2018年 6月 の投稿一覧

「希望の源泉」(24)(人工知能について)

 「希望源泉」 (池田思想を読み解く) の第24回は、人間軽視の時代への 「防波堤」 となる思想 であります。今回も 「見宝塔品」 の続きです。  (第三文明・2018/7月・53P)

 法華経は妥協を排した 「随自意」 の教典
 「随自意(ずいじい)」 とは、「自らの意に随う」 と読む。 衆生の機根にかかわらず、仏の内面の悟りをそのまま説き示すことをいう。
 その反対が 「随他意(ずいたい)」 で、仏が真実の法門に誘引するため、衆生の機根や好みに随って説く方便の教えを指します。 法華経以外の爾前経は 「随他意」 の経である。
 法華経は仏の内面の悟りを ストレートに説いているから、衆生にとっては 「難信難解」 であり、したがって弘通することの難しさを、池田先生は次のように述べられています。
 「結論から言えば、法華経を弘通することは 『元品の無明』 との戦いであり、それゆえに何よりも 『難しい』 のです。 また、それは 『第六天の魔王』 との戦いであるゆえに、『難』 が起きるのです」 (法華経の智慧3巻・60P)

 この 「見宝塔品」 の章にも、「なぜ法華経を弘めれば難が起こるのか」 という疑問に対する答えとして、次のような一節があります。
 “まず法華経が 「折伏の経」 であり、「随自意の経」 あることがあげられます。 「仏の心」 そのままを、相手に妥協せず、まっすぐに主張する。 その意味では、反発が起こるのは当然だと思います” (同書3巻・67P) と語られている。

 佐藤 優  釈尊が 「宝塔」 を開く前に三度にわたって娑婆世界を浄化したという 「三変土田」 について、池田会長も次のように言われています。
 「言葉で言ってしまうと、静的のように思われるけど、そこには一人一人の現実との格闘があるわけだから、三変土田は極めて ダイナミックな原理です。
 『娑婆世界を浄化した』 とあるように、どこか別の世界に浄土があるのではない。 あくまでも 『娑婆即寂光』 なのです」
 (同書3巻・59P)
 現実世界を変革するための教えが法華経であり、だからこそ 妥協 がないんでしょう、 と語られている。

 仏法にみる ÅⅠ 時代を生きる智慧
 佐藤  「無明惑」 について、池田会長が次のように発言されていることに、私は強い印象を受けました。
 「無明惑 とは、文字通り、自分の生命に暗いということです。 それが迷いの根本です。 自分の生命に暗いということは、他人の生命にも暗いということになる。
 わかりやすく言えば、あらゆる人間、あらゆる生命を、尊厳なる 『宝塔』 として見る。 その 『開かれた心』 が法性です。 それができない 『閉じた心』 が無明です」
 (同書3巻・59P)
 私はこのような視点が、これからの ÅⅠ(人工知能)時代にはいっそう重みを増してくると考えています。 今後、ÅⅠが幅を利かせれば聞かせるほど、人間軽視、生命軽視の傾向が強まっていくでしょう。 「宝塔」生命こそ宝塔」 と捉える日蓮仏法、ひいては創価学会は、そうした傾向への 防波堤 になり得るのです。

 佐藤氏は、当連載の第21回(本年4月号)で、“ÅⅠ(人工知能)の 「機械論的生命観」 と、今後、創価学会は対決していかないといけない” 指摘されていました。
 将棋対局の話題で、ここのところ プロ棋士が コンピューター将棋ソフトに勝つことはできなくなってきています。 このような状況を見て、“ÅⅠが進歩を続けた果てに人間を凌駕(りょうが)し、人類を支配するようになる」 と考える一部の学者・研究者たちがいるそうである。 
 そこには “人間も精巧な機械の一種にすぎない” という 「人間機械論」 「機械的生命観」 の萌芽がある。 これを見過せば、人間生命よりÅⅠの方が優れておる見る 生命軽視 の由々しき事態となるであろう。 したがって、ÅⅠは喫緊の問題として、他人ごとではなく 自身のこととして、学んで行きたいと思います。
 私はÅⅠのことは、よく分かりませんので、後は少し長くなりますが、佐藤氏のお話を引用させていただきます。

 佐藤  ÅⅠについて、新井紀子さん(国立情報学研究所社会共有知研究センター長・教授)は近著 『ÅⅠvs.教科書が読めない子どもたち』 (東洋経済新報社)のなかで、次のように書いています。
 「論理、確率、統計。 これがが 4000年以上の数学の歴史で発見された数学の言葉のすべてです。 そして、それが、科学が使える言葉のすべてです。 次世代スパコンや量子コンピューターが開発されようとも、非ノイマン型と言おうとも、コンピューターが使えるのは、この三つの言葉だけです。(中略) では、私たちの知能の営みは、すべて論理と確率、統計に置き換えることができるでしょうか。 残念ですが、そうはならないでしょう」

 要するに、ÅⅠのできることは論理、確率、統計の枠内に限られるのであって、どこまでいっても、人間の知能の営みの奥深さには到底太刀打ちできないのです。
 新井さんは同書で、そのことの面白い例を挙げています。 i Phone や i pad に内蔵された 「siri」 (音声認識による 「ÅⅠアシスタント」) に、「この近くのおいしい イタリア料理店は?」 と尋ねたあと、「この近くのまずい イタリア料理店は?」 と尋ねると、検索結果として同じ店が並ぶというのです(笑)。 なぜかというと、「まずい イタリア料理店」 を検索して探す人は普通いないので、ÅⅠ は 「まずい」 を ノイズとして弾(はじ)いてしまうのです。 その程度のことを 「考える」 ことすらできないのが、ÅⅠなのです。

 では、私たち人間の 「考える」 という営みはどのような プロセスかというと、実はまだ解明されていません。 いまだ ブラックボックスの中なのです。 もちろん、ここでいう 「思考」 とは、ÅⅠに置き換え可能な論理、確率、統計の枠に収まらない思考…… 『法華経の智慧』 の 「智慧」 に当たる部分です。
 われわれ人間は、新幹線より速く走ることはできないし、暗算の速さでは100円ショップに売っている安い計算機にさえかないません。 だからといって、「人間は新幹線や計算機に劣っている」 などとは誰も考えないでしょう。 ところが、ÅⅠに関してだけは、その本質は計算機にすぎないにもかかわらず、「やがて人間の知能を凌駕する」 とか、「人間はÅⅠに支配される」 などという突拍子もない主張が、まことしやかになされているのです。 これはもう、ÅⅠに対して過度の幻想を抱く、“ÅⅠ教” ともいうべき妄想です。
 この “ÅⅠ教” が問題なのは、ÅⅠに過度の期待を抱けば抱くほど、人間の軽視につながっていまうからです。 今後、人間の仕事のうち、あらゆる単純作業はどんどんÅⅠに置き換えられていくでしょう。 しかしそれは、「その分だけ人間の価値が目減りしていく」 ということではないはずです。 そのことを良くわきまえておかないと、人間の尊厳、生命の尊厳が、ÅⅠによって軽んじられ、貶(おとし)められていくことになりかねません。 それはまさしく、「あらゆる人間、あらゆる生命を、尊厳なる 『宝塔』 として見る」 ことができない、「無明」 という 「閉じた心」 に囚(とら)われた姿なのです。

 だからこそ、「生命こそ宝塔」 と捉える 法華経・日蓮仏法の視座が、今後ますます重要になっていくのです。 そのなかにこそ、ÅⅠ時代を懸命に生きるための智慧があります。
 なぜ生命がそれほど尊いのかと突きつめて考えていくと、最後は トートロジー(同義語反復)にならざるを得ないかもしれません。 「生命は尊い。 なぜなら生命だからだ」 と……。 それは、法華経の生命尊厳の思想は、西洋哲学的な論理の積み重ねから生まれてきたものではないからです。
 『法華経の智慧』 という書物を読むと、どの章からも 「生命の尊厳」 ということが行間から伝わってきます。 このような絶対的生命尊厳の思想こそ、これからの世界に必要なのです。

試練に遭ってこそ本物に鍛えられる(2)

●上野殿御返事p1556~

末法の始の五百年に
法華経の題目をはなれて成仏ありといふ人は
仏説なりとも用ゆべからず、
何(いか)に況(いわん)や人師の義をや、

爰(ここ)に日蓮思ふやう
提婆品(だいばほん)を案ずるに
提婆は釈迦如来の昔の師なり、
昔の師は今の弟子なり・今の弟子はむかしの師なり、

古今 能所不二にして法華経の深意をあらわす、

されば悪逆の達多には慈悲の釈迦如来師となり
愚癡(ぐち)の竜女には智慧の文殊師となり
文殊・釈迦如来にも日蓮をとり(劣)奉るべからざるか、

日本国の男は提婆がごとく
女は竜女にあひに(似)たり、
逆順ともに成仏を期(ご)すべきなり
是れ提婆品の意なり。

次に勧持(かんじ)品に
八十万億那由佗(なゆた)の菩薩の
異口同音の二十行の偈(げ)は日蓮一人よめり、
誰か出でて日本国・唐土・天竺・三国にして
仏の滅後によみたる人やある、
又 我よみたりと・なのるべき人なし

又あるべしとも覚(おぼ)へず、

及加刀杖(ぎゅうかとうじょう)の刀杖の二字の中に

もし杖の字にあう人はあるべし
刀の字にあひたる人をきかず、
不軽(ふぎょう)菩薩は
杖木・瓦石(がしゃく)と見えたれば
杖の字にあひぬ刀の難はきかず、
天台・妙楽・伝教等は刀杖不加と見えたれば
是又かけ(欠)たり、

日蓮は刀杖の二字ともに・あひぬ、

剰(あまつさ)へ刀の難は前に申すがごとく
東条の松原と竜口(たつのくち)となり、
一度も・あう人なきなり日蓮は二度あひぬ、

杖の難には

すでにせうばう(少輔房)につら(面)をうたれしかども
第五の巻をもつてうつ、
うつ杖も第五の巻
うたるべしと云う経文も五の巻
不思議なる未来記の経文なり、

されば・せうばうに

日蓮数十人の中にしてうた(打)れし時の心中には
法華経の故とはをもへども
いまだ凡夫なればうたて(無情)かりける間
つえ(杖)をも・うば(奪)ひ
ちから(力)あるならば
ふみをり(踏折)すつべきことぞかし、
然れども・つえ(杖)は法華経の五の巻にてまします。

いま・をもひ・いでたる事あり、
子を思ふ故にや
をや(親)つぎ(槻)の木の弓をもつて
学文せざりし子にをしへ(教)たり、
然る間・此の子うたてかりしは
父・にく(憎)かりしは・つぎ(槻)の木の弓、

されども終には修学増進して

自身得脱をきわめ・又人を利益する身となり、
立ち還つて見れば
つぎの木をもつて我をうち(打)し故なり、
此の子そとば(率塔婆)に此の木をつくり
父の供養のためにたて(立)てむけりと見へたり、

日蓮も又かくの如くあるべきか、

日蓮仏果をえむ(得)に争(いかで)か
せうばう(少輔房)が恩をすつべきや、
何に況や法華経の御恩の杖をや、
かくの如く思ひつづけ候へば感涙をさへがたし。

 

法華経では、破和合僧の大罪を犯し生きながら地獄に堕ちた提婆達多は、過去世において釈尊の師匠であったことを明かされています。三世にわたる生命の深い次元から見ると、今世は悪逆の弟子であっても、ある時は師匠と弟子の立場が入れ替わり、法を説く師と弟子が不二の姿で、法華経の深意を顕すのであると大聖人は仰せです。順縁も逆縁も成仏させる絶大な力が、創価の御本尊に厳然と具わるのです。

次に平左衛門尉の一の家来だった少輔房に、大聖人が第五の巻で頬(ほお)を散々に打たれた杖の難に言及されます。そして、学問成って多くの人に貢献できる身となった者が、自分を厳しく教え導いてくれた父が用いた鞭(むち)の木を、父の墓前に供養した例を挙げています。

そして大聖人は「少輔房の恩を捨ててはならない」「まして法華経の恩はなおさらである」と仰せになります。「少輔房の恩」とまで表現されていることに、余りにも深いお心が拝せます。凡夫であるから難に直面した時に、恨みや臆病などの心が起こるのはある意味自然なことかもしれない。しかし、いかなる難があろうと退転だけはしてはならない。

難があるからこそ、成仏への道を前進できる。困難に揺るがぬ強い自己を築くことができるのです。難との戦いは己心に仏界を開くために必然の道程なのです。後で乗り越えてみれば、「あの難あればこそ今の自分がある。幸福への直道を歩むことができた」と歓喜とともに振り返ることができます。

信念は試練に遭ってこそ、本物に鍛えられます。いわんや最高の信念である真の信仰に、諸難が起こるのは当然なのです。所願満足の絶対的幸福の境涯を開くための今の試練と確信して、雄々しく立ち向かっていきます。長文を最後まで読んで頂き有難うございました。

 

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試練に遭ってこそ本物に鍛えられる(1)

今日は、大聖人が受けた「刀杖の難」について述べられた御書2編を拝します。

●種種御振舞御書p912

平左衛門尉が一の郎従
少輔房(しょうぼう)と申す者はしりよりて
日蓮が懐中せる法華経の第五の巻を取り出して
おもて(面)を三度さい(呵嘖)なみて
さんざんとうちちらす、

又 九巻の法華経を兵者(つわもの)ども
打ちちらしてあるいは足にふみ
あるいは身にまとひ
あるいはいたじき(板敷)・たたみ(畳)等
家の二三間にちらさぬ所もなし、

日蓮・大高声を放ちて申す
あらをもしろや平左衛門尉が・ものにくるうを見よ、
とのばら(殿原)但今 日本国の柱をたをすと
よばはりしかば
上下万人あわてて見えし、

日蓮こそ御勘気をかほれば
をく(臆)して見ゆべかりしに
さはなくして
これはひが(僻)ことなりとや・をもひけん

 

●上野殿御返事p1555~

されば色心の二法よりをこりて
そし(誹)られたる者は
日本国の中には日蓮一人なり、
ただしありとも法華経の故にはあらじ、

さてもさても・わす(忘)れざる事は
せうばう(少輔房)が法華経の第五の巻を取りて
日蓮がつら(面)をうちし事は
三毒よりをこる処のちやうちやく(打擲)なり。

天竺に嫉妬の女人あり
男をにくむ故に
家内(やうち)の物をことごとく打ちやぶり、
其の上にあまりの腹立にや
すがた(姿)けしき(気色)かわり
眼は日月の光のごとくかがや(輝)き
くち(口)は炎をは(吐)くがごとし

すがた(姿)は青鬼赤鬼のごとくにて
年来(としごろ)・男のよみ奉る
法華経の第五の巻をとり
両の足にてさむざむ(散散)にふみける、

其の後命つきて地獄にをつ
両の足ばかり地獄にいらず
獄卒鉄杖をもつて・う(打)てどもいらず、
是は法華経をふみし逆縁の功徳による、

いま日蓮をにく(悪)む故に
せうぼう(少輔房)が第五の巻を取りて
予がをもて(面)をう(打)つ
是も逆縁となるべきか、

彼は天竺(てんじく)・此れは日本
かれは女人・これはをとこ(男)
かれは両のあし(足)・これ(此)は両の手
彼は嫉妬の故・此れは法華経の御故なり、
されども法華経第五の巻は・をなじきなり、

彼の女人のあし(足)地獄に入らざらんに
此の両の手・無間に入るべきや、
ただし彼は男をにくみて法華経をば・にくまず、
此れは法華経と日蓮とを・にくむれば
一身無間に入るべし、

経に云く「其の人命終して阿鼻(あび)獄に入らん」と云々、
手ばかり無間に入るまじとは見へず
不便なり不便なり、
ついには日蓮にあひて仏果をうべきか
不軽(ふぎょう)菩薩の上慢の四衆のごとし。

この2編の御書を通して大聖人は、夫への嫉妬に狂って法華経第五の巻を足で踏み・破り散らした女と、大聖人のお顔を第五の巻で何度も打った少輔房の2人を対比させて、深甚の義をご指南されます。2人とも最後は地獄に堕ちるのですが、法華経を破り散らした女の足だけは、獄卒が鉄の棒でどれだけ打ち据えても、地獄に入れることができなかったのです。それは「逆縁の功徳」によるのであると大聖人は仰せです。
(続きます)

 

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〈友のもとへ 池田先生の激励行〉5 16日間の北海道訪問

北海道研修道場で行われた勤行会の開会前、外で参加者を出迎える池田先生。握手を交わし、記念のカメラにも納まった(1978年6月14日)

 

 

くさを分けてでもたたえたい

 

 一人を励ます。
 青年を育てる。
 未来をつくる。
 池田先生の行動は一貫いっかんして変わらない。
 40年前の6月もそうだった。1978年(昭和53年)6月8日、先生は北海道をおとずれた。44回目の訪問は、16日間で道内を東西に往復おうふくするきょうこうスケジュールだった。
 小説『新・人間革命』第27巻「きゅうどう」の章に、当時のようくわしく描かれている。先生はつづっている。
 「この訪問では、これまでに足をはこんだことのない地域も訪れ、かげで学会をささえてきた功労こうろうの同志を、くさを分けるようにしてさがし、たたえ励まそうと、心に決めていた」
 激励で始まり、激励で終わる。51回を数える北海道訪問の中で、最長となった激励行は、すんしんでの励ましの連続だった。
 ◆◇◆ 
 8日午後、北海道入りした先生は幹部会に出席。9日、10日は札幌さっぽろあつでの諸行事にのぞみ、11日には、厚田で行われた第6回北海道青年部総会で励ましを送った。
 その日の夜、先生は飯田俊雄さん(圏副本部長)・チヱさん(婦人部副本部長)夫妻がいとなきっ店「厚田川」に足を運んだ。
 飯田さん夫妻は、62年(同37年)に入会。「恩師の故郷」とのほこりを胸に、対話にけた。本紙のそう体制がととのっていなかった時期には、運搬うんぱんやくを買って出るなど、厚田広布を支えてきた。
 77年(同52年)10月2日、厚田を訪れていた先生は、夫妻の功労こうろうを讃えようと、喫茶店へ。なごやかに語らい、色紙に「厚田川 かおりも高き 師のみやこ」としたため、夫妻に贈った。
 2度目の「厚田川」訪問となったこの日、先生は一般紙の記者と懇談こんだんした。
 一段落すると、先生はチヱさんに、喫茶店の経営状況をたずねた。チヱさんが「順調です。すべて信心のおかげです」と答えると、「すごいね」と喜んだ。
 この時、先生は一般紙の記者にそっちょくしんじょうを語っている。
 「本当はもっと、こういう方々かたがたの家を一軒一軒と回って励まし、苦労を讃えたいのです」
 師との原点を胸に、夫妻はさらに広布にまい進した。俊雄さんが70歳まで経営していた「厚田川」は今、広布の会場に。地域の同志がとしてつどう。
 3年前、俊雄さんに大腸がんが見つかった。だが、びょうらぐことはなかった。朗々ろうろうと題目をとなえ、手術も無事に成功。経過観察を続けながら、86歳の今も対話に歩く。
 「『厚田のたましい』を、『厚田の誇り』を、若い人たちに伝えていく。それが私の使命です」と俊雄さん。夫のとなりで、チヱさんがうれしそうに、ほほんだ。
 ◆◇◆ 
 北海道訪問6日目となる78年6月13日夕刻、先生は飛行機でくしへ。11年ぶりの道東指導である。別海べつかい町の北海道研修道場へ向かう道中、先生は石川清助さん(故人)宅を訪れた。
 66年(同41年)9月、石川さんはのう出血でたおれた。右半身がし、ろれつも回らなくなった。
 だが、北釧路支部(当時)の支部長だった石川さんは、広布の戦列せんれつもどろうとリハビリに励み、歩けるまでに回復。翌67年(同42年)8月、先生が出席して釧路会館(当時)で開催された幹部会に、妻・保子さん(故人)と駆け付けた。
 先生は「必ずなおります。次に私が釧路へ来る時には、元気な姿を見せてください。断固、長生きしてください」と渾身こんしんの励ましを送った。
 それから11年。師との約束をたし、宿命を乗り越えた石川さん夫妻の姿に、先生は「幸せな皆さん方の姿を拝見して、私もまた一つの思い出ができました」と。さらに、石川さん一家と記念のカメラにおさまった。
 この時、先生は、石川さんの次男・宏さん(副区長)が立ち上げた贈答ぞうとう品の店にもり、従業員にあたたかく声を掛けている。
 「父のことだけでなく、店のことまで気をくばってくださって……。何としても、先生の真心にこたえていこうとかたく誓いました」と宏さん。
 仕事を通して、北海道を元気にしたいと、メロンやカニなど、北海道物産を中心に取り扱ってきた。
 また、優良な中小企業から手広く商品を仕入れ、め合わせの種類がさいなギフトをスーパーなどにおろすことで、北海道の良い品の流通を促進そくしんしてきた。
 こうした北海道の産業発展への貢献こうけんが評価され、2008年(平成20年)、宏さんは「北海道産業貢献賞」を受賞した。
 妻の和子さん(区副婦人部長)が59歳の時、乳がんをわずらった。その2カ月後には、宏さんもせきちゅうきょうさく症を発症。しかし、夫婦共に信心でやまい克服こくふくした。
 宏さんは、毎朝午前4時にしょうする。午前6時まで広布の拡大、会社の発展を祈り、一日を出発。その生活を21年間続けている。
 ◆◇◆ 
 翌14日、研修道場で役員を務めていた菅原いちさん(故人)が先生にあいさつすると、“君のことはよく知ってるよ! 別海広布の開拓かいたくしゃだもの”と。
 思いがけない一言に、おどろきをかくせない菅原さん。当時、別海町で男子部本部長として奮闘ふんとうしていた。
 菅原さんが信心を始めた時、別海町には男子部員が4人しかいなかった。
 町の面積は東京23区の2倍におよび、冬はひょうてん30度を記録することもある。
 酪農らくのうを営む菅原さんは、ぎゅうしゃ清掃せいそうえさやり、さくにゅうなどをぎわよく終えると、学会活動へ。部員宅は点在てんざいし、片道100キロの家もあり、吹雪ふぶきで帰れないこともあった。帰宅がどんなにおそくても、午前4時には起きて牛の世話に当たった。
 そうした菅原さんのけんめいの励ましでふんした多くの友がいる。その一人が激励に通い続けたメンバーが、1970年(昭和45年)12月の男子部総会で活動報告に立った。
 活動報告した友を“陰の陰”から励ました人がいるにちがいない――先生が尋ねると、菅原さんの存在がかび上がった。その敢闘かんとうを讃え、先生は激励の一文を菅原さんに贈っていた。
 74年(同49年)、菅原さんの活躍かつやくが本紙の体験らんに掲載された。そのことも先生はおぼえていたのである。
 菅原さんの奮闘ふんとうをねぎらった先生は、そばで支える妻の邦子さん(県婦人部主事)にも、和歌を贈り、陰のけんしんを讃えた。
 菅原さんは初代道東圏長、邦子さんは婦人部本部長として別海広布のいしずえを築いた。長男の宏昌さん(前進勝利長)・真寿美さん(白ゆり長)夫妻が家業をぎ、発展させている。
 ◆◇◆ 
 14日の夕方に研修道場で行われた開設5周年記念勤行会を終えると、先生はしべ町へ向かった。学会員が経営する食堂を訪れ、懇談会を開いた。
 当時、小学生だった阿部志津子さん(支部婦人部長)の両親が懇談の場に参加した。
 父・善美さん(故人)は水産こうの工場を営み、さけトバや魚のもの等を販売していた。だが前年(77年)、アメリカとソ連が、自国の漁業専管せんかん水域を200カイリとしたことに影響を受け、やむなく工場をへい山菜さんさいなどをり、しおけにしたものを売って、生計せいけいを立てた。
 子どもは6人。善美さん夫妻は生活費をやりくりして、上の2人の子どもを創価大学に送り出していた。
 先生は、善美さんの近況を聞きつつ、「この1年間、題目をあげにあげなさい」と強調。さらに、「仕事をあまく考えず、信心を根本に経済革命するんです」と語った。
 そして「必ず立ち直ってください」と約束をわし、「創価大学にかよう息子さんにも、お題目を送ってあげてください。遠くはなれていても、祈りは全て通じます」と励ました。
 翌15日、研修道場での集いに参加した阿部さん。一人一人の同志を、全身ぜんしん全霊ぜんれいで励ます師のはくが、幼心おさなごころに焼き付けられた。
 「先生は、ある男性のかたを何度も強くきながら、“絶対に負けるな”と、命をそそぎ込むかのようでした。ここまで人を励まされるのかと驚きました」とじゅっかいする。
 師との出会いの後も、善美さんのきょうは続いた。だが、“先生との約束を果たすんだ”と祈り続け、経済革命をげた。
 子どもたちは皆、広布の後継者に。阿部さんも、師の心を胸に励ましに駆ける日々だ。
 16日まで道東に滞在たいざいした先生は、飛行機に間に合うぎりぎりの時刻まで、友との語らいを続けた。
 その後、札幌、厚田で諸行事に出席し、わずかな時間を見つけては訪問・激励をかさねた。20日からは函館はこだてへ。その折にもげきあいって、会員宅へ足を運び、励ましを送っている。
 ◆◇◆ 
 78年の北海道訪問で、先生は約5000人の友と記念撮影。べ2万人の会員と会い、多くの和歌・句を贈った。
 時をのがさずに、ただちに行動を起こす。
 もっとこまやかに、もっと温かくと、心をくし抜く。
 その師の激闘げきとうと、師につらなる友の誓願の行動で築かれたのが、なんこうらくの三代城・北海道である。

 (2018年6月18日 聖教新聞)より

〈歌声高く 誕生40周年の学会歌〉2 友よ起て

四国の天地で行われた新時代第1回全国男子部幹部会。学会歌「紅(くれない)の歌」をはじめ、「誓いの青年(きみ)よ」などを高らかに歌い上げた(2014年9月)

男子部歌「友よ起て」の完成を報じる1978年7月3日付の本紙

 

 

青年とはロマンに生き抜く人

 

 今年も「師弟の月」「青年の月」7月がめぐり来る。
 7月3日――それは、1945年(昭和20年)、軍部政府による弾圧だんあつと戦った戸田先生が、2年間にわたるごくちゅう闘争のすえしゅつごくした日である。また57年(同32年)、池田先生が選挙違反というじつの罪で不当たいこうりゅうされた日でもある。
 7月6日――43年(同18年)のこの日、牧口先生は静岡の下田で、戸田先生は東京の白金しろかねだいで、治安維持いじ法違反とけいざいようで逮捕された。今年で75年となる。
 「7・3」と「7・6」は、学会にとって、権力のしょうと戦い、民衆勝利の時代をひらく“ちかいの日”。池田先生作詞・作曲の男子部歌「友よて」の歌詞とがくが聖教新聞に掲載されたのは40年前、78年(同53年)の7月3日付と7月6日付の2回であった。
 先生は男子部に「新しいやくの歌を贈りたい」と、あえて7月3日に発表することを選び、すんしんで制作を進めたのだ。
 前日の2日夕、先生は、こう語っている。「一つの歌をつくるにも生命いのちかよわせなくてはいけない。生命でつくったもののみが、生命に入っていく」「何事によらず“ろうぎょう”でなければ、人々の心を打つものはできないものだ」と。
 この言葉の通り、先生は一度出来上がった男子部歌にもう一度、命をむ思いで、曲に手をくわえた。
 創価の初代、2代、3代の会長は、いかなる吹雪にも烈風れっぷうにも、敢然かんぜんと胸をり、一人立った。後継の弟子であるならば、の男子部であるならば、一人立て! 友よ起て!――と、心でいのさけびながら。
 こうして「7・6」にふたたびの発表となったのである。
 歌声はまたたに全国へ広がった。「青年とは、広布のロマンに生き抜く人だ」(小説『新・人間革命』第28巻「広宣」の章)との師の期待を胸にいだき、男子部結成の月・7月をける丈夫ますらおたちの力走りきそうとともに。
 そして「友よ起て」の発表から3年余。あらしるがぬ学会精神は、第1次宗門事件からの反転はんてん攻勢こうせいの中で、新たな歌を生み出した。81年(同56年)11月、四国で産声うぶごえを上げた「くれないの歌」である。四国男子部のこころを受け止めて、先生が歌詞を書き上げた一曲だ。
  
 〽ああ暁鐘ぎょうしょうを 
  打て 鳴らせ
  おごれるろう
  なにかせむ……
  
 池田先生が嵐の中で男子部にたくした闘魂とうこんは今、世代から世代へ受けがれる。

 

MEMO

 小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章には、日本の青年層が無気力・無関心に陥ってしまっていた当時の社会状況とともに、先生が“創価の青年よ。次代建設のリーダーたれ!”との願いを込めて「友よ起て」をつくった真情がつづられている。

 

 一、わかの 丈夫ますらお
   いゆけおおぞら そらわし
   まもりて 正義のはね
   いさみ勇みて 友よ
  
 二、見よや彼方かなたに にじかかり
   いざいざかなん 決めたる道を
   地を征くおうじゃと はしりぬ
   あさゆうに 友よ起て
  
 三、広布のロマンを ひとすじ
   てよらせよ 七つのかね
   やがてはほまれの がいせい
   はな吹雪ふぶきに 友よ起て

 

 (2018年6月29日 聖教新聞)より

〈歌声高く 誕生40周年の学会歌〉1 広布に走れ

1978年6月30日、学生部結成21周年記念の幹部会で、池田先生が“世紀の勇者”たる創価の英才たちに万感の期待を寄せる。この日、学生部歌「広布に走れ」が電撃的に発表された(東京・荒川文化会館で)

 

 

われが友よ」と心ひとつに

 

 広布の前進には、歌がある。歌うたび、きんの思い出がよみがえり、未来へのかぎりない希望をき立たせる歌が、同志の胸にひびいている。連載れんさい「歌声たかく」では、本年、誕生40周年をむかえる学会歌を紹介する。
 ♬ ♪ ♬ 
 若人わこうどたちがスクラムを組み、右に左に、大きくれた。清新せいしんな歌声を響かせながら。
  
 〽広きこう
  われは立てり
  ばんめざして
  はくも堂々……
  
 今月2日、千葉で行われた本部幹部会。男女学生部の代表が歌い上げたのは、「広布に走れ」であった。それにする会場の壮年・婦人たちの声も、次第に力強ちからづよさをしていく。
 40年前に「学生部歌」として誕生して以来、学生部のみならず学会の全同志に愛唱あいしょうされてきた。「永遠に歌いがれる歌を」との思いで、歌詞をいくたびも推敲すいこうし、みずから作曲までけた池田先生のたましいが、凝縮ぎょうしゅくした一曲である。
 先のスクラムと合唱は、「広布に走れ」が発表された40年前の光景こうけいとそのままかさなる。
 1978年(昭和53年)6月30日、東京・荒川文化会館で行われた学生部結成21周年記念幹部会で、「新学生部歌」誕生の喜びに湧く創価の学徒がかたを組み、声の限りに合唱したのだ。
  
 〽われが友よ
  広布に走れ……
  
 ――当時のある学生部リーダーは、こう振り返る。
 「『我と我が友よ』との一節に胸がふるえました。その場にいただれもが同じ感動と決意を分かち合い、心を一つにしたのです。池田先生から『私ときみよ!』とけていただいた。師は走る。ならば弟子も、ちからの限り広布に走ろう!と」
 第1次宗門事件の渦中かちゅうである。重苦おもくるしい空気が学会をつつむ中、それを決然けつぜんき飛ばすねつちからが、ほとばしった。「広布に走れ」の合唱がとどろきわたること、じつに12回。「歴史をつくるは この船たしか」と、創価の師弟の大船たいせんは、あらしの海へ敢然かんぜんと船出したのだ。
 なぜこの時、池田先生は歌を作ったのか――その真情が小説『新・人間革命』第28巻「広宣こうせん」の章に、つづられている。
 「大事なことは、どんなたいになろうとも、広布の使命に生き抜く本当のを育てることだ。そのために、みなの心をできる魂の歌を作りたいんだ」
 今、6・30「学生部結成記念日」を目指し、全国のあの地この地で創価の英才たちが躍動やくどうしている。
 「ゆうの師子よ、ふくおとよ、使命のたいで広布に走れ!」との師の心を胸に、誓いの歌声も高く。

 

MEMO

 

 小説『新・人間革命』第28巻「広宣譜」の章には、「広布に走れ」が誕生した経緯とともに、作詞・作曲を手掛けた池田先生の真情が詳細につづられている。また、SOKAチャンネルVOD(ビデオ・オン・デマンド)で「広布に走れ」のコーラス入り映像を配信。VODが利用できる会館等や「SOKAチャンネル モバイルSTB」で視聴できる。

 

(2018年6月23日 聖教新聞)より

〈忘れ得ぬ瞬間 創立者の語らい〉第3回

〈忘れ得ぬ瞬間とき 創立者の語らい〉第3回

 

学生たちに慈愛のまなざしを注ぎつつ、スピーチする創立者・池田先生(2005年6月、創価大学本部棟で)

 

創価大学 2005年6月 中国・ちゅうはん大学「名誉教授」称号授与式
学び、そして戦う人生たれ

 

 本年は、創立者・池田先生の「日中国交こっこう正常化提言」発表から50周年。日中平和友好条約締結ていけつからは40周年にたる。半世紀におよぶ両国友好への貢献こうけんをたたえ、中国各界から先生におくられたけんしょうは、枚挙まいきょにいとまがない。百年以上の伝統をほこる名門・ちゅうはん大学から「名誉教授」称号が授与されたのは、2005年6月17日。式典でしゃべた先生は、同大学が時代にさきけて「学生ほう」にてっしてきた事実にげんきゅう。創大の学生中心の精神を確認するとともに、人生も学問も、あらゆる戦いは「しゅうねん」で決まるとうったえた。
  
 学生のためにこそ、大学はある。教育はある。ゆえに、教員は心から学生を大切にすることです。学生をそんちょうしていくことです。「わが子」以上に、「学生」に愛情を! 「わが親」以上に、「学生」に尊敬を! ここに徹した人が本当の教員です。
  
 教員の誠実な心につつまれてそだった学生は、どこかちがう。そのしんは、すぐにははっされないかもしれない。しかし、社会に出てからかる。良い教員と出会ったかどうかが、学生の人生を決めると言ってもいい。それほどに、教員の存在は大事なのです。
  
 私も、19歳で戸田城聖先生の弟子となり、先生の「戦う執念」を、すべて身につけました。先生と学会が絶体絶命ぜったいぜつめいきょうの時も、「だんじて負けない!」「最後に勝ってみせる!」と決めて戦い、勝ってきた。そうして、今日の世界的な創価の連帯がきずかれたのです。
 一時の名声めいせい肩書かたがきで、勝負は決まりません。スポーツであれ、実社会であれ、どんな分野であれ、執念を持った人間が最後には勝っている。執念の人間には、かなわないのです。では「執念」とは何でしょうか。「忍耐強にんたいづよくこと」は、重要であるけれども、まだ受け身です。
 さらにもういちじゅう、強く深く「執拗しつようなまでにめ抜くこと」――これを執念と言うのです。ここにこそ、勝利のかつは、必ずひらけるのです。

 

大きな歴史を

 

 辛亥しんがい革命の電源でんげんとなったかんに立つ華中師範大学。馬敏学長(当時)は、「人間」に光を当て、激動げきどうの中国近代史を研究してきた著名ちょめいな歴史学者であった。先生は、自身も小説に民衆史をつづってきた事実にれ、歴史を動かすのは「人間のちから」であると強調きょうちょう。また同大学の卒業生で、若き日のしゅうおんらい総理とともに革命闘争とうそうに身をとうじた惲代英うんだいえい氏の言葉「山が高くとも、のぼっていくかぎり、必ず頂上ちょうじょうきわめることができる。道が遠くとも、進んでいく限り、必ずとうたつできる」等を紹介し、「信念」と「勇気」に生き抜く人生をと語った。
  
 どんなに人がいても、ごうしゅうでは力にならない。だいな人間がいるかどうかです。偉大な人間がいれば、平和な社会も、ゆたかな社会も、実現できる。
  
 学び、そして戦う。それでこそ、学生です。“学び、そして遊ぶ”が今のふうちょうかもしれないが、どうか皆さんは、「学び、そして戦う」「探究たんきゅうし、そして行動する」という、ほまれの青春の道を歩み抜いてください。
 学問にはげむことは、もちろん重要です。しかし、勉学に専念せんねんしていれば、それで十分というわけではない。
 社会のため、人々のために、何か行動をこしていくのです。勇敢ゆうかんに闘争していくのです。そこでられた経験は、必ずやみずからの学問とむすびつき、自身のちょうな力となっていきます。その青春にこそ、英知と正義が光り、快活かいかつと充実がみなぎっていくことを知ってください。
  
 現実社会を見れば、人を苦しめ、なやませ、不幸にさせゆく悪がちています。この世は、善と悪の戦いです。その悪をめっしゆく善の戦いを教えていくのが、教育の役割なのです。
 小さな、つまらない人生を生きてはならない。どうか皆さんは、大きな使命のために、大きな悩みを持ちながら、大きな自分をつくり、大きな歴史を残してください!
 これが創価大学の精神だと思うが、どうでしょうか!

 

本年5月、日中平和友好条約締結40周年を記念して企画された「周恩来記念展」が創大池田記念講堂で開幕。この展示は同講堂で行事等が行われる際に開場する

 


 

〈キャンパスアルバム〉 ブロンズ像

 

 

てん使

 

天使と印刷いんさつこう

 

えいみがくは何のため

 

 「ろうと使命の中にのみ 人生の価値たからは生まれる」「えいみがくは何のため きみよそれをわするるな」
 学問にいどみゆく創大生が、社会で奮闘ふんとうする卒業生が大切にするしんである。池田先生が贈ったこの言葉は、文系校舎A棟前に立つブロンズ像のだいきざまれている。
 向かって右に「てん使」、左に「天使と印刷いんさつこう」。
 作者はフランスの彫刻ちょうこくアレクサンドル・ファルギエール。先生がぞうし、1971年4月2日の開学式のおり除幕じょまくされた。以来、47星霜せいそう。一対のブロンズ像は“創大のシンボル”となり、行きう学生を見守ってきた。
 かつて先生は語っている。
 「天使は栄光の大空へ羽ばたかんとする『創大生』です。そして鍛冶屋と印刷工は、『名もなき庶民しょみん』。創大生は庶民のことをだんじて忘れてはならない」
 民衆のために行動する。大学に行けなかった人々のために尽くす――創大生の永遠の使命である。

 

 (2018年6月26日 聖教新聞)より

第6回 異体同心――皆が心を一つに団結

 連載「世界宗教の仏法を学ぶ」では、池田先生の指導やはげましを教学のテーマ別に掲載。あわせて、それらに関する仏法用語や日蓮大聖人の御書などを紹介します。第6回のテーマは「たいどうしん」です。

 

小説「新・人間革命」第13巻「こうじょう」の章

 

 【あらすじ】1968年(昭和43年)秋、各地で芸術祭が開催される。芸術部の首脳しゅのう懇談こんだんした山本伸一会長は、“芸術祭を成功させるうえで、一番大切なことは何か?”との質問に対して、「皆が仲良く、団結しておこなっていくことです」と答える。
 ◇
 質問した芸術部の幹部が、ふたたたずねた。
 「一人ひとりの“個性”をそんちょうすることと“団結”とは、どうもあいはんすることのように思えるのですが……」
 伸一は、ニッコリとうなずいた。
 「大事な質問です。実は、その原理が『たいどうしん』ということなんです。
 けんでは、団結というと、よく『いっしんどうたい』と言われる。これは、心も体も一体ということであり、心を同じくするだけでなく、行動や形式も同じことを求める。つまり、全体主義となり、どうしても、個性はよくあつされることになる。
 それに対して、大聖人は『一心同体』ではなく、『異体同心』と言われた。これは“異体”である個人、また、それぞれの個性や特性の尊重が大前提になっています。
 その一人ひとりが“同心”すなわち、広宣流布という同じ目的、同じ決意に立つことから生まれる、協力、団結の姿すがたが異体同心です。
 つまり、それは、外側からの強制によるものではなく、個人の内発的な意志による団結です。だから強いんです。また、自主性が基本にあるから、各人が個性、特質をいかんなくはっできるし、それによって、さらに全体が強くなる。
 たとえば、しろいしがきというのは、同じ形の石ではなく、さまざまな形の石を組み合わせ、み上げていくから、けんであるといわれている。野球をするにも、優秀なピッチャーばかり集めたからといって、勝てるものではない。『異体』すなわち、いろいろな人材が必要なんです。芸術部員は、一人ひとりがちからもあり、強い個性をもっているだけに、皆が心を一つにして団結すれば、すごいパワーが発揮できます。
 学会の強さは、この『異体同心』の団結にありました。その力によって、常に不可能のかべやぶり、新しい歴史を開いてきた。
 さらに、皆が仲よく団結しているということは、それ自体が、各人のきょうがい革命、人間革命のあかしなんです。なぜなら、よくが強く自己中心的な人、ごうまんり、しっしんが強い人、わがままな人などは、団結することができないからです。
 そして、結局は、組織をかきみだし、皆にめいわくをかけ、最後は、自分から学会をはなれていってしまうことになる。しかし、そうなれば、自分が不幸です。最後はあわれです。
 だから、広宣流布のために団結しようと決め、自分を見つめて、わがままやまんしんに挑戦し、人間革命していくことが大事になるんです」
 「わかりました。芸術部もしっかり団結して、最高の芸術祭をおこなってまいります」
 芸術部の幹部が答えると、伸一は頷いた。

 

理解を深めるために

 

●御本尊への信心を同じくする

 

 「たいどうしん」の「異体」とは、各人の個性や特質、年齢や性別、さらに社会的地位や職業がことなっていることを指します。
 「同心」とは、こころざし、目的を同じくして、ちからわせることです。私たちで言えば、御本尊への信心を同じくすることであり、また広宣流布という目的観・使命感を同じくすることです。
 同じ心に立って、各人が広布のために自身の力をぞんぶんはっし、自身の役割と使命をたしていくことで、広宣流布が前進するのです。
 この「異体同心」と正反対なのが「どうたいしんたいどうしん)」です。表面的には同じ行動をとっているようでも、心がバラバラであれば、力を十分に発揮することはできません。
 日蓮大聖人は御書で、「異体同心なればばんじょうじ同体異心なればしょかなう事なし」(1463ページ)とおおせです。そして、しゅうおうひきいる800のしょこうの軍が、70まんいんちゅうおうぐんぜいやぶった古代中国のげられ、勝負は人数の多少ではなく、戦う心が一致しているかどうかで決まるとしめされています。
 異体同心とは、広宣流布を進めるに当たって、私たちが信心で団結をしていく時に、最重要とすべき指針なのです。

 

日蓮大聖人の御書から 「しょういちだいけつみゃくしょう」について

 

●「広宣流布のだいがん」もかならじょうじゅ

 

 日蓮大聖人は「しょういちだいけつみゃくしょう」で、「そうじて日蓮にちれんだんとうこころなく水魚すいぎょおもいしてたいどうしんにして南無妙法蓮華経ととなたてまつところを生死一大事の血脈とはうなり」(御書1337ページ)とおおせです。
 大聖人はこの御文で、広宣流布をす大聖人門下のかたについて、具体的なひょうしめされています。それが「自他彼此の心なく」「水魚の思を成して」「異体同心にして」の3点です。
 「自他彼此の心なく」とは、「自分」と「他人」、「かれ」と「これ」とを切りはなして考える、差別や対立の心を持たないということです。それは、「自己中心」の心を乗り越えていく挑戦であるともいえます。
 「水魚の思を成して」とは、水と魚のように、切り離すことができない関係をいいます。私たちに置き換えれば、たがいをかけがえのない存在としてそんちょうい、ささえ合っていくことです。
 「異体同心にして」とは、一人一人が個性や特質、立場はちがっても、同じ目的観、価値観を持つこと。私たちでいえば、広宣流布へ心を合わせて前進していくことです。
 大聖人は、御自身のつうの目指すところは異体同心の実現にあり、異体同心の信心によって「広宣流布のだいがん」もじょうじゅすることは間違いないと教えられているのです。

 (2018年6月19日 聖教新聞 〈世界宗教の仏法を学ぶ 池田先生の指導・励ましから〉)より