信心

「題目の人」こそ真(まこと)の仏子




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 私の支部や地区の方も、高齢に伴い、病との闘いを余儀なくされる方が多くおられます。ここ最近も数名の方がガンなどの病と闘っておられます。「生老病死」ですのでどなたも「四苦」を逃れることはできない。そんな中、私が感じているのは信心をしっかりとやってこられた方は厳然と護られているという事実です。

 ある70代の婦人もここ数年、三度、癌の手術を受けられましたが、見事に乗り越えて今またパートの仕事に出ておられます。またある壮年は今年から週三回の透析を受けねばならない身となられましたが、笑顔で同志を励まし、以前よりも元気に活動しておられます。

 お二人に共通するのは「題目の人」と言うことです。婦人はまた支部地区の拠点として長年、自宅を開放されてきました。その功徳は厳然というほかありません。病はありますが、「生老病死」に負けない姿こそ御本尊の偉大な力の証明だと、私も「題目の人」であらねばと自戒しています。

 また先日も我が本部の副女性部長の方が70代でお亡くなりになりました。今の時代では早逝と言えるかもしれませんが、拝見したお顔の相はそれはそれはきれいな相でした。ふっくらとしたお顔はいくらか薄紅色に輝いて微笑んでおられるようでした。「きっと来世はどこかの国の王女様で生まれてきてやで」・・・と、そんな婦人部の声も聞こえました。

 
 組織では今、「新・人間革命」第8巻の「宝剣の章」を学んでいます。そこには福島源次郎や山崎正友といったのちに学会を裏切っていった悪党が出てきます。二人に共通するのは体内に潜む野心・野望という、どす黒い魔性に自らの信心を食い破られ、心を支配された人間だということです。

 池田先生は誰よりも二人を心配し、気にかけて薫陶されてこられました。しかしながら自らの魔性の毒牙を制圧することはできなかった。生命は素晴らしい反面、恐ろしいものです。そういう反面教師のような人間が現れるのも末法であり、これも経文通りというほかありません。

 冒頭に書いた我が支部のお二人は、世間の名誉も地位もない方々です。東大や京大を出たエリート肌の福島、山崎の対極の人物と言っていいと思います。そして来る日も来る日も目立たないところで題目をあげ、広布のために長年戦ってこられました。

 後生はこのお二人こそ仏となって日蓮大聖人様のお褒めにあずかれる。一方、福島、山崎らは再び提婆達多の生命を帯びて、仏の軍勢を苦しめ、自ら苦海に沈む生命となって出てくることでしょう。法華経の因果は骨髄に沁みていくものと思います。

 信心は表面的な姿ではわからない・・・人は騙せても御本尊様はすべて御見通しです。そこに面白さがあります。長い目で人を見ていかなければなりませんし、その人の裏の顔を見抜かなければなりません。戸田先生は牢獄に入っている間、自身の事業が苦境の時、人がどんな言動や行動をとったか・・・すべて報告を聞かれたそうです。

 私も今、池田先生が目の前におられたら、まっすぐに先生の目を見つめ、「広宣流布に生きていきます」と、そう言える自分でありたいと思います。またういう自分かどうか、常に確かめながら前進したいものです。


 「題目を唱えられること自体が、最高の幸福であることを確信してください。信心とは何があっても御本尊から離れないことです。」(池田先生)

 題目をあげゆく人こそ真(まこと)の仏子であり、世間の信用も現れ、一生成仏の軌道に入っていける。この先生の指導を身で味わいながら、私も「題目の人」となって来年へ出発です。今年一年を土台として、「勇猛精進」の心意気で、明年へと跳躍してまいります。





仏の慈悲は厳父の如く



 今年一番の戦いであった法戦も終わり、11.18から間もなく師走、はや一年の総仕上げの時を迎えました。私も法戦を戦い、地域の同志ともに今までにない勝利を勝ち取ることができました。先生に勝利をお届けするとともに、悔いなく戦えたことをうれしく思います。

 悩みはあれどもこの身を広布に投げ打って戦っていく・・・そこに何ものにも負けない盤石の人生が築かれていくことを確信します。じわじわと知らず知らず良くなっていく・・・それが法華経の冥益というものではないでしょうか? 途中はいろいろとあることでしょう。しかし最後は必ず勝利する。苦しい中を大変かもしれませんが、池田先生は「自分が強くあれば、何があってもたいしたことではない」と断言されています。


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 悩みや難は自分を強くするための試練であり、決して厭うべきものでも恐れるものでもない。信心さえ強ければ乗り越えていけるし、それらは自分の使命を果たすために願ったものと指導にあります。「宿命を使命に変えて」とはまさにそのことです。悪しき宿命が出たということはいよいよ本当の信心をする時が来たという励ましに違いありません。。

 そして苦しみが大きければ大きいほど、その人の境涯革命も見事なものとなり、仏の生命として開花することでしょう。今、苦悩のどん底にあって妙法を抱きしめて戦いゆく人、あなたこそ選ばれて仏になる人です。そのことが腹に入れば、その時から歓喜の生命となります。

 ライオンは子供を強くするためにいったん子供を谷底に突き落とすと言われます。そしてそこから這い上がることで子供を鍛え、生き抜く生命力を持たせるのです。仏様も同じではないでしょうか?衆生を一度谷底へ落とし、そこから妙法で立ち上がり這い上がることで、自身の胸中にある仏の生命を教えようとされる。欲しがるものを次々与えるようではその子は強くなれない。それではいつも甘えた根性が沁みつくだけの弱い子になってしまいます。

 仏の慈悲は厳父の如く・・・敢えて弟子を厳しい試練に立たせ強い人へと鍛え上げる。仏とはもっとも強き人です。竜の口の首の座で、はたまた極寒の佐渡にあっても歓喜にあふれる強靭な生命力。戦時下の2年間の牢獄生活に耐えて75万世帯もの折伏をなす巌窟王の生命力・・・その強き生命力こそ仏の生命です。我ら弟子もその強き生命力を獲得しなければならない。それでこそ悠々と三世の幸福を満喫できるのだと言えます。

 かつての私も信心したらいいことばかり起こるものと思っておりました。ところがそうではなかった。(笑)出るわ出るわ・・・次々と水道のホースから濁った垢やヘドロが出るばかり・・・どこに私の幸せがあるのだろうと思ったものです。しかし粘り強く苦難と戦ううちに、それらに負けない強い人になってきました。そして池田先生とともに広宣流布に生きたいと、それだけを願うようになりました。それで私は幸せです。

 今、私も毎日同じことの繰り返しです。朝一番の聖教配達、勤行唱題。学会活動に家庭訪問。友の激励に折伏行・・・日々のその地味な戦いを耐えて最後までやり遂げるならば、現実に勝利することは間違いないことでしょう。


 明年に向かい有終の美を飾る師走の戦いに、私も今一度唱題行を根本にやっていこうと思います。苦があるからこそ楽しい、そう言える強い心で出発です。





題目と広宣流布の人生を!



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池田先生のご指導です。

「生命が広宣流布の使命に燃える時、苦悩の闇は消え去る。
現実は昨日と同じであっても、一念の転換は境涯を変え、わが世界を変えるのだ!」

「御本尊があるではないか。御本尊を忘れるな!
燃え上がる信心でなければ、祈りは叶わない。苦難に真正面からぶつかって祈りぬくのだ。」


 生きている以上、様々な悩みがあるのが現実です。「あれも苦しい、これも心配だ・・・」と、そんな悩ましい顔ばかりで生きていても歓喜は湧いてきません。

 どうすれば楽しく歓喜あふれる生命となるのか・・・結局、広宣流布に生きる生命になるしかないというのが答えです。その境地に立って活動していくなら、昨日と同じ環境であっても、歓喜あふれる仏の生命となり、やがて周囲の環境をも変えていく事ができると仰せです。

 その意味で悩みがいくらあっても構わない・・・波乱万丈の人生であっても常に勝利の心でまた負けないで生きていく事ができる。私も今、そのことを強く実感しています。

 悩みから抜け出せない方がおられたら「広宣流布のために命を賭けて戦ってみようよ。その人を御本尊様が、諸天善神が見捨てるわけないじゃないか!」と教えてあげたいと思います。


 ちょうど今、法戦のさなかでこちらでは地方選もあり、私も地域のリーダーとして獅子奮迅で戦っています。率先して歩き、また外部の方に語りながら、部員さんを励まし、一人も漏れないように家庭訪問や会合に力を注いでやっています。

 悩む暇があるなら行動! 自分自身が広宣流布の使命に燃えて立つなら、苦悩に埋没することはありません。それらを燃料にして赤々と闘魂をたぎらせることができ、生命はますます元気になっていくのです。

 幸福になる秘術は「題目」と「広宣流布に生きる」・・・これにつきます。これさえあれば鬼に金棒・・・経済苦も病気にも負けないで蘇生していくことができるのですからありがたいではありませんか。

 何もわからないまま信心を始め、あっちにぶつかりこっちにぶつかり、転んではまた起き、悩んではまた開きしながらやってきましたが、今は未熟ながらも「題目」と「広宣流布」に生きる生命となることが、人生の答えと知りました。

 マスコミなど見ていても学会や公明党の批判の記事が多いものです。しかし、本当の創価学会の意義など誰も知らない・・・ましてこの御本尊様の偉大な秘密、大生命哲学を1㎜たりとも知らないで批判しているのですから、やっているものから見れば犬の遠吠えぐらいにしか聞こえません。

 それら魔軍を悠々と見下ろし、「我、歓喜の人生、我、勝利の人生」との心意気も高く、次なる峰を目指し勇んで歩いていこうと思います。

最後に先生のご指導をもう一つ。

諸天は「一番戦っている人」を「一番大切」に守る。
広宣流布のためなら、何もいらない。
その信心に立てば、一切が必ず開きます。


 この言葉に勇気と力を得て、ともどもに戦ってまいりましょう!






我ら凡夫の「発迹顕本」


 9月12日は日蓮大聖人様が竜の口の法難で発迹顕本をなされて750年という日でした。御本仏の「発迹顕本」こそが真の「発迹顕本」と言うべきですが、私達にも個々の信心に応じて「発迹顕本」があるものと思います。

 自分にとっての発迹顕本とはいかなるものか・・・一人一人思索していくことは大事なことだと思います。凡夫の身をはらい、仏の生命をあらわすことが本来ですが、難を乗り越え宿命転換を果たすことも広い意味で私達の「発迹顕本」だと言えます。

 戸田先生は「行き詰まりを感じた時に、大信力、大行力を奮い起こして、それを乗り越えていくことだ。これが、私たちの「発迹顕本」となる」(大白蓮華9月号100~101p)
と指導されています。

 宿命を使命に変えて信心に励む時に、私たちの体内で発迹顕本のドラマが展開されているのです。

 

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 私の先輩が10年ぶりに信心している知人と会われた時の話ですが、知人のあまりの変わりようにびっくりされたそうです。世の中では悪くなっていく話はいくらでもありますが、その知り合いの方は見るからに立派に変わられていたようです。どこか昔は頼りなげで暗い感じだったのが、一本芯が通ったように言葉は確信にあふれ、顔の相も開け、目を瞠(みは)る人に生まれ変わっていたと言われていました。

 それは強盛な信心でその人の体内で「発迹顕本」が起こったのでしょう。まさに「発迹顕本」とは人間革命そのものと言えます。今日一日で大きな変化は見られなくても信心をたゆまず続けていけば、必ず「発迹顕本」は起こり、「人間革命」は果たせるのです。その要諦は強盛なる信力行力以外にないはずです。

 日々の行動にあっても「臆病」は「迹」、「勇気」は「本」と言えます。弱気は「迹」、強気は「本」。諦めは「迹」、希望は「本」。利己主義は「迹」、利他の心は「本」、貧乏は「迹」、裕福は「本」。病気は「迹」、健康は「本」。・・・等々、今の自分がいかなる「迹」の身であろうと信心によって仏の生命を出だすならば、いくらでも「本」の生命をあらわすことができます。信心強き人はおのずと力強く、活気に満ち、色心ともに充実した仏の生活、生命へと変革していくことでしょう。

池田先生:「創価学会の発迹顕本――それは、一人一人が日蓮大聖人の仏弟子たる覚悟で、大難即広布に立ち上がることにほかなりません。」

 私も思うように開かない時は、「何、少しばかり人よりトンネルが長いのだ、それだけ使命は大きい。毎日5cmでも掘り進めば、必ずいつか壁は破れ光は射しこむ。悩んで立ち止まる暇があるなら1cmでも前へ進むのだ!」と言いきかすようにしています。

 大難は使命の大きさに比例します。牧口先生、戸田先生、池田先生のご生涯がそれを証明しています。難や魔の競わない人に大きな広宣流布はできない・・・そう心得ていくことが大事ではないでしょうか?

 さあ、法戦もいよいよ本番・・・関西だけ6Sとはなんと無慈悲な・・・(笑)いえいえ、それだけの力と使命があるからそうなるのでしょう。地域の同志と異体同心の団結で法戦の坂を力強く登りきり、心楽しく「今年も最高だった」と言える勝利の一年にしていきたいと思います。



信念という心の財


  コロナ禍ではありますが、秋の法戦に向かい戦いを開始された方も多いことと思います。私も日曜は午前、午後と20軒ほど地元の知人宅を訪問しました。今回は菅自民党の支持率下落の煽りを受けた中での戦いですが、公明党は公明党でありその良さを訴えるとともに、野党の野合政権になれば、かつてのように大変な目に合うことを訴えたいと思います。

 先日、うちに来る置き薬屋のお兄さんと話をする機会がありました。彼は40代後半。政治の話から個人的なことまで話したのですが、私が「将来に向かっての考えはありますか?」と聞いたら、「コロナがあったり不確実な要素が多すぎて先はわからない、それなりに食べていければいいかなと思います。」との返事でした。



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 世の中の多くの人たちが彼のように大志もなく、平凡に生きていければいいと考えているのかもしれません。私から見れば彼は確かな哲学をもっていない、一方、私は日蓮仏法を信念をもって持つ身となりました。どう生きるのも自由ですが、どちらが価値多き生き方となるかは大事な問題です。同じ一生でも、上中下とありますので、できれば並みよりも上寿司をいただきたいものです。(笑)

 長年、信心をたもってきた私がどうなったか・・・別に金ぴかの仏になったわけでもなく、億万長者になったわけでもありません。ですが私は秘かに「信念という心の財」をいただいたと思っています。

 この信念の財は常に自分の生命の中央にあり、生きるに迷うことなく、日々、その信念に忠実に生きていくことを志向します。 そんな抽象的な目に見えない財より、一億の現金の方がありがたいと思われるでしょうか?しかし信念を持つ身となってみれば、はるかにこちらの方が値打ちがあることがわかります。信念というのは人にとって「魂」であり、人を人たらしめる骨髄なのです。

 牧口先生や戸田先生が獄中でも微動だにされなかったのは、その信念の柱が太く強固であったからに違いありません。その信念が弱い人は刑務所に入れられたとたん、信念なき自身の馬脚を現したのです。私も今なら命がけで戦うことと思いますが、入信したての頃ですと耐えられたかどうか怪しいものです。

 私は今この信念を実にありがたいと思いながら日々生活しています。命の奥底に成就した珠のようなものかもしれません。その珠を大事に大事に磨き、より一層大きなものへと強固にしていけば、何があっても退転しない命となることでしょう。

 30数年前にある友人から下種を受け、生命に植えられたその種が芽を出し、風雨にさらされながらも師匠や学会同志に護られ、また魔という敵に鍛えられ、ようやく根も強く張り幹もしっかりとしたものになってきたようです。

 そうなれば個人的な悩みや苦難があっても、それらは「風の前の塵」のようなものであり、何があろうと御本尊を信じ、広宣流布に打って出ればいい。人に言われて動くのでもなければ、渋々やるのでもない。自分の自発能動の意思で人を救う戦いに勇んで出ていくようになります。

 かつて池田先生はご指導の中で吉川英治氏の言葉を引かれました。

「あれになろう、これになろうと焦るより、富士のように、黙って、自分を動かないものに作り上げろ。」

 この言葉に生きる時、確固たる信念失くしてどうして自分を富士のような動かないものに作り上げることができるでしょうか?人生に勝利する絶対条件とは、それは「信念」に他ならないと思います。「会い難き仏法」に巡り合い、魂となる信念を生命のど真ん中に据えることができた・・・「さあ、土台はできた。これから生命に壮麗な宮殿を建設するのだ!」との意気も高まっていこうというものです。

 池田先生:「皆さん方は、どうか、自分自身が花を咲かせようという気持ちでなくして、全世界に妙法という平和の種を蒔いて、その尊い一生を終わってください。私もそうします。」(「新・人間革命」第21巻「SGI」の章)

今日よりはこの先生の指導を肝に銘じて、信念ある人生を全うする戦いに挑戦したいと思います。







今日よりは心の財を積みゆく人に


 連日、酷暑が続いています。寝不足や仕事などで疲れが取れないという方も多いことでしょう。ましてコロナは依然として増えており油断ならない日々がまだまだ続きそうです。オリンピックだけがまるで違う世界で行われているような感じですが、私も日本選手の活躍をテレビ観戦で、合間を見て応援しています。

 こういう閉塞した時こそ自身の信心を磨くいいチャンスととらえたいと思います。お題目は一人でできますし、また家庭訪問や電話での対話なども常識的であればやることもできます。



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  私も先日の日曜日は午前中、本部の女性部長さんと連携して入会希望者のお宅に家庭訪問させてもらいました。70代の壮年の方ですが、息子さん夫婦が入会に反対されており、むしろその方たちの説得に終始することになりました。

 仏法や池田先生のこと、日々の活動のことからご供養、お葬式の話までこと細かに、折伏精神をもってお話ししました。最初は強張った表情でしたが、次第に和やかに打ち解けてお話しでき、最終的には入会の理解をいただくことができました。

 午後は圏長と一緒に家庭訪問に回り、10軒ほど壮年宅を訪問。最近活動から遠ざかっている部員さんと座談会出席の約束がとれたり、初対面の未活の方と話が弾み対話することもできました。家庭訪問は地道な活動ですが、信心は地道な活動の積み重ね以外にありません。立派な信者の人とは役職ではなく、地道な活動をコツコツと励む人に違いありません。

 また学会活動は楽しくやらねばなりませんね。猛暑の中でしたが活動に歩けば暑さも吹っ飛んで忘れます。(笑) 私は大きな会合は好きではありませんが、仏法対話や激励に歩くことは大好きです。かつて学会嫌いだった人間が、今は喜んで活動している・・・これは私の「変毒為薬」です。そうなって初めて不幸から幸福の軌道に転じることができるのですからありがたいではありませんか。

 御書には「蔵の財」「身の財」より「心の財」が第一だと仰せです。(御書1173p)学会活動に励めば雪が降り積もるように、「心の財」を積んでいくことができます。「心の財」とは仏の生命と言ってもいいと思います。

 「蔵の財」「身の財」は目に見えますが、「心の財」は目に見えない。また「蔵の財」「身の財」は死んでもっていけませんが、「心の財」だけはもっていけますし壊れないものです。願わくは仏の生命となってあの世に行きたいものですね。

 学会員の真心の浄財を食い散らかした食法餓鬼の坊主たちは、逆に「心の財」をみんな魔に食い破られて「悪業」のみを積んであの世に行かねばなりません。私たちは清らかな師弟の世界に住し、世界広布に連なる地涌の菩薩の一員として日々「心の財」を積んでいます。それは目に見えなくとも死んで浄玻璃の鏡の前に立てば、その時みんな映し出され裁かれることでしょう。


「此の御文を御覧あらんよりは心の財をつませ給うべし」(御書1173p)・・・

 たとえ思うように開かない日々であっても、人一倍悩みも深く人の幸せがうらやましく思える時も、決して御本尊を疑ってはいけない、そんな時こそより一層、信じて信じて信じ抜いていこうではありませんか。

 「私の体のどこを切っても「信」の血潮が噴き上がります!」と、そう胸を張って言えるような熱い心で、今日も威風堂々前進です。