2020年 4月 の投稿一覧

身延文庫『本尊論資料』を読む(19)-1『建立仏像』日朝作か

本尊論資料第1編
身延相伝部
建立仏像事

本書は、冒頭に表題と「日朝」とあるのみで判と日付がない。日朝筆か。

本尊抄 人界云 若人爲佛故建立諸形像刻彫成衆相皆已成佛道或以七寶成鍮石赤白銅白鑞及鉛錫鐵木及與泥或以膠漆布嚴飾作佛像如是諸人等皆已成佛道彩畫作佛像百福莊嚴相自作若使人皆已成佛道」P121
この法華経の文は、漫荼羅正意論者の、それも方便・寿量しか読まない人々は、気が付かぬか、あるいは無視しているのだろう。
観心本尊抄』の3紙裏「経云 若人為仏故乃至皆成佛道 此人界所具十界也」と引用される箇所である。「乃至」で略されるが、仏のために仏像建立をすることが成仏の道であり、仏像建立をすることが「人界所具の十界」であるという。

「末師云 只是れ 仏を敬ふ為に為す造立也 菩提を志すに非ず」
「甫云 疏云 造像等とは 若し優填王の造像経に准じて云 先に人天を感じ諸ろの富楽を受け遠く菩提に趣く
以下、略す

造像の始事 P122
いまは略す

造仏像功徳事

「御書云 優填大王 釈迦仏を造立し奉 大梵天王日月等 木像を礼しに参らむ玉ひしかば、木像説云 我を供養せんよりは優填大王を供養す可し等 法華経云 若人為仏故建立諸形像如是諸人等皆已成仏云へり 文の意は一切の女人釈迦仏を造り奉れば 日々月々の大小の難を払ひ、後生には必仏に成るべしと申文也」
現行聖典では「釈迦仏を造り奉れば」と「日々月々の」間に「現在には」がある。(聖1624)
いまの日興門流では、日蓮は晩年、漫荼羅正意となり、仏像を斥けたがごとく論調であるが、『観心本尊抄』の人界所具の十界にせよ、当御書『日眼女釈迦仏供養事』にせよ、なにより日蓮は終生、釈迦仏像を持し拝んでいた史実を無視して論を立てれば、曲解としかならない。

以上、抜書きは現代表記に改めた。

身延文庫『本尊論資料』を読む(19)-1『建立仏像事』日朝作か

本尊論資料第1編
身延相伝部
建立仏像事

本書は、冒頭に表題と「日朝」とあるのみで判と日付がない。日朝筆か。

本尊抄 人界云 若人爲佛故建立諸形像刻彫成衆相皆已成佛道或以七寶成鍮石赤白銅白鑞及鉛錫鐵木及與泥或以膠漆布嚴飾作佛像如是諸人等皆已成佛道彩畫作佛像百福莊嚴相自作若使人皆已成佛道」P121
この法華経の文は、漫荼羅正意論者の、それも方便・寿量しか読まない人々は、気が付かぬか、あるいは無視しているのだろう。
観心本尊抄』の3紙裏「経云 若人為仏故乃至皆成佛道 此人界所具十界也」と引用される箇所である。「乃至」で略されるが、仏のために仏像建立をすることが成仏の道であり、仏像建立をすることが「人界所具の十界」であるという。

「末師云 只是れ 仏を敬ふ為に為す造立也 菩提を志すに非ず」
「甫云 疏云 造像等とは 若し優填王の造像経に准じて云 先に人天を感じ諸ろの富楽を受け遠く菩提に趣く
以下、略す

造像の始事 P122
いまは略す

造仏像功徳事

「御書云 優填大王 釈迦仏を造立し奉 大梵天王日月等 木像を礼しに参らむ玉ひしかば、木像説云 我を供養せんよりは優填大王を供養す可し等 法華経云 若人為仏故建立諸形像如是諸人等皆已成仏云へり 文の意は一切の女人釈迦仏を造り奉れば 日々月々の大小の難を払ひ、後生には必仏に成るべしと申文也」
現行聖典では「釈迦仏を造り奉れば」と「日々月々の」間に「現在には」がある。(聖1624)
いまの日興門流では、日蓮は晩年、漫荼羅正意となり、仏像を斥けたがごとく論調であるが、『観心本尊抄』の人界所具の十界にせよ、当御書『日眼女釈迦仏供養事』にせよ、なにより日蓮は終生、釈迦仏像を持し拝んでいた史実を無視して論を立てれば、曲解としかならない。

以上、抜書きは現代表記に改めた。
につづく ―

小説「新・人間革命」学習のために 「白樺の友」編

​​「My Human Revolution(マイ・ヒューマン・レボリューション)」──小説「新・人間革命」学習のために 「白樺の友」編看護者の皆さん ありがとうございます! 今回の「My Human Revolution(マイ・ヒュ...

大白蓮華 巻頭言 2020年5月号

​​​大白蓮華 巻頭言   2020年5月号2020年(令和2年)5月号(No.847)​巻頭言 地球民族の揺るがぬ宝塔を                池田大作 心一つに、苦難を共に乗り越えてきた師弟の絆(きずな)ほど...

永遠なれ!我らの五月三日

4/30
今日の一面

永遠なれ!我らの五月三日
第3代会長就任60周年記念
師弟凱歌の記憶
特別編「1960年5月3日」への道

60年前の事が一面に書いてある。
一面に だ。
それについて、60年後の今、
どうしたああしたではなく、
ただただ、60年前の事が、一面に書いてある。
一面に だ。

過去にしがみついて、生きろ...。

#253 日蓮正宗、創価学会、顕正会の問題体質は日蓮「原理主義」の体質である。「日蓮正宗系」団体は日蓮の教え・遺文・偽書の言説よりも憲法・法律を守るべきである

日蓮正宗、創価学会、顕正会の「日蓮正宗系」団体は、まさに日蓮「原理主義」体質である。かつて1950年代の「折伏大進撃」のころ、戸田城聖二代会長は「信心は日蓮大聖人の時代に還れ、教学は日寛上人の時代に還れ」と叫び、創価学会が主導して大石寺版御書全集を発刊。御書学習会や教学試験等、日蓮遺文を学習する活動を展開し、日蓮の時代への回帰を目指した。がしかし、彼等の言う「日蓮の時代」とは客観的史実とは関係なく、日蓮正宗、創価学会、顕正会が勝手に思い描いたものであった。顕正会は三大秘法抄、一期弘法抄の国立戒壇を標榜し、日蓮正宗、創価学会は国立戒壇を棄てたと非難しているが、三大秘法抄、一期弘法抄は偽書である。創価学会は自分たちこそが日蓮遺命の広宣流布をやってきた、日蓮直結の団体だと言っているが、創価学会は今でも日蓮真筆の曼荼羅本尊はひとつも持っておらず、大石寺法主が書写した曼荼羅本尊を拝んでいる。日蓮正宗は大石寺「戒壇の大本尊」と大石寺法主の「唯授一人血脈相承」を標榜して、これに信伏随従しない創価学会、顕正会、正信会を邪教と決めつけているが、「戒壇の大本尊」も「唯授一人血脈相承」も後世の偽作である。日蓮正宗、創価学会、顕正会は自分たちこそが日蓮遺文に忠実であろうとし、自分たち流の解釈を加えていった。そしてお互いがお互いを「日蓮の教義を歪めている」と非難攻撃している。まさに原理主義である。原理主義の最大の問題は、宗祖が説いたと称する教義、言説、教えを憲法、法律よりも優先させようとすることである。中世の人が説いた教義には、現代の憲法、法律と合致しないものが多々あることは事実である。憲法20条で「信教の自由」が保障されているが、宗教団体は、憲法や法律を無視して好き勝手放題、何をやっても良いということではない。日蓮正宗系のみならず、世界各地には、現代の法治主義や人権保護とは正反対の風習や宗教的慣習がいまだに遺っています。しかしそれらは先進国の政治家やジャーナリズムから批判されて、少しずつ是正されつつあります。憲法や法律を無視して、殉教、終末思想、仏敵論、仏罰論、堕地獄論をふりかざしてもいいとは、ならないはず。憲法や法律を守ることを最優先すべきである。