2021年 4月 の投稿一覧

仏界を強めゆく信心



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 四月も今日で終わり、新緑鮮やかな五月の幕開けです。世の中はコロナコロナで外出もはばかられるご時世ですが、私も農作業や家の片づけをしながら、連休の間は唱題中心に過ごそうかと思います。

 このブログとは別に「法華経の智慧ノート」というブログをやっていましたが、ここしばらく一年以上お休みをしていました。一巻の途中で止まっておりましたが、せめて一巻だけでも終わらせたいと腰を上げ、先日から再開しました。

 その意味で私なりに再挑戦です。池田先生も一番地味な精進の中に成長があると言われました。周りがあっと驚くような見栄えのいい成果を人は欲しがるものですが、内面が人間革命していく信心は、唱題に学会活動にと誠に地味な作業の連続です。教学も一人コツコツと積み上げる孤独で地味な作業です。

 しかし、そうした精進によって確かに自分は変わったと言える人になる。「より一層、広宣流布に燃えて生きる自分になりました!」そう言える人は「人間革命」している人だと思います。そうなれば宿命転換の大半はできたも同然ではないでしょうか。

 表面的に元気だったり、うまくいっているということも生命力かもしれませんが、たとえ病であったり貧しい姿であっても、内面に求道心がある人、また深く人生と生命を見つめ自己変革に挑戦している人には、やはり美しい輝きを感じるものです。海を見て表面の波や海上を見る人は多くても、海中、海底にまで思いをはせる人は少ないかもしれません。しかし、海の大半は見えないところにあります。

 同様に人の生命も目に見える外面だけ見ていたのではほんの一部です。大半は宇宙大と言われる見えない心・生命にあります。人の生命を深く見る眼は私にはありませんが、うわべの姿ではない相手の生命の深奥を見つめて対話したいものです。

 ともあれ、信心が強くなれば仏界をあらわすことができます。その意味で私たちの信心の目的は日増しに仏界を強めていくことだと言えます。それは終わりなき、そして果てしなき旅ですが、昨日よりも今日、今日より明日と、信心に強く立つことこそ、「人間革命」が進んでいる証拠であり、歓喜、確信もいや増していきます。

 ちょうど「法華経の智慧」では「諸法実相」の意義について学んでいます。諸法(宇宙の生命、営み)が実相(妙法)と知らないところに迷いがあり、不幸の根源となっていくことは、仏様でなければ解き明かせない因果であります。それを学会の人々は教学の上で知り、仏法実践によって体得すべく励まし合って前進しています。それがどれほど先進的なことか・・・日蓮仏法を知らない人に説いても、まるで江戸時代の人にコンピューターを見せるようなもので、大半の人は驚いて100メートルほど後ずさりすることでしょう。(笑)

 母親が赤子にお乳を含ませるように、大聖人様は立宗宣言以後、妙法を人々に飲ませたいと、そのことだけを案じて戦ってきたと仰せです。仏は「毎時作是念」(まいじさぜねん)、片時も休むことなく衆生の一生成仏を案じてくださっています。「励めや、励めや」「法華経のことのみ案じていきなさい。」と、最近は私の耳にも始終信心を促す声が、聞こえてきて仕方がありません。

 ならば私たち衆生も片時も休むことなく、妙法を求め、お題目を唱え、仏を渇仰していけば、師と弟子が一体となっていくことは間違いない。相思相愛です。(笑) 私の好きな御書の一節ですが、「鎌倉から京都へは13日の道のり、それを12日で諦めては都の月を眺めることはできない」と仰せです。時には静岡や名古屋あたりでうろうろしている私ですが・・・難所関所を乗り越えて、追いはぎや山賊に命を狙われようと、賢き知恵と諸天の加護を得て、何としても都までたどり着きたいと思います。


  コロナウイルスも魔性、鬼神の災いであり、人々を分断し、平和を破壊する大悪と言えますが、妙法を根本とする時、それら悪鬼でさえ善神へと変えゆくことができるはずです。また妙法の祈りで撲滅できるものと思います。その意味で私たち学会員の使命はとても大きい。

 コロナウイルスを平和と人間生命を脅かす魔の所為と知る人は、学会員のみといっていいかもしれません。その正体は正法誹謗・正法不信であります。仏の軍勢にこれ以上領地を奪われまいと第六天の魔王が危ぶみ、人々の連帯を分断しようと蠢めくのです。一国のみならず全世界が総罰を受け瀕死の今こそ、その魔を根源から粉砕するのは仏の軍勢の強盛な祈りであり、先を見つめれば仏法興隆の前兆とも言えるものです。

 「忍難弘通」とは日蓮大聖人様、牧口先生、戸田先生、池田先生が歩まれた広宣流布の王道です。私たちも後に続き、コロナと自身の宿命という苦難を耐え忍びながら、師子王の負けじ魂で応戦し、自他共の幸福のために前進していこうではありませんか。

 

 

『玄義』本十妙 十重の1、略釋の本十妙

本十妙十重略釈少し思うところあって、『玄義』の本十妙を読み直す。
図は、十重の1、略釋の、本十妙の本文を整理したものである。


本十妙の十重とは、1略釋2生起次第3明本迹開合4引文證成5廣解6三世料簡7論麁妙8結成權實9利益10觀心


略釋

本因妙
本初發菩提心。行菩薩道所修因也。若十六王子在大通佛時。弘經結縁。皆是中間所作非本因也。若娑婆爲墨。東行千界方下一點。點不點等盡抹爲塵。一塵一劫。復過於是百千萬億那由他劫。彌勒補處。以出假種智直數世界。尚不能知。況數其塵寧當得盡。特是如來巧喩。顯其長遠之相。況以世智巧歴算數耶。
文云。我以佛眼觀彼久遠。猶若今也。唯佛能知如此久遠皆是迹因。非本因也。若留中間之因。於後難信。是故法華拂迹除疑。權而非實。我本行菩薩道時不在中間。過是已前所行道者。名之爲本。即是本因妙也。

本果妙
本初所行圓妙之因。契得究竟常樂我淨。乃是本果。不取寂滅道場舍那成佛。爲本果也。尚不取中間之果以爲本果。況舍那始成。云何是本。但取成佛已來甚大久遠。初證之果名本果妙也。

本國土妙
本既成果必有依國。今既迹在同居。或在三土中間。亦有四土。本佛亦應有土復居何處。
文云。自從是來。我常在此娑婆世界。説法教化。按此文者。實非今日迹中娑婆。亦非中間權迹處所。乃是本之娑婆。即本土妙也。

本感應妙
既已成果。即有本時所證二十五三昧。慈悲誓願機感相關。能即寂而照。故言本感應也。

本神通妙
亦是昔時所得。無記化化禪。與本因時諸慈悲合。施化所作神通。駭動最初可度衆生。故言本神通也。

本説法妙
即是往昔。初坐道場始成正覺。初轉法輪四辯所説之法。名本説法也。

本眷屬妙
本時説法所被之人也。如下方住者。彌勒不識即本之眷屬也。

本涅槃
本時所證斷徳涅槃。亦是本時。應處同居方便二土。有縁既度。唱言入滅即本涅槃也。

本壽命妙
既唱入滅。則有長短遠近壽命也。

本利益妙
本業願通應等眷屬。八番十番饒益者是也。

につづく ―

池田大作国連研究学会

4/30
今日の一面

イギリス バッキンガム大学に
池田大作国連研究学会
名誉博士号授与10周年を記念
オンラインで発足式
トゥリー学長「共に人類貢献の道を歩みたい」
創価大学と交流協定を調印


この記事のキーワードは、
"国連"   だろうな。

センセーは、国連も、認めてる!って、
見出しが、誘導するからね。

記事本文読んだら、
国連にカネを払う事。を指す様だけど、
おばちゃん達は、
国連の学会かなんかと、勘違いして、
センセー、バンザイ!って、
目ぇ、キラキラさせて、
喜ぶんだろうな。

せっかく、カネ払って、
2部も3部も、新聞とってんだから、
記事も、ちゃんと読んだらいいのに…。

命がけで御本尊様にぶつかれ

☆二度、死ぬ気で祈り抜く. 「命がけで御本尊様にぶつかれ」と題される指導を示します。 戸田城聖先生「講演集」に宿命転換の祈りが書かれています。 以下にその内容を抜粋し、所感を述べます。 >支部長は、わが子のようにかわいい。 みなに勝たせてやりたいと思うが、そうもゆかぬ。 支部長、地区部長、班長、組員と、みな いっしょうけんめいに働いている。 一銭ももうかるわけではないが、 その報酬...

創価が宗教ではないことの証拠は、現実の学会員さんの人生そのものです。

久しぶりに更新します。

いろいろと思うところがあって、更新しないでいました。というより、このところこのブログを書く気持ちが薄れていたように思います。コメント欄を停止している代わりに、しばらく宗教についての常識的なことを書いていました。創価に疑問を抱く学会員さんに、宗教についての常識を知ってもらったら、創価がまともな宗教ではないことぐらいは気づいてもらえるかもしれないと思ったからです。

創価脳さんに一般的な宗教についての常識を話しても「創価以外は間違った宗教だ」としか思えないのですから、どんなに事細かに宗教についての話をしても無駄ですが、創価に少しでも疑問を持てるようになった学会員さんであれば、ここで一般的な宗教についてどれだけ知らなかったのかということに気がついてもらえるかもしれないと思ったのです。

ただ、そんな普通の話を書いているうちに、べつに自分がわざわざこんな話を書く必要もないんじゃないかと思うようになって、なんとなく更新できないでいました。

つまり、学会員さんであっても、常識を常識として受け入れることができれば、自ずと創価が宗教ではないことに自分で気づくはずだと思います。「創価以外の宗教は間違いだ」などとメチャクチャなことを信じている間は、箸にも棒にもかかりませんが、「創価ってちょっとおかしいんじゃない?」と思えるまで自分を取り戻すことができれば気づけるようなことだと思います。要するに、宗教についての常識的な知識を知ることでも、その常識を常識だと受け止めることができるメンタルがあれば、学会員さんであっても創価がおかしいことに気づけると思います。

実際に、このブログにたどり着いて「創価はやっぱりおかしかったんだ。宗教なんかじゃなかったんだ」と気づいて活動をやめたり脱会できた方がたくさんおられます。このブログでなくても、他のアンチ創価ブログを読んで覚醒した学会員さんがどんどん増え続けているのも事実です。要は「学会員さんが普通のメンタルを取り戻すこと」が創価問題を解決する方法だということだと思います。

このブログを休止してから80日ほどになりますが、創価問題に対する私の気持ちも以外のほどの変化がありました。以前はきつい思いをしても書かずにおれなかったのが、今はそれほどでもなくなりました。熱が冷めたという訳ではありませんが、コメント欄を停止して、自分一人が思うことを書いても、これまでさんざん書いてきたことなだけに、繰り返しになってしまうのと、やはりこのブログはタイトルが表しているように対話の場であることに意味があると再認識した次第です。

なので、もう少ししてから、コメント欄を再開しようと思います。

前スレのタイトルは「創価が宗教ではないことは誰にでもわかります」です。誰だってわかるのに、創価脳さんだけがわからないという現実に創価脳さんが気づかない限り、創価は学会員を騙し続け、学会員さんからお金を騙し盗り続けるという犯罪は止まりません。創価の被害者は学会員さんです。私はその被害者である学会員さんが一人でも少なくなってほしいという気持ちでこのブログを続けてきたことに変わりはありません。創価脳と空虚なバトルをするためではありません。ネット上では学会員と正宗の信者が創価の本尊と正宗の本尊の違いを論争したりしてますが、そんなの目くそ鼻くその違いでしかないです。正宗も創価のようなカルトをいつまで相手にするんでしょう。そんなことすらどうだっていいんです。そんなことをいい歳したおっさんたちがネット上で議論することにどれほどの意味があるのでしょう。かつてはそう思っていましたが、今となってはもう「勝手にしたらいいじゃん」と思うようになりました。まともな対話すらできないような人に何を言っても無駄ということを、このブログを休止する少し前にも随分と思い知らされました。

だから、これからブログを再開するにあたり「論争はしない」ということを徹底したいと思います。論争したばっかりに、思わぬところでいろんな人がゴタゴタに巻き込まれてしまい、たくさんの人がいらぬ時間を使い、心を砕くことになってしまったからです。このブログの目的は創価被害を少しでも少なくしたいということです。議論して買ったの負けたのということに何の価値を置くものではありません。

前スレまでの流れでは、これからギリシャ哲学からユダヤ教、キリスト教、イスラム教についての話をするつもりでしたが、そうしたものはYOUTUBEにもわかりやすい動画がたくさんあります。そうしたものを見ただけでも、学会員さんがいかに間違った宗教観を植え込まれているかがわかります。今の日本の仏教が異様なほど変わりはてた姿で継承されているかも、詳しい専門書など読まなくても、動画を眺めるだけでもわかることです。ましてや創価が宗教でないことはもちろん、会員からお金を巻き上げることを目的とした悪質な詐欺集団であることも簡単にわかるんです。学会員さんがそのことをわからないのは、わかるのが恐ろしいからです。わかってしまうと自分の人生を否定しなければならなくなると、心の底では薄々わかっているから、何が何でも認めようとしないんだと私は思います。このブログを始めた頃はそれでもなんとかわかってもらいたいと思いながら続けていましたが、今はもう「わからない人に無理しても無駄」と割り切れるようになりました。というか、本当に無駄だと思うようになりました。それはこの数年の間に兄が創価脳のまま癌で急死したのも大きかったです。その後、兄嫁は相変わらずの創価脳のままです。夫婦共に創価に一生を捧げてきたのに、二人とも病気や事故が絶えず、最期は手の施しようのない末期癌が見つかってあっという間に亡くなった兄と、子どももなく一人で生活している兄嫁の姿をみると、こうやって創価に死ぬまで騙されて死んでしまう学会員は今もいるんだという現実に、我が身の無力さを思い知ったからなのだと思います。

だから、わかる人とだけ話をする場にしたいと思っています。創価のどんなにおかしなことを指摘しても、それをおかしいと思えない人には伝わらないし、文字通り話にならない。創価を信じてともに真面目に活動してきた夫が非業の死を遂げても、創価を少しも疑うことができない兄嫁の姿を見て、私はどこかプツッと心の糸が切れたような気がします。

私が学会員さんに言いたいことは、やはり「目の前の現実を見ましょう」ということにつきます。創価学会を信じてきた自分や自分の周りにいる学会員さんの現実を見ることができれば、創価学会が何なのかがわかるはずだと。逆に現実をむることができないでいるから、創価学会が素晴らしい宗教だなどと信じてしまうんだということです。そういう意味では、学会員さんはとんでもない現実逃避をして、自分が不幸であることに気づけないでいるんですね。人生、誰にだっていろんなことがあります。しかし創価を信じることは不幸でしかないことははっきりしています。創価じゃなければ幸せなのかというと決してそうではありません。しかし、創価でいる限り幸せになることはないと断言できます。その証拠は、これまでの学会員さんの人生が全てを証明してくれています。これ以上明確な動かしがたい証拠はないと思います。もう一度言います。創価が宗教ではないことの証拠は、現実の学会員さんの人生そのものです。

ということで、もう少ししてから、折を見て、コメント欄を再開しようと思います。それまでもうしばらくお待ちください。

池田先生「絶対に折伏するな」






訪ソした池田先生を、ソ連に移住した学会員の女性が訪ねてきました。レニングラード(当時)でのことです。

その女性会員に、先生は厳しく指導されました。

「絶対にソ連で折伏してはいけない。学会員と口にしてもいけない」

ソ連での広宣流布に燃えていた彼女は、その場で泣き伏してしまいました。

共産党独裁体制の下で大きな組織を築くことは、それ自体が当局の弾圧を招きかねません。

組織拡大のために、殉教者を出すことは、絶対に防がなくてはならないと、池田先生はお考えでした。

組織のために個人を犠牲にするのは、全体主義そのものであり、仏法とは対極にあります。

根本は組織拡大ではなく、あくまで「一人の会員の幸せ」なのです。