2019年 3月 の投稿一覧

なぜ幹部の指導は時代遅れになるのか







あなたが、10年前に先輩から受けた指導を、そのまま後輩に繰り返しているとしたら、その指導は10年時代遅れということになりますよね?

これが代々繰り返されれば、何十年も前の指導訓練が、延々と繰り返されることになります。



1960年に創刊されたグラフSGIは、昨年末を以て58年の歴史に幕を閉じ、休刊となりました。

変化は世の常であり、折伏弘教の表現が常に移り変わっていくのは当然です。

ちなみに1960年に最も売れたレコードは、小林旭の「ズンドコ節」だそうです。

...もはや、青年部にはそれが何なのかさっぱり分かりませんね笑

今の若者に、小林旭のレコードを売ろうとして、果たして売れるでしょうか?

あなたがやっている時代遅れの指導は、それと同じです。通用しないのが当然です。



猿真似の指導が代々続くのは、幹部が指導の本質を理解していない証です。

本質が分かっていれば、時代に即して自由に応用展開できるはずです。

音楽で言ったら、要は曲さえ良ければいいので、レコードがレコチョクに変わっても、小林旭があいみょんに変わっても、本質は一切ブレていませんよね?

自分の言葉で指導できないとしたら、あなたはその指導を本当は理解していません。生命に入っていないということです。

あなたにしかできない「表現」が、必ずあります。そうでなければ今の時代に生まれてきて、後輩を指導する立場になることはないはずです。

あなたは、先輩の指導を時代に即して進化させるために、今の時代に生まれてきたのです。




新元号と共に 学会も

勝利の年から 勝負の年に 変わるようですね!(^^)! さぁ 勝負下着をはいて 勝負服を着て 出かけましょう! 正々堂々と あなたが語れば 幸福の花が咲く 正直者が 馬鹿を見ない社会に!

創価学会に未来はあるのか?

「創価のご本尊に題目を唱えると何でも願いが叶う」と言われて大の大人が信じてしまうという不思議さ。でも生まれたときから親からずっと言われ続けてきた人間にとっては信じる以外はないわけで、私も50歳過ぎまでそれがインチキだとは気づきませんでした。何より親が死ぬまで信じてきたことですから、自分の人生もさることながら、親の人生までも否定しなければならないわけです。
創価のすべてが嘘だった。インチキだった。学会員はみんな騙された。これが現実なのですが、騙された人間にとっては簡単に受け入れられることではありません。たとえ自分が気づいたとしても、家族が気づかない場合はその苦悩はさらに続いていくわけです。たとえ創価が崩壊して創価を告発したところで、騙され搾取されてきた事実は消しようがないし、失ったものを取り戻すこともできません。これから先のことを考えるしかないわけです。せめてもの救いは創価の衰退は破門されたときをさかいに加速度を増し、あと10年もすれば創価がインチキ宗教だったことが社会的にもはっきりするだろうということです。2030年の日本で創価はどうなっているか。おそらく今いる会員の中でも若い人の大半はやめているでしょうし、今残ってる会員の大半もすでに高齢者ですから、その高齢者も10歳としをとるわけです。その頃に会員から集められるお金も激減するでしょう。会館自体も維持できるような状態ではないし、会員がいないので会館を必要としなくなるでしょう。もちろんその前に確実に池田は亡くなります。学会員は誰の言うことを信じるでしょう。池田が姿を消して9年ですが、創価はいまだに「先生はお元気です」と嘘をつかなければ組織を維持できないのです。本当に池田が亡くなったと知らされた学会員のどれだけが組織についていくでしょう。創価の最高幹部たちはそのことをよくわかっているからこそ、いまだに「先生はお元気です」と嘘をつき続けなければならないのです。この9年間、池田がいなくなったあとの創価をどうすればいいかが創価の最高幹部はいまだにわからないでいるということです。たぶんそう遠くないうちに池田の死亡が発表されるでしょう。少なくとも2030年になる前にです。池田ロスによってさらに多くの学会員は創価のおかしさに気づくでしょう。創価の何もかもが嘘だった。インチキでしかなかった。この現実に残された高齢の学会員も気づくはずです。
今回のテーマは「創価学会に未来はあるのか?」とさせていただきます。
もちろん創価学会に未来などあるわけがありません。でもそのことに今も気づかないで騙されている学会員さんに目の前の現実について自分で考えていただくきっかけとなればと思い、このようなテーマにしました。
いつものように、皆さんの実体験にもとづいて「創価学会に未来はあるのか?」ということについてお話しいただければと思います。

反社会的な教義


 創価学会は数百万人の信者を擁する巨大教団であり、学会員の人間性も多種多様なはず
である。社会に出て学会員でない人たちとも協力しながら仕事で成果を上げ、それなりの
社会的地位を築いている人もいることだろう。

 地位を利用して折伏等の迷惑行為を行う者も中にはいるだろうが、分別をわきまえ、勤
務先や地域では、他人に迷惑をかけるようなことはしない学会員も、現在では多いはずで
ある。

 しかしながら、創価学会員の中には依然として非常識な者が少なからずいる。
 学会員に対して、「できることなら関わりになりたくない人たち」という印象を抱いて
いる人は少なくないのである。

 戸別訪問や集団替え玉投票などの悪質な選挙違反や、日蓮正宗との泥沼の抗争をひき起
こし、折伏や投票依頼などの迷惑行為を今なお組織ぐるみで推進している創価学会のイメ
ージが悪いのは当然のことではあるが。

 学会員に他人に迷惑をかける者が多いのには、創価学会の教義が影響していると考えら
れる。

 創価学会で「信心の教科書」とされている『人間革命』には、第2代会長・戸田城聖が
詐欺罪で有罪になった学会員に対し、以下のような指導を行ったと記されている。


>  世間法、国法、仏法を三法律というのだが、世間法より国法が強く、国法より仏法
> が強いのです。だからといって、信心していれば国法を犯しても構わぬということは
> 絶対にない。国法を犯せば国法によって裁かれるのは当然である。
 (『人間革命』第七巻)

 ※ 何度も述べてきたが、創価学会のいう「仏法」とは、創価学会の教えだけをいい、
  日本の伝統宗派や、東南アジアの上座部仏教などは「邪教」とされている。


 仏法=創価学会は、国法(法律)や世間法(道徳・常識)に優先するというのが、彼ら
の考え方である。

 戸田城聖は「信心していれば国法を犯しても構わぬということは絶対にない」と言った
ことになっているが、実際の彼の行動はどうだったのだろうか。

 前述のように、学会員が選挙違反を頻繁に行ってきたことはよく知られている。
 昭和31年(1956年)の参議院選挙に、柏原ヤスをはじめとする学会幹部が立候補した
が、この際も戸別訪問等の選挙違反で多数の学会員が逮捕された。

 強引な折伏や選挙違反などの、創価学会員の問題行動を新聞記者に質された際、戸田は
以下のように回答している。


>  いずれにせよ強引に信者をふやして選挙運動に利用しようとしたのではないか。
> 戸田氏 (強引な折伏は)選挙とは全く関係がない。単なる個人的な問題だ。選挙と
> いえば、戸別訪問などで選挙違反に問われた会員がかなりあるが、私は全然違反とは
> 思っていない。信者の知人、親類に頼むのは当り前じゃないか。それだって私が指令
> したのではなく信者が熱心の余りやっているのだ。選挙違反の形式犯はいわば立小便
> などの軽犯罪みたいなものだ。捕まえる方がおかしい。
 (『朝日新聞』昭和31年7月11日付)


 選挙違反で多数の逮捕者を出し、全国紙で何度も大きく報じられたというのに、責任者
の戸田は、言うに事を欠いて「捕まえる方がおかしい」とのたまったのだ。

 法令や社会秩序を軽視する正体を現した妄言である。
 戸田の後を継いだ池田大作は、選挙違反で逮捕された学会員に対し「法難賞」を与えた
という。こういう困ったところは、確かに「師弟不二」である。

 現代社会において、宗教には「よき規範」としての役割が求められている。
 しかし、創価学会は「よき規範」などではあり得ない。彼らの実態は、法律や常識とい
った規範を軽視する反社会的カルトでしかないのだ。


補足1

 冒頭の画像は5chで見つけた拾い物。規範を軽視する創価学会の体質を、的確に表現して
いると思う。


補足2 外米獲得文化運動

 昭和31年(1956年)の参院選挙に、創価学会は6人の幹部を立候補させ、うち3人が当選
した(公明党はまだ結成されていなかった)。

 この頃はまだ「F取り」という呼び方はなかったようである。選挙違反容疑で、創価学
会が家宅捜索を受けたことを報じる新聞記事には、以下のように書かれている。

>  同学会では信者以外の支持者を「外米」とよび、外米獲得文化運動と称して信者
> (「内地米」とよぶ)に二十票から三十票ずつの票集めをさせている疑いもあると
> いう。
 (『朝日新聞』昭和31年6月30日付)

 言葉は違えど、やっていることは現在も60年前から変わっていないようである。

「妙法」に「蓮華」がついているって凄いことなんだぜ。〔#225〕



みなさん、こんにちは。

元気にお過ごしになっていらっしゃるでしょうか。

いや~、ちょっとバタバタしてしまい、ブログの更新がなかなかできませんでしたね。

すみません。


ふとしたタイミングで何かにハッとして、それを記事にしようとメモを取るようにしているのですが、頭の回転が追い付かず、書いている途中で何にハッとしたのか分からなくなった(笑)ということも多く、意味不明なメモ書きがたくさんあります。


加えてバタついている時というのは「日本語」も「英語」も「心の声」も、何語も引っ張ってこれないもんです。笑。忙しいというのは心を亡くすと書くのはそういうことですね。



さて今回のテーマですが、タイトルがまず意味不明ですみません。笑。

いや~、突然ですが「南無妙法蓮華経」って本当にすごい形してるなあと今さらですが思うことが多くなりましたので、記事に書いてみようと思いました。

鳩摩羅什さんにも天台さんにも、大聖人にも伺っていませんので、これは私の勝手な感想です。

「法華経」は「法」の説明をしていますので、呼び名に「妙法」がつくのは何となくわかりますが、さらに「蓮華」がついて「妙法蓮華」としているのが凄いなあと思います。

・・・はい。

なぜなら、「蓮華」がついた時点で、焦点はその法のリズムにのせていく、私たち側になるからです。

「妙法蓮華」で、「法」と「法を動かす側」が一緒に並んでいます。

まるで多宝如来のじいさんと、釈尊が宝塔の中に並んで座っている姿のように、動かない法と躍動する法が、私の命の中に、仏界に冥伏している感じにも似ていますね。


法を動かす側」というのは、確かに蓮華です。

「SGI-USA」が非常に優秀な例えを出しているので、これを参照してみましょう。

蓮華/RENGE— 


文字通りの意味では「蓮の花」。蓮は、種をつけるのと花を咲かせるのが同時であるという特徴をもっています。その特徴から、「蓮華」は、“原因”と“結果”が同時に伴うことを意味します。
Literally, the lotus flower, which produces both flower and fruit at the same time. This represents the simultaneity of cause and effect.

仏法の視点から見ると、私たちは、日常、心(意)、言葉 (口)、そして行為や振る舞い(身)をとおして、未来の結果となる“原因”を作っているのです。
We create causes through thoughts, words, and actions.

そうした善悪につけ作られる“原因”は、その原因がもたらすべき“結果”を伴って、私たちの生命に刻み込まれます。そして、その結果は、さまざまな縁や環境に触れ、しかるべき時に目に見えて現れるのです。
With each cause made, an effect is registered simultaneously in the depths of life, and those effects are manifested when we meet the right environmental circumstances.

ですから、私たちの人生は、未来の“結果”となる“原因”を、一瞬一瞬、創造していく連続作業と言えましょう。
Life itself is an endless series of causes and simultaneous effects.

「南無妙法蓮華経」と唱え、祈ることは、願ったとおりの結果を生み出すための最高の“原因作 り”となるのです。  
Chanting Nam-myohorenge-kyo is the deepest cause we can make in order to produce our desired effect.

引用元:-The Winning Life P11-12 SGI-USA-



南無妙法蓮華経はいろんな説明がされますが、その中でもこの蓮華の説明は大変に素晴らしいですね。

この説明でもあるように、「原因」と「結果」が同時にあるということは、瞬間瞬間、「結果」として出てきてしまう「因」を「妙法のリズム」に向けられるかー「妙法蓮華」になるかは、本人次第だということ。だから「妙法蓮華」ははじめから私たち側の話になります。

究極のところ「南無妙法蓮華経」は、この妙法の働きを自分の命で顕していきますという私たちの宣言ともいえますね。蓮華の本体を妙法と並ばせる、その因を自らつくっていきますという誓願と同じです。

だから他の誰でもない、自分の命の中に出していかないといけないということです。


だから「法がすごい」、それを体現できている「大聖人がすごい」と言っているだけでは自分の命は変化していかない。


仏力・法力の妙法に対して、信力・行力であなたの人生で、自分の生活で体現していくー

そんな戦いが必要になるわけですね。

それが「人間革命」という修行の仕方です。

滝に打たれるよりも、ずっとずっと厳しい修行です。


自分の業という磁石は、善のリズムに向かわせる命よりもはるかに吸引力が強い。




原因と結果が同時に存在する「この一瞬」を、どちらの方向に向かわせるのか、

常にその真ん中に立っているのが、「あなた自身」なんだということ。


だからあなたの「今」が妙法蓮華であり続ける戦いが必要なんですね。


万物根源の法の「妙法」に、それを動かす命そのものー「蓮華」がついているって時点で、すでに人法一箇の形をとっています。

仏」という概念を端的にあらわそうとすれば、やはりその呼び名が一番ふさわしい形だろうなぁと思うわけです。

たから、南無妙法蓮華経は仏の名であり、南無妙法蓮華経はあなたのことなんだというわけですね。


ちょっと長くなりましたが、忘れる前に(笑)急いで書き留めてみました。

素晴らしき人生を!

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