2014年 7月 の投稿一覧

妙通寺信徒の声   名古屋市中村区在住  市川 和子

私の発心(ほっしん)  ②

私は三重の片田舎の農家に生まれました。祖父が浄土真宗の寺の総代を務めていた関係もあり、一家総出で神社仏閣の行事に参加しては、罪障を積み重ねる 日々を過ごして来ました。そんなことを繰り返していれば、家が栄えるはずなどありません。なんとなく家族全体が元気を失い、勢いも落ち、家族皆が苦労する ようになっていきました。
  成人した私は、名古屋にて勤務中、縁あって出会った主人と結婚し、長男を授かりました。しかし可愛い盛りの長男は、アトピー性皮膚炎が発症するなどして、私は悩むようになりました。

そんな頃、子供仲間の親であった女性から折伏され、「長男が元気に成長できるなら」と、何のためらいも無く創価学会を通して日蓮正宗に入信しました。
  入信後、「祈りとして叶はざるはなし」「冬は必ず春となる」との日蓮大聖人様の御金言を心の支えとして真剣に勤行・唱題に励み、広宣流布のため、創価学会の会合にもたびたび参加するようになりました。
  しばらくしたある祭りの日、主人をはじめ親族の人が集まってきました。そして私は、
  「市川家の長男の嫁のくせして、変な宗教をされては困る。日蓮正宗の信心を辞めない なら離婚しかない」
  「元の信仰に戻らないなら、二度と敷居はまたがせない」
 などと一斉に責められました。誰よりも愛し、頼りにしていた主人からも、
  「俺も、死んでも日蓮正宗の信心はしない」
 と言われ、私は悲しくて仕方がありませんでした。


  しかし私は、日蓮大聖人の正法によること以外に、家族の幸せはないと確信していましたので、意を決して、親類の方々に言いました。
  「今は信仰の自由が認められています。私は、家族と仲良く幸せに暮らしたい、ただそれだけのために信心しているのです。どうか、1年間、私の姿を見ていてください。お願いします」と。
  その後、なんとか信心を認めてもらおうと私は必死に信心し、家族や親類にも、いろいろと気を遣って接するようにしました。そうこうするうちに、一方では 信仰に反対していた人たちの方が、次々とトラブルを抱え込むようになり、ついに、大反対だった主人までもが、九死に一生を得るほどの大事故にあってしまっ たのです。

 

主人は「お前には仏様が味方してくださっているんだなぁ」と根負けし、ついに主人も日蓮正宗に入信してくれました。
  

その後、長女、次男にもめぐまれ、私の人生は信心と生活、仕事など、充実すぎるくらい忙しい日々を過ごしました。でも、本当に幸せでした。
  しばらくして主人の仕事の都合で、私たち一家は福山市へと転居しました。その頃からです。徐々に創価学会の信仰のあり方が、おかしくなりはじめました。 私は、学会活動を真剣に行なえば行なうほど、学会の指導に疑念を持つようになりました。「本当に、この活動が、日蓮大聖人が理想とされた広宣流布への闘い なのだろうか。」その疑念はついに学会に対する決定的な不信となり、平成3年7月、私は学会を脱会し日蓮正宗の法華講に入講しました。
  縁あって岩倉の興道寺様にお世話になり、平成7年からは、現在の所属である妙通寺様の信徒として、本門戒壇の大御本尊様と、血脈付法の御法主上人猊下様の御元に、日蓮大聖人の正しい信心をさせていただいています。
  私は今、自身と家族、親族、お世話になった方、知人・友人、みんなの本当の幸せは、南無妙法蓮華経の信心を通してこそ実現できると固く信じています。

何よりも、これまでの長年の信仰の体験を通して、この信心の正しさを確信しています。最高の「信心」という宝を、子供や孫たちにも、しっかりと受け継いでいって欲しいと、心の底から願い、毎日、真剣に、御本尊様に祈っています。


  大聖人様は
  「とてもかくても法華経を強(し)いて説き聞かすべし。信ぜん人は仏になるべし。謗(ぼう)ぜん者は毒鼓(どっく)の縁となって仏になるべきなり。何にとしても仏の種は法華経より外になきなり」(法華初心成仏抄)と教えられています。
  私はこの大聖人様の御金言を胸に、命ある限り、たった一言でもいい、折伏をし続け、一生成仏の大功徳を積み重ねていくことを、大御本尊様・大聖人様に固く、固くお誓いします。

妙通寺信徒の声   名古屋市中川区在住  出口 明

私の発心(ほっしん)  ①

私は昭和9年3月、播州赤穂市北端の農家の五男として生まれました。
 昭和21年、敗戦の翌年、小学校卒業と同時に縁あって名古屋の遠縁に当たる家へ、子供として迎え入れられました。当時は食料もすべて配給制で、けっして安 楽な生活ではありませんでしたが、隣の本屋さんに下宿していた名大生が私の家庭教師となり、夜の6時からの学習で、かなりの知識を身につけることができま した。特に、夜空を眺めて煌(きら)めく星座や宇宙の広大な話は、傘寿を迎えた現在も、私の心に深く残っております。

  昭和33年の春ごろ、知り合いの創価学会員より日蓮正宗の信心の話を聞き、なんの抵抗もなく入信しました。その後、日蓮正宗創価学会の青年部員として真剣に活動し、かの伊勢湾台風の折には夜を徹して救助活動にボランティアで参加しました。


  年は過ぎて昭和38年、創価学会の活動に不信感をもった私は、創価学会の役職を投げ捨て、決然と創価学会を脱会しました。

 その後は、御本尊を大事に持ちながらも、長きにわたり信心から遠のいておりました。
 唱題さえ怠(おこた)っていた現証(げんしょう)が歴然と現れたのは平成に入ってからです。
 喉が詰まるという症状に悩まされ、その苦痛には耐えがたいものがありました。

そんな時、不思議にも日蓮正宗の寺院「妙通寺」のことを思い出したのです。すでに、創価学会の組織からは離れていたものの、「妙通寺というお寺が岩塚にある」ことは耳にしていたからです。
 さらに不思議なことは重なるもので、時を同じくして、妙通寺に所属している婦人と出会うことができました。私は、「今こそ、正しい信心を行なう時だ」と機の熟したことを確信し、平成10年10月、妙通寺に参詣しました。
 ご住職より勧戒式(かんかいしき)をいただき、心あらたに日蓮正宗の信徒として再出発しました。現在、御本尊に対し奉って、大確信をもって信心させていただいております。

  日蓮大聖人様は、「諸経は無得道・堕地獄の根源」と御指南あそばされています。私ども日蓮正宗の信徒は日々に、末法唯一(ゆいいつ)の正法である南無妙法蓮華経の信行に励み、それぞれが多大な善根を重ね、すばらしい功徳をいただいております。

  願わくは、ひとりでも多くの方が、私たちとともに信心していただけるよう、そして、ともに総本山大石寺へと登山いただけるよう祈り、また私自身も力ある限り、多くの法友(法華講員)の輩出のため、ますます自行化他に精進することを御本尊様にお誓い申し上げます。