信心

仏界への扉は今、ここに!




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 信心は歓喜の世界であり、感謝、報恩の世界です。歓喜や感謝の心のない人が幸福だといっても、それは一時的な欲望の充足であったり、人よりもいい暮らしを送れるといった相対的幸福のことではないかと思います。まして人などどうでも良い、自分の欲望が満たされたなら満足だ・・・と言った考えの人が物心両面とも幸福だなんてそれは、道理で考えてもあり得ないことでしょう。

 ところが歓喜や感謝というのは頭で考えて出てくるものではありません。生命内奥から花や木々が春になれば芽吹くように自然に湧いてこなければなりません。怒りややきもちならすぐに湧くのだが・・・(笑)という方は多いかと思います。十界の生命ですので、どなたもそれと同じように菩薩や仏界の生命があるのに、それだけはなかなか湧いてきてはくれませんね。

 過去世に謗法をたくさん犯した人の生命は、仏界から遠い三悪道(地獄、餓鬼。畜生)中心の生命に染まっていると考えられます。おまけに福運も切れて、生命力も枯渇しているとなれば、生きていること自体が苦しい生命です。自慢ではありませんが私もそういう生命でこの世に生まれ落ちた一人です。

 学会2世、3世の方が比較的、恵まれているのは、あくまで一般的に見てですが、親や祖父祖母の信心が一族に功徳として行き渡っているからであり、謗法との縁がもはや薄い生命だからと言えます。すなわち謗法の罪障消滅ができており、福運ももっていることになります。

 ところが生命の歓喜ということになりますと、そういう2世、3世の方でも容易ではありません。溌剌と歓喜に燃えて、生命から発散するエネルギーなり、生命力なり、お湯で言うと沸騰に近いぐらいの大歓喜で生きている人となると、そう簡単にはお目にかかれません。

 もちろん私も沸騰するような大歓喜の生命で生きたくて信心しているのですが、これはどなたも信心が強くなければそうならないとなっています。いかに福運があっても、大幹部の役職があっても、信心が弱ければ仏界は出てきません。日寛上人の「法華経を信ずる心強きを名づけて仏界と為す」とのお言葉にある通りです。生命に大確信を築くしかありません。

 三悪道から人界、天界、声聞と階段を上がるように境涯を変えていくなら、最下の境涯の人は本当に大変です。ところが日蓮大聖人様の「南無妙法蓮華経」は威力が絶大で、釈迦仏法などは足元にも及びません。三悪道の極悪人をあっという間に仏になす力があるのです。地獄の部屋から出て、難行苦行、一歩づつ階段を昇るのではなく、扉を開けたら即座に仏界が開き、到達できるようにしてくださっています。

 その扉を開く鍵は信心です。題目であり、折伏であり、学会活動です。なかんずく御本尊を信じ抜いて喜んで信心することだと思います。仏様だって感応されます。喜んでやれば仏界が躍り出てきます。歓喜には歓喜が返ってきます。渋々嫌々ではいつまでたっても濡れた布団のように燃え上がりませんからね。

 そして扉を必ず開いて見せるという勢いが大事だと思います。仏様の心を動かすのですから、こちらも腹を決めて何が何でも出してくださいと一歩も引かない。凡夫の悩みは常に崖っぷちです。(笑)

 「南無妙法蓮華経に出会えて本当によかった。ありがたい。今は三悪道の私だけど、今日よりは御本尊様だけは誰よりも強く信じます。智慧もお金も縁がない私ですが御本尊と池田先生があればそれで十分です。奥さんや子供に偉そうに言われてもぐっと耐えて見せます。(笑)世間から見下げられても一時のことです。最後は信心し抜いた人が勝つ。この命を広宣流布に捧げますので、どうかこの私の命を納受してください。よろしくよろしくお願いします。」

 と、こんな心で私はやっています。その私の信心が仏様に通じ、感応して「善き哉、善き哉」と言っていただけたなら、それでもう歓喜に満ちてそれが私の幸せというものだと思います。