2021年 6月 の投稿一覧

池田先生「子どもはのびのびと」






青年抄より

我が家にも近所のちっちゃな子が遊びに来ることがある。

家宅侵入をしてくるなり、とっとっと台所の冷蔵庫に直行し、中身の宝物をさらっていく。

本部にも、私の幼い友達はやってくる。彼らは、自由に動き、時には粗相もする。

親は慌てて子を叱ろうとするが、私は、叱る親を止める。

未来からの使者は、のびのびと自由奔放に育てたい。





子育てというと、とかく大人は型にはめようとしたがります。

保育園など、何百個のルールがあるか分かりません。

それを幼児に全て覚えさせて守らせようとする事自体、無理がありますが、それを無理やり守らせようとするから、「ルールを守らせること」が保育士の仕事になってしまいます。

全ての子どもには、本来、自分で学び育つ力があるはずです。

子どもの自然な成長を妨げないことが、真の保育であり教育なのです。


葬儀と墓地問題。

親が年老いてくると信仰関係なく葬儀やお墓はどうする?という話が自然と出てくると思いますが、これが創価が絡むとややこしくなります。先日当ブログの読者の方から親御さんの兄弟が学会葬で葬儀をしないと代々のお墓に入れさせないと言われたと相談を受けました。自分で購入したお墓ならともかく先代が購入した墓を相続しただけなのに「入れさせない」って創価民ならではの発想ですね。これが一切衆生と世界平和を唱える創価民だというのですから驚くばかりです。創価の墓苑は学会葬しないと埋葬できなんですかね?そんな話は聞いたことないですけど子孫が紛争しないためにも創価の墓苑は取得するのはやめた方が良さそうです。またボクの折伏したO君も親御さんの葬儀の時はどうすれば?創価の墓苑に遺骨を埋葬してもいいのか?と色々と考えているそうです。O君には「そんな事悩んでいる暇があったらとっとと親御さんを折伏して正宗に戻せばいいんだよ。それで全て解決だろ」って言ってます(笑)がそれがすぐにできれば苦労はしないということは重々承知しています。お墓に関しては創価の墓苑だろうと他宗の寺だろうと樹木葬だろうとどこに埋葬しようが何の問題もありません。故人や遺族の感情はあるでしょうがお墓(埋葬場所)自体は成仏と無関係ですからね。ただ葬儀はそういうわけにはいきません。お墓は成仏と無関係ですが葬儀は成仏に大いに関係するからです。他宗の僧侶の引導でも成仏は覚束ないのに、大御本尊を捨てた大謗法の何の修行もしていない創価のオッサンが本尊風の掛け軸に適当な読経をして題目を唱える学会葬なんて地獄へ一直線です。故人も遺族も成仏するのが願いなのに学会葬なんてやった日には目も当てられない。
◆人死すれば魂去り其の身に鬼神入り替つて子孫を亡ぼす、餓鬼といふは我をくらふといふ是なり、智者あつて法華経を讃歎して骨の魂となせば死人の身は人身心は法身生身得忍といへる法門是なり(木絵二像開眼之事)
との御妙判にあるように、どんな人でも死に際しては鬼神がその身に入ろうとやって来ます。そして本人ばかりかその子孫まで滅ぼそうとするわけです。しかし法華経を悟られた智者に弔われることによって鬼神が身に入ることを防ぐばかりか法身として成仏できるわけです。智者である大聖人の弟子の正宗のご僧侶の読経・唱題の引導があり成仏に導かれるわけです。大謗法の学会葬は悪鬼・鬼神を呼び寄せるだけですから恐ろしいことです。ですからお墓はともかくとして葬儀は正宗のご僧侶に引導していただくのが一番いいでしょう。とはいえ、それができればモメないんですね。それが出来ないから悩む。様々な理由で残念ながら学会葬になってしまうこともあるでしょう。私だって祖母は学会葬でしたし。そのような時は大御本尊に題目を申しあげ、また塔婆を立てすぐに故人を地獄から連れ戻してあげればいいでしょう。ですから学会葬であっても悲観する必要はありません。ただ私が思うに、だからといって学会葬に反対もしなければ破折もしないのは違うでしょう。学会葬を主張する親戚・兄弟に対してはその間違いを指摘し破折し折伏する。それでも仕方なく学会葬になってしまったのであれば大聖人もその遺族の人の信心を愛でられ故人を地獄に落とすことはないと思います。私はそこが大事だと思います。先日の読者の方も学会葬を阻止すべく親戚・兄弟に学会の謗法をしっかり話し破折して激怒されたそうでが私はその信心であれば仮に親御さんの葬儀が学会葬になったとしても親御さんは成仏できると思います。ともあれ親族間で法華講と創価に分かれている場合は葬儀や墓地について対立するのは大変な苦労ですが、そうした対立した時こそ一族の中の謗法創価を破折・折伏するチャンスでもあります。まぁ本当はそうなる前に決着つけていですけどね。
(追伸)週末は私用で出かけますのでコメントへのお返事が遅くなるかもしれませんのでご了承う下さい。

▼1日1押し期待してます(笑)

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願いと祈りは本当に叶う

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日興も天台沙門を認めている。




いつもみなさん、ありがとうございます。



さて創価学会大石寺では、日蓮の六老僧のうち、日興以外の五老僧は、自分たちが「天台沙門」だと認めていて、そのことを批判していたりします。
例えば創価学会の公式ホームページ「SOKA Net」でもそのことはきちんと書かれてあります。

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まあ、自分たちの宗教的か立場を主張することは別に構わないのですが、肝心の日興本人が日蓮を「天台沙門」と書いて残しているのは、どう説明したらよいのでしょう。
以下の画像は、静岡県・玉沢妙法華寺蔵のにっによる『立正安国論』の写本です。冒頭にきちんと日興本人の筆で「天台沙門日蓮之勘」と書かれています。この写本が日興真蹟であることは、大石寺59世堀日亨も『富士日興上人詳伝』で日興筆で間違いないことをきちんと認めています。

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つまり日興本人もまた日蓮が「天台沙門」であることをちゃんと認めていたことになります。
こういうところをきちんと検証もせずに軽々しく五老僧が「天台沙門」だと言ったことを一方的に断定して批判するのは、宗教団体として不誠実だと私は個人的に思います。



追記
六老僧中、五一の相対と言って日興と五老僧の対立構図を徒に主張するのは、日興門流中にあった自山を特別視する教派性から出てきたものであって、日向以外の日朗ら四老僧と日興は敵対していません。また大石寺4世日道の『三師御伝土代』によれば、富士山の日興のもとへ日朗が訪ねてきており、日興を日朗が賞賛したと記録に残されています。



「日朗の富士訪問」

「日興は四老僧と敵対していない」













池田先生「出勤は余裕をもって」

青年抄より

私は、朝は、定刻の一時間前くらいには出社して、机や椅子を掃除することにしていた。

誰から言われたことでもないのであるが、社会人としての第一歩を踏み出したということで、大いに張り切っていたからなのだろう。





朝はギリギリまで寝ていたいのが人情ですが笑、ギリギリの出勤だと時間にも余裕がなく、少しトラブルがあるとすぐ遅刻になってしまいます。

早めに出勤して机でもふいていれば、ちょうどいいウォーミングアップにもなり、始業からトップギアでスタートできます。

日々の勤行においても、お題目の前にあえて釈迦の法華経を読むのは、ウォーミングアップの意味があります。

何事も、ピークに持っていくには準備が必要です。仏法即生活法なのです。


第2回 世界教育者サミット

6/24
今日の一面

アメリカ創価大学が主催
第2回 世界教育者サミット
池田先生のコロンビア大学
ティーチャーズ・カレッジ公講演25周年
環境運動家ワンガリ・マータイ氏の息女
ワンジラ・マタイ氏が特別講演

世界教育者サミット?
教育者だったの?
なんの?集金マシーンの作り方?




公明党の価値を説明できる大切な「視点」

☆少数者の声を聞く力. 以下に、6月18日の聖教新聞一面の写真を添付します。 写真解説「タイトル“少数者に優しい社会とは誰もが暮らしやすい社会”の記事写真です」 創価学会とは何かということを説明することはムズカシイけれど、 信仰を日々実践している学会員からすれば、個々に あるていど学会については説明できるでしょう。 なぜ信心が必要なのか、なぜ大聖人の仏法でなければならないのか。 池田...