2017年 9月 の投稿一覧

仏教の思想と歴史(1. 仏教とは何か)

仏教とは? 仏教は、釈迦(ゴータマ・ブッダ)[紀元前5世紀頃]を開祖とする宗教である。 仏教と一般的な宗教の違い 一般的に、宗教というと神などの人間を超えた絶対者の存在やそれらによる救済を説くものが多いが、仏教の場合、自らがブッダ(覚者、仏)となること、すなわち真理を覚知することで、苦悩を脱却することを目指す。 信仰としての仏教 しかし、釈迦の死後、釈迦そのものが絶対者のような存在(お...

2017年 支部総登山、寛師会

2017年9月17日、支部総登山
18日19日、寛師会参加。

今回の登山では台風の影響が心配でしたが、支部総登山の日は小雨程度ですみ、寛師会は快晴と言う恵まれた天候でした。
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支部総登山は、御住職様と共に御登山し異体同心と何よりも御戒壇様に御目通りさせて頂ける身の福徳に感謝するばかりです。
今回、魔の働きも強まる中、登山参詣させて頂け本当に有り難かったです。

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今年の花火は、最終に照明を落とし連続花火の見せ場がありフィナーレを飾って来れました。
毎年恒例のお相撲も賑わう中、猊下様の笑顔が何よりの喜びでした。
そして、いつもながら他支部の方々との交流も楽しく約束無しで会ふえる方々との縁の不思議と今の自分に必要な事が教えて頂けました。

布教講演は身口意の三業、三時業の法話でした。
三業業は因と果報によるので、因縁が熟すればその果報が出る、苦悩の根本は正しい法で無ければ解決出来ないと賜りました。

大石寺7世・日阿のこと。





いつもみなさん、ありがとうございます。
さて今回は大石寺貫主法主)で第7世の日阿という人のことを考えてみたいと思います。
というのは大石寺法主の中で、どういう人物なのか今ひとつよくわからないのがこの日阿という人なんですね。



まず大石寺17世日精の『富士門家中見聞』の「日有伝」の項を見てみます。


「一日阿上人、日有師の相伝に云く日時上人の代官なり、応永十四丁亥年三月十日没したまふ、贈上人の事日秀日弁両人は贈官なり、然レども貫主と一同には列せず、(中略)此レ等の例に随順して案ずるに貫主か。」
(富士宗学要集5-257ページ)


大石寺法主の代の前後の繋がりは

第6世・日時
第7世・日阿
第8世・日影

となります。
きちんと法主の7代目に数えられているのですが、ここで日精は日阿を「日時の代官」としています。代官ってどういうことなんでしょうね。つまり一時的な代理の法主だということなのでしょう。
日精はここで日阿について「代官であって正式な法主ではないと考えられているけど、私が思うに法主ではないか」としています。


まずこの時点でよくわからないんですね。
そもそも日阿が法主なのに「代官」であるというのも私にはあまりわからないですし、この日精の『富士門家中見聞』には「日時伝」と「日影伝」の項は存在するのに、なぜかその間の「日阿伝」の項がありません。このことから考えても日精の中で「日阿」は「日時と日影の間の繋ぎ、代官」という存在として理解されているかと思います。


次に大石寺31世日因の『有師物語聴聞抄佳跡』を見てみます。


「日影上人(中略)日時上人に随順し出家学道ス、武州仙波ニ台家を学びて後下野平井園部に弘通し会津実成寺住居すの時日時上人御遷化なり、之によつて日阿代官トシテ当山大坊に居住して日影上人を請す、然ルニ会津雪国ニシテ翌年応永十四丁亥年四月御登山なり、日阿代官老衰病に遭い而応永十四丁亥年三月十日御遷化なり、此に於て天大御相承等柚野の浄蓮に伝えて日影上人に授与す、」
(富士宗学要集1-221ページ)


日阿は日時に随順していたようなのですが、日時の死に伴い、法主の代官として法主に当座します(応永13年6月4日)。
その後、彼は日影を呼ぼうとしましたが、日影は会津の雪国にいたために大石寺に来るのが遅くなりました。日阿は法主当座後、わずか9ヶ月で、応永14年3月10日に亡くなります。日影が大石寺に来たのはその翌月4月のことです。


つまり日影は相承を受ける際、先代の日阿から直接相承を受けてはいないことになります。
興味深いのはこの相承の方法なのですが、日阿が亡くなる前に彼は在家である「柚野浄蓮」という人物に相承と相承箱を預けて、それを日影に伝えるという方法をとっている点です。


これらを読むと、当時に大石寺に伝わっていた相承とか相伝というものは

「相承をとりあえず在家に伝えることも可能」
法主から次の法主へ相承する際に直接会わなくても可能」

という推論が成り立つことになります。






龍ノ口法難会(たつのくちのほうなんえ)参詣。

文永8年9月12日子丑の刻(午前2時~4時)に龍ノ口の処刑場で日蓮大聖人を斬首しようとするが不思議な現象(江ノ島の方から光が飛んでくる)が現れて処刑することができなかった。

事の発端は念仏の僧侶、良寛と雨乞い祈願をし、良寛は破れ、念仏の強信者で国の権力者、平頼綱と良寛が結託して日蓮大聖人を佐渡流罪の名目で鎌倉の松葉谷草庵から引き連れ出し、処刑しようとしたのです。

この龍ノ口の法難を機に大聖人は末法の御本仏としての御境地を顕されました。(発迹顕本)

本日は菩提寺にて御住職様の法話を頂き、私達が何をするべきか、それは大聖人様の御遺命である広宣流布を目指す折伏しか無いことを賜りましたので、今の自分にできることを精一杯やろうと思います。

今月の目標は6名、先日2名の勧戒成就(創価学会より)あと4名を支部の皆と目指します。

本尊書写は法主一人の権能ではない。

いつもみなさん、ありがとうございます。



さて今日は昨日の続きみたいな記事です。
大石寺の教義では御本尊書写は「法主一人だけの権能」と考えられているみたいですけど、日興、日目の頃はそうではないよってことです。


日蓮在世中に日興も御本尊書写はしていました。
また日興在世中には、日目だけでなく日仙も書写をしています。
また大石寺5世日道の時にも、日仙は御本尊書写をしています。
さらに言えば6世日行の時にも日郷や日妙といった人がちゃんと御本尊書写をしています。


このことは堀日亨編『富士宗学要集』第8巻に「漫荼羅脇書」として載っています。そしてそのことについて、特に批判されたことはありません。つまり法主の在世中に別の僧侶が御本尊を書写することを日興も日目も日行も基本的に容認しています。


例えば日仙書写の漫荼羅については以下の4つが残されています。


元徳4年(1332年)2月、中之坊。
建武4年(1337年)5月、法華寺
建武4年(1337年)不詳、法華寺
建武5年(1338年)2月、中之坊。



特に1332年というのは、日興も日目も亡くなる前です。すでに日興は重須に引き、日目に譲られたと考えられます。
日目の在世中、また日道の在世中にも関わらず、日仙は普通に御本尊を書写して与えています。そしてそのことによって咎められたとか批判されたという文献は私の知る限り存在しないと思います。つまり容認です。



日代に付属したり、日仙に付属したり。




いつもみなさん、ありがとうございます。
ところで、堀日亨編集の『富士宗学要集』の8巻の僧俗譲状のところをパラパラ読んでたら、こんな譲状が出てきたので紹介します。



日蓮一期の弘法白蓮阿闍梨日興(中略)甲斐国波木井山中にて之を写す。
釈尊五十年の説法白蓮阿闍梨日興に相承す(中略)武州池上。
本門寺大堂本尊裏書に『日興上人に授く、此の本尊は日蓮が大事なり、日蓮在御判』と。
日興自筆の裏書に云く、『正中二年十月十三日、日妙に授与す、日興在判』
日蓮聖人の御仏法日興存知の分を日代に付属す、本門寺の三堂の本尊は式部阿闍梨日妙廿七箇年行学たるに依り之を付属す。
東国は法華の頭領卿阿闍梨日目に之を付属す。
西国三十一箇国は法華の頭領讃岐阿闍梨日仙に之を付属す。
北陸道七箇国は法花の別当日満阿闍梨に之を付属す、門徒の大事之に如かず。
正中二年十月十三日        白蓮阿闍梨日興在判。
駿河国富士山本門寺重須にて書写しんぬ、唯授一人の相伝秘すべきなり、日妙に譲り与ふる状、高祖已来の血脈日興慥に給ふ所なり、中ん就く本門寺奉行は日目日代たるべき中に日妙は三堂の本尊を警固申すべき仁なり、末代の為に日代を証人として書き畢んぬ、我門弟等已後に於いて諍ふこと有るべからず候、此の旨に背く輩は謗法の仁たるべし、依つて置き状件の如し。
正安元年十月十三日     白蓮阿闍梨日興在判。」
(富士宗学要集第8巻より96〜97ページ)



以前、ブログにも書きましたが、素直にこの日興の譲状を読めば、日興からの相伝は別に日目だけに限られたわけではないことになります。日代、日仙、日満にもきちんと付属されています。
これが日興の真蹟と仮定するなら「唯授一人」という語が出てくるので、すでに日興はこの語を用いていたことが考えられますが、事実として複数の弟子に血脈を相伝することがあり得たことになり、現在の大石寺の教学で言う「唯授一人」という教義とは若干が実態が異なることになると思います。


追記:
こんな記事を以前書きました。

「後継者は日目か日代か」

ここで「唯授一人」という教義が後世に創作されたと私は推論しています。ただ上述の譲状が日興による真蹟であると考えるなら、すでに日興や日目の代に「唯授一人」という語は存在していたことになります。ただ不思議なのがその実態が現在の大石寺の言う「唯授一人」とは異なることは言えそうです。ここでは事実として日目以外にもきちんと付属されています。