2017年 12月 の投稿一覧

平成29年をふりかえって

 平成29年(2017年)も残すところ、きょう一日だけとなった。皆さまいかがお過ごしだ
ろうか。当ブログは今年3月に開設して以来、望外ともいえる多くの方に閲覧いただいた。
私の拙い文章を読んでくださった皆さまには感謝申し上げたい。

 さて、今年も国内外の様々なニュースが世上を騒がせた。主なものを思いつくままに挙
げると、北朝鮮の核・ミサイル問題、米国トランプ政権の混乱、国内に目を転じると、都
議会議員選挙、衆議院総選挙などの出来事が、連日のように新聞の紙面やテレビのニュー
ス・ワイドショーなどで取り上げられた。

 それらの出来事の中でも、問題の大きさの割には不自然に大きく報道されたのではない
か、と思われるニュースがある。森友学園・加計学園をめぐる報道である。

 この問題は、安倍首相夫妻と懇意にしている人物が経営する学校法人に対して、安倍首
相が便宜を図った、もしくは首相の意向を忖度した官僚が便宜を図ったのではないか、と
いう疑惑である。

 行政はすべての国民に対して公平でなければならない。首相との個人的関係によって、
〝えこひいき〟がなされるなど許されないことである。

 だから、こうした疑惑をマスコミが追求することじたいは、当然のことである。
 しかし、朝日新聞をはじめとする新聞各社や、テレビのワイドショーなどが、半年ほど
この問題を取り上げ続けたにもかかわらず、安倍首相の関与を裏付ける証拠は何もでてこ
ない。

 安倍政権がめざす憲法改正を何としも阻止したい左派メディアが、政権打倒を企て、事
実を歪めて報道したのではないか、と取り沙汰する向きもある。

 確かに賄賂をもらって便宜を図ったというような明白な不正があったわけでもないのに、
あたかも大疑獄のように報じるメディアの姿勢には、疑問を持たざるを得ない。

 私個人としても、左翼の活動家なのかジャーナリストなのか区別しがたい連中が、政治
的目的のために、火のないところに煙を立てるべく騒ぎ立てているだけなのはないか、と
いう印象を受ける。

 一方で、問題の大きさの割にマスコミの取り上げ方が過小ではないか、と思われる事象
もある。『文藝春秋』7月号に「都議選で生じた『自公亀裂』の行方」と題した記事が掲
載された(当ブログでは以前この記事を引用したが、再度引用する)。


>  ゴールデンウイーク明けの五月十日夕。皇居沿いのあるホテルの車寄せは高級車で
> ごった返していた。
>  スーツに身を包んだ男たちが、車を降りるや次々に上階のバンケットホールに向か
> っていった。
> 「ようこそおいでくださいました」
>  にこやかに出迎えたのは、公明党の石井啓一国土交通相だ。三十分近くも列をなし
> て待つ大小ゼネコンや建設会社の幹部ら一人一人とあいさつを交わした。
>  経世会の全盛期とは隔世の感があるとはいえ、大手ゼネコンは、いまだに自民党の
> 「選挙マシーン」の一つに数えられる。
>  そうはいっても、中央省庁再編で国交省が発足した二〇〇一年以降、のべ十年近く
> にわたって大臣を輩出してきた公明党の「動員令」に業界は逆らえない。まして現職
> の大臣が出迎え、名刺交換すると聞かされれば否も応もない。
>  会合を事前に耳にした自民党建設族の重鎮は露骨に嫌な顔をした。
> 「いくら必死の都議選だからといって、ちょっとやりすぎじゃないか」
>  許認可といいう、「生殺与奪」の権を握る所管官庁の大臣を投入するのは、本来で
> あれば禁じ手だ。


 平成29年度の国土交通省の予算は、一般会計と震災復興特別会計を合わせると、約6兆
3千億円にも上る。そして、その大部分が公共事業費である。

 巨額の予算と建設業の許認可権を握る国土交通大臣が、公共事業から利益を得ているゼ
ネコンの幹部を選挙前に呼びつけて、「名刺交換」を行う。「選挙ではよろしく」という
含みがあると考えるのは当然である。

 石井大臣が、この際に都議選での票の取りまとめを直接依頼したわけではないだろうが、
あたかも国民の税金で票を買ったかのようにみられても、仕方ないのではないだろうか。

 この件に関して、テレビや新聞が疑惑追及を行ったという話は聞かない。創価学会とマ
スメディアとの癒着の話は、ずいぶん前から耳にタコができるほど聞かされているのだが。

 テレビで聖教新聞のCMを見ない日はないといってもいいほどだが、聖教新聞社という
会社が存在しているわけではない。「聖教新聞社」と独立した企業のごとく称しているが、
聖教新聞社は宗教法人創価学会の一部門に過ぎない。

 また、聖教新聞の印刷を大手新聞各社が請け負い、そこから少なからぬ収益を得ている
ことも周知の事実である。特に毎日新聞などは、それなしでは経営が成り立たないほどだ
ともいわれる。

 こうした事情がある以上、テレビや新聞各社は、創価学会から広告宣伝費や印刷委託費
などの名目で金をもらっているので、創価学会・公明党に対して及び腰になっているので
はないか、言うなれば「忖度」しているのではないかと、疑いを持たざるを得ない。

 創価学会の反社会行為に関する報道は、かつてより確実に少なくなっている。それは彼
らが社会と折り合いをつけられるようになったからではなく、潤沢な資金力でメディアを
掌握しつつあるからではないだろうか。

 私は創価学会には、現在もなお反社会的傾向が多分にあると考えている。ただ嫌がらせ
などの手口がより狡猾になったことや、メディアや権力に浸透したことで、批判的言説の
流布を食い止められるようになっただけだ。

 創価学会の問題点については、当ブログでまだ論じていないことが少なからずある。来
年も引き続き、この反社会的カルトの害悪を訴えていく所存である。

日蓮思想の部分否定。





いつもみなさん、ありがとうございます。



さて先日、日蓮の真蹟についていろいろ書いてみたのですが、読者の質問のお陰で私もいろいろ勉強することができました。ありがとうございました。同時に自分がわからないこともさらに増えてしまい、勉強の必要性を感じています。種々、ご教示頂いている読者の方も多く、また引き続きいろいろ教えてくださいませ。


ところで、私が真蹟のことを考えたのは、日蓮の遺文に少なからず偽書の疑いが濃厚なものがあることはよく知られていまして、それなら「日蓮本人の真筆が現存するものを根本にする」という基準で日蓮の実像を捉えたいと考えたからです。


さまざまな反響もありましたが、少し気になったのは「日蓮の真蹟には信用のおけない内容のものがある。私は内容で判断していきたい」というものです。



私はどんな宗教的な立場も否定はしません。ですが、日蓮の真筆が現存するものを部分的に否定するなら、それは単に日蓮を利用して教義を構成しているだけかと思うんですね。
それならいっそのこと「日蓮の教義には現代において無効な部分がある」と正直に認めてしまい、その上でそれを補完する教義を別途考えれば良いのだと思います。
ただしその代わり、それは日蓮を根本とした宗派とは言われないでしょう。



私見ながら私は創価学会を教義的に再興させる唯一の方法は「日蓮の部分否定」と「創価学会三代会長たちによる教義の補完」しかないと考えています。つまり創価学会が「日蓮の正統」であるということを根本から否定して、「日蓮の教義を部分的に用いて、牧口会長以来の平和主義を求めていく」と言うように思想的な転轍をしなければならないでしょう。



それをもし「日蓮こそが創価学会の根本であり、私たちは日蓮の正統な継承者である」と自称して自分勝手に日蓮を利用するなら、所詮やっていることは、日蓮正宗大石寺がやってきた日蓮本仏説等の捏造教義と本質的になんら変わらないと考えます。




追記:
旧年中は大変にお世話になりました。
読者のみなさん、情報提供者のみなさん、本当にありがとうございました。
良いお年をお迎えください。


十界の成立について。





いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今日のテーマは「十界」の起源についてです。



「十界」と言うと、多くの創価学会員さんや大石寺の信徒さんがよくご存知の教義になりますけど、これ、別に日蓮の教義でも何でもありません。
本来天台宗で言われていたもので、天台教学における『仏祖統記』で出てくるものです。



ではこの起源はどこから来たものなのか、というのが最大の問題です。「十界」や「十法界」という用例は法華経には存在しないからです。



実は「十法界」の用例の初出は『法華経』ではなく『華厳経』です。華厳経漢訳のいわゆる『八十華厳』の入法界品で「了知十法界・一切差別門」という言葉が出てきます。



ところで、ここで最大の問題になるのは『八十華厳』の成立年代です。漢訳『八十華厳』は西暦695〜699年の成立で、ここから考えると天台智顗(538〜597)は『八十華厳』を見ていないことになります。西暦418〜420年に成立した旧訳『六十華厳』では「十法界」の語はなく、「分別深法界」と書かれているからです。


とすると、考えられるのは法華経です。
法華経に「十法界」の用例は存在しませんが、授記品には「四悪道・地獄・餓鬼・畜生・阿修羅」とありますし、随喜功徳品には「六趣衆生」とありますので、これらの語句を成立統括して、智顗として「十法界」の概念を生み出したと考えるのが自然かと思います。



ただ教義としての「十界」の概念は、やはり中国天台宗第6祖の妙楽大師湛然を待たなければならないでしょう。湛然(711〜782)の頃には既に『八十華厳』が成立していますから、湛然は十法界の概念から天台教学の整理を行ったことは想像に難くありません。








参考文献:
稲荷日宣「十界の成立」『印度学仏教学研究』第17号所収、1961年。




書評『「人間革命」の読み方』

 本書の著者、島田裕巳氏は言わずと知れた著名な宗教学者であり、創価学会についての
著作も少なくない。

 この本では題名のとおり、表向き池田大作の代表作ということになっている『人間革命』
『新・人間革命』、戸田城聖著『人間革命』、丹波哲郎主演による映画版「人間革命」の
内容が紹介されているほか、それらの作品で語られている出来事について、別の資料に基
づいた観点からの考察も加えられている。

 ※ 以下、本稿で『人間革命』について言及する場合、池田大作版『人間革命』につい
  て述べる。

 特に『人間革命』については、全12巻のあらすじが書かれている。創価学会を理解する
上で『人間革命』は外せないが、その『人間革命』を未読の一般人にも配慮した構成とな
っている。

 また、『人間革命』の本当の著者は篠原善太郎氏であったこと、創価学会第二代会長で
あった戸田城聖が、酒を飲みながら講義や講演を行っていたことにも触れられている。

 中でも興味深かったのは、『人間革命』の「第2版」について論じられた箇所である。
創価学会は、平成3年(1991年)に日蓮正宗から破門されたが、『人間革命』の大部分は、
それ以前に執筆されているため、当ブログでも論じてきたように、現在の創価学会にとっ
ては不都合な箇所も少なくない。

 そうした箇所が第2版では、書き換えられているのだという。島田氏はこの点について、
「いったんは正史として記述された出来事が、後世において書き替えられるということは、
歴史の改竄にもなりかねない」と批判している。

 現在の創価学会では、『人間革命』『新・人間革命』について、「精神の正史」「信心
の教科書」と位置づけている。その「精神の正史」を、都合が悪くなったからといって平
気で改竄することが、創価学会員にとっては〝正しい信仰〟なのであろうか。

 これではインチキ宗教といわれて当然である。まあ、カルト信者に何を言ったところで、
カエルの面に小便であろうが。 

 それはされおき、私はこれまで島田氏の著書から多くのことを教えられてきた。本作か
らも学び得たことが少なからずあった。今後、当ブログでもそれを役立てたいと考えてい
る。

 上述のように、本書は『人間革命』を読んでいない者にも、理解しやすいように工夫し
て書かれているので、創価学会に関心はあるが、今まで『人間革命』を手に取ったことは
ないという方にとっても、一読の価値はあるのではないかと思う。

 私はたいへん興味深く読んだが、敢えて欲を言えば、もう少し批判的でもよいのではな
いかと思わないでもない。著者の宗教学者としての立場上、研究対象に対して過度に攻撃
的なスタンスはとりづらいことは十分理解できるが。


 ※ 『「人間革命」の読み方』(ベスト新書)は、2017年12月20日付で発行された。

日蓮における他宗弾圧の正当化。





いつもみなさん、ありがとうございます。



以前、私はこのブログで今成元昭氏の論考を取り上げ、日蓮における「折伏」の用例が「国家の武力による宗教者への弾圧」の意味に近いのだということを書きました。


「摂受と折伏について」


この点については複数の識者も認めるところでして、創価大学の宮田幸一氏も論文で「鎌倉仏教の創始者は迫害を受けているが、その中で最も迫害を受けた日蓮が最も国家による宗教統制を主張していたのは歴史の皮肉だ」と述べています。


宮田幸一「日本仏教と平和主義の諸問題(1)」


宮田氏の論と重なりますが、日蓮の遺文からこの点について今日は見てみたいと思います。
まず初めに『守護国家論』です。


「而るに今の世は道俗を択ばず弓箭・刀杖を帯せり梵網経の文の如くならば必ず三悪道に堕せんこと疑無き者なり、涅槃経の文無くんば如何にしてか之を救わん亦涅槃経の先後の文の如くならば弓箭・刀杖を帯して悪法の比丘を治し正法の比丘を守護せん者は先世の四重五逆を滅して必ず無上道を証せんと定め給う」
(『守護国家論創価学会版御書59ページ)


つまりここで日蓮は「正法の比丘」を守護するために「弓箭・刀杖を帯して」と積極的に武力の行使を容認しているんですね。


これが『立正安国論』になると少しトーンが変わってきます。



「全く仏子を禁むるには非ず唯偏に謗法を悪むなり、夫れ釈迦の以前仏教は其の罪を斬ると雖も能忍の以後経説は即ち其の施を止む」
(『立正安国論』同30ページ)



つまり釈迦以前の仏教なら謗法者は斬罪なのですが、釈迦以降の仏教では謗法者への布施を禁じることで、謗法禁断の柔軟な方法をここで日蓮は提案しているように見えます。



ところが、晩年に至り、日蓮は再び積極的に武力による宗教統制、宗教弾圧を主張するようになります。それは『撰時抄』です。



建長寺寿福寺極楽寺・大仏・長楽寺等の一切の念仏者・禅僧等が寺塔をばやきはらいて彼等が頸をゆひのはまにて切らずば日本国必ずほろぶべしと申し候了ぬ」
(『撰時抄』同287ページ)


日蓮が謗法を禁じたのは、謗法者を放置すると自界反逆難と他国侵逼難が起こり、国内外での争乱が起こるという、護国経典を由来とする危機意識からです。それは裏を返すと、国家が正しい教え=法華経を信奉するならば平和楽土が建設できると日蓮自身が信じていたからに他なりません。
そしてその理想の仏国土の実現のためなら、武力による宗教弾圧も正当化できるというのが日蓮の思想なのです。





法華真言の用例。





みなさん、いつもありがとうございます。
さて今回は法華真言未分の時期の日蓮についてです。



以前、ブログでも指摘したように、立宗の建長5年から文永中頃まで、日蓮法華経真言とが未分の立場でした。日蓮が明確に真言を批判するようになるのは、文永後期以降のことになります。また修学時代の蓮長、若き日の日蓮真言の徒であったことは『五輪九字明秘密義釈』や『不動愛染感見記』からも伺うことができます。



日蓮真言批判の問題点」



その証拠として、日蓮遺文中には「法華真言」と、法華経真言とを同格に併記する用例が多く散見されます。
具体的に「法華真言」の用例が見られる遺文は、私が確認した限りでは以下の通りです。


立正安国論』(真蹟中山)1箇所
『安国論御勘由来』(真蹟中山)1箇所
守護国家論』(身延曽存)14箇所
『災難対治抄』(真蹟中山)1箇所
『当世念仏者無間地獄事』(真蹟不存)3箇所
『本尊問答抄』(日興写本)1箇所
『頼基陳状』(日興写本)1箇所
真蹟断簡・京都本圀寺蔵、1箇所
真蹟断簡・京都本禅寺蔵、1箇所


なお『法華真言勝劣事』の題号は、明確に「法華と真言の勝劣」であり、比較の意味なので除きました。また後年の真言批判に至る『撰時抄』にも「法華真言等」という用例が見えますが、これは法華真言等の諸宗の意味で用いられており、これも用例からは外しました。


とはいえ、上記のこれらの諸抄に、とりわけ『立正安国論』と『守護国家論』に「法華真言」と並列して書かれていることは非常に興味深いところです。


例えば上記のうち、『立正安国論』の当該の箇所を引用してみましょう。


「之に就いて之を見るに曇鸞道綽・善導の謬釈を引いて聖道・浄土・難行・易行の旨を建て法華真言惣じて一代の大乗六百三十七部二千八百八十三巻・一切の諸仏菩薩及び諸の世天等を以て皆聖道・難行・雑行等に摂して、或は捨て或は閉じ或は閣き或は抛つ此の四字を以て多く一切を迷わし」
創価学会版御書23ページ)


簡単に通解しますと、


「これ(法然の『選択集』)を見てみると、念仏の祖の曇鸞らの誤った釈を引いて、聖道・浄土・難行・易行の旨を立て、法華真言をはじめとする一切の釈迦の経典を『捨てよ』『閉じよ』『閣け』『抛て』の四字をもって一切衆生を迷わしている。」



となります。ここから考えれば『守護国家論』や『立正安国論』執筆の頃の日蓮は、法華と真言をまだ明確に区別しておらず、法華も真言もともに正しい教えであると考えていました。


『安国論御勘由来』はもっと明確です。
引用してみましょう。


「然るに後鳥羽院の御宇・建仁年中に法然・大日とて二人の増上慢の者有り悪鬼其の身に入つて国中の上下を誑惑し代を挙げて念仏者と成り人毎に禅宗に趣く、存の外に山門の御帰依浅薄なり国中の法華真言の学者棄て置かれ了んぬ」
(同34ページ)


簡単に通解してみましょう。


「然るに82代後鳥羽院の時代、建仁年中に法然房、大日房という二人の増上慢の者があり、悪鬼がその身に入って国中の上下万民を誑かし、人々は全て念仏者となり、或いは禅宗の信者となってしまった。そのため思いの外、比叡山に対する帰依の心が浅薄になってしまい、国中の法華真言の学者たちは捨て置かれてしまったのである。」


ここでも日蓮は明快に「法華」と「真言」をともに正しい教えであるとしています。










遺文紙背文書に見る庶民生活の実態。





いつもみなさん、ありがとうございます。
今日のテーマは「日蓮遺文紙背文書」についてです。




千葉の中山法華経寺には数多くの日蓮の真蹟が保管され、現存していますが、この日蓮の自筆文書の裏面に多くの文書が書かれていることが昭和37年に知られるようになります。


当時、紙は大変に貴重品であり、富木常忍は仕事で使った文書のうち、特に保管する必要がない反故紙について、日蓮の執筆のために提供したと考えられています。富木常忍は千葉介頼胤に仕えた家臣で、主に文書官僚でした。



その結果、偶然にも130通に及ぶ歴史的な史料が残ることになりました。これらは総称して「日蓮遺文紙背文書」と呼ばれます。



これらの紙背文書は、下総国守護千葉介を中心とし、それを取り巻く全国の所領内住人や家臣との往復文書であり、当時の社会情勢を知ることのできる、大変貴重な史料です。



紙背文書の中には「法橋長専」なる人物が富木常忍に与えた文書が数多く残されており、この人物が千葉氏の鎌倉屋敷に住み込んでおり、鎌倉幕府との折衝役を勤めていたことがわかっています。幕府から千葉氏に下る命令に対し、どう処理するかについて長専が心を砕いていることが伺われます。



幕府から千葉介に賦課された負担はその多くが、千葉一族や家臣、また彼らの居住する地域社会へ転嫁されることになります。紙背文書の中には富木常忍宛の手紙があり、その中で幕府御所で働く女性の衣装の費用が転嫁されたが、度々の富木常忍からの催促にも関わらず、それを払えない理由として旱魃と水害で田が荒れ果ててしまっていることが述べられています。


また紙背文書からは過酷な庶民の生活実態を看取することができます。文永6年とされる紙背文書によりますと、年貢を納められなかった人物が、自分の兄の娘を質に入れ、借金で負担し、それでも払えなかったので、その娘自身が売り飛ばされてしまったことなどが書かれています。書状はその窮状を富木常忍に訴えたものなのですが、当時の民衆の実態として人身売買が横行していたことがわかります。当然その背景には自然災害や飢饉があったことは想像に難くありません。



鎌倉時代は流通や交易が発展した時代でもありましたが、同時に奴隷や打ち捨てられた人たちが多く生まれた時代でもあったと考えられます。社会の発展が地域社会の生活向上には寄与しなかったと言えるでしょう。



日蓮もまたこうした現実を見て知っていたと思います。日蓮の方法は『立正安国論』を幕府に提出し、日蓮法華経を用いるように諌めることです。日蓮が民衆のために何か具体的に行ったような記述は遺文には少しも見られません。



仮にもし幕府が『立正安国論』を認め、日蓮が幕府に受け入れられたとしたら、その時は日蓮を何をしたでしょう?
私が推測するのは、国家の安寧を願って祈祷調伏をする日蓮の姿です。特になんらかの具体策があったとは私には思えません。日蓮は民衆を組織したこともありませんし、具体的な施設を作ったこともありません。






追記:
富木常忍は千葉介頼胤の家臣で文書官僚の執務に携わり、文書保管のノウハウ等を持っていたことは間違いなく、この点について文書保管の体制については日蓮と意見を一にしていたことは以前ブログでも書きました。


富木常忍と文書の管理体制」


参考文献:
中尾堯『日蓮真蹟遺文と寺院文書』吉川弘文館、2002年。
中学校社会科補助教材作成委員会編『伸びゆく千葉市千葉市教育委員会、2002年。







土民のこと。





いつもみなさん、ありがとうございます。



さて、日蓮武家や弟子たちと交流したり、また『立正安国論』を最明寺時頼に提出したりしていますが、日蓮本人が実際には民衆と交流した形跡が遺文には全く見られないことは何度となく指摘してきました。






さらには「民衆」という言葉の日蓮の用例は『守護国家論』の1箇所のみです(創価学会版御書36ページ)。
民衆が嘆いている、だからこそ国主にはするべきことがあるはずだ、とるべき教えがあるはずだという視点が日蓮にはありますが、民衆中心の仏法であるとは言い難いと私は思います。日蓮が考えていたのは徹頭徹尾、国家と武家社会の問題であり、民衆など相手にはしていないのです。


加えて今回指摘したいのは「土民」という用例です。


「如何に国王と云うとも言には障り無し己が舌の和かなるままに云うとも其の身は即土民の卑しく嫌われたる身なり」
(『諸宗問答抄』創価学会版御書380ページ)


『諸宗問答抄』は真蹟不存ですが、西山日代の写本(1391年)が現存します。
これを読むと、日蓮が「土民」の意味を「卑しく嫌われたる身」と考えていたことがわかります。



他にも「土民」の用例は私の知る限り『開目抄』『立正安国論』『法華取要抄』『滝泉寺申状』『曽谷入道殿御書』に見られます。『開目抄』のみ身延曽存ですが、残りは全て真蹟現存の御書です。


「故に上国王から下土民に至るまで皆経は浄土三部の外の経無く仏は弥陀三尊の外の仏無しと謂えり。」
(『立正安国論』同23ページ)


「所詮天下泰平国土安穏は君臣の楽う所土民の思う所なり」
(『立正安国論』同26ページ)


「夏の傑・殷の紂と申すは万乗の主・土民の帰依なり」
(『開目抄』同204ページ)


「其の上各各に経律論に依り更互に証拠有り随つて王臣国を傾け土民之を仰ぐ」
(『法華取要抄』同331ページ)


「而るを今年佐渡の国の土民は口々に云う」
(『法華取要抄』同336ページ)


「将た又尫弱なる土民の族・日秀等に雇い越されんや」
(『滝泉寺申状』同852ページ)


「当時壱岐対馬土民の如くになり候はんずるなり」
(『曾谷入道殿御書』同1024ページ)




「土民」とは文字通り「土着の民」という意味ですが、上の引用を読めばわかるように、ここで日蓮は「国王」とは身分の違う卑しい身として「土民」という語を使っていると考えられます。
当然日蓮自身の思想の時代的制約というものもあるとは思いますが、基本的に日蓮自身は民を「土民」と考えており、その身分を「卑しく嫌われたる身」と考えていたと私は思っています。
このことから考えても、日蓮の思想に「民衆仏法」のような要素があったとは言えないと私は思います。