは。

過去にこのブログでも「十界」についてご紹介してはいますが、

十界の中でも、特に「仏界」って説明しててもちょっと難しくありませんか?

何だかしっくりくる表現が見つからないといいますか、どうもやっぱり抽象的になってしまってイメージしにくいといいますか、

「菩薩界」までは流ちょうにベラベラしゃべっていても、

締めの「仏界」になったら、おいおい、さっきまでの勢いはどこに行ったんだって感じで急に小声になる感じで。笑。

仏の境涯って具体的には菩薩の振る舞いとして現れてくるものだと思いますが・・とかなんとか言って終わってしまう。

あともう一声、あともうちょっとピタッとあう表現がないかなあと思うのです。

そんな「仏界」イメージなのですが、

そういう消化不良のものって、無くし物と同じで、見つけようとして探してもなかなか出会わないものですね。笑。

今回はたまたま別件で読んでいたものに「仏界」のとても分かりやすい捉え方が書かれている箇所を見つけました。


こんな淡々と記事を今書いていますが、見つけた時は思わず天を仰ぎました。笑。

急に神が・・・いや、まんだらけが舞い降りてきた感じです。
(注。曼荼羅華(まんだらけ)とは仏が出現するときなどに天から降ってくる華のこと)


何といいますか、私の中ではこれが一番イメージしやすい「仏界」なのではないかと思いました。

・・・はい。

今回はそれをご紹介します。


先生のドンピシャな解説(1)



言葉で表現するのはむずかしい。「仏界」というのは、他の九界のような具体的なものではない。九界を無限の価値の方向へと動かしゆく本源的な生命の働きである
Buddhahood is difficult to describe in words. Unlike the other nine worlds, it has no concrete expression. It is the ultimate function of life that moves the nine worlds in the direction of boundless value.


曇天の日がつづいても、雨の日でも、ジェット機が高度1万メートルに達すれば、煌々と太陽が輝き、安定した飛行ができる。と同じく、現実の生活が、いかに苦衷にあっても、苦難の連続であっても、この胸中の太陽を満々と輝かせていけば、悠々と乗り越えていける。この太陽を、たとえて言うならば、「仏界」といえるかもしれない。
Even on cloudy or rainy days, by the time a plane reaches an altitude of about 33,000 feet, it is flying high above the clouds amid bright sunshine and can proceed smoothly on its course. In the same way, no matter how painful or difficult our daily existence may be, if we make the sun in our hearts shine brightly, we can overcome all adversity with calm composure. That inner sun is the life state of Buddhahood.


ひとつの次元から、「御義口伝」には、「菩薩とは仏果を得(う)る下地なり」(御書738㌻)とおっしゃっておられる。法のため、人のため、社会のために行動することが菩薩である。その菩薩という行動の土台なくしては仏果は得られない。観念では仏果は得られない。万巻(まんがん)の仏教の書を読んでも得ることはできない。
In one sense, as the Daishonin states in The Record of the Orally Transmitted Teachings, “‘Bodhisattva’ is a preliminary step toward the attainment of the effect of Buddhahood” (p. 87). The world of bodhisattva is characterized by taking action for the sake of the Law, people and society. Without such bodhisattva practice as our foundation, we cannot attain Buddhahood. Buddhahood is not something realized simply through conceptual understanding. Even reading countless Buddhist scriptures or books on Buddhism will not lead one to true enlightenment.


仏果を得たといっても、なんら姿が変わるものでもない。六道九界の現実社会のなかで、そのままの姿で生きぬいていくのである。神秘的な悟りとか仏というものは、真の仏法ではまったくない。
In addition, attaining Buddhahood doesn’t mean that we become someone different. We remain who we are, living out our lives in the reality of society, where the nine worlds—especially the six paths—prevail.A genuine Buddhist philosophy does not present enlightenment or Buddhas as something mysterious or otherworldly.


人間として大事なことは、低き境涯から、より高き境涯へ さらに、狭小な境涯から、無限の広がりの境涯へと進み、広がりゆくことである。その最極の一点の境涯が、「仏界」となるわけである。
What is important for us as human beings is to elevate our lives from a lower to a higher state, to expand our lives from a closed, narrow state of life to one that is infinitely vast and encompassing. Buddhahood represents the supreme state of life.

「幸福と平和を創る智慧」第1部(上)/ The Wisdom for Creating Happiness and Peace



戸田先生の解説_付録



本来、無量の生命力は、自身の内部にある。無限の知恵の泉は、わが胸中にある。それを、自在に涌現できるのが「信心」である
Within the depths of our lives, we each inherently possess boundless life force and a wellspring of infinite wisdom. Faith allows us to freely tap that inner life force and wisdom.

戸田先生は、よく言われていた。「自分の中にあるものが出てくるのだよ。無いものは出てこないぞ」と。
Mr. Toda often used to say: “What’s inside you comes out. What’s not there, won’t.”

強く清浄な仏の境涯も、弱く醜い地獄・餓鬼・畜生等の生命も、全部、わが生命にある。縁に触れて現れてくる。また、生命は三世にわたるゆえに、過去の宿業が、大きな悩みとして現れ出てくる場合もある。しかし、「苦悩」の因が「自分の中に」あるのと同じく、それをそのまま「幸福」へと転換しゆく力も「自分の中に」ある。
The strong and pure state of Buddhahood and the weak and base states of hell, hunger and animality all exist within our lives and are manifested in response to causes and conditions in our environment. Since life is eternal throughout the three existences of past, present and future, our past karma may also assail us in the present in the form of some major problem or suffering. However, just as the cause of suffering lies within our lives, we also possess the power to transform our suffering into happiness.

これが仏界の力である。
This is the power of the life state of Buddhahood.

結局、人間とは、どこまでいっても、戸田先生が言われたように、「自分の中にあるものが出てきた」ものである。それ以上でも、以下でもない。
As Mr. Toda declared, ultimately human beings are the product of what lies inside them, no more, no less.

「幸福と平和を創る智慧」第1部(上)/ The Wisdom for Creating Happiness and Peace



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はい。

どうでしたでしょうか。

今後「仏界」を説明しなくてはいけないシチュエーションの時には、是非このキレッキレの解説も参考にしてみてください。

仏が体現した尊極の境涯です!」・・・のもっと先を行けますよ。

では!


追伸)花粉症でえらい目がシュバシュバしてしまうのですが、

一度目が潤むと涙が止まらなくなってしまい、微妙なタイミングで滂沱の涙が出てしまいます。

コーヒーショップ屋さんで本を読んでて涙。

春のそよ風に涙。

おっさんのダジャレにも涙。

期間限定の劇場型人間です。