信仰のススメ

重症のアトピーすら瞬時に完治した「日蓮正宗」の御題目のすごさ(The awfulness of the “Nichiren Shosetsu” theme that caught instantly even severe atopy)

浄土真宗僧侶(念仏)の体験
                     本地寺信徒  吉田正信さん

 

 私はこの3月末(平成20年)まで、浄土真宗西本願寺派の僧侶で、江戸時代後期から百五十年間続く帰命寺という寺の住職をしていました。そんな私がこの総会で体験発表をしているのですから、自分でも何が起こったのかと思っております。

 

◇妻が求めた、家族みんなの幸せ
 入信のきっかけは、妻が、私が家族のことも忘れて念仏僧侶の仕事と寺を守ることばかりに明け暮れている姿を見て、いつも嘆き悲しんで、苦しんでいたことでした。
 ある日のこと、妻は友人の宮本乃婦子さんに人生の相談を始めました。でも宮本さんは、「あなたの悩みを解決するには、教えてあげたいけど、もし、あなたに私が教えたら、あなたの家がひっくり帰るかもしれんのよ」

と言われました。でも必死だった妻は諦めませんでした。

 「どうしても教えて欲しいの」

と願ったのです。そうしたら宮本さんはこう言われたそうです。

 「間違った宗教には害毒があるのよ。あなたの家はお寺で、念仏の教えの場所やで。そこでは絶対に救われることはないのよ」

と。

「え?宗教の害毒?」

と、妻は一層落ち込んで悩んでしまいました。
 でも妻は、宮本さんの言うとおりに、本当の幸せを求めて唱題を始めたのです。やがて、彦根市日蓮正宗本地寺にも行くようになりました。初めてお会いしたご住職の宗像高道御尊師から

「あなたがけが幸せになりたいのですか」

と尋ねられた妻は、

「家族みんなで幸せになりたい」

と答えたそうです。妻が求めていたのは、自分だけの幸せではなく、家族皆の幸せでした。

 

 そしてある日、ついに妻は勇気を出して私に言いました。

 「お父さん、念仏では救われへんのよ。不幸になるだけや」
 「何おかしいこと言うてるねん。念仏がおかしいて、気が変になったと違うか」
と私は猛反対しました。それでも妻は、離婚を覚悟で私に言い続けたのです。
 あまりの妻の真剣さに私は恐る恐る、本当に恐る恐る、彦根の本地寺に行ってみました。そうしたら御住職の笑顔と、「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と大きな声で一心に唱えている皆さんの姿があるではありませんか。私は子供の頃から、南無妙法蓮華経は罪深い言葉だと祖母に教えられて育ったものですから、皆さんの真剣な唱題の姿をみて、

「何でこんなに一生懸命に唱えることができるんやろう。なぜ、疑いもなくまっすぐに声を出して、真剣になれるんやろか」

と思いました。
 その日から私は、心では決して南無妙法蓮華経を信じていないのに、いつの間にか口から静かに、そして自然に「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と御題目が涌いてくるようになってしまったのです。

 「なんちゅうこっちゃ」

妻には詰めた言葉を吐いて猛反対している私自身が、車に乗ったときでも「南無妙法蓮華経」とつぶやくのでした。

 

◇息子が御住職と対面
 私には息子が二人います。大学生になる次男は、全身がアトピーで、入学したばかりの工業大学を、やむなく1年間休学しなければならないほどの状態でした。その時分は体も衰弱していて下宿先の寮の部屋の中に引きこもっていました。そして精根尽き果てて、ある日、バイクで家に帰ってきました。折しも、私達夫婦は本地寺のご住職とご縁をいただいて間もない頃でしたから、すべてのことをご住職に相談させていただきました。ご住職は「どんな形でもいいから、子供さんをお寺に連れてきなさい」と言われました。大聖人様を信ずるとか、念じるとか、そんなことは何も言われませんでした。ただ「連れてきなさい」とだけ言われました。
 家に帰ってきた息子は、ある夜のこと、妻が目の前で「南無妙法蓮華経」と唱えているのを聞いて、

「何、おかしいこと言ってるねん。お母さん、気がおかしいなったんか。それ何やねん。僕がそのお寺に行って、住職に文句言うぞ」

と言いました。チャンス到来と、すかさず私が

「そしたら今からすぐにお寺へ行こうか」

と言うと、息子も

「よーし、すぐ行こう」

となって、早速私は車を用意して息子を乗せてお寺へ行きました。息子は車の中でもすごい剣幕でした。
 私の車はまっすぐ本地寺に向かっていました。後押しするかのように道中の信号も赤から青にすぐ変わりました。
 やがてお寺に着いて、本堂の玄関からではなく、客間の脇から上がらせていただき、パジャマ姿の息子はご住職と対面しました。いつもなら身なりを一番気にする息子がパジャマ姿で、しかも、それまで大剣幕で文句を言ってやると意気込んでいた息子が、ご住職にお会いした途端、何も言えなくなりました。そしてご住職は息子に対して、

「何も信じなくていいから。今の君は体も心もボロボロなんだって。だから今日ね、寝るときに三回でいいから『南無妙法蓮華経』って言ってごらん」

と言ってくださいました。
 息子はキョトンとして「はい」と静かにつぶやき、心を静めて家に帰りました。そしてご住職のおっしゃった通り、御題目を三唱だけして寝たのです。
 次の日の朝、息子が大声で叫びました。

「お父さん、お母さん、顔の膿が消えている。昨日の夜、三回、南無妙法蓮華経と言っただけなのに。何も信じていないのに。ほんまに見て。顔がきいれいになっている」

と、涙ながらに言いました。私も妻も息子も、涙の中で真実を見せていただいたのです。

 

◇晴れて、家族で入信
 私はこの二つの出来事により、念仏の中で生きることの愚かさを身に染みて悟らせてもらったのです。念仏では救われない。念仏は「仏様から信心を戴く」と言うが、妻も私も息子もその信心では救われなかったと実感しました。南無妙法蓮華経、つまり日蓮大聖人様の教えでしか、家族が一つにはなれなかったのです。
 この日から、御住職に相談しながら僧籍を返上して還俗する手続きやら、帰命寺の檀家総代や役員の方たちに住職を辞める事情を説明して、後任住職の選定を組寺の長に一任する手続きやら、引っ越しの段取りやら、毎日が慌ただしく過ぎていきました。
 そうして昨日、4月19日に本地寺の御宝前において、晴れて家族そろって御授戒を受けさせて頂き、御本尊様を御下付戴きました。涙が心からも体からも涌いて出てきました。私たちの周りには兄弟、親戚や友人ではなく、本物の仏様・日蓮大聖人様と共に歩む本地寺支部法華講員の皆様の応援の声、唱題の姿がありました。私たち家族は、日蓮大聖人様の教え、真実の仏法の道につかせていただくことができました。本物の仏様の教えこそが日蓮正宗なんだ。浄土真宗の僧侶であった私が心から言っているのですから、間違いありません。

 

 私たち家族には、本当の信心と、そして行動の日々が始まったのだなと思い、心から前進していく決意です。命を戴けたい感じています。
 私は住職として帰命寺を捨てたのではなく、本物の仏様の教えを知った以上は、それまで私を慕って協力してくれたかつての檀家さんお一人おひとりを折伏していく人生が始まったのです。私は今でも帰命寺の檀家さんが大好きです。だからこそ折伏し、幸せにしてあげなければと思っています。そして母や兄弟、親戚を一人ずつ折伏していく人生を生き抜こうと思っています。               (大白法平成20年6月16日号より)

 

 

<吉田さんの浄土真宗への考え>
 ○浄土真宗は、自分から行として念仏をして幸せになろうという法門ではなく、阿弥陀仏衆生に有無を言わさず救い取ることになっているが、真実の現証結果として念仏で幸せになれない。

 

 ○死後に西方極楽浄土に往生するというが、西方極楽浄土は架空の世界であり、阿弥陀仏法華経で救われたこと。そして死後を願うから、この世を捨ててしまう厭世観が生まれ、自殺が多いこと。

 

 ○他人や周りの世相に左右され、悩み、自己決定がなかなかできず、自分の責任で課題や問題が起こったとしても、必ずと言ってよいほど、他人のせいにする。

 

 ○ほとんどのことを念仏の住職に任せ、法義、教学には一切興味を示さず、ただ仏罰が当たることを怖がって法事をするのが真宗門徒の真実の姿であり、そこには本物の信心は生まれない!つまり亡き人や先祖の追善供養が自分の信心や実践でできないことが、非常におかしい法門である。

 

 ○今、一生懸命、生きている自分だけでなく、お母さんやお子さんにこの世で幸せになってもらうための祈りの心が純粋に生まれ、本当に幸せになれるのはこの日蓮大聖人様の仏法しかあり得ないこと。

 

 ○日蓮正宗は、日蓮大聖人様の本当の教えをきちっと伝承してきた唯一の宗門で、七百五十年の歴史の中でそれは変わらず脈々と受け継がれてきたこと。

 

 ○浄土は何も死んでからあるものではなく、今生きている娑婆世界にこそ建立されなければならないと、私たちに自分の御生涯のすべてをかけてお教えくださった大聖人様の仏法こそが、日蓮正宗であること。
              (大白法平成20年11月16日号より)

 

富士大石寺に御安置されている、本門戒壇の大御本尊様の功徳というのは凡夫の想像をはるかに超える。二十六世日寛上人様も

是れ則ち諸仏諸経の能生の根源にして、諸仏諸経の帰趣(きすう)せらるる処なり。故に十方三世の恒沙の諸仏の功徳、十方三世の微塵の経々の功徳、皆、咸(ことごと)く此の文底下種の本尊に帰せざる莫(な)し。譬えば百千枝葉同じく一根に趣くが如し。故に此の本尊の功徳、無量無辺にして広大深遠の妙用有り。故に暫(しばら)くも此の本尊を信じて南無妙法蓮華経と唱うれば、則ち祈りとして叶わざる無く、罪として滅せざる無く、福として来たらざる無く、理として顕われざる無きなり。『観心本尊抄文段』

と仰せのごとくである。

かつての日蓮正宗創価学会時代の創価学会員たちは、その功徳の大きさに驚嘆・感激し親族や知人からの顰蹙をも恐れず弘教に邁進したのだ。

しかし、破門後は異流儀となり魔の通力に惑わされ、罰にも気づかず幸福を見失ってしまった。

いわんや世間一般の無知の人々は、言わずもがなである。

顕正会・正信会の異流儀も存在するが、最終的には福運を消失して不幸に陥っている人の例は、枚挙にいとまがない。

浄土真宗の僧侶から日蓮正宗信徒になった、吉田さんの体験はすごいことだと思うのでぜひとも紹介したいと思い掲載した。

私自身も大きな功徳を日蓮正宗に帰依してから、いくつも体験させていただいた。日寛上人様はまた、

夫れ本尊とは所縁の境なり、境能く智を発し、智亦行を導く。故に境若し正しからざる則んば智行も亦随って正しからず。妙楽大師の謂えること有り『仮使発心真実ならざる者も正境に縁ずれば功徳猶多し、若し正境に非ざれば縦い妄偽なけれども亦種と成らず』等云々。故に須く本尊を簡んで以て信行を励むべし。若し諸宗諸門の本尊は処々の文に散在せり、並びに是れ熟脱の本尊にして末法下種の本尊に非ず。『文底秘沈抄』

と仰せである。

我々の日々の五座三座の勤行も、正境に縁していればこその大功徳なのだ。

正境とは日蓮正宗の血脈が通った御本尊様のことである。吉田さんの息子さんが唱えたお題目三唱も、正境と正師に縁して唱えたお題目だったからこそ、功徳を生じたのだといえよう。

法華講員の私も「発心真実ならざる者」であるとの自覚を持ち続けている。自分が勤行・唱題するときには、大抵が自分の保身や安楽を祈念しているのだから。集中できずに雑念が支配することも多い。所詮は末法の凡夫だから。それでも大きな功徳をいただけるのは、日蓮正宗の血脈に縁しているからこそだと確信している。

日蓮正宗寺院一覧 - Wikipedia

四国の遍路参りに行ったり、歎異抄を読んだり、セミナーに通ったり…人間は苦しみから、求道心から魔道に迷い込む生き物。

日蓮正宗寺院へ参詣し、末法下種の本尊に縁してほしい。

Experience the Jodo Shinshu priest (Nembutsu)
Mr. Masanobu Yoshida, Honenji Temple

In case

Until the end of March (Heisei 20), I was a priest of the Nishihonganji school of the Shogo Shin Buddhist priest who was a temple of the temple called Shousen-ji, which lasted 150 years from the latter half of the Edo period. Since I am announcing the experience at this general meeting, I am wondering what happened myself.

In case

◇ Happy happiness for all family members
The chance for my arrival was that my wife was always suffering, always mourning, watching the buddha Buddhist monk's work and the fact that he was absent only to protect the temple, forgetting about my family.
One day, my wife started discussing my life with my friend Miyamoto Nogako. But Mr. Miyamoto said, "I will tell you to solve your troubles, but if you tell me you may be home your house exactly"

They said. But my desperate wife did not give up.

"I really want you to tell me"

I hoped that. Then she said that Mr. Miyamoto said this way.

"There is harm in the wrong religion, your house is a temple, a place of teaching Nenbutsu, there is absolutely no way to be saved there"

When.

"Eh? Is it a poison of religion?"

And my wife suffered more depressed.
But as my wife said, Miyamoto started asking for true happiness. Eventually, I came to visit Nichiren Shosetsu Main Hall in Hikone city. Mr. Munakata from your high priest who first met you

"Do you want your happiness to be happy?"

The wife asked,

"I want to be happy with everyone in the family"

He said he answered. What my wife was seeking was not happiness only for myself, but for the whole family.

In case

And one day the wife finally gave me courage and told me.

"Dad, you can not be saved in Nembutsu, only to be unhappy"
"I'm telling you something strange.Nest Buddha is strange and different from being crazy"
I strongly opposed. Still, my wife kept saying to me with divorce.
To the seriousness of so many wives I am terribly frightened, I really am afraid I went to Hikone's main temple. Then do not you have the figure of everyone who has chanted with a big voice with the smile of the priest's occupation and "Southern Heroes Lotus Senchu, Southern Huang Rengheme Long". Since I was a child, I grew up being taught by my grandmother that the Southern Juvenile Rengehoushua is a sinful word, so when you see your serious challenge,

"Why can you challenge so hard, why can you become seriously aloud with a doubt without a doubt?"

I thought.
From that day on, I have never believed in Southern Huawei Penetration Society, but unexpectedly quietly and naturally the theme "Southern Heroes Lotus Senchu, Southern Homeland Renga Hua Yu" has come to be heard It's gone.

"Nankuchu koto chan"

To my wife, I myself myself saying "Southern Hughes Dangerous Rengehua" even when I got on the car, who sprained the word we stuffed against so much.

In case

◇ My son confronts his occupation
I have two sons. My second son who became a college student was in such a condition that the whole body was atopic and I was forced to take a leave of absence from an industrial university I just entered. At that time the body was weakened and stayed in the dormitory room of the boarding house. And finished with exhaustion, one day, I came back home by motorcycle. By the way, since our couple was short time ago with the residence of Honsenji, I consulted everything in the priesthood. Your priesthood was told, "Any shape can be taken, so please bring your child to the temple." I did not say anything like believing in the saints, or remembering them. I was told only to "just take me".
My son, who came home, heard that one night he said that his wife was saying "Southern Heroes Lotus Sutra" in front of me,

"What are we doing wrong, Mom, have you felt sorry, what do you mean, I'm going to that temple and complaining about my priesthood"

said. With the arrival of opportunities,

"Then, shall we go to the temple soon?"

And my son also

"Okay, let's go now"

Then, I prepared a car and put my son on the train and went to a temple. My son was an amazing sword in the car.
My car was heading straight to the main temple. The signal on the road changed immediately from red to blue as if to boost.
Eventually arrived at the temple, not from the entrance of the main hall but from the side of the guest room, my son in pajama faced his job. My son, who always care about herself the most, is in pajamas, and my son, who was keen to complain about it with a big sword curtain, ceased to say anything as soon as I saw her priest. And to your son,

"You do not have to believe anything, because you and your body are torn all right now. So today, when you go to bed you need three times, so say" South Pure Lotus Sengoku "

I said that.
My son quietly murmured "yes" as Kyoton, calm the mind and went home. And, as you mentioned in your occupation, I only slept three subjects on the title.
The next morning my son shouted loudly.

"My father, mother, the pus in my face has disappeared, I only said three times, the Southern Heroes Lotus Sangyo, yesterday night, I do not believe anything. There is "

I said with tears. Both I, my wife and my son, showed me the truth in tears.

In case

◇ Clear, my family entered
Through these two events, I was made aware of the foolishness of living in Nembutsu. It can not be saved in Nembutsu. Nembutsu says "I receive faith from the Buddha", but I realized that neither my wife, I nor my son, was saved by that faith. Family members could not become one, only with the Southern Honolulu Penetration Society, that is, the teaching of Nichiren saints.
From this day on, explaining the circumstances of returning the priestess and conspiring to return to the priesthood, discussing the circumstances of quitting officers to the general officials of the return home and the members of Okinawa Temple, consulting with his occupation, Every day was hurriedly passed by procedures to decide office, arrangements for moving, etc.
And yesterday, on April 19th, we had a sunny and families gathered at the main temple 's treasure trove, and we received your worshiped master. Tears came out from my heart as well as from my body. There were voices of support of everyone of Hokkaido lecturers at the mainland temple branch that walks with us, not brothers, relatives or friends, but real buddha and Nichiren saints around us, there was a challenge. Our family was able to tell me the Nichiren saints' teachings, the way of the Buddha law of truth. The real teachings of Buddha are Nichiren Shosetsu. Since I was a monk who was a priest of the Jodo Shinshu, I do not mistake it.

In case

To our family, I am determined to believe that the real beliefs and the days of action have started, and I am determined to move forward from my heart. I feel like wanting life.
I have not abandoned the return home as a priest, but as long as I learned the real teachings of Buddha, my old dancer cooperated longing for me until then Life to surrender one person It began. I still love the Dan family in the return home from now. That is why I believe we should turn around and make us happy. And I think that I will survive my life, living my mother, brothers and relatives one by one. (From the June 16, 2008 issue of the Ohwa law)

In case

In case

<Yoshida's thought to the Jodo Shinshu>
○ Jodo Shinshu is supposed to save salvation to the sentient beings and not to say that the Amida Buddha is not a law enforcement that makes a nuns buddha as a line from himself, but happily in nun Buddha as a result of the real testimony can not become.

In case

○ Although it seems to be stranded to the westward paradise after death, West Western Paradise is a fictitious world, Amida Buddha was saved by the Lotus Sutra. And since it wishes after death, a pessimistic view that throws out this world was born, and suicide is many.

In case

○ It depends on other people and the surroundings, troubles, self-determination can not be made easily, even if problems or problems occur at their own risk, it is always to blame others for saying.

In case

○ Leaving most of the things to the priestess of Nembutsu, showing no interest in law and teaching, it is the truth form of Shin Buddhist truth that it is just a scare of being afraid that Buddha's punishment is hit, and there is a genuine Shinto is not born! In other words, it is a very funny legal thing that the pursuit of the deceased and the ancestors can not be done with their own faith and practice.

In case

○ Now I am trying hard not only to live self but also to my mother and child to be purely born a prayer heart to be happy in this world and to be truly happy can only be this Buddhism of Nichiren saints There is nothing.

In case

○ Nichiren Shosetsu is the only god that has steadily passed on the true teachings of Nichiren saints, in the history of the seventy and five hundred years it has been inherited all the time.

In case

○ Pure land is not something that has been dead since now, it must be built only in the world of living living now, the Buddha method of the great saint who taught us all over his entire life To be Nichiren Shōsu.
(From the November 16, 2008 issue of the Ohwa law)

In case

It is far beyond the imagination of the ordinary martial arts that the great master priest of Honmon Gateke, kept at Fuji Oishiji temple, is superior. Hiroshi 26th, Hiroshi superior also

In consequence, as a root of the nature of the Buddha and the various Buddhas, the birth of the Buddha and Buddhism (Kisu) is dealt with. Therefore, the merit of the Tsunsa Buddha of the ten thousand years, the merit of the tin thirteenth 's fine dust, everyone, it is unavoidable attributable to the main honor of the latter kind of Kamogoto. In parables one hundred thousand branches and leaves likewise bear in one roots. Because of this merit of this Honjin, there is a strange use for the extensive and profound with no abundance. Therefore, it is obliged to believe in the honjon of this temple so that if you call it the Southern Honorary Penetration Society, that is, you must fulfill it as a prayer, you must be destroyed as a sin, you have no choice but to come as a blessing, . "Temporal observation essay story"

It is as if I say.

The Soka Gakkai members of the former Nichiren Shosetsu Soka Gakkai saw that they were amazed at the magnitude of their merit and were keenly afraid of Hiroshima without being afraid of gangs from relatives and acquaintances.

However, after the excommunication, it became a different way and became deceived by the force of the demon, he did not even notice the punishment and lost sight of happiness.

People who are ignorant of the general public are totally indescribable.

There are different styles of the Shikokai and Masashigai, but ultimately there are numerous examples of those who are misfortuned by losing their fortune.

I thought that Mr. Yoshida 's experience was great as a member of the Nichiren Shoson from the priests of the Shin Buddhism, so I definitely wanted to introduce it.

Since I myself devoted my great merit to Nichiren Shosetsu, I have experienced a lot. In addition,

The husband is a border of the relationship with the main honor, it gives a wisdom that interferes and leads wisdom. Because of that, it is bordering and not correct, nor is it correctly Jiyoshi too. There is something called by Taishaku Daishi "If a person who is not a truthful faithful truth is merciful when it comes to the immediate boundary, if it is not a positive boundary, it will not become a seed even if it is not a vertical delinquency" . Let 's encourage trust by briefly honoring Sousuke Honbunsu. The prince of the Temples of the Temples was interspersed in the writings of deeds, and indeed made it the main honor of ripeness and not the main honor of the last law. "Intrinsic secret pilot"

And say it.

Our daily work of the five-seat trident is also a great merit if it is bounded by the immediate environment.

Masami is what Mikoto Honpo passed through the blood line of Nichiren Shosetsu. It can be said that the subject of three songs that Yoshida 's son advocated also was a matter that was chanted as a contender by Masamune and Masashi.

I also have a consciousness that I am a Hokke student ___ ___ 0 ___ ___ 0 When you work and challenge, mostly you are praying for your self-protection and comfort. There are many cases where chaos dominates without being able to concentrate. After all it is because it is an ordinary law. Still, I am convinced that it is possible to have great merit because it is related to the blood circulation of Nichiren Shosetsu.

Nichiren Shingon temples list - Wikipedia

Going to the puzzle of Shikoku, reading Jinju's papers, going to a seminar ... Humans are creatures who stray from the suffering, from a searching spirit into a mage.

I would like you to visit Nichiren Shosetsu Temple and relate it to the main honor of the end law.

 

日蓮正宗総本山大石寺案内

日蓮正宗総本山大石寺案内

 
信仰の寸心を改めて―改宗して本当に良かった! (法華講員体験シリーズ 4)
 
悪変じて善となる―変毒為薬の実証明らかに (法華講員体験シリーズ)

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祈りとして叶わざるなし―なんとしても折伏させてください (法華講員体験シリーズ)

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御本尊を信じさせ給へ―この信心しかない! (法華講員体験シリーズ)

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大願とは法華弘通なり―地湧倍増は折伏にあり! (法華講員体験シリーズ 3)
 

 

量子論から解き明かす「心の世界」と「あの世」

 

量子論から解き明かす「心の世界」と「あの世」

量子論から解き明かす「心の世界」と「あの世」

 

読み始めると、著者の熱い思いが伝わってきてぐいぐいと引き込まれていきます。

ミクロの世界の量子と呼ばれる存在の不思議さ。

人間の意識(心)が現象世界に作用するのだという。

数式など一切使わずに量子論の深奥を読み手に想像させてくれます。

東洋の神秘思想(仏教・タオイズム)との親和性というか、共通性についても納得のいく説明があって、腑に落ちる感覚が得られました。

特に7という数字が持つ、宇宙の根源的な意思の表れという話にはとてもうなづかされる思いも。

著者の「文明論」も急遽発注しました。「文明論」では東西の文明が800年周期で交代するという話が語られているのだとか。届くのが待ち遠しいです。

 

 

文明論―文明興亡の法則

文明論―文明興亡の法則

 

東洋の思想に古くから存在する、物心一元論に若いころから惹かれてきた私。

前世からの因縁を感じます。

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太極図に象徴される世界が量子論の世界だと知り、ワクワクしております。

 

ラブ、安堵、ピース 東洋哲学の原点 超訳『老子道徳経』

ラブ、安堵、ピース 東洋哲学の原点 超訳『老子道徳経』

 

老子の世界をイメージ性豊かに伝えてくれる、この本もお勧めです。 


ドキュメンタリー 量子の力学 フル


 

日蓮正宗で真っ当な信仰をする方法とは?

今年の冬は寒かったけど、一気に春が訪れましたね。

桜の花が一気に満開になりました。

天界のような世界が現出しています。

明日からは新年度ですね。

日蓮正宗信徒の僕も、人生の残りをどのように過ごしていくべきなのか、真剣に考えていくべき時を迎えているように思います。

 

 

新編妙法蓮華經并開結

新編妙法蓮華經并開結

 

法華経を読んでみよう

法華経を読んだことはありますか?

今から20年前に出版された、大石寺版の法華経です。

もう、20年も前なんだ。

日蓮大聖人様の仏法も法華経を根本にされたんですから、法華経を読まないと人生の意味も分かりませんよね。信仰のスタンスも理解できないはずです。

それなのに、創価学会員、顕正会員、法華講員もみんな読んでいないのではないでしょうか?

仏教学を齧る暇があるなら、まずは法華経でしょうね。

創価学会が破門されて27年。

御書根本とか言ってるけど、日蓮正宗の根本は法華経です。

戒壇の大御本尊様の御前にも法華経はお供えされています。

学会流教学ですと法華経にはなんの功徳もないらしい。

だから、五座三座の勤行が苦になって、略式に流れてしまうんですよ。

法華経には功徳があります。

法華経の功徳は法華経に説かれていますので熟読してみてください。

勤行・唱題と言いますが、勤行に大きな功徳があるんですよ。 

平成新編日蓮大聖人御書

平成新編日蓮大聖人御書

 

御書を読もう 

日蓮正宗の信徒ならば御書を読みましょう。

御書を読めば現世利益中心の乞食信心が嘘だとわかります。

学会が広めた乞食信心は大聖人様の仏法とは関係がありません。

日蓮大聖人様も、その弟子も旦那も自己保身の信心などしておりません。

功徳を得た人もいますが、得られなかった人もいます。

大聖人様自身でさえ清貧の一生でした。

凡夫の我々は自身の栄達や安楽を祈りがちですが、本当にそれが仏法の姿なのでしょうか?

 

日寛上人御書文段

日寛上人御書文段

 

御書の正しい拝し方とは

御書の読み方には作法があるようです。

御書の正しい読み方は日寛上人様の御書文段に学びましょう。

学者流の仏教学とは異なります。

信心が中心の学び方が理解できると思います。

 

六巻抄

六巻抄

 

教学の核心は六巻抄に学びましょう 

大石寺には寛師会という法要があります。

日寛上人様の遺徳を偲んで催される行事です。

日寛上人様が日蓮正宗の教学を完成されたからですね。

創価崩れの仏教学尊重派は、まず日寛教学の棄教を勧めてきます。

それは信心を根本にした日寛上人様の教学が目障りだからです。

見識を完全なものにするには日寛上人様の、六巻抄を学ぶほかに方法がありません。 

 

戒壇の御本尊様がおられるのは大石寺だけだという事実

問うて云く如来滅後二千余年・竜樹・天親・天台・伝教の残したまえる所の秘法は何物ぞや、答えて云く本門の本尊と戒壇と題目の五字となり、問うて曰く正像等に何ぞ弘通せざるや、答えて曰く正像に之を弘通せば小乗・権大乗・迹門の法門・一時に滅尽す可きなり、問うて曰く仏法を滅尽するの法何ぞ之を弘通せんや、答えて曰く末法に於ては大小・権実・顕密共に教のみ有つて得道無し一閻浮提皆謗法と為り畢んぬ、逆縁の為には但妙法蓮華経の五字に限る、例せば不軽品の如し我が門弟は順縁なり日本国は逆縁なり、疑つて云く何ぞ広略を捨て要を取るや、答えて曰く玄弉三蔵は略を捨てて広を好み四十巻の大品経を六百巻と成す羅什三蔵は広を捨て略を好む千巻の大論を百巻と成せり、日蓮は広略を捨てて肝要を好む所謂上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり、九包淵が馬を相するの法は玄黄を略して駿逸を取る支道林が経を講ずるには細科を捨てて元意を取る等云云、仏既に宝塔に入つて二仏座を並べ分身来集し地涌を召し出し肝要を取つて末代に当てて五字を授与せんこと当世異義有る可からず。(法華取要抄)

本門の「本尊」と本門の「戒壇」と本門の「題目の五字」となり。

三つが一緒になっているのって、日蓮正宗の御本尊様ですよね。

実相証得の当初修行し給いし処の寿量品の本尊と戒壇と題目の五字なり(三大秘法禀承事)

実相証得の当初とはいつのことでしょうか?お釈迦様が仏に成ったときのことでしょうか?お釈迦様は、寿量品の本尊と戒壇と題目の五字を修行されたんでしょうか?それはどのような修行だったんでしょうか?

御文に云く此の経を持ち申して後退転なく十如是・自我偈を読み奉り題目を唱へ申し候なり、但し聖人の唱えさせ給う題目の功徳と我れ等が唱へ申す題目の功徳と何程の多少候べきやと云云、更に勝劣あるべからず候(松野殿御返事)

方便品第二と如来壽量品第十六に南無妙法蓮華経の御題目が、成仏のための修行のようですね。

我々、日蓮正宗信徒はありがたいことに、五座三座の化儀を実践できる境界にいます。

彼の天台の座主よりも南無妙法蓮華経と唱うる癩人とはなるべし(撰時抄)

自分の現状を卑下してはなりませぬ。

第五 本門の戒壇を明かす
 
 凡そ本門の戒壇とは、一閻浮提の人の懺悔滅罪の処なり。いう所の「戒」とは防止を義と為す。謂く、無始の罪障を防ぎ、三業の悪を止むる故なり。
 宗祖云く「此の砌に望まん輩は無始の罪障忽に消滅し三業の悪転じて三徳を成ぜん」云云。豈非を防ぎ悪を止むるに非ずや。当に知るべし、本門の戒壇に事あり、理あり。理は謂く、義理なり。これ則ち事中の事理にして迹門の理戒に同じからず。その名に迷うこと勿れ。故にまた義の戒壇と名づけんのみ。初めに義理の戒壇とは、本門の本尊の所住の処は即ちこれ義理、事の戒壇に当るなり。経に云く「当に知るべし、この処は即ちこれ道場」とはこれなり。天台云く「仏其の中に住す、即ちこれ塔の義」等云云。故に当山は本門戒壇の霊地なり。またまた当に知るべし。広宣流布の時至れば、一閻浮提の山寺等、皆嫡々書写の本尊を安置す。その処は皆これ義理の戒壇なり。然りと雖も仍これ枝流にして、これ根源に非ず。正に本門戒壇の本尊所住の処、即ちこれ根源なり。妙楽云く「像末の四依、仏法を弘宣す。化を受け、教を禀け、須く根源を討ぬべし。若し根源に迷う則は増上して真証に濫る」等云云。今、日本国中の諸宗・諸門徒、何ぞ根源を討ねざるや。浅間し、浅間し云云。宗祖云く「根深ければ枝繁く、源遠ければ流れ長し」(取意)等云云。
 凡そこの本尊は久遠元初の自受用の当体なり。豈根深く、源遠きに非ずや。故に天台云く「本極法身は微妙深遠」等云云。
 次に正しく事の戒壇とは、秘法抄十五 三十一 に云く「王法仏法に冥じ仏法王法に合して王臣一同に本門の三秘密の法を持ちて有徳王・覚徳比丘の其の乃往を末法濁悪の未来に移さん時勅宣並に御教書を申し下して霊山浄土に似たらん最勝の地を尋ねて戒壇を建立す可き者か時を待つ可きのみ事の戒法と申すは是なり」等云云。
 
 問う、最勝の地とは何の処を指すべきや。
 答う、応にこれ富士山なるべし。故に富士山に於てこれを建立すべきなり。
 問う、その謂は如何。
 答う、且く五義を示さん。一には結要付嘱の玄鑒に由る。故に神力品に云く「若しは経巻所住の処、若しは園中に於いて、若しは林中に於いて、乃至是の中に皆応に塔を起て供養すべし」云云。文に「若しは経巻」というは、これ広略二門の法華経の経巻には非ず。即ちこれ要の法華経の経巻なり。これ則ち「要を以て之を言わば」というが故なり。要の法華経の経巻とは、即ちこれ一幅の本尊なり。これに相伝あり云云。「皆応に塔を起て」とは、即ちこれ戒壇なり。故に経文の意は、本尊所住の処に応に戒壇を起つべしとなり。然るに本門戒壇の本尊は正応元年冬の比、彼の身延を去って此の富士に移る。蓋しこれ、意あればなり。凡智の能く測る所に非ず。既にこれ富山は本尊所住の処なり。豈この処に戒壇を起てざらんや。如来の玄鑒、寧ぞ唐捐なるべけんや。
 二には日本第一の名山なるが故に。都良香の富山の記に云く「富士山とは駿河の国に在り。峯は削り成すが如く、直ちに聳えて天に属けり。其の高さ測る可からず。史籍の記する所を歴覧するに、未だ此の山より高きもの有らざるなり。蓋し神仙の游萃する所なり」云云。興師の門徒存知に云く「凡そ勝地を撰んで伽藍を建立するは仏法の通例なり、然れば駿河国・富士山は是れ日本第一の名山なり。最も此の砌に於て本門寺を建立すべき」云云。戒壇を建立して本門寺と号するが故なり。
 三には正に王城の鬼門に当る故に。義楚六帖二十一 五 に云く「日本国亦倭国と名づく。東海の中に在り。都城の東北千里に山有り。即ち富士山と名づく」等云云。台家の類聚一末 五十三 に云く「天竺の霊山は王舎城丑寅なり。震旦の天台山は漢陽宮の
丑寅なり。日本の比叡山は平安城丑寅なり。共に鎮護国家の道場なり」云云。上野殿御返事、外五 七に云く「仏法の住処・鬼門の方に三国ともにたつなり此等は相承の法門なるべし」云云。
 四に富士はまた蓬莱山と名づくる故に。義楚の六帖に「又富士と云い、亦蓬莱と名づく。徐福此に止まり今に至る。子孫皆秦氏と曰う」云云。当に知るべし、蓬莱山は不死の薬の在処なり。当初、秦王、不死の薬を求む。不死の薬は唯蓬莱に在り。故に徐福、
五百の童男、五百の童女を将いて尋ねて富山に入る。其の時、未だこの薬有らず。故に徐福、本国に帰ること能わず。終に此の処に止まれり。今謂く、これ徐福の詐には非ず。後に応に不死の薬あるべき故に、自然に預め蓬莱山の名を立つる故なり。これ則ち霊瑞感通し、嘉名早立せるなり。今は現に不死の薬あり。蓬莱山の名、豈虚立すべけんや。
 
 問う、不死の薬、今何れの処に在りや。
 答えて云く、本門の戒壇の本尊、即ちこれ不死の薬なり。
 問う、証拠は如何。
 答う、寿量品に云く「是の好き良薬を、今留めて此に在く」等云云。薬王品に重ねてこれを説いて云く「此の経は則ち為れ閻浮提の人の病の良薬なり。若し人病有らんに、是の経を聞くことを得ば、病即ち消滅して不老不死ならん」等云云。「是好良薬」とは本門の本尊なり。本門の本尊豈不死の薬に非ずや。この故に、兼ねてその処を蓬莱山と名づくるなり。寧ろ嘉名早立に非ずや。
 五には大日蓮華山と名づくる故に。神道深秘 二十六 に云く「駿河の国には大日蓮華山」云云。今これを案ずるに、山の形、八葉の蓮華に似たり。故に爾名づくるなり。
 神社考四 二十 に云く「富士縁起に云く、孝安天皇の九十二年六月、富士山涌出す。乃ち郡名を取って富士山と云う。形、蓮華に似たり。絶頂に八葉あり」等云云。
 古徳の富士の詩に云く「根は三州に跨って烟樹老い、嶺は八葉に分れて雪華重なる」等云云。即ちこの意なり。日順詮要抄に云云。「天台大師は漢土の天台山に於て之を弘通し、彼の山の名を取って天台大師と号す。富士山亦日蓮山と名づく。最も此の山に於て本
門寺を建つべし」等云云。況やまたこの義は、一致門流も未だ曽てこれを諍わず。故に弘経寺の日健の抄に云く「伝教大師は山門に迹門の戒壇を建立したまうなり。此の外に本門の戒壇とて有る可きなり。富士門徒は是を懐ろ脇指にするなり。駿河国富士山に本門の戒壇立つ可きなり。富士山を天下晴れて大日蓮華山と云うなり」等云云。若し爾らば、富士山に於てこれを建立すべき文理明白なり。
 御書外十六 四十一 に御相承を引いて云く「日蓮一期の弘法、白蓮阿闍梨日興に之を付嘱す、本門弘通の大導師たるべきなり、国主此の法を立てらるれば富士山に本門寺の戒壇を建立せらるべきなり、時を待つべきのみ、事の戒法と云うは是なり」等云云。(取要抄文段 享保二丁酉二月七日  日寛之を記す)

 

 

日寛上人様仰せのごとく、大石寺は事の戒壇となる一大秘法の大御本尊様が御安置されているところなのです。

 

総本山第六十八世御法主日如上人猊下 御指南集〈21〉

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総本山第六十八世御法主日如上人猊下 御指南集〈20〉

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日蓮正宗総本山大石寺案内

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総本山第六十八世御法主日如上人猊下 御指南集〈16〉

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総本山第六十八世御法主日如上人猊下 御指南集〈18〉

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総本山第六十八世御法主日如上人猊下 御指南集〈19〉

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総本山第六十八世御法主日如上人猊下 御指南集〈14〉

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総本山第六十八世御法主日如上人猊下 御指南集〈17〉

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総本山第六十八世御法主日如上人猊下 御指南集〈15〉

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御指南集 13―総本山第六十八世御法主日如上人猊下

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御指南集 12―総本山第六十八世御法主日如上人猊下

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総本山第68世御法主日如上人猊下 御指南集〈2〉

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御指南集 8―総本山第68世御法主日如上人猊下

御指南集 8―総本山第68世御法主日如上人猊下

 

 

日蓮正宗の五座三座の勤行は、本当に功徳がすごいという話。

更新に一月以上も空いてしまったが、これも日常が充実している証拠ということなのだろうか。

仕事が忙しくなると、どうしてもついつい略式勤行に逃げてしまいがちだった私。

いけないと思いながらもついつい怠けてしまっていたら、とうとう罰を感じることになってしまい、猛省して五座三座の勤行を実行したら、あっというまに悩みが解消してしまって、ただただ驚いたという新年早々恥ずかしい話。

ちなみに私の略式は、余裕の大きさによって三段階。

  1. 初座(方便品・自我偈・観念文)+一座長行(方便品・寿量品)+唱題+二座以降全観念文
  2. 一座長行(方便品・寿量品)+唱題+全観念文
  3. 方便品・自我偈+唱題+全観念文

でも、略式は非常手段というか、どうしても五座三座がきちんとできない時のもの。

常態化してしまってはいけないということが、今回痛切に分かった。

朝早くから夜遅くまで働くことが多いけど、信心を二の次にしてはいけないと反省した。

あなかしこあなかしこ、御みやづかいを法華経とをぼしめせ、「一切世間の治生産業は皆実相と相違背せず」とは此れなり(檀越某御返事)

信仰を生活の中心としつつも、仕事をおろそかにしない。

これが日蓮正宗信徒の生き方だと思う。

 

 

日蓮正宗の信仰や功徳を、学問的に理解しようとしても無駄な理由とは

擣簁和合(とうしわごう)の妙法を学問的に分析しても再構築はできない

父見子等。苦悩如是。依諸経方。求好薬草。色香美味。皆悉具足。擣簁和合。与子令服。而作是言。此大良薬。色香美味。皆悉具足。汝等可服。速除苦悩。無復衆患。

父、子等の苦悩すること是の如くなるを見て、諸の経方に依って、好き薬草の色香美味、皆悉く具足せるを求めて、擣簁和合して、子に与えて服せしむ。而して是の言を作さく、此の大良薬は、色香美味、皆悉く具足せり。汝等服すべし。速かに苦悩を除いて、復衆の患無けんと。

妙法蓮華経 如来寿量品第十六)

日蓮大聖人様のお題目は小さな子供でも唱えることは可能です。

「南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)」

と、戒壇の大御本尊様を信じて唱えるだけで、過去遠々劫以来(かこおんのうごういらい)の罪障が消滅し福徳に転じていくのです。

すばらしいことではないですか。

しかし、末法の凡夫は非常に疑り深くて、わざわざ理屈をコネて信じることを拒否してしまいます。

もったいないことですが、仏様はお見通しでした。

其諸子中不失心者。見此良薬色香倶好。即便服之病尽除愈。余失心者。見其父来。雖亦歓喜問訊求索治病。然與其薬而不肯服。所以者何。毒気深入失本心故。於此好色香薬而謂不美。父作是念。此子可愍。為毒所中心皆顛倒。雖見我喜求索救療。如是好薬而不肯服。我今当設方便令服此薬。即作是言。汝等当知。我今衰老死時已至。是好良薬今留在此。汝可取服勿憂不差。作是教已復至他国。遣使還告。汝父已死。是時諸子聞父背喪。心大憂悩而作是念。若父在者。慈愍我等能見救護。今者捨我遠喪他国。自惟孤露無復恃怙。常懐悲感心遂醒悟。乃知此薬色味香美。即取服之毒病皆愈。其父聞子悉已得差。尋便来歸咸使見之。

其の諸の子の中に、心を失わざる者は、此の良薬の色香、倶に好きを見て、即便ち之を服するに、病尽く除こり癒えぬ。
余の心を失える者は、其の父の来れるを見て、亦歓喜し、問訊して病を治せんことを求索むと雖も、然も其の薬を与うるに、而も肯て服せず。所以は何ん。毒気深く入って、本心を失えるが故に、此の好き色香ある薬に於いて、美からずと謂えり。父是の念を作さく、此の子愍むべし。毒に中られて心皆顛倒せり。我を見て喜んで救療を求索むと雖も、是の如き好き薬を、而も肯えて服せず。
我今当に方便を設けて、此の薬を服せしむべし。
即ち是の言を作さく、汝等当に知るべし。我今衰老して、死の時已に至りぬ。是の好き良薬を、今留めて此に在く、汝取って服すべし。差えじと憂うること勿れと。
是の教を作し已って、復他国に至り、使を遣して還って告ぐ
汝が父已に死しぬと。
是の時に諸の子、父背喪せりと聞いて心大いに憂悩して是の念を作さく、
若し父在しなば、我等を慈愍して、能く救護せられまし。今者、我を捨てて遠く他国に喪したまいぬ。
自ら惟るに孤露にして復恃怙無し。
常に悲感を懐いて、心遂に醒悟しぬ。乃ち此の薬の色香味美なるを知って、即ち取って之を服するに、毒の病皆愈ゆ。
其の父、子悉く已に差ゆることを得つと聞いて、尋いで便ち来り帰って、咸く之に見えしめんが如し。(妙法蓮華経 如来寿量品第十六)

まさに、世間の学者や謗法の僧侶、異流儀の信者たちの姿ですね。

日蓮大聖人様は自身を法界とひらく御本仏様ですから、御内証においては即座に頓悟されていたでしょうが、法華経を身で読むために諸寺に遊学され、諸々の大難を受けられたのち、身命をすてて信心を貫いた熱原の法華講衆の出現に時を感じられ、弘安二年に本門戒壇の大御本尊を御建立あそばされました。

そのことは、「 聖人御難事」に明確に述べられております。

仏は四十余年・天台大師は三十余年・伝教大師は二十余年に出世の本懐を遂げ給う、其中の大難申す計りなし先先に申すがごとし、余は二十七年なり其の間の大難は各各かつしろしめせり(聖人御難事)

大聖人様の御悟りを凡夫は己の見識で理解しようとしても、仏教学や仏教史の知見から分析し帰納法的に同じ知見にはたどり着けないのです。

今の経は唯仏与仏と談ずるが故なり、譬喩品に云く「汝舎利弗尚此の経に於ては信を以て入ることを得たり況や余の声聞をや」文の心は大智・舎利弗法華経には信を以て入る其の智分の力にはあらず況や自余の声聞をやとなり、されば法華経に来つて信ぜしかば永不成仏の名を削りて華光如来となり嬰児に乳をふくむるに其の味をしらずといへども自然に其の身を生長す、医師が病者に薬を与うるに病者・薬の根源をしらずといへども服すれば任運と病愈ゆ若し薬の源をしらずと云つて医師の与ふる薬を服せずば其の病愈ゆべしや薬を知るも知らざるも服すれば病の愈ゆる事以て是れ同じ、既に仏を良医と号し法を良薬に譬へ衆生を病人に譬ふされば如来一代の教法を擣簁和合して妙法一粒の良薬に丸ぜり豈知るも知らざるも服せん者・煩悩の病愈えざるべしや病者は薬をもしらず病をも弁へずといへども服すれば必ず愈ゆ、行者も亦然なり法理をもしらず煩悩をもしらずといへども只信ずれば見思・塵沙・無明の三惑の病を同時に断じて実報寂光の台にのぼり本有三身の膚を磨かん事疑いあるべからず、されば伝教大師云く「能化所化倶に歴劫無く妙法経の力即身成仏す」と法華経の法理を教へん師匠も又習はん弟子も久しからずして法華経の力をもつて倶に仏になるべしと云う文なり(聖愚問答抄下)

妙法一粒の良薬をバラバラにしても、成分表みたいなものを作るのが関の山でしょう。

それでも大慢心の衆生が充満している末法ですから、日蓮正宗猊下様は可能な限り妙法の意味を説いてくださっています。

ぜひ、日顕上人様の「妙法七字拝仰 上巻」「妙法七字拝仰 下巻」「三大秘法義

を手に取って読んでみてください。

始めは難しいかもしれませんが、何度も読んでいけば読書百遍義自ずから見るに至ります。

願わくば、日蓮正宗の御授戒を受けて、仏法理解の大願を戒壇の大御本尊様に、御祈念できる境界になられることをお祈りいたしております。

日蓮正宗 寺院紹介 全国

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三大秘法義

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妙法七字拝仰 上巻

妙法七字拝仰 上巻

 

 

 

妙法七字拝仰 下巻

妙法七字拝仰 下巻

 

 

 

 

 

日蓮正宗の信仰と人生観

人生観は人それぞれに違っていて当然だと思います。

私の子供のころは、勉強を頑張っていい大学に入って医者になることや、司法試験に合格することが最高の名誉だと思っていました。これは、あくまでも過去の私の人生観です。

私は医者にも弁護士にもなれませんでした。

昔、中島敦の「山月記」という小説を読んだことがあります。中島敦は私の好きな小説家の一人ですが、「山月記」の主人公は人に秀でた才能を持ちながら、人生の挫折を乗り越えることができずに妖怪「人喰いトラ」となりました。

一般世間の人生観の主流は、おそらくは成功とか名誉だと思います。

でも、成功しなければ幸せになれないのだとしたら、せっかく人間に生まれても幸福を得られる人というのは非常に限られてしまいます。

世間のことわざにも「禍福は糾える縄の如し」という言葉がありますが、執着を離れ仕事に家庭に満足感を持ち、末法濁悪の娑婆で仏道修行ができる喜びに勝るものはないと、実感できるようになることで本当に見えてくる景色がありました。

日蓮正宗の御本尊様は観心の御本尊様です。

自分の心を観ることができる、そして仏の心に境智冥合できる御本尊さまです。

大聖人様の御書を読んでいただければわかりますが、当時の鎌倉仏教界の成功者ではありません。

仏様は成功などに執着されませんでした。

この境地に自然に達する方法が日蓮正宗の信仰だと思っています。

誤解があるといけませんので、成功が悪いというのではありません。自分の人生を肯定できるようになることが成功の基本だと思っているのです。

賢人は八風と申して八のかぜにをかされぬを賢人と申すなり、利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽なり、をを心は利あるに・よろこばず・をとろうるになげかず等の事なり、此の八風にをかされぬ人をば必ず天はまほらせ給うなり(四条金吾殿御返事)

 

李陵・山月記 (新潮文庫)

李陵・山月記 (新潮文庫)