2016年 9月 の投稿一覧

昔、女子部で

昔、女子部からいろいろ話を聞いて

ビックリしたことがある




地区副リーダーだったかな
とある女子部員さんが
結婚するとかしないとかの話になってきた
で、それをよせばいいのに
彼女、素直だから
女子部幹部に相談したのね





「女子部で戦いきってから
結婚をしなさい!
今はその時ではないと思うよ」




要するに今は結婚するなと
まあ、幹部からすれば、
これからの必要な人材が減るから
なんとか女子部に長くいてほしいって
気持ちはわかるけど




結婚くらい祝福してあげたいなぁ





なんか青年部の頃
一部の、本当に一部ですが
女子部の幹部が好きになれなかったのは
こういうところで
なぜか同じ女子部員の結婚を
素直に祝福、後押ししてくれない
そういう人が実際にいたことです







確かに女子部員ってのは
当時から少なかった
本部でも2〜3名いたら良い方
各支部に部長が一人立つか立たないか
それくらいのレベル
だから部員さんが減るという意識は
男子部以上に高いと思う







結局、彼女は結婚しました
皆に祝福されるよい結婚になりました
その後、彼女が婦人部で活躍してるという
話は全然聞きませんが(笑)





女子部の幹部って
たまにビックリするような
年齢の方がいます
あまりいうと失礼になるけど
牙城会の任務中に
途中からやってきた
方面の女子部長の顔を見て
驚愕しました☆
どう見ても婦人部でしょ☆
お子さんがいてもおかしくない




この女子部幹部
20代の女子部員さんとかに
何を話すのかなって







だからそういう先輩を見て
果たして末端の女子部員が
そういう先輩に憧れるのかなって
すごく疑問に思ったんですよね






だからどんどん
結婚しちゃうんじゃないかなって
実際組織では女子部は思い切って
どんどん結婚してましたよ
分県幹部と総県幹部、方面幹部だけが
地味に高齢化していくっていう
ほとんど修道院と化している(笑)








女子部の幹部が全てそうだとは言いません
素晴らしい、素敵な幹部もいました
やっぱり憧れる人がいるから
人はついていこうと思うんですよね
果たして今の学会に
憧れるような人がいるかなって
とりわけ青年部にとって
憧れるような理想の先輩がいるかなって






そういう魅力のある人のところに
人は自然に集まるんでしょう
人が集まらないということは
そういう魅力のある人が
いないということでしょうね
青年部の集まりを
修道院にしちゃいけないさ





任用試験が

なんかね

2014年から創価学会
教学部の任用試験って
毎年あるじゃないですか
毎年毎年
地区2名の受験者を出せって
ことみたいですけど
こんなこと上から打ち出したら
組織の活動家のみなさん、毎年
大変なんじゃありません?



なんでも2020年くらいまで
組織を固めるという意味があるようで
毎年任用試験あるみたいですね







そういえば去年もやってたよな〜って
10月号の大百蓮華見ながら
思ってました。









教学を深める機会とするなら
任用試験をやるのはとても
良いことだと思います
けれども学会の教学が
一貫してない中で
とりあえず年中行事のように
試験やっても
それがその場だけで終わってしまい
常に学ぶという契機にならなければ
あまり意味がないと思うんですよね






朝晩の勤行をするように
みなさん、
御書って日々読むんですかね?
私は毎日できてません
いちおう週に何度かは
御書引っ張り出して
読んでるつもりですが
なにしろ頭の回転が悪くて
考えることも多くて
読解力もないものですからね
少しずつ日々継続しないといけませんね





教学の力って日々継続する中で
維持されるものだと思います
そして例えば学会員さんとか
会った時とか
法華講さんとか顕正会の方とか
話す時とか
そういう時に自分の教学が
曝け出されます
そういう中で
鍛えられていくのが
教学でしょうね





それなのに
いざ法華講の人たちがやってきたら
対論を拒否して出てこないとか
教学上の質問をして回答不能になると
「あなたは二乗ね」と
捨ぜりふを吐いたりとか
「私は教学をちゃんと学んでなくて」とか
言い訳したりとか
そんな幹部が多過ぎる気がします
別に私は二乗でも構いませんし(笑)






まして教学をちゃんと学んでなくて
幹部とかやっていいんですか
教学を学ばないで広宣流布も何もないでしょ
そんなこと幹部が自ら認めていいのかな〜




御書を持ち歩くことも
学会員さん、ほとんどなくなりましたよね
みんな会合に御書持ってかない
座談会は大百蓮華だけ
男子部の会合でも
別に持ってかなくても
今ではいいんじゃないっすかね
方面の教学部長会とかでない限り
広宣部や言論企画部の勉強会なんて
もうないものね
婦人部も男子部も
女子部も壮年部も
みーんな御書なんか
週に一度も読んでないんじゃないっすか
教学試験でもない限り





何? そうか?
みんな御書を読まないから
任用試験やって講師役の人に
まずは読んでもらうということですか?
だとしたら困ったことです









でも任用試験を毎年やったから
現場に教学の強いリーダーとか
青年部の活動家が
増えるだろうというのは
安直な考えですね





教学を学ぶ運動を起こさないと
いけないでしょうね
でもそんな気は信濃町には
あまりないみたい
あまり教学を学ばれても
いろいろと
信濃町の皆さんも
困るんじゃないんですか





民衆を賢くする団体だと
言われてますけど
それが
任用試験の毎年の開催ということかなぁ





確かに任用試験から基礎を学ばないと
その後の教学も何もないでしょうから
やることはやるでいいですが、
毎年地区で受験者を出せなんて
現場は大変ですよ
そのことを何とも思わないんですかね
信濃町の皆さんは







大切なことは
教学を学ぶ運動を起こすことです
そのためには
池田哲学から一度離れて
御書を読んで自分の頭で考えなきゃいけない
そしてそれを誰かと話さないといけない
対話するからこそ
教学って深まるんですよね
法論とか対論だけじゃなくてね(笑)
私が実際そうでしたし
今もそうですから





学会員同士でも別に構わないから
教学について
あれこれ議論する
そういう風潮とか雰囲気って
今の創価学会にはないですね
昔は少しあった気がするんですけど






かつて都内の最高幹部だった
今は亡き父にコテンパンに
教学の議論で打ち負かされたことは
今でも良い思い出になっています
父は教学が強かった
そこは今でも尊敬しています




だからこそ昭和40年代〜50年代にかけて
みんな父に指導を受けにきたんでしょうね
子ども心に覚えてますもの






なんかそういう憧れの先輩っていう存在は
今の創価学会にいるのかなぁ
青年部は憧れるような
目を見張るようなカッコいい
先輩っているんですかね
少なくとも私が男子部のうちに
そういう方は私の周りから
いなくなりました





後に残ったのは変な幹部ばかりでした
御書に照らして
今の公明党のこととか
創価学会の戦いとか
そういうことを語れる人が
いなくなりました







そういうことを学会員が語ることが
あまり良くないことのように
信濃町の幹部の皆さんは
考えたんですかね








教学は日々継続して研鑽すること
そしてそれを誰かと共有したり
対話したり、対論したりすること
そういう中で、誰にも譲れない
哲学として、思想として
教学が根付いてくるんだと思います






自分の言葉で教学を語れない幹部
池田先生の言葉でしか御書を語れない幹部
現代の問題を御書に照らして語れない幹部
法華講の方からの対論から逃げる幹部
対論に負けて当然と思っている幹部





そんな幹部はカッコよくないよ
やっぱり
いつも私の中の理想は
私の父がいます
屹立して
決して負けなかった父でした
父が生きていれば
今こそいろいろ話したいとこなんだけど






父の亡くなる前の遺言は
私がどんどん幹部になるのを目にして
こういうものでした
「あまり学会の中で偉くなるんじゃないよ」
でした。
今、考えると
それなりに意味深ですね



























池田名誉会長から離れること





今の創価学会の皆さんは

池田名誉会長という
人の思想から離れることが
必要だと思います




なんで池田先生に繋がらないと
信心ができないんですか?
その考えっておかしくないですか
そんなの御書のどこにあるんですか



これが学会員さん、できないんです
一線を引くことさえできない





池田思想が何を産み出しましたか?
結局、自分で考えることを
知らない幹部を生み出し
御書をろくに読みもせず
法華講から対論を求められても
対話を拒否することしかできない
そんな組織を生み出しました





池田先生
確か昭和51年だと思うんですけど
本門の新弟子を定めましたよね
でもそのお弟子さんたちって
みんなどーなったんですか?
みんな離れて行きましたよね
本門の新弟子第1号は
原島嵩さんでした






だから池田名誉会長は
本当の弟子を育てることが
できなかったじゃないですか
総括しないとダメですよ




今の創価学会
形骸化、官僚化を生み出した責任は
池田名誉会長にあるんです
やれ、幹部の誰それが悪いとか言っても
別にいいですけど
根本の責任は誰にあるか
それはもう明確に
池田名誉会長でしょう




私は別に池田名誉会長の
悪口を言ってるわけじゃないっすよ
別にそう思われても
全然平気ですけど(笑)
少なくとも池田名誉会長の指導によって
創価学会は勝利したかと言えば
今の創価学会を見れば
失敗でしたよね
敗北でしたよね
少なくとも勝利ではないですよね






そういうことです
今の創価学会が果たして
本当に
将来に残すべき真の和合僧団なんですか?
私、そんなこと全然思いませんよ
こんな魅力のない形式化した集金組織を
なんで将来に残すんですか(笑)







私、活動家の頃
本当に頑張って
池田名誉会長にお会いもして
ご指導も受けました
激励もたくさん受けてきました
恩も感じてます
私の父も昭和30年代から40年代にかけて
池田会長のそばで戦ってました
新宿の最高幹部でしたから
父が亡くなる前によーく話は聞きました
父だって恩は感じてるはずです






だからこそ
過去の失敗について
良くなかったことについて
総括しなければいけないんじゃ
ないんですかね
過去に盲目になれば
未来も見えなくなるんじゃないんですかね
特に昭和52年路線以降は
振り返ることが
たくさんあるでしょう






池田名誉会長の思想から
一度離れましょうよ
創価学会日蓮仏法を信奉する団体でしょ
じゃあ日蓮仏法を
学べばいいではありませんか
たとえ牧口会長といえど
人師・論師の釈に過ぎないわけですから







なんで池田先生に繋がらないと
信心ができないんですか?
その考えっておかしくないですか
そんなの御書のどこにあるんですか
法主上人猊下の教えを受けないと
正しい血脈の信心ができないっていう
日蓮正宗の教義とどこが違うんですか?





私たちは何の仏法を学んでるんですかね
池田先生の仏法ですか?




私は日蓮の仏法を信奉しています
池田名誉会長の仏法ではありません






「池田先生に繋がらないと信心ができない」
という不思議な考え方を
早く捨て去りましょう
我々が根本にすべきは蓮祖聖人です
池田名誉会長ではありません
名誉会長と呼吸を合わせる必要なんて
別にないです
そんなこと御書に書いてないです




ただ
池田先生に繋がらないと
信心ができないという方、
信心が不安だという方は
創価学会の今の組織で
選挙の支援活動でも組織改革でも
どうぞ頑張ってください
思想の違いを私は否定しませんし
尊重します




私個人は早く名誉会長の思想から
離れるべきだと思います。
池田名誉会長が
亡くなられてから気づくより
早めに総括した方が
私はいいと思います
だいたい後継の私たちに
基本的に、名誉会長はもう
任せているんでしょ?
じゃあ、もういいじゃないですか
































敬虔な祈りを

今日は天気が良くていいですね

前回の続きから少し




「『立正観抄』という御書は
天台宗への批判として書かれた御書であって
それをもって
一念三千の観を学ぶべしとするというのは
いささか早計に過ぎないですかね?」




うーん、わかります
良い質問です
こういう批判とか質問が
できるっていいですね
自分で考えてる証拠です!
こういう人が増えるといいのにね





確かにそうですね
この御書は天台宗法華経を忘れて
ただ止観のみの方が優れているとか
それより禅の方が優れているとか
それはおかしいよと
法華経の名を根本としないで
何を拠り所にするのかという
そういうことを述べた御書が
この「立正観抄」ですものね






でね、私もそれは思ったんですよ
確かにそうだよな〜って
でも不思議なことなんだけど
もし末法において
観心よりも受持の方がずっと大切で
ただ法華経を持つだけで
いいって言うんなら
この御書のトーンは
少し変化したはずです




「最蓮房よ
そんなの気にすんな
法華経を信じてただ持ってりゃ
それでいいんだ
受持することが
観心なんだ」と
そういう風に最蓮房に述べても
おかしくないでしょ?




でもそうではないですよね
ここではちゃんと一心三観とか
天台の止観の大切さも
ちゃんと述べているし
しかも最蓮房って
日蓮から弟子の戒を
受けているんですよ
「最蓮房御返事」にもありますが
文永11年の2月に恐らくは儀式を行って
正式な戒を与えて弟子としています





しかも最蓮房に与えられた御書って
最重要御書ばかりじゃないですか

草木成仏弘決
立正観抄
十八円満抄

大変なものばかりじゃありません?



この「立正観抄」を読む限り
一念三千の観より
受持だけの方が末法は大事なんだという
そういう考え方は
ここからは読み取れません




やっぱり題目をあげるということ
妙法を受持するということは
観念観法の修行であり
日々、自身の己心を見つめる
修行であると
そう考えるべきだと
私は考えています






で、実は本当はここからが大事なんですが
ここからはあまり明確には書けません







一念三千の観って、ほんとうは
そんな難しいことでもないです
一心三観、空仮中の三諦
こいつがわかれば
別になんでもいいんです





だけど
私は創価学会の方に
これらを語ることを
すごく躊躇します





たぶん言っても聞かないんですよ
「それは天台教学だ〜」とか言って




そんなこと言ったら
最蓮房への御抄の数々は
みんな天台教学ですよ(笑)




ええ、ええ、わかりました
必要ない人に私は語りません
黙ってることにします
まあそうなります






だからお題目を唱えて
日蓮の思想をしっかり学んで
だけど本当は観念観法の
修行なんだってことが知りたいとか
同じような志を持ってる人がいれば
私は自由に語ります





創価学会って今は
そういう雰囲気ではないものね
みんな日寛さんの教学になっちゃって
挙げ句の果ては池田思想になっちゃって
受持すればもう観心だ〜とか
池田先生に呼吸を合わせろ〜とか
どーゆーことなんだと(笑)






何も考えなくていいんですかね
黙って呪文唱えればいいんですかね
選挙の対立候補の落選を祈るとか
わけわかんないんですけども(笑)
日顕撲滅!」とか
それって祈りですか?(笑)
祈りじゃなくて呪いでしょ、それ。






そもそも祈りって何ですかね
もっと敬虔なものなんじゃないっすかね





もっと偉大なものに対して
自身の卑俗さを認識し
自らの心を見つめる場なのではないですか
二処三会の儀式って
もっと敬虔なものなんじゃないっすかね







それを説明しようとして
天台教学って人から言われるなら
別に私は語りませんって(笑)
あんたたち、勝手にやってくれよって
なりますよ(笑)




私は私でやりますって
私には私の信仰があって
それを誰も邪魔することなんて
できはしません
私と御本尊の間に
何を入れることができるんですかね?





そうやって私は願いを叶えてきました
自分らしさを取り戻しましたよ
学会の活動家だった頃には
思いもよらなかった
心の拠り所というか
余裕を取り戻しました
心の中にあった隙間が埋まりました






信仰って自分の中に築いていくものです
そのための修行ですよね
私はそうしてます
創価学会の方が何を言おうが
私は崩れません



最後に総勘文抄から引用します。



「此の無相の極理なる寂光の極楽は
一切有情の心性の中に有つて清浄無漏なり
之を名けて妙法の心蓮台とは云うなり
是の故に心外無別法と云う
此れを一切法は皆是仏法なりと
通達解了すとは云うなり、
生と死と二つの理は生死の夢の理なり
妄想なり顛倒なり
本格の寤を以て我が心性を糾せば
生ず可き始めも無きが故に
死す可き終りも無し
既に生死を離れたる心法に非ずや、
劫火にも焼けず水災にも朽ちず
剣刀にも切られず弓箭にも射られず
芥子の中に入るれども
芥子も広からず心法も縮まらず
虚空の中に満つれども
虚空も広からず心法も狭からず
善に背くを悪と云い悪に背くを善と云う、
故に心の外に善無く悪無し
此の善と悪とを離るるを無記と云うなり」

(「三世諸仏総勘文教相廃立」
御書全集、創価学会版、563ページ)





本当はもっと長く引用したいけど
このくらいで
我慢しておきます





いつか総勘文抄の話とかを
たくさん話せる同志ができたら
いいなぁ
今はそんなことを楽しみに
信仰を深めております








題目の唱え方と受持即観心について





「題目はただ唱えるだけでいいんすか?」
まあ、唱えるだけでも確かにいいです
でも観念観法の修行であることは
忘れてほしくないなぁ



「そんなこと言っても
日蓮の仏法は受持即観心でしょ」
「だから持って意味がわからなくても
ただ唱えればいいんでしょ」



それはまあ
そうとは言えるんですが(笑)
これがねぇ、受持即観心っていう教義で
この教義を作ったのは誰かっていうと
大石寺26世の日寛なんだと思いますね





「唱法華題目抄」に次のような文があります

「愚者多き世となれば
一念三千の観を先とせず
其の志あらん人は必ず修学して
之を観ずべし」
(御書全集、創価学会版、12ページ)




要するに
本当は一念三千の観を知るべきなんだけど
なかなかわかんない人も多いので
まずは唱えるだけでもいいよと
でも志ある人はちゃんと学んで
一念三千の観を理解しておきなさいと
そういうことです
だからちゃんと学ぶべきなんです



で、この御書は
文応元年(1260年)執筆ですが
佐渡以前だから
日蓮の御正意ではないと
切り捨ててしまった人がいます
誰でしょう?
大石寺26世の日寛その人です




詳しく読みたい方は
日寛「観心本尊抄文段」に書いてあります
富士宗学要集の4巻の223ページです
上に書いたようなことが書いてあります
長くてめんどくさいので
引用しません(笑)




で、まあ読んだ印象ですが、
日寛の言うことも
わからなくはないんです
つまり末法衆生がいきなり
一念三千の観を学べってのも非常識ですし
だからこそ日蓮
観心本尊抄」を著し
御本尊を著し
修行法を確立したと




でもね
観心本尊抄」を読んでも思うことは
最初は確かにわからないけど
まず題目を唱えるところから始めて
だんだんわかってくるんじゃないのって
子どもが乳を飲むように
だんだん育って
わかっていくって
ことなんですよ
唱えることだけで
確かにそれは一念三千の実践ですし
観念観法の修行と言えると思います
でもそれでだんだん
一念三千について考えを深めて
わかってくるってことだと思うんですよね




私は「唱法華題目抄」の先の引用を
安易に否定する日寛は
間違っていると思います
だいたい「受持即観心」という言葉は
御書にはないと思いますよ



ところが
「唱法華題目抄」の
創価学会教学部による
御書講義等の見解は
日寛の文段と全く同じ解釈なんですよ
つまり創価学会の教学が
どれだけ日蓮正宗、そして
日寛教学に染まっているかがわかります
私のあくまで個人的見解ですが、
私は今こそ日寛教学から
根本的に離れなくてはいけない
そう考えている一人です




たとえば「立正観抄」には
己心に妙法を観じて
観心の修行とするということが
書いてありますね





「但己心の妙法を観ぜよと云う釈なり、
然りと雖も妙法を捨てよとは釈せざるなり
若し妙法を捨てば
何物を己心と為して観ず可きや、
如意宝珠を捨て瓦石を取つて
宝と為す可きか」
(同529ページ)







こと御本尊の問題だけじゃなくて
簡単な教学の用語のことから
創価学会の教学って
ぜ〜んぶ日寛の教学なんです☆
五重の相対だって日寛の思想でしょ
だいたい「三重秘伝抄」を書いたのは
誰ですか?
ね? そういうことでしょ



日蓮正宗中興の祖、日寛を
別に悪者にする気はないですが
そこからもう私たちは
離れてもいいんじゃないですか
御書に書いてあることを
素直に読んで
それを根本にしましょうよ
なんで大石寺の管長の解釈に
従う必要があるんですか?
それは純粋な日蓮正宗
信徒になりたい方たちだけで
充分じゃないですか




だからやっぱり
ただ法華経を受持するというより
ただ御本尊にお題目を唱えるというより
心を落ち着けて
修行として唱えていきたいですよね
何かにとらわれて
呪文のようにお題目を唱えるだけなら
それは少し日蓮の正意とは
違うかなと思います




仏教哲学者として著名な
中村元氏の『龍樹』において
初期の大乗仏教運動が
どんなものであったかを
述べているところがあります



彼の述べるところによれば
旧来の仏教諸派は国王や富豪から
政治的、経済的援助を受け
広大な荘園を所有し
その社会的基盤の上に
成立していたそうです


これに反して大乗仏教
少なくとも初期は民衆の間より
盛り上がった宗教運動であって
荘園や土地を持ってなかった



で、大乗仏教は彼らの生活態度を
ひどく攻撃した
彼らは利己的であり、
小乗仏教」であるとしたわけです
56〜58ページ、
初出底本1980年、文庫版2002年)




ところが
大乗仏教運動は
その後の大衆の教化方法において
一つ失敗をしたと
中村氏は考えています


どういうことか
引用しましょう




大乗仏教の教化方法は、
当時の民衆の精神的素質
あるいは傾向に
適合するようなしかたに
たよらねばならなかった。
そこで仏・菩薩を信仰し帰依するならば、
多くの富や幸福が得られ、
無病息災になると説いている。
とくに注目すべきこととしては、
教化の重要な一手段として
咒句(陀羅尼)を用いた。
かかる教化方策は非常な成功を収めた。
しかし同時に大乗仏教
のちに堕落するに至った遠因を
ここにはらんでいるのである。」
(同書59ページ)



民衆を教化・折伏するのに
効果的でわかりやすいので
呪文を使ったわけです
お題目ですよね
昭和30年代〜40年代の
創価学会そっくりです
題目って陀羅尼ですもの
末法衆生にはわかりやすいですよね
でもそれが
のちに堕落した遠因をはらんでいたって
どういうことなんでしょうね?





私はお題目が根本だと思っています
でもお題目を
ただ狂ったように
呪文のように唱えるだけでは
違うと思うんですね
そうじゃないんですよ
なんで日蓮が末代幼稚の首にかけて
私たちに贈ってくださった
お題目が
そんな浅はかなものなんでしょうね




何度も言いますが
題目を唱えることは
観念観法の修行です
一念三千のまさに実践です
自分の心に素直に
題目を唱えること
ありのままでいくこと
そして自ら学ぶこと





一念三千の観を学ぶって
別に特別なこととは思ってません
日々の祈りで
そういう時間を持つってことです





そういう信仰を確立したいですね
私は良き先輩や仲間に恵まれました
ありがたいことです
決してその仲間は
創価学会の組織の
幹部なんかではありません
彼らに教わっても
自分の頭で考えていませんから
一念三千でも何でもありません
ただの借り物の
まじない宗教でしかないです




「この御本尊はすごいんだ」
「なんでも願いが叶うんだ」
そんなことは誰でも言えます
そんなおまじない信仰、要りません





法華経の行者日蓮』を読むと
よ〜くわかるんですが、
日蓮が生まれる前の
平安の時代までって
仏教がそれぞれ便利なおまじない
そんな感じになってたんですよね





恋をしたければ恋の祈祷
病気になったら真言密教お願いして
そんな感じのおまじないで
で、庶民たちには
苦しかったら念仏唱えようと
それじゃ日蓮じゃなくたって
信仰に純粋なものは
少なからず疑問を感じますよね
「釈迦の心はどこにあるんだろう?」
「本当の仏の心とはなんだろう?」と





だから日蓮比叡山に登って
一切経を繙読したんじゃないんですかね



「この御本尊はすごいんだ」
「どんな願いだって叶うんだ」
それしか言えない人たちから
早く離れましょう
おまじない信心なんて要りません




私たちに必要なことは
本当の信仰の確立です
「利根と通力とには
よるべからず」って
日蓮も言ってるじゃないですか。































学会活動やめて幸せです☆

正直にいうと

私は創価学会の活動家をやめて
今、とっても幸せなんです



無理に地区に行くこともないし
新聞啓蒙やってとか言われないし
書籍を買ってとか言われないし
財務もやらなくていいし
公明党のFもZもとらなくていいし
FとかZの報告もないし
毎晩自由だし
ご飯も食べに行けて
友だちとも会って話せて
自由な時間が増えて



すごい気が楽です
今の方がはるかに
友人との友好活動が
できてるんじゃないかな(笑)





友人に仏法の話をするのも
とても楽です
無理に公明党をお願いしなくていいし
聖教新聞とって!なんて
言わなくていいし
楽ですよ〜☆
すごく自由に仏法の話ができます




なんだか知らないけど
財務やめたら
お金も入るようになったし
自由に動けるようにもなったし
いろんなことが自由自在です。



功徳も頂いていると
感じることも多いです
題目をあげるということは
畢竟、観念観法の修行なんですが、
題目をあげることの
意味が根本から変わってきました
必死に願いを込めるのではなくて
今のありのままでいいのだと
思えるようになりました
そうしたら
どんどん
いろんなことが
叶ってきたし
自分の心が変わってきて
たくさんの幸せに
囲まれていることを
知ることができたんですね



だから私、今、すごく幸せです
会いたいと思った人にも会えるし
毎日うまいもの食べられるし
お金にも困りません
必要なお金はちゃんと入ってくるし
残りますから
精神的にも物質的にも
余裕があります





創価学会のみなさん
みなさんって余裕あります?
私が活動家の頃って
自分に余裕がなかったです




本当に情けない話ですけど
私って余裕のない幹部でしたよ(笑)
部長の頃なんてもっと余裕ない
いつも走り回ってました
毎日仕事に引きずられて生きてました
なんとか乗り切って
毎日生きてました




今、本当に毎日楽しいです
早く皆さん、学会活動やめて
楽しく過ごしましょう
罰なんて出ませんよ
安心してください





信仰に組織は必要ないんです
組織が信仰を助けるなら
それもそれなりに
意味があるのかもしれませんが
組織が信仰を疎外して
信仰をわからなくさせるなら
そんな組織なんて要りません



私には同志もいますし
仲間もいますので
それがそのまま私の本当の意味の
「組織」なのかもしれませんね




大切なことは
本当の信仰を確立することです
今の創価学会の組織は
形骸化し、制度化し、官僚化して
どこか信仰を狂わせる部分ができて
奇形化した変な幹部を生み出す
そんな気がしています
実際、そうじゃありませんか





三大会長から一度離れて
地区の組織からいっぺん離れて
純粋な気持ちで
お題目あげてみましょう
きっといろんなことが
見えてくるはずです










人材枯渇の創価学会




いやはや人材枯渇の創価学会

活動家は日に日に減り続け
聖教新聞は他部数購読で現状維持
20年後には団塊の世代なんて
みーんな80歳代
地区部長も地区婦人部長も
新聞の配達員もいなくなって
組織が立ち行かなくなるのは
もう火を見るよりも明らかです
創価学会の活動が停止するのは
もはや時間の問題ですよ



日本はすでに
歴史上、例のない
超高齢社会に突入していますが
創価学会の高齢化は
それよりもさらに早く
進行しているような気がします





「青年を育てよ」って
池田名誉会長も散々言ってましたが、
結局大失敗で
青年を糾合することができなかった
その総括がないですよね
あるのは無駄に多い
「大勝利」「大勝利」の大合唱




創価学会って負けた時の総括がないんです
敗因を隠しちゃうんですよ
だいたいね、お守り御本尊の授与というのは
青年部だけで始まったもので
あれも池田名誉会長や
最高幹部の肝いりで
青年糾合のために行ったものです
要するに
「お形木本尊は自宅に安置できない」
「一人暮らしの若い人の入会に」
「手軽なお守り本尊を」
って調子です
でも結果、
多少、若い世代が
入ったのか知りませんが
青年を糾合できたなんて
決して言えない
言わんや昭和40年代のような
折伏による青年の糾合なんて
全然できてないわけでしょ




じゃあ、なんでだろって
どーして総括しないんでしょ
どーして反省しないんでしょ
創価学会本部って



信濃町の中では
総括してるのかもしれないけど
だったらどーして組織の末端まで
それを下ろさないのかしら
「我々は負けた」とか
「昨年の戦いは失敗だった」とか
言うのが
そんなにイヤなんですかね
県長会とかでそう言えばいいじゃないですか
我々の昨年の戦いは失敗だったとか





この問題は公明党にも言えますよね
100年安心年金プランとか
21世紀トータルプランとか
いったいどーなったのか
さっぱりわかんないです
ちゃんと間違えたことは
間違えたのなら認めて
そこから出発しないと
ただの都合のいい政党だと
思われません?
だいたい豊洲の問題だって
公明党は都議会の与党じゃないっすか
移転推進を
強く推してたんじゃなかったっけか
今まで何やってたんだと





まあ公明党は置いといて
青年が集まらない
若者が集まらないというのは
組織として致命的です
日本共産党を笑うことなんてできませんね
最近共産党にも
若い人が入っているんですよ
社会や経済情勢の変化でしょうかね






社会が超高齢社会だから
青年が減るのは当たり前と
そうやって言い訳もできますが、
それにしても
創価学会の末端組織での
若い人の減少は
それを言い訳にするには
あまりに深刻です
しかもそれが
今始まった話じゃないんですね
すでに私たちが
青年部の頃から話していた
ことです
現場ではもう10年以上前から
危機意識を
それなりに感じてましたよ






でも組織が分県化され
上に幹部がたくさん引っ張られて
若い世代がバラバラになってしまいました
みんなでなんでもやるから
楽しいはずなのに
気がついたら青年部は
みんな一人でやんなきゃいけないと




地区にいったら一人
部に行っても一人
未来部に行ったら一人
座談会に行ったら一人
大学校に行ったら幹部と一対一



そんなんじゃ
みんなやる気なくしますよ
なんで地区座談会に行って
たった一人で
座談会の司会とか
御書講義とか
やんなきゃいけないんですか
それで座談会終わったら
おじいさん、おばあさんたちから
「いやあ、若い人がいるっていいね」
って言われて
正直な話、
「私はあんたたちの便利屋じゃない!」
って思いましたよ




若くて素敵な女子部もいないし
話せる男子部の仲間もいなければ
おじいさん、おばあさんの集まりが終わって
お茶なんて飲みませんよ
そそくさと帰りますって




仲間がいるから頑張れる
それを切り裂いて
組織をバラバラにしておいて
拡大だ、拡大だなんて叫ばれても
若い世代が頑張れるはずがない
だいたい頑張るために
信仰してるわけじゃない




一人また一人と
活動家から若い世代は
こぼれ落ちていきますって
当たり前じゃないですか




一昔前、
青年部が人材を出す最大の山場は
実は文化祭だったんですよね
平成9年頃までやってたんでしたっけ
でも文化祭もなくなりました
文化祭をまたやればいいなんて
そんなこと思いませんが
少なくとも文化祭で
たくさんの若い世代が
みんなで楽しく
ワイワイやってたんです
大変なこともあったけど
周りみーんな若い世代だったし
楽しく話せて
頑張れたんだと思いますけどね






若い世代を切り裂いて
組織をバラバラにした
創価学会には未来がありません
青年部が糾合できる場も
雰囲気もない
そんな組織なんて
若い人はいきません
おじいさん、おばあさんが
声をかけたって
出てきませんよ
川へ洗濯に行って
川から桃が流れてくるのを
待ってた方が
まだ可能性があるかも
しれませんね。











未来部って





なんか硬い話題が続きましたよね
「気楽に語ろう」なんて
言ってる割に(笑)




書くのも疲れた(爆)
読んでくださってる方
固くてすいません☆




今回は未来部
未来部ってなーんだ?
具体的には




少年部、少女部(小学生)
中等部(中学生)
高等部(高校生)



3つです。
それぞれ昔は
男子部、女子部の担当者が
きちんと当てられて
月に一度部員会とか開いてました
私もやりましたよ








ただ、今は男子部・女子部と呼ばれる
青年部は絶滅の危機にありまして(笑)
実際のところ、創価学会の屋台骨は
団塊の世代になったという
悲しい現実が存在します(笑)





そんなわけで
団塊の世代の壮年部、婦人部が
部員会とか
やってるわけです。
でも選挙があると未来部の会合って
中止になるんですよ(爆)
私、それがずいぶんイヤで
選挙期間中にも関わらず
部員会とかやって
怒られた記憶ありますよ
でも気にしなーい(反省なし・笑)
当時好きだったんです
子どもたちと話せるって
すごく純粋な気持ちになれてね






でももう終わりです
未来部なんて消えていきます
たぶん10年後くらいには
組織にもよるとは思いますが
まず青年部は本当に消滅します
それから未来部に関しては
現在でもう支部で
部員会開けないところが
普通に出てきてます
本部単位の開催でなんとか
会合の体裁をつくろうって感じ
でも会場はガラガラ(笑)
壮年部、婦人部の方が
参加者多いんだから
もう笑うしかない
未来部数名しかいなくて
壮年、婦人が20人くらいいたら
何の会合だかわかんなーい☆





未来部が減った原因は
もちろん人口そのものが
減ってるってことですけど
それ以上に
創価学会の組織の魅力というか
人を集める力の低下だと思います







壮年部、婦人部が今普通に
未来部をめんどう見てますけど





その何年か前に
創価学会本部、信濃町の方が
組織の形態をいろいろ変えたんですよ
覚えてる人はいますかね
圏という単位を吹っ飛ばして
いきなり分県にしちゃうとか
総区にしちゃうとか
そういうのなかったですか?





あれも影響が大きかったですね
幹部がみんな上に行ってしまって
実際の現場に
ろくな幹部がいなくなってしまった






特に男女青年部はそうでしょう
もうね、未来部に
人を回す余裕が分県にないのよ
そりゃ未来部担当者もいなくなりますよ
挙げ句の果てはみんな
兼任兼任でしょ
女子部の本部長が未来部兼任とか
で、部長が何人か不在とかね(笑)
部長がいないで本部長がいるって
どーゆーことさっ!みたいな





魅力ある担当者も
いなくなっちゃって
昔の私みたいに
未来部が好きだった人も
話も聞かずに上の役職に引っ張られ
現場には統監上の未来部員が残されて
自然淘汰を待っていると☆




本当に一度驚いたんですけど
非活動になる直前くらい
新年の成人式
学会の会館に来てくれる
新成人を紹介しようという
話になったわけです
そしたら分県で
男女合わせて
3人しか来なかった
しかも話を聞いたら
今お正月で実家に帰ってるだけで
すぐに戻りますとか言ってて
あ、全然この人たちは
学会の庭に来ないんだなぁって
感じました




組織の魅力の低下って深刻です
組織の求心力の低下って深刻です




昔の創価学会って
地域のネットワークがあって
本当は社会党とか共産党
拾ってもらうべき人たち
そういう人たちの悩みとかを
実際の現場で拾ってきたのは
昭和40年代は創価学会だったんです
いわば労働組合の代替組織みたいな(笑)





で、経済的な悩みを克服して
それで歴史的な役割を終えてしまった
もうそんなもん、必要ないもんね
そこに未来部が入る余地ってないですよね








若い未来部って、おそらく
楽しいこといっぱいしたいし
スポーツもやりたいし
友だちとたくさん話したいでしょ
じゃあそういう場に行きますよね
創価学会には来ないさ



創価学会、楽しくないもの
口を開けば
座談会とか、任用試験とか
選挙とか、新聞啓蒙とか
そんなことしか言わない






未来部員が家族と一緒に
なんらかの信仰体験を持っていれば
話はまた別でしょうけど
そんな機会を持つ家庭って
今ないもの


たぶん子どもは子どもで
親の信仰を
冷ややかに見てるんでしょうね
「あんなもん、イヤだなぁ」とか
「任用試験? 知らねえよ」とか
「僕には関係ない」とか



噛み合わないんです
ニーズも何もかも
今の創価学会
未来部員って
だからいずれ滅びます




まあその前に
2025年に
全て75歳以上になりますけどね
5年後ですよ



団塊の世代、どうする?!
創価学会の屋台骨ですよ(笑)
青年部の心で一生頑張れますか?(笑)
早く活動を止めた方がいいですね















































牧口会長って反戦ですか?

牧口会長って反戦ですか





私、このことを知った時
本当にビックリしました
牧口会長って
戦争に反対して投獄され
獄死したと
そう考えてました







実はそうではないんですよ







牧口会長は
戸田会長もそうですけど
当時、日蓮正宗の信仰をもって
「戦勝祈願をすべき」と
考えていたんです





えーとですね
戸田城聖(妙悟空)著の
『人間革命』(精文館書店、昭和32年)
を読むとよくわかるんです
今、聖教文庫版とかで出てるんですかね
後のものは編集されています
牧口会長はこの小説の中で「牧田会長」
戸田城聖は「巌さん」ですね



「巌さん」のこの小説の中で
「牧田会長」について語る言葉を
そのまま引用してみましょう





『明治時代にあつた日清戦争や、
日露戦争では、日本の背後に一本の
筋が貫いていたように思うが、
日支事変もそうだつたが、
日本の国内はバラバラになっている。
その根源は、
どこにあるかといえば、
宗教界にある。
宗教界が混乱に混乱を重ねていれば、
人に真の和がなく、真の和がなければ、
いくら総力戦を叫んでも
力は湧いてこない。
牧田先生が国家諌暁を思い立たれた理由も、
そこにある!
諸君、恩師牧田先生の悲願を
われわれのものとして、
日蓮正宗の信心に対する半信半疑を捨てて、
宗教の力でこそ、この戦争に打ち勝てる。
国も救い、民衆も救える……
という大信念をもつて、
一大折伏戦に入ろうではないか!
日本の癌になる対支問題の解決には、
われわれが支那大陸の地下工作にまで
乗り出そうではないか!
勿論、巌の全財産は、
この運動に提供する!』





実は
牧口常三郎全集』を繙くと
明らかになるんですが、
牧口会長は口々に
戦勝祈願を訴えていました。
実際、靖国神社にも参拝しています
座談会の最初に
軍歌も歌っていたようです
今の学会歌を歌う伝統とか源流が
このへんにありそうですね
日本男児の歌とか
そんな感じしますものね




つまり牧口会長も戸田会長も
当時の時代背景の中で
戦争反対を訴えたわけではないんです
戦勝祈願をして
戦争を賛美していました
まあ確かに当時の時代背景ですからね








じゃあなんで牧口会長は捕まったの?
っていうと
戦勝祈願の神札を受けることを
牧口会長は拒否したんです
つまり牧口会長は
日蓮正宗の信仰に純粋であったと
日蓮正宗の信仰でこそ
この戦争に勝てると
そう思っていたんです





もう少しこの『人間革命』から
引用してみましょうか
「森田正一」さんが戦争に出征する場面で
「牧田会長」が語った言葉です。







『だから、この大東亜戦争は、
一年の後か、二年の後か、
それは測れないが、
容易ならない難局に
突入するであろうが、
有難いことに、森田君も、諸君も、
この牧田も、
比類のない信仰を持つて、
大御本尊さまの御加護を
いただいている。
われわれは日本が難局を乗り切るために
広宣流布に挺身するから、
森田君は御本尊さまに一切をお委せして、
前線で、悔いのない働きを
して下さい。』





つまり現在の創価学会
牧口初代会長の実像について
ちょっとばかり
フィクションを加えているんです
牧口初代会長が戦争に反対したなんて
事実は存在しません。
牧口会長は日蓮正宗の信仰によってこそ
この日本を救えると
この戦争にも勝てると
大東亜共栄圏も栄えると
そういう風に考えていました。
だから神札を拒否したんですね






このことに
私、活動家の頃に気づいたんですが、
何も言わないで黙ってました
でも牧口常三郎全集読んで
戸田城聖の『人間革命』読んだら
もう明らかなんですよね
古参の昔の学会員さんの家には
昔の戸田会長の人間革命が
まだ本棚にあるかもしれない
探してもし見つけたら
ぜひ読んでみてください
後の聖教文庫版とかでは
このへんの記述は
削除されています



少なくとも
こういう風に戸田会長が
牧口会長の思想を小説で表現したと
いうことは事実です
牧口会長が
「あの戦争そのものに反対した」という
文献的な史料は存在しません
あったらぜひ教えてください







なんかね
過去の総括について語ろうとすると
書籍を絶版にしたり
文章を削除したりして
ごまかしちゃうんです
例えば昔の書籍とか
そうじゃないですか
指導メモとか
御義口伝講義とか
そういうのって
全部絶版にしちゃうじゃないですか
そういう傾向が
創価学会ってありますよね
宗門問題でいろいろと
言われたから
絶版にしちゃうの?
私、そういうのイヤで
いろいろ文献集めました
過去の指導にだって
正しいものはあるはずだ
何が間違っていて
何が正しいのか
自分の目で確かめたかったんです







そういうことを
「なかったことにしよう」
そういう発想が
創価学会にあるのを
なんか感じますよね
やっぱり思うんですけど
あったことはあったことで
きちんと見つめなければいけないでしょ
それが反省とか総括ってことでしょ







こと牧口会長のことだけではなく
いろんな問題についても
過去の嫌なことについては
口を固く閉ざしてきた気がします
そういったことをちゃんと
組織として言わないといけないのかなと
私はすごく感じます

























広布基金っていつから?



広布基金っていつから始まったんですかね

いろいろと調べてみると
いろいろ驚くことがあります


財務部員ができたのは昭和26年7月
ちょうど戸田会長が
就任してすぐです



活動資金は当時
戸田会長によって
動いていたのね
だけど事業が破綻しちゃって
理事長を辞任
で、
有志がみんなで
お金を出したりしていたらしいんです
それを禁止して
財務部員制度にしようと



ところで
昭和40年代の頃の財務部員って
信心がちゃんとしてて
お金に余裕のある人しかなれなかった
当時の学会と言えば
「病人と貧乏人の集まり」だったから
もう学会の中ではもうエリート扱い
聞いた話では
財務部員のバッヂがあったらしいっす
これは見たことないんだよなぁ
本当かな、バッヂって



まあそんな財務制度で
最初から収支報告なんてありません
昭和40年代の納金額は
1回1,000円で
年4回計4,000円の
定額制だったみたいですね




戸田会長は財務の目的として
「本山整備」
「寺院建立」
としていた
一方で、小説『人間革命』にも確か
出てた気がするけど
創価学会の経費については
必要最小限度
無理な集金はしてない





で、この頃って
会合とかってお寺でやってたのよ
私の両親の結婚式は昭倫寺でしたよ
旧・中野教会の歓喜寮です。
池田会長もご授戒したお寺だそうで
そんなとこで結婚したかいなーって
大人になってから気づきましたっけ
そういえば
お寺とかで昔は唱題会もやってましたね
子ども心に覚えてますよ〜
みんなでお寺に行って
私もお題目唱えましたっけ
小さい頃の話ですけどね



で。大きな会合は公共施設ですよ
この当時は。
例えば日大講堂とかね





だから会館とか
無理に作らなかったんですね
当時は
職員なんてそんなにいなかったでしょ
池田会長の頃になっても
昭和40年代になるまではそうでしょ
日大講堂で会長就任もしたし
会合も
民家とかでやってたんじゃないかな






で、これが大きく変わったのは
正本堂建立以降なのよ
ここが大きな問題







総本山に正本堂建立供養しようと
そしたら
たった3日間で
355億円集まっちゃったのよ
池田会長就任の5年後
昭和40年の話ですよ
当時のお金で
「355億円」ってさ
どんだけの金額なのよ
これマジですよ
実際にはその後もっと集まって
400億円くらい集まったって話ですけど








この頃、創価学会って
創価大学開学もあったし
(開学も寄付を募りました)
聖教新聞社の建設とかあって
財務状況の立て直しが
必要だったわけです




で、正本堂が建立された
昭和47年「広布第二章」
この頃から学会の教義が
ちょいちょいと
おかしくなってきたのよ
ここからいわゆる
"52年問題"ってのは
もう一歩でしかない




このへんからでしょ
いわゆる
「会館は現代の寺院である」とか
「寺は結婚式とかの儀式だけをする場」とか
「在家の団体も供養を受けられる」とか
いわゆる昭和52年の大百蓮華に載った
「仏教史観を語る」とか
あのへんの話になってくるわけですよ
このへんの史料はいろいろ読んでみましたけど
だいたい昭和48年から
昭和52年くらいに集中してます
いわゆる「52年路線」です









昭和49年に
寺院に変わる施設の建設をって言って
「特別財務」ってのが出てきた




この頃から一気に
方面の中心会館
研修道場とかを
学会が作り出した
昭和49年以降に
たーくさんいろんな会館
できたんじゃないですか?




創価学会神奈川文化会館って
できたの昭和49年ですよ



富士桜自然墓地公園って
できたの昭和55年ですよ
みなさん
思い出してくださいって
ちょうどこの前後じゃないっすか。
お金が創価学会
だんだん回るようになったのって




52年5月に特別財務は中止
ここで財務部員は
「広布部員」になります




1口1万円から
何口でもOKというシステム
今度は広く会員から募る形をとった
銀行振込はこの時はまだで
たぶん平成元年とか
それくらいからなんじゃないかな






創価学会としては
広布部員は
強制ではないと
あくまで個人の自由であると
財務部員の拡充だし
でもね
財務の目的って
あまり明確化されなかったのよ
広布部員の要件も
会員であれば基本誰でも大丈夫。
池田名誉会長の総講頭復帰に伴う
「200ヶ寺寄進」も名目に使われたらしい
これは本当かな?わかんないけど
でもありそうですね




池田会長が
昭和54年に会長辞任して
名誉会長になり
昭和60年代に向けて
池田名誉会長が
再び指導をするようになった
この時期ですね
ちなみに
関西の6段円塔の青年文化祭は
昭和57年です





で、昭和61年から
バブルが始まるんです〜
怖くないですか?
私、このへんのこと
調べてて怖くなりました
この頃からですよ
いわゆる「3桁」の
広布部員とか出てきたの
下手したら
「4桁」とか聞きましたよ
信じられませんでした
「3桁」って要するに
100万円台の寄付をするってことでしょ






どれだけ
学会本部にお金が集まるんですか
すごい金額ですよ
この頃
本部職員の待遇が改善されます
みんなお金持ちになったんです




同時にこの頃
最高幹部の退転・離反が相次ぎます
つまり
私がすごく危惧しているのは
この時期に相当数の幹部が
金で狂ったんじゃないかってことです
離反した人だけじゃなくて
黙って今でも学会にいて
幹部やってる人の中でも
お金の使い方が
派手になって
実はおかしくなった人って
いるんじゃないんですかって
そういうことです



今、本部職員って豊かです
ボーナスも出ます
年金制度もありますよ
息子さんを創価大学に送って
生活できるだけのお給料も出ます
でもそのお金って
どこの誰のお金なんでしょうね




私は現在まで続く学会の問題って
いろいろ語れると思うんですけど
一つはお金の問題だと思います
学会はお金を持ち過ぎたのかなって



確かにね
宗教的な情熱から
本当に本門の戒壇を建立しようと
正本堂を建ててしまったって
すごい話です
あの頃の私たちって
宗教的な情熱に燃えていたんです
ある意味で躁鬱の躁みたいに(笑)



(追記)・・・・・・
まあ本当は厳密に言うと
正本堂はまだあの時点では
本門の戒壇ではなくて
ただの本堂なんです
だから妙壇内陣には
おシキミがないんですね
広宣流布の時になったら
日蓮正宗の教義によると
大石寺が「本門寺」に名前が変わり
正本堂妙壇におシキミが供えられ
それで「本門の戒壇」になるんですね
ちなみに広宣流布が達成された時の
第3祖日目の再誕とされています
以上余談終わり
・・・・・・・・



でもそれが
大変な金額のお金を生んで
幹部の心を狂わせて
上層部の心を狂わせて
トップの心を狂わせて
お金に狂った人たちを
作ってしまったのだと
私個人はそう考えています。
同時に今でも
そういう宗教貴族が
信濃町には
存在してると思います




誰とは言いませんよ
誰とは




以前のブログ記事に書いたように
法華経には本来
僧団に対する供養という考えがありません
法華経を受持することで
供養の意味を果たしているんです
だから
財務なんてやらなくていいんです
広布部員になんて
ならなくていいんです





もう財務なんてやめましょうよ
本部職員って必要なんですか
宗教的な思いがあるなら
働きながら戦ってもらいましょうよ
それでも必要ですか
SGIがあるからですか?
組織が大きくなったからですか?






お金なんてなくていいじゃないですか
金がなくて
ストーブが買えなくて
寒さに震えてた
子どもの頃が懐かしいなぁ
当時の地区担さんが
そんな私たちの家を見て
涙を流して
石油ストーブを持ってきてくれて
(後で聞いたら息子さんのストーブを
部屋からかっぱらってきたらしい・笑)
火を点けたら
暖かかったこと!
あのストーブでどれだけ
私たちの心が救われたか
わかりません



仏壇の前で感謝の祈りを捧げました




電気が止まって
ガスも止まって
ローソクで生活して
夜逃げする直前に水まで止まって
公園の水道から
ホースで水を引っ張ってきて
家族で水風呂に入りましたよ



貧しくて貧しくて
ローソクの明かりで
夜の勤行しましたよ
懐かしいなぁ





そんな貧しさってわかります?
今の幹部にわかります?
当時はわかる人がいっぱいいた
みんなみんなビンボーでさ
金がなくてさ
集まって題目あげて
頑張ろうって
そうやって生きてきたんだよね
わからない幹部になんて
教えようなんて思わないですけど




もう財務やめましょうよ
もう一度原点に戻りましょうよ
何のための財務だったのかなって




昭和40年
「正本堂供養、3日で355億円集まる」
昭和47年
「広布第2章」
「正本堂建立寄進」
昭和49年
「特別財務」
「会館建設が増え出す」
「52年路線に繋がる発言がこの頃から」
昭和52年
「仏教史観を語る」
「学会の会館は現代の寺院・発言」
「広布部員制度へ。一口1万円から」
「宗門と学会の対立が激化」
昭和54年
「池田会長辞任」




とまあこういう流れです
別に流れだけ見て
何も感じなければ
それはそれでいいんです
ただ私個人はやっぱり
正本堂建立くらいから
学会にお金が入ってきた
そこからなんか
おかしな流れを感じるんですよね
これは個人的な感覚で
否定してもらっても
全然構いません
みなさんはどう感じますかね