2019年 2月 の投稿一覧

〈社説〉 3月から未来部希望月間

一人を大切に、希望のはげましを

 

 明日から、「未来部希望月間」がスタートする(3月31日まで)。月間中は、全国で卒業部員会や合唱団の入卒団式などが行われる。
 未来部員にとっては、卒業・進学・進級など、かんきょうが大きく変化する時期。期待と不安が入り交じるメンバーも多いだろう。座談会や日々の出会いの中で、メンバーはもちろん、未来部世代のいる家族にも温かな声をけていきたい。
 昨年9月8日、小説『新・人間革命』が完結。その後も池田先生は、未来部機関紙のれんさいを通して、未来部員一人一人にげきれいを続けている。
 「少年少女きぼう新聞」の「春夏秋冬ほがらかに」では、「題目をとなえれば、必ず勇気がわいてきます。『よし、やるぞ!』『負けるもんか!』という心が、どんどん強くなるのです。(中略)『不安だな』『大変だな』と思うことがあっても、題目をとなえていけば、『負けない心』を燃やし続けていくことができます」(2018年5月1日付)と、限りないあいを注ぐ。
 私たちも、師と同じ心で向き合っていきたい。一人を思うせいじつな一念は、目には見えなくても、必ず未来部員の心に届く。
 東京のある少年部員は、志望中学の受験に向け、の成績がるわずなやんでいた。昨年夏、かれの元をほうもんした未来部のたんとうしゃは「アイスを食べながら話そうよ」と、くつろいだ中で話を聞いた。すると、ゲームをしたり、用事に流されたりして、心が勉強に定まらない様子。たんとうしゃは真剣に目を見てけた。「合格を目指し、題目の目標を決めてちょうせんしよう」
 かれはその日から、唱題をけんめいじっせんし、勉学にも取り組んだ。そして先日、見事、志望校に合格したとの報告がたんとうしゃに入った。
 もとよりごうにかかわらず、ちょうせんしたこと自体が勝利である。先生は、「未来ジャーナル」のれんさいちかいの明日へ」で語りけている。
 「青春はなやみとのかくとうです。自信をなくすことや、しょうらいに不安を感じることもあるでしょう。しかし、これまでがどうあれ、未来はいくらでも変えていける。(中略)勉強でも、読書でも、スポーツでも、おやこうこうでも、今、自分がなすべきこと、今、自分ができることに、ベストをくしていどんでいくことです」(19年1月1日付)
 さあ、げんかんの2月から草花がく春へ――。今こそ使命あるたからの未来部員一人一人へ希望のはげましを送っていこう。

 

(2019年2月28日 聖教新聞 https://www.seikyoonline.com/)より

〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉21 勝負を決するのは「壮年部」

〈座談会 創立90周年を勝ち開く!〉21

勝負を決するのは「壮年部」

いよいよの信心で広布の闘魂燃やし

 

「さあ、わが戦友であり、誉れの同志であり、信じてやまぬ壮年部の人間王者たちよ」「我らの手で、断固として創価の勝利を決しようではないか!」――師の心に呼応し、いよいよの闘争を誓う、厳たる黄金柱・壮年部の友

 

「公明が日本を安定にみちびく」識者
〈出席者〉
原田会長
長谷川理事長
永石婦人部長
志賀男子部長
大串女子部長

 

 原田 さあ、こうけいの月・3月へ。池田先生は、2月24日付の「新時代をきずく」の中で、「3月5日に結成の日をむかえる『広布の黄金柱』壮年部も、いよいよ立ち上がる時が来た」とけてくださいました。この「いよいよ」との言葉に、深い意味を感じます。

 長谷川 大白蓮華3月号の講義も、壮年部にてたものです。この中でも、「壮年が、いよいよおどる時」と言われ、その意義がつづられています。

 原田 思えば、婦人部・青年部に続き、15年後の1966年(昭和41年)にたんじょうしたのが壮年部でした。先生は語られています。「学会の勝負は、最後は壮年部がけっするのだ。堂々と正義と真実を語りき、学会のだいさをまんてんしめすのは、師弟のしんずいを結果でたいげんする壮年部なのである」と。いよいよの信心で、広布へのとうこんやし、壮年部から創価勝利の決定打をはなっていきましょう。

 

油断はいさい予防


 大串 3月1日から、春の全国さい予防運動の期間です(7日まで)。

 原田 空気がかんそうし、風の強い日が多い3月は、火災がもっとも多く発生しています。そのおもな原因は、「放火」や「たばこ」「コンロ」です。生命・財産・思い出のしななど、すべてをうしなう可能性のある火災を起こさないため、注意すべき点をあらためてかくにんしたい。

 永石 まず第1に、「家の周りにゴミなどをほうしない」。第2に、「ストーブのきんえやすいものを置かない」です。

 大串 第3が、「電気器具のタコ足はいせんおこなわない」。第4が、「コンセント・配線器具にホコリをためない」です。

 永石 第5は、「調理中はもとはなれない」。第6は、「火災報知器の設置」ですね(電池切れのかくにんも)。いそがしい最中ですが、この機会にまわりを再点検していきましょう。

 

ちゅうどう」へ引っ張る


 原田 さて、1月31日付の朝日新聞にけいさいされた、一橋大学大学院の中北こう教授のろんぴょうには、大きなはんきょうがありました。タイトルは「自公連立20年、とうは学べ」。本年、自民党と公明党が初めて連立を組んで20年になることからろんじられています。

 長谷川 そこでは、「自公せいけんは現在、日本政治でゆいいつの安定した連立のわくみ」「とうせいが日本政治の現実である。自民党は、公明党とのれんけいによって、『一強』の地位をかくしているにすぎない」とぶんせきしていました。

 志賀 さらに、自公のせいさく調整について、「政府が国会にていしゅつする法案や予算案は、かく決定前に自民・公明両党のりょうしょうなければならない」と述べ、このていで、「自民党は公明党にじょうかさねてきた。集団的自衛権の行使ようにんに重要なせいやくが付けられたのは、その例である」と語っていました。とうは、こうした点を学ぶべきであるとも主張しています。

 大串 中北氏は1月28日付の公明新聞でも、「国政でせいけんに“おごり”がしょうじないよう自民党ときんちょうかんを持ってせっし、憲法や外交・安全保障などでちゅうどうの方向に引っ張っているのも公明党だ。公明党がそんざいかんしめすことは、日本政治を安定させる上でけつ」と述べていました。

 永石 公明党が存在感を示すことで日本政治は安定する――こう期待をせる識者は数多くいますね。

 

で地域みっちゃく


 長谷川 政治学が専門である同氏は、地方議員のやくわりは、「地方にな」であると同時に、「国政をていからささえる」ことであると話しています。

 永石 たとえば、「震災ふっこうなどは地域のニーズをまえないと、国の政策がてきせつなものにならない」と語っていますね。

 長谷川 あの東日本大震災の時、公明党は野党でありながら、現地調ちょうや地方議員からのようぼうをもとに、政府とこうしょうし、多くの対策を実現させました。

 原田 燃料不足をかいしょうするため、ちく石油をおおはばくずすなど、さいから半年で、公明党が政府に行った復興・復旧に関する政策提言ていげんや申し入れは、計16回766こうもくに上りました。

 志賀 今回の統一地方選でも、「防災・げんさい・復興」を重点政策の第1にかかげている通り、その対策をリードしているのは、ちがいなく公明党です。

 大串 また昨年、公明党の全議員によりじっされた「100万人ほうもん・調査」運動も、地域の課題を国政にとどける取り組みでした。

 志賀 この訪問・調査運動で、児童や生徒が持ちはこぶ教材等が重すぎるとの声が、公明党の地方議員に届けられました。その地方議員はすぐに、公明党の国会議員にれんらく。国会議員から文科相にたいおうさくもとめるなどし、学校保管等による、子どもの荷物のけいげんが進んでいます。

 永石 教育といえば、公明党の力で、よう教育・保育のしょうや、私立高校授業料の実質無償化、専門学校や大学などの一部無償化も現実になっています。

 原田 このように、きめこまやかでじんそくな対応を、中北氏は、「公明党は国と地方の両方にしっかりとしたあしを持ち、地域にもれている課題をはっくつし、国政に投入していく役割をたしている」と評価。「議員がであり、地域みっちゃくであることが公明党の一番の強み」「これほど国会議員や地方議員が現場に足を運び、ゆうけんしゃの声にみみかたむけている政党はない」と結論しています。

 志賀 一方、「旧民主党系の野党は、地域に足場がないことが決定的な弱点となっている」ともてきしています。

 原田 地域の課題をこし、解決のために動いているのはだれか。ゆうけんしゃは、この点をするどきわめ、今春の統一地方選にのぞむことが大事だと思います。

 

(2019年2月28日 聖教新聞 https://www.seikyoonline.com/)より

〈世界に魂を 心に翼を〉第13回 沖縄芸能の光彩㊤

世界に 心に

民音が開いた 文化の地平

 

民音創立者の池田先生が、鉢巻きにハッピ姿で踊りの輪へ。「ユイサー、ユイサー」と声を合わせ、沖縄・八重山諸島に伝わる「巻き踊り」を共に舞った(1974年2月、石垣市内で)

 

全国各地で100回を超える民音公演を行った「沖縄歌舞団」。古典舞踊の伝統の上に、新境地を開いた

 

“民俗芸能の世界、そして古典の世界、この二つが一つの舞台となって調和と変化をもたらし、全国の話題をさらった”(舞踊評論家)と好評を博した沖縄歌舞団。その舞台は、現在の沖縄芸能のスタンダードとなっている

 

 

「太陽をびせてくれた」

 

 「よくぞ、あんな公演ができたものだと思う。今や、さかんに行われている琉球舞踊のげんけいとなった。こくしただったアルゼンチン・タンゴが日本で息をかえしたように、沖縄芸能も民音公演で息を吹き返したのです。民音がなければ、今日こんにちの沖縄芸能は考えられません」(伝統・民族芸能プロデューサーの中坪功雄氏)
 「これほど芸能がゆたかでありながら、りきではりょくを伝えられなくてくやしかった。今は次々に沖縄の芸能が発信されて、世界中で注目を集めていますが、原点はここ。ほんの人にとって、沖縄がまだよく分からない時代に民音が取り上げてくれた。私たちはほこりが持てたんです」(たまぐすく流の二代目家元・玉城秀子氏)
 「現在の沖縄芸能界をになかたがたは皆、この公演の出身です。あの時、たいに乗せたから今がある。ねむっていた沖縄に太陽をびせてくれました」(あけ流家元のじゃ弘子氏)
 今からちょうど50年前。沖縄芸能の関係者が、どうおんに胸を熱くする民音の全国公演があった。
 沖縄だんによる「太陽ティダ燃える島」。
 公演名にかんされた「太陽」のごとく、沖縄芸能の夜明けを開くてんとなった。
 ◇ ◆ ◇ 
 江戸時代、かつしかほくさいが沖縄をえがいた「りゅうきゅうはっけい」。そこには、もる「雪」がびょうしゃされている。
 北斎は一度も琉球を訪れたことはなく、想像上の作品である。琉球といえば、本土の文化人・知識人があこがれた“遠いこく”だった。
 中国を中心としたきんりんしょこくとの貿ぼうえきさかえた琉球王国(1429年~1879年)では、中国使せつだんかんたいが最重要行事に位置づけられ、せんもんの踊り手がたんじょうした。こうさくをへて、きたえ高められた技が「琉球舞踊」である。沖縄はらい、外交においても歌舞という文化の力を重んじてきた。
 17世紀しょとうに琉球がさつはんしんりゃくされた後も中国との外交は続き、新たに江戸との交流も始まった。北斎が琉球をえがいた時代は、琉球ブームのさかり。そうした一方で、1719年、琉球では舞踊と音楽のすいまった「くみおどり」がそうさくされた。今年で初じょうえんから300年となる。
 組踊研究でちょめいな大城学氏(元琉球大学教授)は、「組踊にはでんしょうが2度あった」と指摘する。
 一つは明治の「はいはんけん」。
 もう一つは昭和の「戦争」である。
 国内最大の地上戦をいられた沖縄。大地はくされ、住民の4分の1がせいになった。
 もともと舞踊家は男性のみだったが、戦争でしょうそくった者も多く、代わりに女性の若手舞踊家がたいとうしていく。芸能のけいしょう運動が盛んになる一方で、古典への一般の関心は低く、公演中に観客が一人残らず帰ってしまったこともあった。
 言いようのないへいそくかんの中で、舞踊家たちはしょうらいさくしていた。
 ◇ ◆ ◇ 
 琉球時代に育まれた「組踊」とは別に、沖縄には、しょみんの生活にした「民俗芸能」があった。
 そうした文化に強い関心を持ったのが、沖縄芸能研究の第一人者である三隅治雄氏だった。
 本土から見ると、沖縄はよくあつと戦争のつめあときざまれた“悲しみの島”というイメージが根強かった。じょじょうてきな沖縄の古典舞踊が、悲しみの表現だととらえる人も少なくなかった。
 だが氏が接した民俗芸能は、そうしたせんにゅうかんを一変させた。自然災害や長年のあっせいを歌とまいではね返してきた沖縄の人々。そのくっきょうな心意気が胸にひびく。沖縄本島だけでなく、どの島にも息をのむ歌舞があった。
 若者は島をはなれ、高齢者が多いのが現実。しかし、ひとたび歌い踊れば、まるで青年のよう。一人一人が名もなきめいゆうだった。「命そのものがき出すようでした。こんなんくっしない生命の力の表現。それが沖縄の芸能の本質だと感じたのです」
 例えば、宮古のクイチャー。三隅氏が目にしたのは、感情豊かにね、全てを吹き飛ばすようなごうかいな踊り歌だった。
 人口300人の竹富島には30もの歌舞曲が。祭りの日は、島外とうがいの人々も集まってぐんを繰り広げていた。
 氏は島々を訪ね歩き、歌をさいろく。そのせいはLPレコード16枚の「沖縄音楽そうらん」に結実けつじつし、これが「太陽燃える島」のいしずえとなる。
 舞台のかくしんを目指す古典舞踊家たち。古典だけでなく民俗芸能にもちゃくもくした三隅氏。国内外で数々の民俗芸能を世に送り出してきた中坪英雄氏。そして民音が一つになり、1969年、沖縄歌舞団がそうせつされた。団長には宮城氏がいた。
 ◇ ◆ ◇ 
 三隅氏が作・演出をけた「太陽燃える島」では、沖縄の庶民の一日を、りょう、農耕、織物おりもの、武術など10の場面から活写かっしゃした。
 古典舞踊では、出演者が、舞台のそでから出て袖に入るのが一般的だった。曲も一曲ずつろうする。それがじょうちょうな印象をあたえてもいた。
 だが同作では、演目のかんかくけず次々に披露した。幕が上がると、あさけの海を見つめる島人しまんちゅが。そこから約1時間、さいみんようと舞踊を、息もつかせぬ“早変わり”で演じる。たん調ちょうな古典芸能が一変した。
 歌舞団創設は、古典芸能と民俗芸能をゆうごうさせるもんの挑戦だった。さらにことなるりゅうの舞踊家たちを、一堂いちどうに集めるこころみでもあった。
 「沖縄芸能を代表する4人の先生方の弟子、つまり私たち若いメンバーでやろう、となったんです」
 ようしょうから舞踊にしゅうじゅくし、若くして道場をかまえた玉城秀子氏。重要無形文化財「琉球舞踊」(総合認定)保持者である。歌舞団のそうさく活動は、氏のがいねんを根本からくつがえすものだった。「全てが新しく、初めて経験するものでした。今の私は、歌舞団の中で育てられたようなものです」
 同じく重要無形文化財「琉球舞踊」(総合認定)保持者の古謝弘子氏は、「とうに出向き、歌や踊りを学びました。中には“自分たちの歌や舞を教えたくない”“外には出したくない”という人もいました」。
 ある島で12年に1度の祭りに参加した。だが以後、が進み、この祭りは行われていない。民俗芸能を受け継ぐ、深い意義をかみめた。
 ◇ ◆ ◇ 
 民音創立者の池田先生が初めて沖縄を訪れたのは、1960年7月。当時はアメリカせいであり、その手にはパスポートがにぎられていた。げんみつには“初の海外訪問”となる。
 建物にも自動車にも、まだれいぼうはない。しゅうすずしい季節のほうもんすすめたが、先生は言った。「暑いさかりに行かなければ、沖縄の人の心も分からない」
 この折、学会の沖縄支部が結成された。喜びをめ、琉球舞踊や空手を披露する沖縄の同志。飛び入りの民謡や歌もあいいだ。
 東京からの同行者が“お客さんのような顔”でながめる中、先生がおうぎを手に立った。友の真心に応え、「黒田節」を舞う。一緒に踊ってくれる指導者は初めてだった。
 先生の沖縄訪問は本土復帰前だけで6度。第10回学生部総会(67年)では、沖縄の本土復帰を求める提言を。せいけんへんかんにとどまらない、沖縄の未来をえた主張だった。
 この年の5月には、民音の海外けん公演で沖縄に向かうの音楽家をねぎらっている。“一つの音色にしても、価値あるものに”と期待を語り、公演先に電報も寄せた。沖縄歌舞団創設を心から喜び、全国公演の成功を念願してきた。
 沖縄に第一歩をしるした当時にれ、池田先生は記している。
 「涙もれるような、ざんこくな歴史さえも、沖縄の民衆から歌と舞をうばうことは、絶対にできなかった。生きて、生きて、生き抜いて、生命の底から、歌わずにはいられない、そして舞わずにはいられない人間のこうさい! この民衆のらんこそ、戦争のぼうふうに打ち勝つ、文化の力であり、平和の力である」と。
 半世紀にわたって民音の歩みを見つめてきた三隅氏は、こう結論する。
 「沖縄がどう生きていくか。沖縄の幸せとは何かを、民音は常に考えている。沖縄の芸能は民衆のたましいしょさんです。沖縄の芸術を大切にすることが、沖縄の地熱を高めます。はなやかだとか今がブームだとか、そんなことに関係なく、沖縄の未来そのものをおうえんしようという姿勢。民音が形にしたのは、みなもとにある池田先生の思想そのものではないでしょうか」
 ◇ ◆ ◇ 
 沖縄歌舞団の全国公演は、69年11月17日、大阪から始まった。
 好演こうえんが話題を呼び、どの会場も満席の歓声に包まれた。古典舞踊や民俗芸能の公演としてはれいである。
 上京し、沖縄出身者の学生寮にいた大城学氏は、先輩をさそって足を運んだ。「あの組踊やお祭りの舞が、これほど心をさぶるのか」。おどろくそばで、先輩は「沖縄に生まれてよかったよ……」となみだぬぐっていた。
 氏は語る。「古典といわれる組踊は七十数番ありますが、古典を保存するためには新作が不可欠です。新作と古典は、いわば車のりょうりん。それがうまくかみ合うところに、新しい芸能文化が生まれてきます」
 当時、沖縄芸能といえば、県人会などうちでの公演が中心で、県外のかんしょうしゃは少なかった。ところが民音は、北海道から鹿児島まで、全国100回を超えるステージ。どの会場もねつれつかっさいが飛び交う。沖縄と本土との心のきょちぢめた意義についても、識者は口々くちぐちにたたえている。
 その後、歌舞団は国際交流基金等の助成じょせいを得て、世界の舞台へ。30カ国以上で沖縄芸能のりょくを伝えた。
 「とりはだが立つんですよ。涙が出るんですよ」――古謝弘子氏が、つぶやくように胸の内を明かす。
 「日本中、世界中、どこに行っても沖縄の人たちがいるんです。皆さん、涙して帰るの。民音は、この人たちを力づけてくれた。これが一番思い出に残るんです。世界中の沖縄の人たちに夢を与えてもらって、歌舞団には勇気をもらって。民音が熱い情熱で火を付けてくれたんです」
 沖縄歌舞団そうせつから約3年がたった72年5月15日――。
 本土復帰のこの日、組踊は国の重要無形文化財に指定され、伝承者の育成事業が本格化することになる。(月1回掲載の予定)

 

(2019年2月28日 聖教新聞 https://www.seikyoonline.com/)より

挿絵でたどる「新・人間革命」名場面展

3月2日から関西国際文化センターで

 

 学会が主催する「さしでたどる『新・人間革命』名場面展」が3月2日(土)から、神戸市の関西国際文化センターで開催される。
 昨年9月、全30巻で完結した池田先生の小説『新・人間革命』。その研さん運動は今、世界各地に広がる。
 本展では、『新・人間革命』の第1巻から第4巻にえがかれた山本伸一のげきれいこうや師弟のドラマを、内田健一郎はくの挿絵と共にしょうかい。広宣流布のいただきを目指し、自身の人間革命に挑戦する友の希望の源泉となろう。
 ◇ 
 同展は9月1日(日)まで。土日・祝日のみ開館。午前10時~午後5時(入館は同4時30分まで)。入場無料。

 

(2019年2月28日 聖教新聞 https://www.seikyoonline.com/)より

〈御書と歩むⅡ――池田先生が贈る指針〉57 “徹底して「一人」を励ませ”

てっていして「一人」をはげませ

 

御 文


 たとえば一人の父母にせんりて一人の父母をさんたんすれば千子よろこびをなす、一人の父母をようすれば千子を供養するになりぬ
 (せんにちあまぜんへん、1316ページ)

 

通 解


 (仏は子である。きょうは父母である)たとえば、一人の父母に千人の子がいて、一人の父母をさんたんすれば、千人の子が喜ぶ。一人の父母をようすれば、千人の子を供養することになるのである。

 

同志への指針


 きょういっさいほとけの父母である。ゆえに妙法にくすどくは、じっぽうさんの仏をようする功徳と同じである。広布に走る学会活動のふくとくこそりょうこうだいなのだ。
 とうととうを守りささえる創価の「はげまし運動」を、しょぶつしょてんかっさいしているにちがいない。ごころめて「一人」をげきれいすれば、そのちからいくけんぞくに広がる。一人を大切に! そこにかんの勝利が!

 

(2019年2月28日 聖教新聞 https://www.seikyoonline.com/)より

〈名字の言〉 2019年2月28日 “宿命は使命の異名(いみょう)”

わが友に贈る


なやみがあるから
いのりがふかまる。
れんがあるから
ひとつよくなれる。
ぎゃっきょうきょうがいかくめいははだ!

 

 

名字の言


 すぐれた科学者に必要なちからとは何か――ノーベル生理学医学賞を受賞した利根川進博士は語った。その一つは、自分の予測と合わない実験結果の中から、新たなせつや実験計画といった“重大なかぎ”を見いだす能力だと(『精神と物質』文春文庫)▼科学者に限らず、人はうまくいかないこと自体をなやむもの。しかし思い通りにならない物事を、どうとらえるべきかと考え、そこにかつを見いだせば、ぐうれんの“意味”は変わる▼順風まんぱんの人生を送っていたある婦人部員が突然、たいびょうに見舞われた。激しい痛みと将来への不安に泣き暮れる日々。だが彼女は唱題する中で「宿命は使命のみょう」と確信し、とうびょうの意味を“新しい人生を開くかけがえのない機会”にしょうさせた。その生きる姿勢にかんめいした友人が進んで入会した▼「今」「ここ」から出発し、未来を変えていくのがほんいんみょうの仏法。さらに池田先生は“今の自分のきょうがいを高めていくことで、過去のいん悪因あくいんではなくぜんいんとなる。過去にとらわれない。いな、過去の意味さえも変えていくことができる”と語る▼いわば「これから」の生き方が、「これまで」の人生の意味をも決める。過去にも未来にも「価値」をそうぞうしていくことができる。びょうに負けない彼女の生命力にかがやく日々が、それを物語っている。(城)

 

寸鉄


 伝統の2月からやくどうの春
 3月へ。さあ心軽やかに
 動き、列島に友情の花を
      ◇
 青年はあいあふれる池田
 博士の言葉に学べ―中国
 教授。後継こうけいよ成長のかて
      ◇
 だいとうそうしんが学会の精神―
 戸田先生。広布も人生も
 戦いだ。執念しゅうねんで一歩前へ
      ◇
 インフルエンザ、流行の
 ピーク過ぎても注意。
 あらい・マスク等、油断せず
      ◇
 ネットふくめ新聞にれる
 人は9割。げんろんちからは大。
 希望を送る機関紙へますます
 

(2019年2月28日 聖教新聞 https://www.seikyoonline.com/)より

【日蓮聖人の御遺文勉強会で得たもの】

イメージ 1

イメージ 2
私はカイツブリかと思ったのですが、次男は
「足が長くて水かきがない。白点があるからバンだ。」
と主張しています。

イメージ 3
新宿常圓寺で中尾先生が講義されている「御遺文勉強会」の資料。
毎回いただくレジメ等を、クリアブックの袋に入れて整理しています。


【日蓮聖人の御遺文勉強会で得たもの】

2月28日。

朝から、冷たい雨が降り続いています。

今日は2月28日、もう月末です。

2月は日数が少ないので、思い通りに物事を進めていくのには日が足りない気がします。


先日から本の整理を始めています。

今回は、新宿常圓寺で中尾先生が講義されている「御遺文勉強会」の資料整理を思い立ちました。

資料を見ると、最初の日は平成21年12月15日でした。

もう、丸9年を過ぎた事になります。

月に一度、新宿の常圓寺に行って中尾先生の講義をお聞きするのが、何よりの楽しみなのです。

「一体、何回くらい常圓寺に通ったのだろう。」

と数えてみると、65回になっていました。

毎回いただくレジメ等を、クリアブックの袋に入れて整理していきます。

65回分の資料は多く、もう5冊目が終わりそうです。

整理しながら目を通すのですが、様々な思いが湧いてきました。


一通り終わってから強く思ったのは

「私はこの勉強会で何を得たのだろう。」

という事でした。

心に残った「御遺文の拝読の仕方」は数々ありますが、到底、それらを全て覚える事は出来ません。

ただ、中尾先生は

「御遺文とは、大聖人が自分の生涯を法華経に照らして記したものであるから、信仰的に拝読するのです。」

「法華経を明鏡と言うのは、真実を映し出す鏡だからなのです。」

「大聖人があらわされた曼荼羅は、法華信仰の中心なのです。」

という考え方を、ひたむきに誠心を込めてお話し下さいました。

そのお姿に魅了され、尊敬したので、通い続ける事が出来、その心をいただいたのでしょう。

「私も、先生のお姿から得た『ひたむきの誠心』を生涯通したい。」

と願っております。





https://www.blogmura.com/ ←にほんブログ村



よろしければ、ホームページの「老尼のお話の部屋」も御覧下さい。
http://www2.tba.t-com.ne.jp/myoushin-ji/newpage13.htm

在家の退転を「喜ばれた」大聖人

一日も我がかたとて心よせなる人人はいかでかをろかなるべき世間のをそろしさに妻子ある人人のとをざかるをば・ことに悦ぶ身なり

高橋入道殿御返事


(たとえ1日でも私の味方になってくれた人々を、どうして粗末にしましょうか。弾圧を恐れて妻子ある人々が遠ざかるのを喜んでいます)






これは、日興上人の叔父にあたる高橋入道に送った御書です。

自らは死をも恐れず弾圧に立ち向かった大聖人ですが、むしろ在家の信徒に対しては、自らを見捨てても無事に生き延びることを願われていました。まさに「親の徳」です。

信徒を巻き添えにするカルト教祖とは、正反対の姿です。

戸田先生が戦後、軍部の弾圧で退転した元最高幹部の復帰を認められたのは、この蓮祖の御精神に従われたのだと思われます。

しかしながらもちろん蓮祖は、出家者が弾圧を恐れて師を見捨てることを認められたわけではありません。

天台沙門を称して弾圧を逃れた五老僧に、大聖人の弟子を名乗る資格はなく、したがって末流の身延にも功徳は無いのです。

また、やはり軍部を恐れて神札を受け、創価教育学会を見捨てた当時の大石寺も、弟子の資格を失ったと言えましょう。




池田先生「不惜身命は苦行ではない」

所詮日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉るは捨是身已なり不惜身命の故なり云云、又云く此の身を捨す(ほどこす)と読む時は法界に五大を捨すなり捨つる処の義に非ず、是の身を捨てて仏に成ると云うは権門の意なりかかる執情を捨つるを捨是身已と説くなり

御義口伝






池田大作全集75 309頁より

「法のために」ということで、安易に我が身を傷つけ痛めたり、命を捨てるなどの行為は、今日においてはかえって愚行であり、成仏の因とはならない。むしろ法を下げてしまうであろう。

「身を捨てる」という低い教えへの執着をこそ「捨てるべきである」と。

供養の精神に触れれば、「他の宝を仏法のためにささげる」ことも、決して強いられて行うものであってはならない。






例えば、「新型コロナを恐れず唱題会を開く」といった行為は、世間の常識にも著しく反しており、むしろ学会がカルトとして見られる原因となってしまいます。

今では新型コロナは空気感染することもわかっています。これは、呼吸するだけでもウイルスが拡散するということです。

マスクや換気は感染率を下げられると考えられますが、完全ではありません。

自己満足の苦行は、決して仏道修行にはなりません。

まして、病気の同志に無理をして出てくるように強要するのは、パワハラでしかありません。

1日でも健康に長生きして、仏法を語り続けるのが、今日における不惜身命の実践なのです。

また、「全財産を財務する」「睡眠時間を削って祈る」「大事な仕事を休んで会合に出る」といった無謀な行為も、不惜身命をはき違えています。

周囲の人たちが、そんなあなたの姿を見たら、学会がカルトだと誤解されてしまいます。

組織にとっては、まさに有難迷惑です笑

あなたが自由に、歓喜にあふれて信心している姿を見せることが、真の不惜身命なのです。






未来部希望月間 あすからスタート

2/28
今日の一面

3月 未来部希望月間
あすからスタート
進級・進学・就職など
羽ばたく友にエールを
―各地で卒業部員会を開催

子どもを 巻き込むな。
っつっても、ムリだよな。

会員数の維持や、増やすことを、
目的にしてるんだろうけど、
時代に逆行してる手法と言うか、
増々離れる様な気もするけど、
他に方法もないだろうし、

これを、ずぅっ~とやって、
自然に会員が愛想尽かしてくれることを、
期待します...。


人気ブログランキングへ


にほんブログ村