2020年 6月 の投稿一覧

「新・人間革命」と私 北海道男子部長 平井祐嗣さん

​〈心に刻む珠玉の言葉〉​「新・人間革命」と私 北海道男子部長 平井祐嗣さん 師弟の絆の強さは、物理的な距離によって決まるのではない。己心に師が常住していてこそ、最強の絆で結ばれた弟子であり、そこに...

大白蓮華 2020年7月号 巻頭言 「立正安国」の勇気の大光を

​大白蓮華 2020年7月号2020年(令和2年)7月号(No.849)巻頭言 「立正安国」の勇気の大光を                                                    池田大作 わが師弟の旅は「立正安国論」と共に始...

#332 執拗に「創価学会の中に総括・ノルマは見たことも聞いたこともない」と言い張る一方で、暗に総括・ノルマがあることを認めている創価学会員のご意見の検証(笑)

当会動画チャンネルでは、創価学会の組織活動、布教活動、体質、指導性の問題を検証してきているが、こういう話題になると、創価学会員とおぼしき人たちが寄ってきて、大量のコメントを残している。その中で、創価学会の中に総括・ノルマがあるのに、「ない、ない」「見たことも聞いたこともない」と言い張っている創価学会員がいる。しかしその創価学会員は、片一方で、暗に総括があることも、ノルマがあることも認めているのである。この創価学会員の場合は、創価学会の外部の人を、創価学会の未活の会員よりも「下」に見ているので、創価学会の外部から、創価学会活動の検証をされることが、感情的に面白くないだけのこと。それで、片意地張っているだけなのである。



 

 

#331 「戒壇の大本尊」大石寺9世日有偽作の真実6・正本堂の意義付け問題の中で「戒壇の大本尊の在所が事の戒壇」を一般に公開せざるを得なくなった大石寺66世細井日達法主

大石寺9世日有が発明した「戒壇の大本尊を安置して祀る処(在所)が事の戒壇」という大石寺独自の教義は、「戒壇の大本尊」の他、二箇相承、日興跡条条事、百六箇抄、日蓮本仏義等が大石寺9世日有の偽作であることを解き明かす重大な証拠である。ではなぜそんな教義を、大石寺は自分で公開しているのか、という疑問が出るが、大石寺は往古の時代から近現代まで、「戒壇の大本尊の在所が事の戒壇」との教義を一般に公開していなかった。事の戒壇とは、三大秘法抄、一期弘法抄の広宣流布の時の事の戒壇だと言っていた。「戒壇の大本尊の在所が事の戒壇」との教義を僧侶・信徒・未入信の一般も含めて全てに公開した最初は、大石寺66世細井日達法主の197053日の第33回創価学会本部総会での説法「大御本尊は大聖人の一身の当体でありますから、本門戒壇の大御本尊安置の処はすなわち事の戒壇であります。…正本堂は事の戒壇であります」(日達全集2-5-p500501)が最初である。これ以降、公の場において、大石寺66世細井日達法主が「戒壇の大本尊の在所が事の戒壇」との教義を説法している。ではなぜ、わざわざ大石寺66世細井日達法主は、「戒壇の大本尊」が大石寺9世日有の偽作であることがバレてしまう「戒壇の大本尊の在所が事の戒壇」の教義を、自ら一般公開する説法をしたのか。それは196453日の創価学会・池田大作会長の正本堂建立発願以来、正本堂の意義付け問題があった。細井日達法主は「正本堂に戒壇の大本尊を安置する」説法をしただけなのに、この説法に尾ひれが付いて、「正本堂は実質的な本門戒壇」「正本堂は三大秘法抄、一期弘法抄の事の戒壇」と、どんどんエスカレート。そこへ「事の戒壇とは国立戒壇だ」とする妙信講が噛みついて、日蓮正宗、創価学会、妙信講の三つ巴の紛争になった。この紛争を終息させるために、大石寺66世細井日達法主が「戒壇の大本尊の在所が事の戒壇」の教義を、自ら一般公開して「正本堂は戒壇の大本尊を安置するから事の戒壇」として宗内の紛争をまとめて、納めようとしたのである。しかし皮肉なことに、この細井日達法主の説法で、逆に「戒壇の大本尊」が大石寺9世日有の偽作であることが明らかになってしまうのである。



 

 

今、ここから現当二世の信心を!

 

 コロナの問題も先行き不透明で予断を許さない状況が続いています。どなたであれ感染のことを思うと、もやもやした気分で日々をお過ごしかと思います。自分一人気が晴れても、世の中全体がこういう状況では、やはり心から喜べないものです。

 経済的にも精神的にもつらい日々ですが、同志の方々と励まし合いながら乗り越えていかねばと思います。

 どんな状況であっても広宣流布という目的に自分の生命を定めていく・・・そこさえ見失わなければ、心がぶれることも迷うこともありません。迷ったときは原点である広宣流布という目的観に立ち返って、そのために自分の道を開こうとの思いで、私も御本尊に向かうことにしています。

 前回の記事にも少し書きましたが、信心は現当二世です。過去は問わない・・・過去はすでに過ぎ去り記憶の中にしかないものです。また未来も全くの白紙なのです。あるのは今の自分のみです。今日から、今の自分から生まれ変わると決めれば、過去の悪事など夢の如くスーと消えて(笑)、仏の生命としてまっさらな自分でやっていけます。




image1.jpeg





 仏の生命としてやっていくのですから、清らかで楽しく、祈りは叶っていく・・・仏の未来が暗いなどそんな馬鹿な話はありません。自分の信心でどんな素晴らしい未来でも作れるのに、不安なことばかり考えているとそうなってしまうではありませんか。

 物事にはすべて目的があります。商売人は金儲けが目的であり、物理学者は宇宙の真理を発見することが目的です。菩薩の境涯の人は人を幸福にするのが目的、男性が女性に高価なものを買うのは気を引くのが目的です。(笑) と、高尚なことから低俗なことまですべては何らかの目的があるものです。

 信心の目的は自分も他者も幸福にすることです。題目をあげるのは、自分の生命の仏性を呼びあらわすため。折伏をするのは他者の心田に下種をして、仏界を呼び覚ますためです。題目も折伏も自他共の仏の生命をあらわし、絶対的幸福すなわち一生成仏を果たし、三世永遠の幸福を獲得することが目的です。私が言うまでもなく、それを世界中に弘めゆくことが広宣流布です。

 それゆえ信心に励むことは人としての最高善であり、無上道となります。仏弟子としてまた仏の使いとして大善を為すのですから、果報としてその人には仏の生命が現れます。仏様からのご褒美です。上中下根と機根は様々ですが、どなたも一生の内には必ず仏となると説かれるのですから、これをしないという人は、本当に損をするのがお好きな人としか言いようがありません。

 世の中、疑い深い人が多いですが、この信心だけは信じたほうがいいのです。それが幸福への一番の近道ですが、皆さん自分に自信がおありなのか、仏法に素直な人が少ないことが残念ですね。

 池田先生の「諸法実相抄講義」(池田会長全集10巻)の中に戸田先生の次のような言葉が引用されています。

 戸田先生:「この私の悩みは、信心に強く立つものが少ないことである。また、初心の者が、御本尊のご威徳を信ぜずに、退転することである。これらの者は、なんと浅はかなものであろうか。清水のごとく、こんこんとわき出る功徳の味を、味わいきれずに、死んでしまうのである。なんと、かわいそうなことではないか。私の胸の中は、キリで、もみこまれる思いで一杯である。」(戸田先生巻頭言)

 何らの徳もなく、人一倍愚かな衆生であり、創価の陣列からも最も遠い人間だと思っていた私ですが、幸いにも創価学会と池田先生だけは捨てることなく今日まで来ることができました。それだけが私の福運です。

 その福運に報恩感謝の心で応えていく・・・そうすればまたわが身の福運が雪だるまを転がすように大きくなる。感謝の題目、歓喜の折伏が1の福運を10に、10の幸いを100にしていく・・・それが幸福の軌道に乗るということだと思います。

 一人の一念が世界を変えるという信心です。我らの祈りでコロナ魔で鬱屈とした世界を「三変土田」し、清らかで明るい世界に変えなければなりません。そのためにも今から、今日から、自分からと決意も新たに出発していきたいと思います。








学生部結成記念日

6/30
今日の一面

きょう 学生部結成記念日
希望の哲学で
新たな歴史を開け
オンラインで  男子は総会
女子  各地で集い

今日、ネット見てたら、
かの国は、集団主義で個人の人格がない。
体制があるだけ。
よって、最高尊厳である元首の名誉を、
傷付けられた場合、その国民は、
全力で相手を非難しなければならない。

と、あった。

なんか、この光景、国内でも見たことあるぞ。
と思った...。