2020年 2月 の投稿一覧

南米・パラグアイ 池田先生の訪問27周年を祝う集い

​​​​南米・パラグアイ 池田先生の訪問27周年を祝う集い美しき創価家族のスクラムパラグアイ文化会館を訪問した池田先生は、真っ先に子どもたちのもとへ。手品を披露し、励ましの言葉を掛けた(1993年2月) 南米...

〈SGIの輝き〉EXPERIENCES(体験編) チェコ

​​​​​​〈SGIの輝き〉EXPERIENCES(体験編) チェコチェコの首都プラハの街を、高台から望む。日本では、チェコの国民的作曲家スメタナの「モルダウ」の名で知られるヴルタヴァ川の流れ見える。 世界192カ国・地...

心に御書を〈23〉 今日も聡明に使命の一日を

​池田先生が贈る指針心に御書を​〈23〉​今日も聡明に使命の一日を​​ 人には必ず二つの天・影(かげ)の如くにそひて候、所謂(いわゆる)一をば同​​​生天(どうしょうてん)と云い二をば同名天​​​(どうみょうて...

美しき創価家族のスクラム

2/29
今日の一面

美しき創価家族のスクラム
南米パラグアイ
池田先生の訪問27周年を祝う集い

文法的に、
美しき が どこに、かかるのか。
創価家族 にかかるのか。
スクラム にかかるのか。
それとも 創価家族のスクラム にかかるのか。

いずれにしても、笑いと疑問符が付く...。


人気ブログランキングへ


にほんブログ村

17日目 心ひとつに がんばれ人類!

 文明が発達した今、人間の移動は広い範囲を、また、遠方まで短時間で行き来できるようになった。
 そして、社会はシステム化され便利になった。
 世の中は、きちんと手入れされ、清潔な世の中となった。
 しかし、その分、危機感が減退してしまったのだろうか。
 “便利”が人とウイルスを一気に広範に運び、南極を除く全大陸に拡がった。
 日本国内にあっては、1月15日以降、約1ヶ月半のうちに一気にその数を増加してしまった。
 そして、その勢いは、加速度を増しているように思う。

 自体は、一刻を争っている。
 時を逃してはならない。
 あの時、ああしておけば良かった……。
 そうならないために、一日も早くまず、
 “心をひとつに”
 と思う。
 世界の危機、人類の危機を乗り越えよう。


 今日は、夜勤後、バタバタしてこんな時間になってしまった。
 てか、ドラッグストアに行ったら、トイレットペーパーが無かった! どうやら、デマに踊らされたようだ。
 スーパーには、辛うじて残っていたが、僕がひとつ手にした数分後には、全て無くなっていた。ついでに、ティッシュも切れたで。
 今日行ってなかったら、来週末まではもたなかったから、助かったが。
 まさか、岐阜県までとは……。
 デマってわかった後のはずなのに、なんで?
 まあ、とりあえず、これで、心置きなく躊躇なく……ってやつだけど。
 困っとる人、絶対おるで。

 気を取り直して、今日もこれまででいっちゃんえーお題目を上げます。


 一日も早いCOVID-19の感染の終息と、感染された方の健康の回復と、予防薬、治療薬の完成を祈ります。
 亡くなられた方のご冥福を祈ります。
 人類の勝利を祈ります。

 心ひとつに がんばれ人類!



 12時40分開始

簡単に御本尊を授与してはいけない





大聖人は、弟子の大尼が御本尊の授与を願い出たさいに、法難で一度退転してしまった彼女に御本尊を授与することはできないと断られています。

これは、何も無慈悲ということではありません。

御本尊を粗末にしたら大変に罰が大きいので、信心強情な弟子のみを選んで、御本尊を授与されていたと考えられます。

大尼は蓮祖の学費を出してくれた少年期からの大恩人でもありますが、それでも特別扱いはされませんでした。



蓮祖が認めていた御在世当時の信徒数は、最盛期でも1000人に満たなかったといわれています。

決して、成果主義で無理に押し込んで折伏し、御本尊を押し付けるようなことはなかったのです。



当然ながら、御本尊は大聖人の魂がこもった御真筆だと思って拝受し、お題目を挙げるべきです。

いったん拝受した以上は、生涯守り抜くという決意が不可欠です。

その気持ちが固まらないうちは、本尊流布には早いということです。




なぜ日蓮は本尊を文字で顕したのか その2






御本尊は、法華経の「虚空会」の儀式を顕しています。

虚空会を文底から拝すると、

「全宇宙の仏菩薩・諸天善神が一同に介し、題目を唱える」

儀式となります。



これを絵で顕そうとすれば、ほぼ無限の神仏を描かなくてはならず、とても不可能です。

そこで、一切の仏の王である「釈迦」「多宝」、一切の菩薩の王である「四菩薩」、

一切の諸天善神の王である「梵天」「帝釈」等の名を記すことで、

全ての仏菩薩・諸天善神を描くことに替えたのです。



また、絵では、肝心の題目の音声が表現できません。

したがって日蓮は、御本尊の中央に「南無妙法蓮華経」の文字を記したのです。



余談になりますが、諸天善神は肉声を持たないので、人間が代わりに題目を唱える必要があります。

御本尊に題目を上げることは、全宇宙の神々が一同に介して題目を上げるのに等しいのです。

神々は題目の法味を何よりの喜びとしますから、題目を上げる人間を守るわけです。

また、そのように信じて祈ることが肝要です。




なぜ日蓮は本尊を文字で顕したのか






日蓮は、他宗と違い本尊を文字にて顕しました。

なぜ、仏像ではないのでしょうか?



法華経においては、畜身の幼女である竜女の成仏が説かれています。

一切衆生に仏界がありますから、

「人間の成人男性」の姿では、仏の実相を表現しきれないのです。

仏には、特定の色も形もありません。

色形を定めた時点で、ただちに仏ではなくなるのです。



そこで、唯一可能であるのが

「仏」と書いてそれを本尊とする方法です。



しかし、仏にも本迹があります。

一切の仏を成仏させた根本は「南無妙法蓮華経」の音声ですから、題目そのものが本仏となります。

したがって、日蓮は本尊として法華経の題目を選んだのです。